学位論文要旨



No 214961
著者(漢字) 宝田,雄大
著者(英字)
著者(カナ) タカラダ,ユウダイ
標題(和) 血流制限下での筋力トレーニングに関する生理学的研究 : 骨格筋の構造と機能に及ぼす効果
標題(洋) Physiology of resistance exercise combined with vascular occlusion : Effects on muscular structure and function
報告番号 214961
報告番号 乙14961
学位授与日 2001.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 第14961号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 福永,哲夫
 東京大学 教授 小林,寛道
 東京大学 助教授 金久,博昭
 東京大学 助教授 八田,秀雄
内容要旨 要旨を表示する

 高齢化が進む現代社会では,筋機能の維持と改善は競技選手は言うまでもなく,一般中高年者にとっても重要な問題である.そのためには,高強度な筋力トレーニングが有用であることはよく知られている.筋力トレーニングの主な目的の一つに筋肥大があげられる.筋力を決める第一の要因は筋断面積であるので,トレーニングによる筋肥大は究極的には筋力の増大につながる.筋肥大を引き起こすメカニズムには不明な点が多いが,負荷による力学的刺激,筋損傷と再生,内分泌系の活性及び筋内環境などの複数の要素が相互に作用していると考えられる.一方,従来筋肥大に効果的とされる高強度な筋力トレーニングの実施は,トレーニング未経験者や,すでに加齢による筋萎縮が進行している中高年者にとっては,関節などの障害を生じる危険を伴う.そこで本研究では,力学的刺激以外の要素として筋内環境に注目し,筋血流を制限した環境下で低強度な筋力トレーニングを実施させた場合の,筋の構造及び機能の変化とそのメカニズムについて調べた.

 身体の限られた部位への局所的な加圧は,その程度が最低血圧よりも大きくなると,動静脈を圧迫し,結果的に動脈からの血液流入量の減少と容量血管内の血液蓄積を引き起こす.安静時において上腕基部への特製圧迫帯による5分間の加圧(100mmHg)をおこなうと,加圧1分後には上腕の末梢血管抵抗値[ドップラーエコー流速計(QUANTUM2000,Siemens Quantum Inc.)によって上腕動脈の血流速度を測定し,末梢血管抵抗値を算出した]は加圧前の約1.6倍に増加し,加圧中この状態が続いた.このような局所的な加圧は,低い負荷強度の場合に限って(加圧の大きさが収縮時の筋内圧の大きさよりも大きい場合),運動中の血流を制限することが分かった.たとえば,上腕基部への100mmHgの加圧は,最大挙上重量(1RM)の約40%の負荷で運動中,上肢の血流を約16%制限した.加圧による活動筋への血液供給量の減少は,運動後の血中乳酸濃度を顕著に増加させた(図2A).このことは,局所的な低酸素環境と代謝産物の筋外排出の抑制がおこっていることを示唆する.運動中の筋の活動レベルは,筋の補償的な活動の増加によって顕著に増加した(図1).こうした筋内環境の変化は交感神経活動を刺激し(図2B),内分泌系の活性を高進させることが分かった.特に血中成長ホルモン(GH)濃度は,運動直後に著しく増加し,その値は安静時の約290倍にも達した(図2C).

 このような血流制限下の筋力トレーニングを長期間実施すると,負荷が通常筋力の向上や筋肥大を期待することができないほど低強度であるにもかかわらず,顕著な筋力及び筋断面積の増加を引き起こすことが分かった.この効果は,一般健常男子,中高年者及び一流競技者を対象とした場合で同様にみられた.特に,この効果の特徴は,1)たとえ負荷が〜20%1RMという極めて低強度の場合においても,顕著な筋力及び筋断面積の増加を引き起こす,2)負荷が〜40%1RMである場合,高強度の場合(〜80%1RM)に匹敵する筋力(図3A,B)及び筋断面積の増加を引き起こすことにある.一方,同強度及び同容量の自然血流下の筋力トレーニングでは,血流制限下の筋力トレーニングでみられた顕著な筋力(図3C)及び筋断面積の増加が引き起こされなかったことから,血流制限下の筋力トレーニングによるトレーニング効果には運動中の局所的な筋内環境の変化が深く関係していると考えられる.

