学位論文要旨



No 217398
著者(漢字) 木村,勝紀
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,カツノリ
標題(和) ヒト消化管乳酸菌の生態とHelicobacter pylori感染抑制プロバイオティクスの開発に関する研究
標題(洋)
報告番号 217398
報告番号 乙17398
学位授与日 2010.09.07
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第17398号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 伊藤,喜久治
 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 准教授 松本,芳嗣
 東京大学 准教授 八村,敏志
 日本獣医生命科学大学 教授 藤澤,倫彦
内容要旨 要旨を表示する

Helicobacter pylori感染症は世界的に最も感染率の高い感染症の一つである。日本のH. pylori感染率は約50%で、6000万人もの人が感染していると推計されている。H. pyloriは胃の中に生息する微好気性のグラム陰性らせん状細菌で、一端に複数の鞭毛を有している。本菌は強力なウレアーゼを保持しており、これにより胃粘液中に含まれる尿素をアンモニアと二酸化炭素に分解し、胃酸を中和して胃の中で生育することができる。近年、H. pyloriと胃・十二指腸病変との関連性が注目され、本菌が胃炎、胃・十二指腸潰瘍、胃ガンなど様々な胃・十二指腸疾患に関与していることが明らかになってきた。また、最近ではH. pyloriが特発性血小板減少性紫斑病、慢性蕁麻疹、冠動脈疾患などの胃・十二指腸以外の疾患にも関与することが報告されている。H. pyloriの除菌により、H. pylori関連疾患の発症予防が期待できるが、予防目的で感染者全員に除菌療法を行うことは、耐性菌の増加や医療コストの面から困難である。しかし、除菌対象者以外の大多数の無症状のH. pylori感染者においても、発症しないレベルに菌数を減少させたり、菌の活動を低下させるなどH. pylori感染をコントロールできれば、H. pylori感染に伴う疾患の発症リスクの低減が期待できる。

そこで、本論文ではH. pylori感染症に対して有効なプロバイオティクスの開発を目的として、以下のような研究を行った。

第一章では、ヒトに対するプロバイオティクスを開発するための基礎的な情報およびプロバイオティクスの候補株を得るために、ヒト消化管におけるLactobacillusおよびBifidobacteriumの生態について検討するとともに、プロバイオティクスとして使用可能な菌株を取得した。

被験者から分離したLactobacillusおよびBifidobacteriumをリボタイピング法およびPFGE法によって菌株レベルで解析したところ、各被験者はそれぞれ独自の菌株を有していること、およびほとんどの被験者において特定のタイプの菌株が常に最優勢に存在していることが明らかになった。すなわち、ヒト腸内菌叢は菌株レベルでは個体差が極めて大きいことが示唆された。

日本人のヒト消化管のLactobacillusについては菌株レベルの解析だけでなく、最新の分類体系に基づいて菌種の同定も行った。日本人の消化管由来のLactobacillusとして、13菌種 (L. amylovorus、L. mucosae、L. plantarum、L. gasseri、L. fermentum、L. delbrueckii、L. salivarius、L. crispatus、L. vaginalis、L. brevis、L. casei、L. acidophilus、L. ruminis) が検出され、特にL. gasseriおよびL. fermentumが最も高頻度に検出された。

ほとんどの被験者において、同一被験者から異なる日に採取したサンプルから同一タイプの菌株が検出され、これらはL. amylovorus、L. gasseri、L. fermentum、L. delbrueckii、L. crispatus、L. vaginalisおよびL. ruminisと同定された。これらの菌種は優勢なLactobacillusとして、少なくとも1週間以上ヒト腸内に定着していたと考えられ、日本人の消化管に適応した菌種であると考えられた。

