学位論文要旨



No 216062
著者(漢字) 松田,尚人
著者(英字)
著者(カナ) マツダ,ナオト
標題(和) 全ゲノムサブトラクション法による網膜視蓋分化因子シャペロニンCCTγ遺伝子のクローニング
標題(洋) Cloning of chaperonin CCTγ subunit gene essential for retinotectal development by whole-genome subtraction
報告番号 216062
報告番号 乙16062
学位授与日 2004.09.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第16062号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 助教授 横溝,岳彦
 東京大学 助教授 尾藤,晴彦
 東京大学 助教授 廣瀬,謙造
内容要旨 要旨を表示する

背景

分子遺伝学は未知の機能分子を探索する有効な方法である。ゼブラフィッシュDanio rerioは、突然変異誘発による分子遺伝学の手法が適用可能な脊椎動物であり、胚が透明であるため特に中枢神経系の発生の分子機構の解明に強力な手段となりうる。ドイツと米国のグループによりN-ethyl-N-nitrosourea (ENU)を用いて大規模な突然変異体作成とスクリーニングが行われ、1996年に初期発生から行動異常まで様々な突然変異体が約2,400系統報告されたことは、脊椎動物発生メカニズム研究の大きな進展を予期した。しかしながら、ENUが主に点突然変異を誘発するため、現在のところその原因遺伝子の同定は遅れている。クローニングがより容易な方法として、レトロウイルスを用いた挿入変異誘発法も開発されているが、変異誘発効率が低い欠点がある。従って、より簡便に遺伝子クローニングが可能で高効率な方法論を確立する必要があった。

 当研究室は、大腸菌や線虫の突然変異体作製に利用されているDNA架橋剤4,5',8-trimethylpsoralen (TMP)が、紫外線照射により2本鎖DNAに共有結合し、その修復過程で小欠失変異を誘発する作用を持つことに着目し、ゼブラフィッシュ精子にTMPを作用させることにより効率良く突然変異体を作製する方法を開発した。このTMP変異誘発法の利点は欠失変異を標識としてサブトラクション法により原因遺伝子を直接クローニングしうる可能性を持つことにある。Representational difference analysis (RDA)法は、6塩基認識制限酵素で消化したゲノムにアダプターを結合しPCRで増幅することにより、ゲノムの一部を代表するサンプル(amplicon)を作製し、脊椎動物の様な複雑なゲノム同士のサブトラクションを可能にする方法である。本論文では、TMP突然変異法により作製したno tectal neuron (ntn)突然変異体にRDA法を適用し、原因遺伝子としてchaperonin containing TCP-1(CCT)γサブユニット遺伝子を同定した。

結果および考察

 ntn突然変異は受精後2日目に視覚系を構成する網膜と視蓋に神経細胞死が明らかになる劣性変異である。ヘテロ接合体同士の交配により突然変異胚と同腹野生型胚をそれぞれ40匹ずつプールし、5種類の制限酵素BglII, EcoRI, HindIII, SpeI, XbaIでゲノムDNAを消化し、それぞれのampliconを作製した。野生型由来のampliconをtester、変異体由来のampliconをdriverとして、testerからdriverをサブトラクションし、24個のRDA産物を得た。RDA法は制限酵素を用いてampliconを調整するため、欠失だけでなく制限断片長多型 (RFLP)も単離することができる。表現型に基づいてゲノムDNAをプールしているので、ntn遺伝子座に連鎖しない領域は両プールに均等に含まれ、ntn遺伝子座近傍領域の相違のみが単離されることが期待される。実際、クローニングした24クローンのうち、19個のRDA産物は遺伝的マッピングによりntn遺伝子座の近傍に位置することが明らかとなった。残念ながらこれらの産物は欠失に由来するものはなく、すべてRFLPに由来した。そこで、遺伝的マッピングによりntn遺伝子座に最も近いマーカーを決定し、YAC,BAC,PACライブラリーをスクリーニングすることによりntn遺伝子座の物理地図を作成した。ntn領域をカバーするYACクローンを用いて受精後36時間胚のcDNAライブラリーから約300のcDNAを単離し、4つの候補cDNAを同定した。そのうち、CCTγ遺伝子に143bpの小欠失を同定した。他のcDNAには変異は見つからなかった。変異CCTγmRNAは転写されているが、ATPase活性モチーフを含むC末端側equatorial domainのほとんどを欠失していることから、変異CCTγ蛋白は翻訳されていても機能欠損体であると考えられる。CCT蛋白は真核生物の細胞質にある分子シャペロンの一つで、8つのサブユニットからなり、actinやtubulinなど多くの蛋白質の折り畳みを助けることがわかっている。ゼブラフィッシュCCTγmRNAの発現をwhole mount in situ hybridizationにより調べたところ、原腸形成終了期(受精後12時間後)から全身ですでに発現していることがわかった。本当にCCTγ遺伝子の欠失変異はntn突然変異の原因なのだろうか。