 血流制限による代謝産物の蓄積や筋内環境の低酸素化は,骨格筋代謝受容器(muscle metaboreceptors)と筋内にあるグループIIIやIVの求心性神経終末を通して,交感神経を反射的に刺激することが知られる(筋内代謝受容器反射).またこの経路は,視床下部-脳下垂体軸のGH分泌の調整にも深く関与していると考えられる.GH濃度の増加は,筋自体の成長を促進させるインスリン様成長因子(IGF-I)の合成と分泌を刺激する可能性がある.最近,GHが筋のサテライト細胞の増殖に直接関与していることやIGF-Iがサテライト細胞のGH受容体の合成を促進させることが明らかにされた.一方,GHの血中への投与がヒト骨格筋の筋の成長を刺激するかどうかは良く分かっていないが,GHの投与と運動刺激との組み合わせが筋肥大を促進させることは明らかなようである.したがって,このようなGH分泌の促進が本研究における血流制限下の低強度な筋力トレーニングの効果に重要な役割を果たしていると推察される.

 以前から,高強度なトレーニングによる力学的刺激が筋肥大を引き起こす重要な生体内信号であるとされてきた.しかし,本研究で示されたように,力学的刺激の大きさによって,一義的に筋肥大の程度が決定されるわけではない.そのメカニズムの解明については今後の残された大きな研究課題であるが,現象論的にみれば低強度な筋力トレーニングおいても適度に血流を制限することによって高強度な場合と同じような筋力の増加と筋肥大を引き起こすことが明らかとなった.この低強度な負荷は身体的及び心理的ストレスを軽減し,安全にトレーニング効果を引き出すことができる.したがって,血流制限下の低強度な筋力トレーニングは筋萎縮による筋機能の低下が著しい中高齢者の筋力強化や短期間の競技力向上を日的とした筋力トレーニング法として有用であると考えられる.

図1 局所的な血流制限が筋の活動量に与える影響.

外側広筋から表面電極により筋電図を導出し,1回挙上当たりの筋電図積分値を算出した.■は血流制限する実験群,□は血流制限しない対照群.値は対照群の値で規格化され,平均値(N=6)とSEで示されている.アステリスクは対照群の運動後の値との統計的な有意差を示す(〓,P<0.01,Student's paired t-test).

図2 局所的な血流制限が血中乳酸濃度(A),ノルエピネフリン(B)及び成長ホルモン(C)に及ぼす影響.

●は血流制限する実験群,□は血流制限しない対照群.値は全て平均値(N=6)とSEで示されている.アステリスクは対照群の運動後の値との統計的な有意差を示す(*,P<0.05;**,P<0.01,Student's paired t-test).

図3 16週間のトレーニング前(○)後(●)で得られた肘関節屈筋群のトルク-速度関係.

値はすべてトレーニング前の等尺性トルクの値で規格化され,平均値(N=19)とSEで示されている.Aは自然血流下での高強度(〜80%1RM)トレーニング群(N=11),Bは血流制限下での低強度(〜40%1RM)トレーニング群(N=11),Cは自然血流下での低強度(〜40%1RM)トレーニング群(N=8).負の速度は伸張性筋収縮を示す.*,P<0.05,〓P<0.01,〓P<0.001;Student's paired t-test.

審査要旨 要旨を表示する

 骨格筋は,力学的環境に敏速に反応し,多様な適応を示す。その最も顕著な例は,運動・トレーニングによる労作性肥大と,不活動や除負荷による廃用性萎縮である。これらの適応には,メカニカルストレス,内分泌系,神経系などの要因が複合的に関与するものと考えられるが,その正確なメカニズムは十分には明らかにされていない。経験的には,これらの要因の中でメカニカルストレスが主要なはたらきをなすものとされ,筋肥大のためのトレーニング処方では,等張力性最大筋力(1RM)の70%以上という高い負荷強度が一般に用いられている。一方,こうした強いメカニカルストレス自体が,虚弱者や高齢者へのトレーニングの適用を妨げる要因にもなってきた。

 本論文は,筋の収縮・弛緩にともない,筋内圧の変化に同期して筋内局所循環の一時的な停滞(虚血)と再活性化(再灌流)が起こることに着目し,外的に筋循環をコントロールすることによって,強いメカニカルストレスを伴わずに労作性筋肥大を引き起こすことが可能であることを示した。さらに,労作性筋肥大が,単にメカニカルストレスに対する局所的適応ではなく,内分泌系や中枢神経系の活性化を含む統合された生体適応であることを示唆した。研究の具体的内容は以下のようにまとめられる。

