学位論文要旨



No 215243
著者(漢字) 大須賀,淳一
著者(英字) Osuga,Jun-ichi
著者(カナ) オオスガ,ジュンイチ
標題(和) 発生工学的手法によるホルモン感受性リパーゼの機能解析
標題(洋)
報告番号 215243
報告番号 乙15243
学位授与日 2002.01.23
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第15243号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 門脇,孝
 東京大学 助教授 久保田,俊一郎
 東京大学 講師 吉栖,正生
内容要旨 要旨を表示する

はじめに ホルモン感受性リパーゼ(HSL)は中性脂肪(TG)やコレステロールエステル(CE)を水解する酵素である。HSLは主として、脂肪組織、骨格筋、心筋、副腎、精巣、卵巣に発現しているが、マクロファージや膵ベータ細胞にも少量ながら発現が認められている。その発現臓器からHSLはエネルギー代謝や熱産生、ステロイド合成、更には動脈硬化形成やインスリン分泌にも関与すると想定されてきた。

 このリパーゼの特性はその名からも想像されるようにホルモン感受性である点である。カテコラミンやグルカゴン等の刺激によりアデニレートシクラーゼが活性化され、更にcAMP依存性のプロテインキナーゼA(PKA)が活性化される。これによりHSLがリン酸化され脂肪分解が促進すると考えられている。インスリンは反対に脂肪分解を抑制するとされる。インスリンはフォスフォジエステラーゼ3Bを活性化させてcAMPを5'AMPへ異化し、PKAの活性化を抑制しHSLのリン酸化を抑制すると考えられている。従って、飢餓や糖尿病で見られる血中脂肪酸(FFA)の上昇は、脂肪細胞でのHSLの活性化により説明されてきた。こうした背景からも、HSL活性は脂肪蓄積と密接に関連している可能性がある。

 また、HSLは中性コレステロールエステル水解酵素(NCEH)としての役割も想定されてきた。副腎や卵巣はCEに富んだ臓器である。NCEHにより水解されたコレステロールはステロイドの原料になるので、HSLはステロイド合成を調節する因子と考えられる。また精巣では精子細胞や精子にHSLは発現しているので、精子の成熟や機能に関与している可能性がある。更に大動脈やマクロファージのNCEH活性はホルモン感受性であり、発現量は少ないもののHSLはマクロファージにも確認されている。マクロファージのNCEH活性は抗HSL抗体で抑制されるので、HSLはマクロファージのNCEHの主要なものと考えられてきた。HSLをマクロファージに過剰発現させた場合、NCEH活性は増加し細胞内のCE量は減少したので、HSLは泡沫化や動脈硬化形成にも影響する可能性がある。

 HSLは肥満や糖尿病、家族性複合型高脂血症の原因遺伝子の候補として解析されてきたが、これまでHSLの変異体の報告はない。またHSLを欠損した動物モデルの存在も知られていない。そこで、本研究はHSLのin vivoでの役割を明らかにするため、ES細胞を用いたジーンターゲティング法によりHSLを欠損したマウスを作成し解析を行った。

HSLKOの樹立 HSL遺伝子のエクソン5の一部とエクソン6をneo cassetteで置換するコンストラクトでジーンターゲティングを行なった。エクソン6は酵素活性中心を含むので、このエクソンの欠失によりHSLは不活化されることを期待した。キメラとC57B1/6との交配で生まれたヘテロ変異体(HSL+/−)を交配した結果、メンデルの法則に従い各遺伝型の個体が得られた。HSLのホモ変異体(HSL−/−;以下HSLKO)は致死的ではなく、外見上の異常も認められなかった。

 エクソン8のプローブによるノーザンブロットでは、野生型の傍精巣上体白色脂肪組織にある3.3kbのmRNAはHSLKOでは消失していたが、エクソン1のプローブでは短縮型のmRNAを認めた。イムノブロットでは、脂肪組織と精巣のHSL蛋白はHSLKOでは検出されなかった。更に、HSLKOの白色脂肪組織、褐色脂肪組織、精巣ではNCEH活性は完全に消失していたので、HSLは機能的に失活していると考えられた。しかし、予想に反しマクロファージのNCEH活性は野生型と同等であった。

