学位論文要旨



No 215479
著者(漢字) 細井,知弘
著者(英字)
著者(カナ) ホソイ,トモヒロ
標題(和) 納豆菌Bacillus subtilis (natto)が腸内菌叢と腸管細胞機能に及ぼす作用
標題(洋)
報告番号 215479
報告番号 乙15479
学位授与日 2002.11.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第15479号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 客員助教授 戸塚,護
 東京大学 助教授 八村,敏志
内容要旨 要旨を表示する

 腸管は、外来物質による侵襲・傷害作用から生体を保護するとともに、必要な栄養物を吸収するという高度なバリアー機能を有しており、生体の恒常性維持に欠かせない。これらの機能に、多種多様な腸内菌と腸管免疫機構が大きな役割を果たしている。腸内菌の菌体成分や代謝物質等は、宿主に様々な影響を及ぼし、菌種によりその影響は異なる。一方、腸管免疫機構は、バイエル板や腸管上皮細胞付近等に存在する多くの免疫担当細胞により維持されている。腸管上皮細胞は、抗体分泌、抗原認識及び免疫応答の誘導・制御を担っており、外来物質との接触により様々なサイトカインを産生し、物質排除や損傷細胞の修復を進める。近年、これらの腸管機能の向上を目的として摂取するプロバイオティクス(probiotics、宿主にとって有益な作用を及ぼす生きた微生物)が注目されている。その作用として、腸内菌叢改善、消化管発癌予防、感染防御能向上、免疫機能向上などが挙げられる。プロバイオティクスには乳酸菌が多用されるが、グラム陽性好気性胞子形成細菌のバチルス属細菌Bacillus spp.ている。胞子は、酸や活性酸素、熱等に対する耐性が高く、プロバイオティクスとして優れた性質を有する。納豆製造に用いられる納豆菌B.subtilis(natto)は、分類上、枯草菌B.subtilisに含まれるバチルス属細菌の1つであり、プロバイオティクスとしての利用が期待されている。これまで、枯草菌B.subtilisの効果として、胞子生菌の経口摂取により、腸内菌叢改善、下痢改善、飼養効率向上等が報告されている。しかしながら、腸内菌叢の変化は、常に一定した効果が認められるものではなく、その作用に他物質の関与が予想された。また一般に、乳酸菌を用いたプロバイオティクスの腸内菌叢に対する作用はpH低下等によるものと考えられているが、納豆菌ではpH低下という作用機序は想定しがたく、その解明が求められていた。さらにその他の作用として、納豆菌自体に腸管免疫機構に対する作用が存在するかどうかの詳細な解析はなされていなかった。そこで、本研究では、納豆菌のプロバイオティクスとしての作用を複合的に解析することを目的として、納豆菌摂取による腸内菌叢変化に対する食事成分の影響、乳酸桿菌に対する増殖促進活性の作用機序及び腸管上皮様細胞に対する免疫学的作用について検討した。

納豆菌経口摂取による糞便菌叢変化に対する食事成分の影響

 枯草菌経口摂取による腸内菌叢変化が一定しない原因を明らかにするため、マウスに異なる3種類の飼料をそれぞれ自由摂取させ、納豆菌胞子摂取による糞便菌叢変化を比較・検討した。各飼料群のマウスに対し、非滅菌納豆菌胞子懸濁液あるいは滅菌蒸留水を8日間連続経口投与し、投与前後の糞便菌叢(乳酸桿菌、バクテロイデス科細菌、腸内細菌科細菌、腸球菌)の変化を個体別に調べた。その結果、精製飼料の卵白食摂取群では、蒸留水投与群で乳酸桿菌が減少したが、納豆菌投与群でその減少が抑制された。カゼイン食摂取群では、バクテロイデス科細菌に関して、蒸留水と納豆菌投与の効果に有意な差が認められた。またカゼイン食摂取群のバクテロイデス科細菌は、卵白食摂取群に比べ10分の1程度に減少した。したがって、自由摂取飼料中のタンパク質の違いのみで、納豆菌投与による糞便菌叢の変化様式が異なることが判明した。市販MF食を自由摂取させたマウスでは、納豆菌投与群で乳酸桿菌が減少した。バクテロイデス科細菌は、予備飼育を行ったにもかかわらず蒸留水投与群で増加したが、納豆菌胞子群ではその増加が抑制された。すべての飼料群において、納豆菌投与による腸内細菌科細菌及び腸球菌の有意な変化は認められなかった。また高圧蒸気滅菌処理した納豆菌胞子の経口投与では、糞便菌叢が変化しなかった。飼料の種類により菌叢変化に差が生じた原因を検討する目的で、動物実験で用いた卵白あるいはカゼインを含む精製飼料の成分を酸とペプシンで処理してモデル消化物を作製し、これを培地として糞便より分離した乳酸桿菌と納豆菌の混合培養をin vitroで好気的に行った。しかしながら、動物実験とは異なり、どちらの培地においても、非滅菌納豆菌胞子の添加により乳酸桿菌の増殖促進が認められた。また、納豆菌胞子添加による乳酸桿菌の増殖促進は、少糖類存在下で認められた。以上の結果から、経口投与した非滅菌納豆菌胞子が腸内で発芽・増殖し、何らかの代謝物が常在の腸内細菌に影響を及ぼすとともに、飼料の種類により腸内環境に何らかの差が生じ、納豆菌胞子経口投与の効果が変化することが示唆された。本結果は、プロバイオティクスの効果をより確実に高める、あるいは反対に抑制する食事成分の存在を示唆している。また、プロバイオティクスの効果を検討する際に、プロバイオティクス以外に摂取する食事成分も十分に考慮する必要を生じさせるとともに、より厳密なプロバイオティクス効果の評価法確立につながるものと考える。