 この点を明らかにするために、CCTγ遺伝子のアンチセンスmorpholinoを野生型胚に微量注入することにより変異体表現型を再現できるかどうか、あるいは逆にCCTγ遺伝子mRNAを変異体に微量注入し形質が野生型に回復するかどうかを調べた。アンチセンスmorpholino微量注入により、網膜神経節細胞が減少し、視蓋神経細胞に細胞死が認められた。アンチセンス配列を逆にしたコントロールを微量注入した胚は野生型と変わらなかった。また、CCTγ遺伝子mRNAを微量注入した変異体胚では、視蓋神経細胞死が抑制され、網膜神経節細胞数が野生型レベルまで回復した。以上により、CCTγ遺伝子がntn突然変異体の原因遺伝子であることが明らかとなった。これらの結果は、TMP突然変異誘発法が実際に欠失変異を誘発したこと、仮に欠失変異が小さくRDA法で欠失変異を直接単離できなかった場合でも近傍連鎖マーカーを単離することができ、RDA法が有効なクローニング法であることを示している。今後、TMP変異原の濃度で欠失変異の大きさを最適化し、RDA法で欠失変異を直接単離できる方法となる可能性がある。

 CCTγ蛋白の遍在性から、ntn突然変異体は網膜視蓋に特異的な表現型に見えて、実はもっと早い時期から全身に異常があるのかもしれない。そこで、ゼブラフィッシュ発生に重要な遺伝子のwhole mount in situ hybridizationを、網膜視蓋で最初に表現型が明らかとなる受精後30時間のntn変異体で行うことにより検証した。神経形成に重要なachaete-scute相同遺伝子zash1a, zash1bはそれぞれ網膜、中脳・後脳に発現し、野生型と変わらなかった。ホメオボックス遺伝子 hlx1(中脳),dlx2(終脳・間脳),krox20(後脳),pax1a(中脳後脳境界部)の発現パターンは正常であった。咽頭弓でもdlx2は正常に発現していた。pax2aは眼および耳の原基、腎臓原基でも正常であった。sonic hedgehogは底板に、myodは筋節に、ntl (Brachyury)は脊索にそれぞれ正常に発現していた。したがって、受精後30時間ではntn突然変異体は網膜視蓋に限局した表現型を示した。

 では、網膜や視蓋ではどのような異常がおこり、CCTγ遺伝子はどのような機能を担っているのであろうか。網膜では受精後30時間に神経前駆細胞が転写因子atonal5 (ath5)遺伝子を発現し分裂終了細胞となり、POU転写因子brn3bを発現した細胞が網膜神経節細胞へとcommitされる。網膜神経節細胞は網膜で最初に分化する細胞種で、分化したゼブラフィッシュ網膜神経節細胞はニコチン性アセチルコリン受容体β3サブユニット(nAChRβ3)、膜蛋白Neurolin認識抗体、神経細胞分化マーカーアセチル化チューブリン抗体で標識することができる。ntn突然変異体の網膜神経前駆細胞数は野生型と遜色なく、ath5やbrn3bは正常に発現していることから網膜神経節細胞へのcommitmentまでは正常に起こっているが、nAChRβ3遺伝子プロモーター制御下で緑色蛍光蛋白質は発現せず、Neurolin抗体染色、アセチル化チューブリン抗体染色も減弱していることから、分化した網膜神経節細胞が減少していることが明らかとなった。受精後48時間以後のntn突然変異体網膜の層構造は乱れており、網膜神経節細胞以外の細胞種も影響を受けている可能性があり、これが網膜神経節細胞の分化障害の二次的影響かCCTγ変異の直接的影響か区別できないが、CCTγ蛋白は網膜神経節細胞の分化に必須の因子であると言える。次に、ntn変異の中脳視蓋神経細胞への影響を調べた。視蓋神経細胞でも発現している転写因子brn3bmRNAの発現は、ntn突然変異体でも野生型と変わらなかった。抗アセチル化チューブリン抗体染色では、中脳視蓋神経細胞の神経網が欠損し分化障害を認めた。したがって、CCTγ蛋白は網膜神経節細胞と同様に視蓋神経細胞でも分化に必須の機能を持つことが示唆された。nAChRβ3遺伝子プロモーターによる緑色蛍光蛋白質の発現は、ntn突然変異体の三叉神経節細胞や感覚神経節細胞では正常に認められた。また、抗アセチル化チューブリン抗体染色でも、網膜神経節細胞および視蓋神経網以外の部位(前交連線維、三叉神経、後脳神経網、背側縦束)では野生型と同様の染色像を示した。よって、分化マーカーによる解析でもntn突然変異体が網膜視蓋に特異的な異常を示すことを支持する結果が得られた。

