学位論文要旨



No 216803
著者(漢字) 佐々木,徹
著者(英字)
著者(カナ) ササキ,トオル
標題(和) 中耳根本術後 耳漏・聴力低下が長期間持続する症例に対する全中耳再建術に関する研究 : 術式、聴力改善、病理所見、検出菌の動向、患者満足度の検討
標題(洋)
報告番号 216803
報告番号 乙16803
学位授与日 2007.05.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16803号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 光嶋,勲
 東京大学 准教授 川原,信隆
 東京大学 准教授 宮澤,惠二
 東京大学 准教授 林,直人
 東京大学 講師 朝蔭,孝宏
内容要旨 要旨を表示する

急性化膿性中耳炎による頭蓋内合併症の死亡例は、20世紀前半まで一般的に見られ、これを避けるために中耳根本術、保存的中耳根本術などが盛んに行われた。20世紀後半、抗生物質の登場、手術用顕微鏡の発達などにより中耳根本術はあまり行われなくなった。しかし現在でも過去の中耳根本術の結果、耳漏と難聴に悩む患者は少なくない。こうした状態を、cavityproblemと呼ぶ。患者は医療機関で「治らない」「手術適応でない」と言った説明を受け、治療法はないと諦めていくのが実態であった。実際、中耳根本術後のcavityproblemに対する有効な治療法は普及していなかった。

全中耳再建術はcavity problemを伴う中耳根本術後の耳に対し、外耳道後壁再建等により、中耳を元来の解剖学的構造に近づけることで耳漏停止および聴力改善を目指す手術である(図1)。最終的な目標は、carefreeな、すなわち通院処置の不要な耳を達成することである。1973年にEkva11により提唱されたものが端緒であるが、東京大学耳鼻咽喉科では従来の方法を発展させ、感染耳に対しても積極的に行い、治療経験を蓄積してきた。

本論文では、まず、全中耳再建術の理念、術式を詳述した。引き続いて、東京大学医学部附属病院耳鼻咽喉科にて1993年から2001年にかけ全中耳再建術が行われた症例を対象に行った以下の5つの研究を報告した。

研究1:全中耳再建術後の聴力検査結果

研究II-1:乳突洞皮膚様組織の病理学的研究

研究II-2:採取した耳小骨の病理学的研究

研究m:全中耳再建術前後の検出菌の動向

研究IV:全中耳再建術後の患者満足度調査

研究1:全中耳再建術後の聴力検査結果

全中耳再建術後の聴力改善の程度、また聴力改善の観点からの成功率を調べた。鼓室形成術Ill型またはIV型を同時に施行した56耳48症例につき検討した。500Hz,1000Hz,2000Hzにおける気道閾値の平均を代表値とし、術後6ヶ月以上で15dB以上の聴力改善を認める場合を成功と定義した上で、成功率を求めた。

その結果、純音平均は術前63.1dB,術後49.5dBで、平均聴力改善は13.6(±ll.9)dBであった。鼓室形成術m型とw型に分けて検討すると、In型の27耳では16.6(±13.1)dB,rv型の29耳では10.8(±10.1)dBであり、Ill型群はrV型群に対し有意に聴力改善が高かった(p<0.05,Student's t test)。一期的手術と二期的手術にわけると、一期的手術施行の37耳の平均聴力利得は13.1±10.7dB、二期的手術の19耳では14.7±14.2dBであり、有意差はなかった。過去の乳突洞削開術から全中耳再建術までの期間と聴力改善の相関を調べると、相関係数は、r=-O.266(p<0.05)であった。

全中耳再建術の聴力改善の成功率は48.2%であったが、聴力改善には極めて不利な環境に晒されてきた耳を対象としていることを考慮すれば、評価に値すると考えられる。

研究II-1:乳突洞皮膚様組織の病理学的研究

乳様突起を削開後、内腔の骨面は重層扁平角化上皮(乳突洞皮膚様組織)が覆う。その切除の適否を考察するため全中耳再建術9症例の術中に採取した乳突洞皮膚様組織を病理組織学的に観、察した。また別の14症例において乳突洞内より肉芽組織を採取、観察し比較した。

乳突洞皮膚様組織の所見は、一般的な慢性炎症に合致する所見であった。しかし浮腫、リンパ球および形質細胞の浸潤といった比較的新しい段階の炎症所見から、硝子化・石灰化といった陳旧性の炎症所見までが認められた。好中球の浸潤を示す症例はなく、乳突洞皮膚様組織においては急性の炎症像は見られにくいと考えられる。

肉芽組織では、主として慢性炎症の所見を示しており、炎症像は乳突洞皮膚様組織に概ね類似していたが、好中球浸潤、フィブリンの析出を認める症例もあり、部分的に急性の炎症が存在していると考えられた。