納豆菌、カタラーゼ、ズブチリシンによる乳酸桿菌の増殖促進及び生残性向上

 納豆菌probioticの腸内菌叢に対する作用の機序として、酸産生によるpH低下は想定しがたく、その解明が求められていた。本研究では、納豆菌と乳酸桿菌をin vitroで好気的に混合培養し、乳酸桿菌の生育に対する納豆菌の作用とその作用機序を検討した。その結果、納豆菌添加は培養初期の乳酸桿菌の増殖を促進し、定常期到達後の生残性を向上させた。乳酸桿菌の生菌数減少は、活性酸素により生じることが知られることから、納豆菌、納豆菌培養上清、カタラーゼ、あるいはスーパーオキシドディスム夕日ゼを培地に添加し影響を検討したところ、納豆菌、納豆菌培養上清及びカタラーゼが増殖促進・生残性向上効果を示し、乳酸桿菌の菌株により効果を示す作用物質は異なった。また、乳酸桿菌の生育は培地中のタンパク質加水分解物に影響されることから、タンパク質分解酵素ズブチリシンの影響を検討した。その結果、ズブチリシンの添加は、納豆菌の添加と同様に、増殖促進及び生残性向上効果を示した。バチルス属細菌はカタラーゼ及びズブチリシンを産生することから、納豆菌の乳酸桿菌に対する増殖促進及び生残性向上活性には、納豆菌が産生するカタラーゼとズブチリシンが関与することが示唆された。乳酸菌と性質の異なる納豆菌単独のprobioticのみならず、乳酸菌の性質を補強・増強する目的で納豆菌と乳酸菌を混合した複合菌probioticなど、従来の乳酸菌単独のものとは異なる新たなプロバイオティクスの開発も期待される。

納豆菌に対する腸管上皮様Caco-2細胞のサイトカイン応答

 病原菌及び乳酸菌に対する免疫応答に関して、これまで多くの解析がなされてきたが、納豆菌に対する腸管免疫機構の応答については、詳細は不明であった。また腸管免疫機構において、腸管上皮細胞は、免疫担当器官としてその重要性が再認識されている。そこで本研究では、納豆菌経口摂取時の腸管上皮細胞に対する作用解明を目的として、腸管上皮様細胞に分化するとされるCaco-2細胞を納豆菌あるいはサルモネラ等の細菌と共培養し、Caco-2細胞のサイトカイン応答を検討した。その結果、納豆菌は、サルモネラや大腸菌、緑膿菌と同様に、Caco-2細胞のサイトカインIL-6及びIL-8の産生を誘導し、IL-7、IL45及びTNF-αの産生を誘導しなかった。しかしながら、電子顕微鏡観察や経上皮電気抵抗(TER)の測定により、納豆菌の細胞傷害性は、他のサルモネラ、大腸菌あるいは緑膿菌と比較して低いことが示唆された。また納豆菌のサイトカイン産生誘導活性は、チロシンキナーゼ阻害剤存在下で減少したことから、Caco-2細胞内のシグナル伝達経路を介するものと考えられた。さらに塩酸処理した死菌体は、intactな生菌よりもサイトカイン産生誘導活性が高かった。本結果は、経口摂取した納豆菌が腸管上皮細胞の免疫応答を誘導し、腸管免疫機構に影響を及ぼすことを示唆するものである。また、病原性細菌や腸管常在細菌、その他経口摂取する細菌の免疫学的刺激の差異について、各種免疫担当細胞単独のあるいはそれらの総合的な応答解析の必要性を示す結果といえる。腸管免疫機構が様々な微生物に対しどのような応答を示すのかという大きな課題の解明に寄与する結果と考える。

