学位論文要旨



No 215210
著者(漢字) 中野,武雄
著者(英字)
著者(カナ) ナカノ,タケオ
標題(和) 高圧スパッタ製膜プロセスにおける粒子輸送過程の研究
標題(洋) Study of particle transport in high pressure sputter deposition process
報告番号 215210
報告番号 乙15210
学位授与日 2001.12.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第15210号
研究科 工学系研究科
専攻 金属工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,豊信
 東京大学 教授 堀池,靖浩
 東京大学 教授 鳥海,明
 東京大学 助教授 渡邉,聡
 東京大学 助教授 近藤,高志
内容要旨 要旨を表示する

1.本論文の背景と目的

 スパッタリング現象を利用した薄膜作製法は、現在工業的に非常に広く利用されている。この方法では、真空容器に数Pa程度以下の希ガスを導入し、数100Vの電圧を印可してグロー放電を発生させる。この放電によって生じた正イオンを、負バイアスをかけたターゲット電極に衝突させ、運動量交換作用であるスパッタリングによって電極材料を蒸発させる。蒸発したスパッタ原子・分子は、当初数eV程度の高い運動エネルギーを持っているが、雰囲気のガス原子と衝突を繰り返して減速されながら輸送され、容器壁面や基板表面に到着して膜を形成する。

 このスパッタ製膜法によって作成される薄膜の膜厚分布や性質は、輸送されたスパッタ原子が、どのようなフラックス・エネルギー・入射角で基板上に入射されるかに大きく影響される。しかしこれらと製膜条件として与える外部パラメータ(放電ガス圧力、放電電力、装置形状、放電補助用磁場など)との関係は単純ではなく、最適な製膜条件を求めるには多数の製膜実験を繰り返し、試行錯誤する必要があった。そこでこれらの物理パラメータを計算機で求める手法として、モンテカルロシミュレーション(MCシミュレーション)が1980年代の半ばに提案され、広く利用されるようになった。このシミュレーションでは、ターゲットから放出されたスパッタ粒子が、前述したようにガス原子と衝突散乱を繰り返しながら壁面に到達する過程を追跡する。数10万〜数100万個のスパッタ粒子について試行を繰り返し、膜厚分布やエネルギー・入射角に関する情報を得る手法である。従来用いられていたMCシミュレーションは、圧力が高い領域(5Pa程度以上)では実験との不一致が目立っていた。この原因は、雰囲気ガスとの衝突過程の処理の際に、ガス原子は静止しているとしていた従来のシミュレーションにおける仮定にある。この仮定はターゲットから放出直後の、運動エネルギーが大きなスパッタ粒子に対しては有効であった。しかし平均自由行程の短い高圧力下では、スパッタ粒子は多数回の衝突によって速やかに減速されるため、ガスの熱運動の効果が無視できなくなる。また高圧力下では、ターゲットから放出されたスパッタ粒子が基板や容器壁面に到達するまでに経験する衝突数が圧力の二乗に比例するかたちで増加するので、必要な計算量が膨大になる。高圧力下でのシミュレーションを様々な条件で行い、結果を比較検討するためには、この計算量を軽減することが要求される。

 本研究では、高圧力下のMCシミュレーションにおけるこれらの諸問題を克服する手法を提案する。まず気体分子運動論に基づいて、ある速度を持って運動しているスパッタ粒子に衝突してくる希ガス原子の速度分布関数を導き、ガスの熱運動の効果をMCシミュレーションに正しく取り込めるようにする。さらに、高圧力下で起こる衝突イベントのほとんどは、スパッタ粒子がガスの温度と平衡状態になった後のものであることを利用し、この状態でのスパッタ粒子の輸送過程を拡散方程式を用いて取り扱えるよう定式化することを目的とした。

2.粒子輸送過程のシミュレーションモデル

 本研究で行った粒子輸送過程のMCシミュレーションのうち、従来から用いられてきた部分は次のようなものである。まずスパッタ粒子はすべて原子とみなし、ターゲットから放出する際のエネルギー分布はThompsonの式に、また角度分布は余弦則にそれぞれ従うとした。飛び出し位置は実験で用いたターゲットで実測したエロージョントラックの深さを再現するように決定した。スパッタ原子と雰囲気の希ガス原子(本研究ではAr)とは弾性衝突・散乱するとし、散乱ポテンシャルには中心対称のBorn-Mayerポテンシャルを採用した。壁面へ到達したスパッタ原子はすべて付着確率1でその場に付着するとした。