第二章では、H. pylori感染抑制プロバイオティクスの開発について検討した。まず、これまでほとんど報告されていないH. pylori感染者および非感染者 (成人および子供)の胃内菌叢について解析を行ったところ、成人、特にH. pylori感染者では胃液のpHが高く、胃内菌叢の形成が認められたが、子供では胃液のpHが低く、胃内から細菌はほとんど検出されなかった。ヒトの胃内にはH. pylori以外の細菌が生息できないと考えられていたが、成人、特にH. pylori感染者では胃液のpHが高く、胃内菌叢が形成されていることが確認された。このことから、腸内と同様に胃内においてもプロバイオティクスにより菌叢を改善できる可能性が示唆された。そこで、H. pylori増殖抑制作用に優れた乳酸菌の選抜を行った。人工胃液耐性試験、低pH条件下での増殖性試験、胃由来培養細胞株に対する付着性試験、H. pyloriとの混合培養試験、ヨーグルト適性試験およびH. pylori感染マウス投与試験を行い、H. pylori殺菌作用に最も優れた乳酸菌としてL. gasseri OLL2716を選抜した。

第三章では、第二章で選抜したOLL2716株のヒトにおける有効性を検討するために、OLL2716株含有ヨーグルトのH. pylori感染者に対する投与試験を実施し、その有効性について検証した。また、投与したOLL2716株が胃の粘液層からの検出できるかどうかについても検討を加えた。

OLL2716株含有ヨーグルトのH. pylori感染者に対する投与試験を実施した結果、OLL2716株含有ヨーグルトの摂取により、尿素呼気試験でのΔ13C値の有意な低下および血清ペプシノーゲンI/II比の有意な上昇が認められた。OLL2716株含有ヨーグルトの摂取により、H. pylori陽性者のH. pyloriを完全に除菌することはできなかったが、胃内H. pylori菌数が減少し、胃粘膜の炎症が改善された。

さらに、OLL2716株含有ヨーグルトを摂取したヒトの胃から生検試料を採取し、LMPC法により粘液層のみを摘出し、OLL2716株特異的プライマーを用いたsemi-nested PCR法によって胃粘液層からOLL2716株が検出されることを確認した。

以上の結果より、新たに開発したプロバイオティクスL. gasseri OLL2716により、胃内H. pylori菌数が減少し、胃粘膜の炎症を改善することが示された。H. pyloriに感染しても、多くの場合、無症状であり、感染者のほとんどは、胃・十二指腸疾患を発症することなく、一生を終えることができる。従って、H. pylori感染者全員を除菌することは疫学的見地からは合理的ではないと考えられている。しかし、胃内H. pylori菌数が高い状態が胃の炎症や十二指腸潰瘍の発症に関与することが報告されていること 、および萎縮性胃炎は胃癌の危険因子の一つであると考えられていることなどから、無症状のH. pylori感染者においても、OLL2716株のような安全性の高いプロバイオティクスを用いることによって胃内H. pylori菌数を減少させ、胃粘膜の炎症を改善することは、胃・十二指腸疾患の発症リスクの低減に有効であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

Helicobacter pylori感染症は世界的に最も感染率の高い感染症の一つである。日本人のH. pylori感染率は約50%で、6000万人もの人が感染していると推計されている。近年、H. pyloriが胃炎、胃・十二指腸潰瘍、胃ガンなど様々な胃・十二指腸疾患に関与していることが明らかになってきた。また、最近ではH. pyloriが特発性血小板減少性紫斑病などの胃・十二指腸以外の疾患にも関与することが報告されている。H. pyloriの除菌により、H. pylori関連疾患の発症予防が期待できるが、予防目的で感染者全員に抗生物質による除菌療法を行うことは、医療コストの面などから困難である。また、最近では抗生物質耐性H. pyloriの増加が問題視されている。本論文はH. pylori感染症に対して有効なプロバイオティクスの開発を目的とした研究である。