HSLの精子形成に及ぼす影響 雄のHSLKOは不妊であった。雄のHSLKOは雌と交配すると膣栓は形成したが妊娠させなかった。一方、雌のHSLKOは不妊ではなかったので、HSLは精子形成に不可欠であった。HSLKOの精巣重量は野生型の約70%に減少していた。野生型の精子数は片側の精巣上体当り平均7.7×106であったのに対し、HSLKOのは平均94と著明に減少し運動能のある精子は存在しなかった。野生型のマウスの精細管上皮は通常12層あるが、HSLKOでは成熟した精子細胞が減少しているため5-7層に減少し空泡形成も認められた。一方、ライディッヒ細胞を含む精巣間質系には異常は認められなかった。HSLKOの血清テストステロン、LH、FSHは野生型と同等なので、雄HSLKOの不妊の原因は低ゴナドトロピン血症によるものではなかった。HSLは精子細胞で発現しているので、精子細胞の成熟にHSLは関与しているものと推察された。また、血清コルチコステロンは野生型とHSLKOとの間で差はなく、ACTHによる刺激にも差は見られなかったので、副腎でのステロイド合成にもHSL欠損の影響はないと考えられた。

HSLKOの脂肪組織 HSLは脂肪組織に高発現しているので、脂肪組織の重量、形態や体重について検討したが、HSLKOの脂肪組織の表現型は予想に反し軽度であった。HSLKOの褐色脂肪組織(BAT)の重量は野生型の約1.7倍であった。BATのTG含量は増加していたが、DNA含量は変わらなかったので、HSLKOのBATの脂肪細胞は肥大していると考えられた。組織学的にもBATの脂肪細胞の断面積は約5倍に増加していることが確かめられた。白色脂肪組織(WAT)の脂肪細胞の肥大はそれほど顕著ではないが、HSLKOでは野生型の約2倍に肥大していた。ただし、WATの重量は傍精巣上体、後腹膜、大腿部脂肪組織のいずれにおいても野生型とHSLKOの間で差は見られなかった。これは、脂肪細胞が組織全体で一様に肥大しなかったからである。体重は24週齢まで測定したが、雌雄ともHSLの有無による差はなかった。また、HSLにより生成されるFFAはエネルギー源や熱産生に利用されるので、HSLKOでは酸素消費量や熱産生は減少すると予想された。しかし、野生型とHSLKOの間では摂食条件下での酸素消費量と呼吸商の差は認められなかった。更に、絶食とβ3アゴニスト投与の条件でも差はなかった。寒冷に暴露した際の体温の変化は、野生型とHSLKOの間で差はなかったので、HSLが欠損しても熱産生には影響がないことが明らかになった。

脂肪組織のリパーゼ活性 HSLは脂肪細胞のTGをグリセロールとFFAに水解するので、その寄与について検討した。まず脂肪組織の可溶性分画のTGリパーゼ活性を測定した。脂肪組織にはHSLとLPLの2種類のTGリパーゼが発現している。活性測定に用いる人工基質はトリオレインなので両リパーゼの基質になり得る。ただし、LPL活性を抑制するため、1M NaClの存在下でトリオレイン水解活性を測定した。WATではHSLの欠損によりTGリパーゼ活性は60%の減少にとどまった。一方、BATでは野生型とHSLKOとの間でTGリパーゼ活性にはほとんど差は見られなかった。即ち、脂肪組織にはHSLともLPLとも異なるTGリパーゼが存在することが明らかになった。

 次いで残存リパーゼ活性のホルモン感受性について検討した。傍精巣上体のWATより脂肪細胞を単離してイソプロテレノール(ISP)刺激によるグリセロールとFFAの放出を測定した。HSLKOの脂肪細胞は、非刺激時において野生型の約50%のグリセロールと約80%のFFAを放出した。この所見はTGリパーゼ活性が残存している結果と合致する。ISP刺激により野生型の脂肪細胞からのグリセロールとFFAの放出は増加した。一方、HSLKOではFFAの放出は増加したが、グリセロールの放出は有意には増加しなかった。HSLKOの脂肪細胞ではISP刺激による正味の脂肪分解はグリセロールとFFAの両者とも野生型より少なかった(23% vs 55%)。またin vivoでの検討も行なった。12時間絶食時の血漿のグリセロールとFFAは、HSLKOの方が野生型に比べ有意に低かった(40% vs 55%)。次にISPを腹腔内投与して15分後の血漿グリセロールとFFAを測定した。HSLKOの血漿グリセロールとFFAは野生型に比べ少なかった(39% vs 66%)。ISPによる血漿グリセロールの正味の増加はHSLKOでは野生型の39%であったが、FFAの増加はHSLKOでむしろ多く野生型の約1.2倍であった。