乳突洞皮膚様組織においては慢性、陳旧性炎症を主とした比較的狭い範囲の炎症像に限局しており、肉芽においては急性炎症まで含めた幅広い炎症像が含まれていた。乳突洞皮膚様組織では既存の炎症が治癒しにくく、全中耳再建術施行時には可及的に切除することが適切と考えられる。しかし、術中の判断で再建に使用する場合は、術後の壊死などを防止するために、有茎皮弁で裏打ちを行い、血行を保つことが奨められる。

研究II-2: 採取した耳小骨の病理学的研究

全中耳再建術中に得られた耳小骨には長年の感染、炎症の歴史が刻み込まれているはずである。一般に正常な層状骨(lamellar bone)が破壊されると新たな骨(woven bone)が再生されて骨の輪郭は概ね保たれる。本研究ではこうした耳小骨の病理標本上の面積に対する残存正常層状骨の面積の割合に注目し、この割合を%LB (percent lamellar bone) とした。光学顕微鏡でデジタル撮影してコンピュータに取り込み、米国NIH開発のコンピュータソフトウェアImageJにて面積を測定した。

%LBが低い標本では骨の改築が盛んであったと推定される。ツチ骨、キヌタ骨につき別々に求め、それぞれ%LBm、%LBiとした。これらと過去の乳様突起削開から今回の全中耳再建術までの期間の相関をを求めた。全中耳再建術施行の際、31症例31耳から得られた耳小骨を対象とし、合計41個の耳小骨が採取され、21個がツチ骨、20個がキヌタ骨であった。

ツチ骨が得られた21耳で%LBm と前回手術からの期間の相関を求めると、 r = -0.512 (p<0.05)であり、統計的に有意な中等度の負の相関を認めた。キヌタ骨が得られた20耳で%LBiと前回手術からの期間の相関係数を求めるとr = -0.018 で相関はなかった。

前回手術からの期間は、%LBmでは統計的に有意な相関を示し、%LBiでは相関を示さなかった。本研究の結果は、耳小骨の破壊における慢性炎症の役割が、キヌタ骨によりもツチ骨において重要であることを意味している。また術後の聴力改善と%LBとの関係は、残存層状骨が少ない耳では聴力改善に不利であることを示している。

研究III: 全中耳再建術前後の検出菌の動向

術前に視診上、耳漏を認め、術前・術後に細菌培養検査を施行した101耳92につき細菌の動向を追跡した。特に緑膿菌(Pseudomonas aeruginosa)およびMRSAが検出された例に注目した。また術後耳漏が改善したかにつき長期経過を追跡した。術前、101耳中、93耳(92.1%)でなんらかの細菌または真菌が分離されたが、術後には71耳(70.3%)となった。術前緑膿菌は24耳、MRSAは1耳で認められたが、全例を術後1年以上追跡し、緑膿菌が1耳で検出されるのみとなり、MRSAは検出されなくなった術前、全例(101耳)で耳漏を認めていたが、3年以上フォローアップできた58耳については、全例で耳漏が消失した。

研究IV: 全中耳再建術後の患者満足度調査

患者が全中耳再建術に満足しているかを評価するため、アンケート形式にて、患者に回答を依頼し、患者満足度を調べた。対象は、術後フォローアップ期間1年以上で、図2に示すアンケートを依頼し、回答を得られた57名である。質問は12あり原則的に(1)~(5)から選ぶ。選んだ数字が高いほど手術に好意的な質問はスコア化した。特に質問8、9、10、11に注目した。

聴力に関する質問のうちもっとも患者満足度を反映している質問9では64%が中くらい以上に満足と答えた(平均スコア:2.96)。耳漏の改善は、全中耳再建術の主目的でもあり、質問11は重要であるが、98%が「中くらいに満足」以上と答えた(平均スコア:4.56)。手術全体の満足度を問う質問8、10は核心にあたる。質問8では82%が肯定的に答えた。(平均スコア:4.32)。質問10では79%が「期待どおり」「完全に期待通り」と回答した(平均スコア:4.09)

中耳手術においては、医療を供給した側の評価よりも患者自身が感じる手術の評価こそ、手術の真の成否といって過言でない。質問9からは、聴力改善に関しては満足を達成しにくいことがわかるが、質問8では82%が肯定的で、手術全体の結果に79%が満足(質問10)、耳漏の停止に98%が満足(質問11)といった結果からは全中耳再建術は術後、大半の患者に満足をあたえていると思われる。