 以上に加え、本研究では2つの点において新たな手法を導入し、MCシミュレーションの拡張を試みた。まずスパッタ粒子と衝突する雰囲気ガスの熱運動の効果を気体分子運動論をもとに定式化し、衝突するガスの速度・角度分布を求めた。Maxwell分布に従って運動しているガス中を一定速度で運動する粒子の平均自由行程はJeansによって導出されているが、この際の被積分関数を確率分布関数とみなせば、MC法によって衝突してくるガスの速度を求めることができる。実際にはMaxwell分布関数に、ガス−スパッタ粒子間の相対速度を乗じた量が確率分布関数を与えることになる。さらに、ガスとの衝突によって充分に速度が下がった(熱中性化)スパッタ原子が拡散的に輸送される過程をPoisson方程式によって記述し、壁面への到達率を計算する手法を定式化した。このPoisson方程式を境界要素法を用いて実際に計算機で解く方法についても示した。このMC法と境界要素法とを組み合わせたプログラムを用いると、MC法単独の場合に比べて計算時間を1/10以下に短縮することが可能となった。

3.結果と考察

 開発したシミュレーションプログラムをスパッタ製膜の諸問題に適用し、実際に製膜実験を行った結果と比較した。これによってシミュレーションの妥当性・有用性を確認するとともに、そのような結果をもたらす原因について考察した。

 まずArガスで満たされた境界のない空間において、高エネルギーのCu原子が減速されつつ拡散する過程をシミュレーションで示した。特にガスの熱運動の効果を取り入れた場合と入れない場合について比較した。前者ではCu原子のエネルギー分布はMaxwell分布を良く再現するが、後者では衝突のたびにエネルギーが単調に減少するので、エネルギー分布も0に近づく。実空間での拡散の様子もこの速度空間での違いを反映し、ガス原子の運動を無視した場合では、ある時点でCu原子の拡散運動が停止する。この時のCu原子の空間的な広がりは、10 Pa程度の圧力で数cmのオーダーとなり、高い圧力でシミュレーションを行う場合には、ガスの運動を取り込むことが重要であることがわかった。

 つぎにCuスパッタ膜の膜厚分布を取り扱った。高圧力下でスパッタを行った場合には、ターゲットからは見えない基板の裏側にもスパッタ原子が回り込み、膜が堆積する。実際にCuのスパッタ製膜実験を行い、背面と前面の膜厚の比をとると、ある圧力領域で背面の相対膜厚が極大を示した。これはシミュレーションでも再現され、この圧力はCuの熱中性化と関連している事が示された。Poisson方程式を利用した輸送過程問題の解法では、ターゲットから飛び出した粒子が熱中性化した地点を粒子の湧き出しとみなすが、背面の相対膜厚が最大になる領域では、この熱中性化地点が基板ホルダ周辺に分布していた。このため基板ホルダ背面へのfluxが大きくなる。一方非常に高い圧力では熱中性化地点がターゲット近傍に集中するので、むしろホルダ背面へ到達する粒子は少なくなることがわかった。

 続いて、六硼化ランタン(LaB6)のスパッタ膜における膜組成のスパッタ圧力依存性について考察した。圧力を0.2〜20 Paの範囲で変えたとき、数Pa程度の領域でB組成が極小となる。これは熱中性化する前のBやLaがそれぞれArガスと衝突・散乱する際、軽い元素であるBは後方散乱する傾向が大きいためであることがシミュレーションによって理解できた。一方非常に圧力が高くなり、熱中性化後の拡散運動が支配的になると、質量の違いが輸送過程に影響しにくくなるので、組成は化学量論比に復帰する。すなわちCu膜の裏側への回り込みの場合と同様、熱中性化前の初期運動量を保った状態での輸送過程と、熱中性化後の拡散的な輸送過程との競合によってピークが生じていることが理解できた。

 最後に、スパッタ原子のプラズマ中での原子密度をMCシミュレーションによって評価する方法を提案した。これは本論文で提案した手法によって、長時間経過した後もスパッタ原子の運動を追うことが可能になったために実現した。Cuのスパッタプロセスに対してこのシミュレーションを適用し、Cu原子密度として1017〜1018m-3という値を得た。このスパッタプラズマを発光分光によって測定すると、基底状態への遷移によって生じる発光は、高圧・高電力など、原子の密度が大きくなるような環境下で強度が相対的に低下することが実験結果として得られた。この理由は、そのような光が逆に基底状態の原子により吸収されるためであると考え、シミュレーションで得た原子密度からこの発光の減衰長を見積もった。これによって実験で得られた発光強度低下を定量的に説明することができた。

4.まとめ

 本論文では、スパッタ粒子がターゲットから基板まで粒子が輸送される過程を計算機シミュレーションと実験との両面から研究した。従来用いられてきたモンテカルロ・シミュレーションを高圧力下の環境に対応させるため、シミュレーション手法を拡張する新たなモデルを提案した。これらのモデルを実際にFortranプログラムとして実装し、計算機シミュレーションを行った。シミュレーションの結果を実験結果と比較することで、モデルの有用性が確認できた。また実験結果で見られた現象をもたらす原因について粒子輸送過程の面から考察し、スパッタ製膜における新たな知見を得た。