 まず,ヒト肘屈筋を対象とし,上腕基部を加圧して筋血流を制限した状態でトレーニング刺激を与えた場合の短期的および長期的効果が調べられた。ドップラーエコー血流計を用いた測定から,100mmHgの加圧下で低強度(40%1RM)のトレーニング刺激を与えた場合にのみ,顕著な筋血流の阻害が起こり,またこのとき筋内に著しい乳酸の蓄積が認められた。そこで,同様の条件下(〜110mmHgの加圧,強度30〜50%1RM)で3セットX週2回×4ヵ月のトレーニングを高齢女性に負荷したところ,筋断面積(MRIによる),筋力(等速性筋力計による)のいずれにおいても20%を超える増大が起こった。同一強度,同一容量で筋血流を制限しないトレーニングはほとんど効果を示さなかったことから,これらの効果の主要因は筋血流の制限であることが示唆された。

 次に,筋血流制限下でのトレーニングが筋肥大と筋力増強にもたらす著しい効果のメカニズムについての知見を得るため,青年男性の膝伸筋を対象とし,大腿基部を200mmHgで加圧し,20%1RMという極低強度のトレーニング刺激を負荷した場合の神経・筋活動と血中ホルモン濃度の変化が調べられた。その結果,筋血流を制限した場合にのみ,筋電図積分値(iEMG)の著しい増大,および血中ノルアドレナリン,成長ホルモン(GH)濃度の増加が観察された。特に血中GHは安静時の場合の約290倍にまで一過的に増加した。これらの変化は,血中乳酸濃度の増加と時間的によく対応することから,筋内代謝産物のクリアランスが阻害されることにより,神経・筋活動が上昇するとともに,代謝物受容反射を介して交感神経と視床下部-下垂体軸が強く刺激されることが示唆された。また,こうした血流制限下,極低強度(〜20%1RM)のトレーニングの長期的効果も調べられ,筋肥大と筋力増大を実際に引き起こすことが確かめられた。

 さらに,メカニカルストレスを完全に排除した条件で,筋血流を制限することが筋に対してtrophicな効果を及ぼすかが調べられた。前十字じん帯再建手術後の患者を対象とし,ギプス固定した患側の大腿基部を平均200mmHgで加圧/除圧する刺激(虚血/再灌流刺激)を,術後3日から14日にかけて1日2回与えた。その結果,加圧/除圧刺激を与えない群では,膝伸筋で約20%の筋断面積の低下が起こったのに対し,加圧/除圧刺激を与えた群では,これが約8%にまで低減され,筋循環に一時的な変動を与えること自体が効果的に廃用性筋萎縮を低減することが示された。

 一方,局所循環を外的にコントロールすることは,血栓の生成などの危険を伴うため,安易に行うことができない。そこで,上述に準じた筋内環境を正常血流下で達成し得るようなトレーニングプログラムを開発することも重要な課題となる。そこで,代謝産物の筋内蓄積が起こりやすくなるように,セット間休息時間をきわめて短くしたプログラムの効果が調べられた。中年女性の膝伸筋を対象とし,低強度(〜55%1RM),セット間の休息時間が30秒のトレーニングを負荷したところ,10週間で約10%の筋肥大,約14%の筋力増加が認められた。これは,通常のセット間休息時間で行う高強度のトレーニングの効果に匹敵するものであり,セット間休息時間をコントロールすることが,大きな効果を得る上でキーファクターとなることが示唆された。

 本論文の内容は,次の2点できわめて意義深いと考えられる:

1)筋血流を適度に制限することにより,低負荷強度の運動のもとでも著しい労作性筋肥大と筋力増加を引き起こすことが可能なこと,また筋血流の制限のみによってギプス固定による筋萎縮を効果的に低減できることを示したこと。こうした方法は,虚弱者や高齢者のためのトレーニング,リハビリテーション,宇宙飛行士のための運動処方など,多方面に応用可能であり,人類の健康と福祉に今後大きく寄与する可能性がある。

2)労作性筋肥大が,循環系,内分泌系,中枢神経系を含む,生体システム全体としての統合された適応であり,特に,循環系がトレーニング刺激から筋肥大に至るシグナル伝達系の一部を担っていることを示したこと。この点については,ヒトを対象とした実験という制約から,詳細なメカニズムにまでは言及できていないが,動物や培養細胞系を用いたさらなる研究への糸口を与えるものと評価できる。

 なお,本論文の主要部はすでに,J.Appl.Physiol.をはじめ,国際的に高く評価されている雑誌に5編にわたって発表されている。これらの論文はすべて複数名の共著であるが,論文提出者が主体となって研究を遂行したものと判断される。

 よって,本論文は博士(学術)の学位請求論文として合格と認められる。

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