 以上の結果から、HSL以外のTGリパーゼが脂肪細胞に存在し、ホルモン感受性である可能性が示唆された。このためHSLKOは肥満にならなかったと考えられた。

まとめ 本研究はHSL欠損の表現型を初めて明らかにした。HSLは精子細胞の成熟に不可欠であるが、ステロイド合成に必須のものではなかった。精子形成でのエネルギー代謝の重要性が確認された。今後、精子形成過程でのHSLを含めたエネルギー代謝の研究が、男性不妊症の成因解明に役立つものと期待される。また、HSLは脂肪細胞内の中性脂肪を水解する唯一のものではなかった。この残存するTGリパーゼの同定は、脂肪分解機構や肥満の病態の解明に貢献するものと期待される。更に、HSLを欠損したマクロファージは野生型と同等のNCEH活性を示したので、マクロファージのNCEH活性はHSLとは異なるCE水解酵素によることが示唆された。この酵素の同定は動脈硬化の治療の観点から重要と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

1.HSLの欠損は致死的ではなかった。HSLを欠損したマウス(HSLKO)の外見は正常であったが、雄マウスは乏精子症のため不妊であった。精巣の中性コレステロールエステル水解酵素(NCEH)活性HSLKOでは完全に欠損しコレステロールエステル含量も増加していた。精巣の精細管上皮は精子細胞の成熟障害のため5-7層に減少し空泡が認められた。しかし、ライディッヒ細胞の形態は正常で、血清テストステロン値も対照に比べ低値ではなかった。従って、HSL欠損による乏精子症の原因は低ゴナドトロピン血症ではなく、精子の成熟にHSLが不可欠であることが示された。

2.褐色脂肪組織(BAT)と白色脂肪組織(WAT)のNCEH活性もHSLKOでは欠損していた。HSLの欠損によりBATの脂肪細胞は5倍に、WATの脂肪細胞は2倍になった。これは脂肪滴の中性脂肪の水解が、HSLの欠損により少なくとも部分的には障害されたことを示している。ただし、BATの重量は2倍に増加したがWATの重量は変わらなかった。脂肪細胞の大きさと脂肪組織の重量の乖離は、脂肪細胞が不均一な肥大様式を示すためであった。形態学的な変化にも拘わらず、HSLKOは肥満にはならず、寒冷暴露に対する熱産生も正常であった。これらの結果は、脂肪組織には中性脂肪を水解し脂肪酸を生成する酵素(TGリパーゼ)がHSL以外にも存在することを示唆した。実際に、HSLKOのTGリパーゼ活性はWATでは40%、BATでは90%残存していた。更に、HSLKOの脂肪細胞の脂肪分解はイソプロテロールにより促進するので、この残存するTGリパーゼはHSLと同様にカテコラミンに対する感受性があると考えられた。

3.血清コルチコステロンは野生型とHSLKOとの間で差はなく、ACTHによる刺激にも差は見られなかったので、副腎でのステロイド合成にHSL欠損の影響はないと考えられた。

4.これまでの知見により、マクロファージのNCEH活性はホルモン感受性である。発現量は少ないが、HSLのmRNAと蛋白はマクロファージにも確認されている。マクロファージのNCEH活性は抗HSL抗体で抑制されるので、HSLはマクロファージのNCEHの主要なものと考えられてきた。しかし、予想に反しマクロファージのNCEH活性は野生型と同等であった。この結果は、マクロファージにはHSLとは異なるNCEH活性を有する酵素が存在する可能性を示唆する。

 以上、本論文はHSL欠損の表現型を初めて明らかにした。HSLは精子細胞の成熟に不可欠であるが、ステロイド合成に必須のものではなかった。精子形成でのエネルギー代謝の重要性が確認された。また、本研究以前はHSLは単一と考えられてきたが事実はそうではなかった。HSLは脂肪細胞内の中性脂肪を水解する唯一のものではなかった。この残存するTGリパーゼの同定は、脂肪分解機構や肥満の病態の解明に貢献するものと期待される。更に、マクロファージにはHSLとは異なるNCEH活性を有する酵素が存在することが示唆された。この酵素の同定は動脈硬化の治療の観点から重要と考えられる。本研究はHSLの新たな機能を提示し、細胞内リパーゼの研究に重要な貢献を果たすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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