この資料について

明治16年(1883)に農商務省駅逓局から古来船舶制度調査事業を移管された海軍省は、海軍彙編、海防彙編、造船彙編、海運彙編、通商彙編より成る日本海志の編纂を企て、水軍・外交・海防・造船・海運・海外通商などに関わる資料の収集に鋭意努めた。しかし、日本海志の編纂はついに陽の目を見ず、蒐集された資料は大日本海志編纂資料(以後、海志編纂資料と略称)として海軍省の海軍文庫に収蔵された。ちなみに、明治政府の海志編纂事業については木崎弘美「幕末~明治期の海事資料編纂事業」(『海事史研究』第63号、2006年)に詳述されているので参照されたい。

敗戦直後、海軍文庫の図書は海軍省から本郷の東京帝国大学に運ばれ、さらに駒場の第一高等学校に移された。昭和23年(1948)8月に大日本滑空工業専門学校から第一高等学校に戻って、図学の教鞭をとった須藤利一教授は日本造船史に造詣が深く、海軍文庫の存在を知ると、早速、調査を行い、海志編纂資料をはじめとする海事資料を図書館から借り出した。以後、その資料は須藤教授から小佐田哲男教授、安達裕之教授へと受け継がれて、図学教室(現、情報・図形科学部会)で研究・閲覧の用に供されてきたが、安達教授の定年にともない平成21年に駒場図書館へ移管されたのを機にデジタル化して公開の運びとなった。

海志編纂資料の特色を一言でいえば、水軍書と木割書・図面などの造船関係資料が充実していることである。なかでも、図面の9割を原本が占めることは特筆にあたいする。農商務省も海軍省も所蔵者から資料を借り出して写本を作成するのを原則としており、海志編纂資料のほとんどは写本であるが、ごくまれに原本の提供を受けることがあった。図面の原本を提供したのは、海軍と関係の深い旧薩摩藩主島津家である。さすがに大藩だけあって、各種の船の図面が揃っており、他に類例がない。痛みがひどかったらしく、ほとんどの原本が原装の巻子から折本に改められている。興味深いのは薩摩藩が御座船の仕様を決定するために起絵図を作成したことで、建築はともかく、起絵図は船では珍しい。

海志編纂資料の目録としては、明治16年に農商務省が作成した『日本海志材料書籍目録』(国立公文書館内閣文庫所蔵)、作成年次不明の海軍省による『大日本海志編纂資料目録』、昭和8年(1933)刊の『海軍文庫図書分類目録 和漢書ノ部』に収められた「大日本海志編纂資料」が今に伝えられている。農商務省の目録はイロハ順で分類され、海軍省の目録は、第一部門水軍諸流派、第二部門水軍雑纂、第三部門艦船、第四部門外交・海防、第五部門史書雑纂、第六部門地誌、第七部門絵画・図巻、第八部門雑に分類されている。もとより、ここでは海軍の分類に従うが、第七部門はさらに甲史画、乙船艦・陣形及造船参考図画、丙雑画、丁巻物に細分され、巻物・図面・絵画が混在しているため、一秘伝書、二図面(小船・軍船・荷船・河船・洋式船)、三絵画に分類を改めた。

海志編纂資料には、史料編纂所に分蔵される『武家万代記河内警固覚書』『浦賀製造鳳凰丸』『諸家手船絵図』を別にしても、若干の欠本があるが、原因は必ずしも敗戦直後の混乱ばかりではない。海志編纂資料の木割書『早船木割之事』上下(3-1-12・13)のうち、昭和6年(1931)刊行の『海事史料叢書』第19巻に収録されたのは下のみで、上は早くに流出し、昭和40年に石井謙治先生が神田の古書店で上を入手されているからである。海軍文庫の『駅逓志料 船舶』巻2が、現在、神戸大学海事博物館の有に帰しているところをみても、海軍文庫の図書の管理は厳重ではなかったようである。それにしても、欠本はあるものの、敗戦直後の事情を考えれば、海志編纂資料がほぼ完全な形で今に伝えられたことは奇跡といってよく、多くの関係者の尽力の賜である。末筆ながら『早船木割之事』上を駒場図書館にご寄贈いただいた石井先生のご厚意に対して深甚なる謝意を捧げるものである。

■制作協力

  • 資料修復:紙資料修復工房・宮田文申堂ほか
  • 撮影・画像処理・データベース制作:株式会社堀内カラー アーカイブサポートセンター