 最近高圧力でのスパッタ製膜は、超伝導体薄膜のスパッタ製膜で組成ずれを抑えたり、酸素を含む反応性スパッタリングで0−イオンによるダメージを軽減するために利用されるようになってきている。高圧環境下におけるスパッタリング製膜に対する信頼性の高いシミュレーションの開発は、今後の薄膜作製プロセスの発展に大きく寄与するものと考える。

審査要旨 要旨を表示する

 スパッタ堆積法によって作製される薄膜の組成・構造や厚さ分布は、基板に到達するスパッタ原子のフラックス・エネルギー・入射角などに大きく影響されるため、個々の粒子挙動を時間とともに追えるモンテカルロシミュレーション(MCシミュレーション)による現象理解の試みが1980年代の半ばから展開されてきている。しかし、空間での散乱過程が支配的となる数Pa以上の中真空領域では実験との不一致が指摘されてきた。本研究ではその原因としてこれまでガスの熱運動の効果が無視されてきたことに着眼し、MC法に熱運動効果を導入することにより、スパッタ粒子の輸送過程を中真空スパッタ堆積過程にまで拡張することを目的としている。

 本論文は4章および付録から構成されている。

 第1章は序論であり、スパッタ堆積過程に関与する、プラズマ、スパッタ現象、粒子輸送過程、堆積過程、に関する研究例を詳述するとともに、これまでのMCスパッタシミュレーションをレビューし、本研究の目的を明確化している。

 第2章は粒子輸送過程のMCシミュレーションに関する基礎理論の展開、及びモデル化に関する。まず、従来モデルの基礎理論を明解に展開し、新たにスパッタ粒子と衝突する雰囲気ガスに熱運動の効果を導入するため、運動する2粒子間の衝突後の速度・角度分布を求める手法を定式化している。また、ガスとの衝突によって熱平衡状態に近づいたスパッタ粒子が拡散的に輸送される過程をPoisson方程式によって記述し、壁面への到達率を計算する手法を定式化している。更に、このPoisson方程式を境界要素法により解く方法について述べるとともに、MC法と境界要素法とを組み合わせることにより、MC法単独の場合に比べて計算時間を1/10以下に短縮しうることを明示している。

 第3章では開発したシミュレーション結果と製膜実験結果とを比較検討しシミュレーションの妥当性・有用性を確認するとともに、これまで不明であった現象について考察を加えている。まず、10PaのArガス中でスパッタされたCu原子の挙動に関し、減速・拡散過程のシミュレーションにより、熱運動を考慮した場合にはCu原子のエネルギー分布はMaxwell分布を良く再現するが、考慮しない場合には衝突毎にCu原子のエネルギーが単調に減少し0に近づくため、ある時点で数cmオーダの空間的な広がりを維持し運動が停止状態となることを示し、中真空スパッタ堆積におけるガス運動の重要性を示した。つぎに、スパッタ膜の膜厚分布を取り扱い、Cuのスパッタ製膜実験における回り込み現象の特異な圧力依存をシミュレーションではじめて再現した。即ち、ターゲットから飛び出した粒子が熱平衡化する位置が新たな粒子の湧き出しとなるとし、熱平衡化位置が基板ホルダ周辺に分布する場合には基板ホルダ背面へのfluxが大きくなるが、更に高い圧力では熱平衡化位置がターゲット近傍に集中するためむしろホルダ背面へ到達する粒子は少なくなることを明示した。更に、六硼化ランタン(LaB6)のスパッタ堆積における膜組成の圧力依存性について検討し、圧力が数Pa程度の領域においてB組成が極小となる圧力が存在する理由として、熱平衡に至らない低圧側においてはBはLaに比べ後方散乱する傾向が大きいが、高圧側では熱平衡化後の拡散運動が支配的となり質量の違いが輸送過程に影響しにくくなるためであるとし、回り込み現象の場合と同様、熱平衡化前の初期運動量を保った状態での輸送過程と、熱平衡化後の拡散的な輸送過程との競合によって極小が生じるとしている。最後に、スパッタ原子のプラズマ中での原子密度をMCシミュレーションによって評価する方法を提案している。これは本論文で開発された手法により、スパッタ原子の運動を長時間追うことが可能となったために実現したものであり、発光分光計測における発光強度の原子密度依存を定量的に説明することができたとしている。

 第4章では以上をまとめ本論文内容を総括している。

 なお、付録では、定式化のアルゴリズム、サブルーチンライブラリー、プログラムの構造、原子パラメータ等がまとめられている。

 以上、要するに本論文は中真空領域でのスパッタ堆積過程を記述しうるシミュレーション法を開発したものであり、実験結果と対応させモデル化の妥当性を詳細に検討したものである。中真空領域でのスパッタ堆積に対するこのような信頼性の高いシミュレーション法の提示は、今後の薄膜作製プロセスの新たな発展に大きく寄与するものと考える。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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