第一章では、ヒトに対するプロバイオティクスを開発するための基礎的な情報およびプロバイオティクスの候補株を得るために、ヒト消化管におけるLactobacillusおよびBifidobacteriumの生態について検討するとともに、プロバイオティクスとして使用可能な菌株を取得した。被験者から分離した菌をリボタイピング法およびPFGE法によって菌株レベルで解析したところ、日本人およびニュージーランド人ともに各被験者はそれぞれ独自の菌株を有していること、およびほとんどの被験者において特定のタイプの菌株が常に最優勢に存在していることが明らかになった。すなわち、ヒト腸内菌叢は菌株レベルでは個体差が極めて大きいことが示唆された。日本人のヒト消化管のLactobacillusについては菌株レベルの解析だけでなく、最新の分類体系に基づいて菌種の同定も行った。日本人の消化管由来のLactobacillusとして13菌種が検出され、ほとんどの被験者において、同一被験者から異なる日に採取したサンプルから同一タイプの菌株が検出され、これらはL. amylovorus、L. gasseri、L. fermentum、L. delbrueckii、L. crispatus、L. vaginalisおよびL. ruminisと同定された。これらの菌種は優勢なLactobacillusとして、少なくとも1週間以上ヒト腸内に定着していたと考えられた。特にL. gasseriおよびL. fermentumが最も高頻度に検出され、日本人の消化管に適応した菌種であると考えられた。

第二章では、H. pylori感染抑制プロバイオティクスの開発について検討した。まず、これまで報告例の極めて少ないH. pylori感染者および非感染者 (成人および子供)の胃内菌叢について解析を行ったところ、成人では胃液のpHが高く、胃内菌叢の形成が認められたが、子供では胃液のpHが低く、胃内から細菌はほとんど検出されなかった。ヒトの胃内にはH. pylori以外の細菌が生息できないと考えられていたが、成人、特にH. pylori感染者では胃液のpHが高く、胃内菌叢が形成されていることが確認された。そこで、耐酸性で抗H. pylori作用に優れた乳酸菌の選抜を行った。人工胃液耐性試験、低pH条件下での増殖性試験、胃由来培養細胞株に対する付着性試験および混合培養試験によるH. pylori増殖抑制ならびに殺菌効果などによって乳酸菌L. gasseri OLL2716株をプロバイオティクス候補として選抜した。この菌株をH. pylori感染マウスに経口投与したところ、マウスの胃内H. pyloriを検出限界以下に低下させることが確認された。

第三章では、第二章で選抜したOLL2716株のヒトにおける有効性を検討するために、OLL2716株含有ヨーグルトのヒトへの投与試験を実施し、その有効性について検証した。また、摂取したOLL2716株が胃の粘液層からの検出できるかどうかについても検討を加えた。OLL2716株含有ヨーグルトのヒト投与試験を実施した結果、OLL2716株含有ヨーグルトの投与により、尿素呼気試験でのΔ13C値の有意な低下および血清ペプシノーゲンI/II比の有意な上昇が認められた。すなわち、OLL2716株含有ヨーグルトの投与により、胃内H. pylori菌数が減少し、胃粘膜の炎症が改善さることが示唆された。さらに、OLL2716株含有ヨーグルトを投与したヒトの胃から生検試料を採取し、LMPC法により粘液層のみを摘出し、OLL2716株の検出を試みたところ、胃粘液層からOLL2716株が検出されることを確認した。

以上、本論文はヒト消化管乳酸菌の生態および胃内菌叢を明らかにするとともに、H. pylori感染抑制プロバイオティクスとして選抜したL. gasseri OLL2716株がヒトの胃内H. pylori菌数を減少させ、胃粘膜の炎症を改善することを明らかにした。これまでプロバイオティクスは腸内、特に大腸内の菌叢の改善を目的に開発されてきたが、本研究はプロバイオティクスの新たな可能性を開いたものと考えられる。さらに、本研究の成果が実際に商品として市販されており、社会一般からも受け入れられていることは学術上の貢献にとどまらず、応用科学として高く評価できる。よって、審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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