 近年、良好な食生活による疾病予防の重要性が大きく叫ばれ、機能性食品・特定保健用食品の開発が盛んとなっている。それらのなかで、プロバイオティクスは重要な位置を占め、消費額も伸びている。しかしながら、今後のプロバイオティクスのさらなる発展・普及には、その有用性・安全性の科学的解析が不可欠である。乳酸菌を利用したプロバイオティクスと比較して、納豆菌等のバチルス属細菌を利用したプロバイオティクスに関する研究は、まだ始まったばかりの状況にあるといえる。本研究はその一端を担うものであると確信しており、この分野に関する研究がさらに発展することが望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、納豆菌のプロバイオティクスとしての作用解析に関するものであり、5章より構成されている、プロバイオティクスとは、宿主にとって有益な作用を及ぼす生きた微生物またはそれを含む食品のことであり、最近の研究から、腸内菌叢改善、免疫機能向上、アトピー性疾患抑制などの作用が示唆され、その利用が注目されている、申請者は、プロバイオティクスの菌種として、多用されている乳酸菌ではなく、バチルス属細菌のひとつ納豆菌Bacillus subtilis(natto)に着目し、納豆菌による腸内菌叢変化とその作用機序、納豆菌に対する腸管細胞の免疫応答を解明することを目的として、以下の研究を実施した。

 第1章で研究の背景と意義について概説し、第2章では納豆菌摂取による腸内菌叢変化(乳酸菌増加効果)とその効果に対する食事成分(タンパク質と糖質)の影響について述べている、マウスに異なる飼料をそれぞれ自由摂取させ、納豆菌胞子経口摂取による糞便菌叢変化を比較・検討した。その結果、卵白を含む精製飼料摂取群では、対照の蒸留水投与群で糞便中の宿主にとって有益とされる乳酸桿菌が減少したが、納豆菌投与群ではその減少が抑制された、またバクテロイデス科細菌、腸内細菌科細菌及び腸球菌数に関しては、有意な変化を及ぼさなかった、しかしながら、含有タンパク質が異なる飼料を摂取させたマウスでは、納豆菌投与効果が卵白食摂取群と異なった。さらに、納豆菌と糞便より分離した乳酸桿菌の混合培養を好気的に行ったところ、乳酸桿菌の増殖促進が観察されたが、培地中の飼料由来タンパク質の差は影響を与えず、少糖類の添加が納豆菌の乳酸菌増殖促進効果に有効であった。以上の結果から、経口投与した紳豆菌胞子が腸内で発芽・増殖し腸内菌叢に影響を及ぼすとともに、飼料の種類により、腸内環境に何らかの差が生じて納豆菌胞子投与の効果が変化することが示唆された、

 第3章では、納豆菌の乳酸桿菌に対する増殖促進及び生残性向上効果の作用機序を検討している、納豆菌と乳酸桿菌3株をin vitroで好気的に混合培養し、乳酸桿菌の生育に対する納豆菌の作用とその作用機序を検討した。その結果、納豆菌添加は、すべての乳酸桿菌に対して培養初期の乳酸桿菌の増殖を促進し、定常期到達後の生残性を向上させた。この効果は、既報のカタラーゼの効果に類似していたため、納豆菌、ウシ肝臓由来カタラーゼをそれぞれ過酸化水素含有培地に添加したところ、一部の乳酸桿菌の増殖促進・生残性向上効果を示した。続いて、乳酸桿菌の生育は培地中のタンパク質加水分解物に影響されることから、乳酸桿菌の生育に対するタンパク質分解酵素ズブチリシンの影響を検討した、その結果、B.licheniformis由来ズブチリシンの添加は、乳酸桿菌の増殖促進及び生残性向上効果を示した。納豆菌もカタラーゼ及びズブチリシンを産生することから、納豆菌の乳酸桿菌に対する増殖促進及び生残性向上活性には、納豆菌が産生するカタラーゼとズブチリシンが関与すると考えられた。

 第4章では、腸管上皮様細胞を用いて、納豆菌に対するサイトカイン応答を解析し、非病原性大腸菌や病原性サルモネラ等に対する応答との比較を行なっている。病原性細菌及び乳酸菌と比較して、納豆菌及び枯草菌に対する腸管免疫機構の応答については、これまで詳細は不明であった。腸管上皮様Caco-2細胞を納豆菌あるいはサルモネラ等の細菌と共培養し、Caco-2細胞のサイトカイン産生を検討した。納豆菌は、サルモネラや大腸菌、緑膿菌と同様に、インターロイキン(IL)6及びIL-8の産生を誘導した。しかしながら、電子顕微鏡観察や経上皮電気抵抗(TER)の測定により、納豆菌の細胞傷害性は、他のサルモネラ、大腸菌あるいは緑膿菌と比較して低いことが示唆された。またサイトカイン産生誘導活性が、Caco-2細胞内のシグナル伝達経路の活性化を介することを示唆する結果を得た。さらに塩酸処理した死菌体は、intactな生菌よりもサイトカイン産生誘導活性が高かったが、オートクレーブ滅菌処理した菌体では活性が失われた、本結果は、経口摂取した納豆菌が病原性を示さない範囲で腸管上皮細胞の免疫応答を誘導し、腸管免疫機構に影響を及ぼすことを示唆するものである、第5章は総合討論である。

 以上本論文は、新たにバチルス属細菌を利用したプロバイオティクスが欧米諸国でも注目されている状況のなか、日本で古くから利用されている納豆菌のプロバイオティクスとしての作用に関する先駆的な知見を与えるものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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