考察および将来への展望

全中耳再建術には上記のようにcavity problemを伴う術後耳に対する有効な治療方法として発展してきた。しかし中耳根本術等の治療の頻度は減っており、その対象となる症例は減少している。将来、全中耳再建術は真珠腫の術後耳に対し適応となるであろう。また発展途上国では中耳炎の罹患率が高く、先進国の数十年前と変わらない状況であるため、全中耳再建術が役割を果たせるあろう。

審査要旨 要旨を表示する

全中耳再建術はcavity problemを伴う中耳根本術後の耳に対し、中耳を元来の解剖学的構造に近づけることで耳漏停止および聴力改善を目指す手術である。東京大学耳鼻咽喉科では従来の方法を改良、発展させ、感染耳に対しても積極的に手術をおこなってきた。本論文は、東京大学医学部附属病院耳鼻咽喉科にて1993年から2001年にかけ行われた全中耳再建術の症例を対象とした5つの研究からなる。

研究I: 全中耳再建術後の聴力検査結果

全中耳再建術後の聴力改善の程度、また聴力改善の観点からの成功率を調べた。鼓室形成術III型またはIV型を同時に施行した56耳48症例につき検討した。術後6ヶ月以上で純音平均にて15dB以上の聴力改善を認める場合を成功と定義した上で、成功率を求めた。

平均聴力改善は13.6 (±11.9) dBであった。鼓室形成術III型とIV型に分けて検討すると、III型群はIV型群に対し有意に聴力改善が高かった。一期的手術と二期的手術の間に有意差はなかった。過去の乳突洞削開術から全中耳再建術までの期間と聴力改善の相関係数は、r = -0.266 (p<0.05)であった。全中耳再建術の聴力改善の成功率は48.2%であった。

研究II-1: 乳突洞皮膚様組織の病理学的研究

乳様突起を削開後、内腔を覆う乳突洞皮膚様組織の切除の適否を検討した。9症例より採取した乳突洞皮膚様組織および別の14症例より採取した肉芽組織を病理学的に観察した。乳突洞皮膚様組織の所見は、一般的な慢性炎症に合致する所見で、乳突洞皮膚様組織においては急性の炎症像は見られにくい。肉芽組織では、主として慢性炎症の所見を示しており、炎症像は乳突洞皮膚様組織に概ね類似していたが、部分的に急性の炎症が存在していると考えられた。乳突洞皮膚様組織では既存の炎症が治癒しにくく、全中耳再建術施行時には可及的に切除することが適切と考えられた。

研究II-2: 採取した耳小骨の病理学的研究

一般に正常な層状骨(lamellar bone)が破壊されると新たな骨(woven bone)が再生されて骨の輪郭は概ね保たれる。こうした病理標本上の面積に対する残存正常層状骨の面積の割合に注目し、この割合を%LBとした。ツチ骨、キヌタ骨につき別々に求め、それぞれ%LBm、%LBiとし、過去の乳様突起削開から全中耳再建術までの期間との相関を求めた。ツチ骨が得られた21耳で%LBm と前回手術からの期間の相関を求めると、 r = -0.512 (p<0.05)であり、統計的に有意な中等度の負の相関を認めた。キヌタ骨が得られた20耳で%LBiと前回手術からの期間では相関はなかった。耳小骨の破壊における慢性炎症の役割が、キヌタ骨によりもツチ骨において重要であることを意味している。

研究III: 全中耳再建術前後の検出菌の動向

術前に視診上、耳漏を認め、術前・術後に細菌培養検査を施行した101耳92につき細菌の動向を追跡した。特に緑膿菌(Pseudomonas aeruginosa)およびMRSAが検出された例に注目した。術前、101耳中、93耳(92.1%)でなんらかの細菌または真菌が分離されたが、術後には71耳(70.3%)となった。術前緑膿菌は24耳、MRSAは1耳で認められたが、全例を術後1年以上追跡し、緑膿菌が1耳で検出されるのみとなり、MRSAは検出されなくなった術前、全例(101耳)で耳漏を認めていたが、3年以上フォローアップできた58耳については、全例で耳漏が消失した。

研究IV: 全中耳再建術後の患者満足度調査

全中耳再建術に満足度評価をアンケート形式にて調べた。術後フォローアップ期間1年以上で、回答を得られた57名である。聴力に関する質問では64%が中くらい以上に満足と答えた。耳漏の改善では98%が「中くらいに満足」以上と答えた。手術全体の満足度を問う質問では82%が肯定的に答えた。本研究の結果からは全中耳再建術は術後、大半の患者に満足をあたえていると思われる。

以上、本論文は全中耳再建術がcavity problemを伴う耳に対し、耳漏停止、聴力改善に大きな役割を果たすことを示したものである。特に東京大学医学部耳鼻咽喉科では、他施設では敬遠される感染耳に対しても積極的に行い、良好な成績が得られた。本研究は耳科科学の発展に貢献したと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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