 分裂酵母ではCCTγの突然変異体は有糸分裂ができず、細胞分裂に必須であることが知られていた。対して、ゼブラフィッシュCCTγ蛋白の変異は網膜視蓋の神経細胞の分化障害という極めて意外な表現型を示し、脊椎動物個体発生におけるCCTγ蛋白の新たな機能の発見につながった。この発見はin vitroの解析では恐らく明らかにできなかったことであり、分子遺伝学の成果であると言えよう。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、脊椎動物中枢神経系の発生に必須の機能分子を探索するため、高効率な突然変異誘発と簡便な遺伝子クローニングを両立する分子遺伝学方法論をゼブラフィッシュDanio rerioで開発し、視覚系(網膜視蓋)神経細胞の分化に必須な因子の単離を試みたものであり、以下の結果を得ている。

1. 4,5',8-trimethylpsoralen (TMP)変異誘発法で作製され、受精後30時間で網膜視蓋に神経変性をおこすno tectal neuron (ntn) 突然変異体胚ゲノムと野生型胚ゲノム間で、全ゲノムサブトラクション法 representational difference analysis (RDA) を行い、ntn遺伝子座の近傍に位置する19個のRFLPマーカーを得た。これらを用いてntn遺伝子座の物理地図を作成し、4つの候補cDNAを単離した。シャペロニンの一つであるCCTγ遺伝子に143bpの欠失変異があり、変異CCTγ蛋白はATPase活性モチーフを含むC末端側equatorial domainのほとんどを欠損していた。

2. CCTγ遺伝子のアンチセンスmorpholinoの野生型胚への微量注入により、網膜神経節細胞が減少し、視蓋神経細胞に細胞死が認められた。また、CCTγ遺伝子mRNAを微量注入した変異体胚では、視蓋神経細胞死が抑制され、網膜神経節細胞数が野生型レベルまで回復した。以上のphenocopyおよびrescue実験により、CCTγ遺伝子がntn突然変異の原因遺伝子であることを証明した。

3. ゼブラフィッシュCCTγmRNAは原腸形成終了期(受精後12時間)以後全身で発現した。しかし、種々のマーカーを用いた検討により受精後30時間でntn突然変異体は網膜視蓋以外での形態形成には異常を認めず、網膜視蓋に限局した表現型を示した。

4. ntn突然変異体の網膜では、神経前駆細胞数は野生型と遜色なく、ath5やbrn3bは正常に発現していることから網膜神経節細胞へのcommitmentまでは正常であった。しかし、nAChRβ3遺伝子プロモーター制御下で緑色蛍光蛋白質は発現せず、Neurolin抗体染色、アセチル化チューブリン抗体染色も減弱していることから、分化した網膜神経節細胞が減少していることが明らかとなった。

5. ntn突然変異体の中脳視蓋では、brn3b mRNAの発現は正常で、抗アセチル化チューブリン抗体染色では中脳視蓋神経細胞の神経網が欠損し、分化障害を認めた。

以上、原腸形成以後偏在性に発現するゼブラフィッシュCCTγ蛋白の変異が、網膜視蓋神経細胞特異的な分化障害を起こすことを証明し、CCTγ蛋白の網膜視蓋分化因子としての新たな機能を発見した。また、TMP突然変異誘発法が実際に欠失変異を誘発することを示した。RDA法で近傍連鎖マーカーを単離し原因遺伝子クローニングに成功し、TMP-RDA法としてゼブラフィッシュ分子遺伝学の新規方法論を完成させた。今後、脊椎動物の中枢神経系の発生に必須な遺伝子を系統的に単離し、分子機構を解明していく上で重要な貢献を果たすと期待され、本論文は学位の授与に値するものと認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50060