学位論文要旨



No 214613
著者(漢字) 伊藤,孝士
著者(英字)
著者(カナ) イトウ,タカシ
標題(和) 惑星系および原始惑星系の安定性と不安定性
標題(洋) Stability and instability of planetary and protoplanetary systems
報告番号 214613
報告番号 乙14613
学位授与日 2000.03.10
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第14613号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 牧野,淳一郎
 国立天文台 教授 安藤,裕康
 東京大学 助教授 長谷川,哲夫
 東京工業大学 助教授 井田,茂
 国立天文台 教授 木下,宙
内容要旨 1.問題意識

 太陽系の惑星運動の最大の特徴はその強い安定性にあると言うことができる。過去の幾つかの研究によれば、惑星運動は恐らく太陽の年齢程度では微動だにせぬほど強力に安定なものであろうとの予想がなされている。けれども、かくも安定な惑星系がどのようにして形成されたのか、また、そもそも惑星運動の準周期性が実際のところどの程度の期間保たれるのかについての理解はまだ不十分であり、今後の展開に大きな期待を寄せざるを得ないというのが現状である。

 上述の問題意識を基礎とし、本論文では以下の二個の疑問に対して回答を得るべく研究を行った。ひとつめの問いは、太陽系の惑星運動が従来予想されて来たように太陽の年齢程度(109年〜1010年)の期間にわたり現在と同様な準周期的運動を繰り返すのかどうかということである。この問いに対して肯定的な回答が得られた場合、本論文ではふたつめの問いを発する。即ち、そのように長期間安定に保たれる惑星系は如何にして作られ、どのような力学的進化を遂げて来たのだろうか?本論文に於いては数値積分によって天体の運動方程式を解く手法を用いてこの疑問に対する回答を与えることを試みた。前者の問い-惑星の運動が本当に超長期の安定性を示すのかどうかについては、現在の九惑星の軌道進化を数値積分によって109年の時間スケールで追った。後者の問い-安定な惑星系の形成過程に関しては、中程度の質量を持つ原始惑星系を想定し、それらの力学的安定性と進化を107年程度の数値積分で検証した。

2.現在の惑星系の超長期安定性

 本論文に於ける第一番目の問題意識、すなわち現在の惑星系の長期安定性については、外側の五惑星(木星型四惑星と冥王星)の軌道運動の数値計算に関して大掛かりなものが多く行われて来た。けれどもひとたび内側の地球型四惑星を計算に組み込んでしまうと、外側の五惑星のみを対象にした場合に比べて計算量は150倍以上にも達してしまう。こうした事情のため、地球型惑星を含めた惑星軌道の長期数値計算は今まで数億年程度のものしか行なわれて来なかった。本論文では、数種類の初期値から出発して最長で約40億年間の数値積分を実行し、現在の惑星系の安定性を検証することを試みた。

 カオス的な様相を呈する惑星運動の安定性を真に綿密に検証するのに、高々40億年の数値積分を数回実行しただけでは十分な議論にならないことは明らかである。だが、少なくとも本論文にて行われた数値実験に於いては、惑星運動はやはり従来の予想の如き強い安定性を示し続けることが判明した。惑星同志の衝突や近接遭遇も無ければ、軌道が交差するような徴候も見られない。より詳細な安定性の状況を調べるために幾つかの周波数解析を行ったが、周波数領域に於いても惑星運動の特徴的周期が大きく変遷することはなかった。従って今回の長期数値実験により、惑星運動は太陽寿命程度の時間内では力学的に十分安定であるという従来の予想を一部ながら確認したことになる。更に、もしも不安定が発生するとすれば内側の小質量惑星、即ち水星からであろうという可能性を示唆する結果も得られた。これも従来から推測されてきた事項ではあるが、それを直接の数値計算によって確認することが出来たと言える。また、幾つかの惑星達はこうした長い時間スケールに於いても力学的に強く結び付いたペアを作ってエネルギーや角運動量の交換を行っている。これら結合状況の長期変遷の具体的様態に関しても論文内に結果を示した。

3.地球型惑星領域にある原始惑星系の安定性

 かくも強固な安定性を示す惑星系は如何にして形成し、どのように進化して来たのだろうか?本論文では特に、内側の地球型惑星系と外側の木星型惑星系とでは或る種の規格化された惑星間隔が異なっていることに着目し、その原因を解明することを研究の基本的方針とした。質量の1/3乗と太陽からの距離に比例するHill半径と呼ばれる量で惑星の間隔を規格化すると、地球型惑星系の平均的な間隔は30前後という値を取るのに対し、木星型惑星系では10前後であり、その違いは大きい。この違いは当然それら惑星系の形成過程の違いを反映しているものと予想される。その違いとは具体的にどのようなものであったのか?

これまでの研究-微惑星の暴走成長と木星型惑星の急速なガス捕獲

 惑星の前駆体である微惑星と呼ばれる小天体の衝突合体進化の数値計算は、近年になり怒濤の進展を遂げている。その最新結果によれば、微惑星は暴走成長という成長モードに突入することによって急速に成長し、地球付近では104年から105年で現在の地球の1/10程度の質量を持つ原始惑星と呼ばれる天体へと進化することが判明しつつある。けれども微惑星の暴走成長によって形成した原始惑星の軌道は円に近く、その後の進化速度は大いに鈍るであろうことも予想されている。太陽からの距離にも依存するが、微惑星の暴走成長によって生成した原始惑星を地球型惑星領域にそのまま放置しておいたとすると、太陽の年齢である46億年の時間が経過しても現在の惑星の姿にまで到達しない可能性があるのである。

 一方、木星型惑星領域で形成した原始惑星はそもそもが大きな質量を持っている。例えば木星付近では、現地球質量の数倍から十数倍の原始惑星が微惑星の暴走成長によって形成されると見積もられている。この当時の太陽系は原始太陽系星雲を構成するガスに満ち溢れていたと考えられるが、地球の数倍から十数倍の質量を持つ原始惑星がこのガスの中に存在すると、重力とガス圧力の平衡が崩れ、ガスが連続的に原始惑星に雪崩れ込む不安定現象が発生する可能性がある。この急速なガス捕獲過程の時間スケールは非常に短く、106年も経てば現地球質量の300倍という木星の質量を獲得してしまう可能性のあることが指摘されている。木星のガス捕獲の核になる部分、つまり木星付近で暴走成長を行う原始惑星の形成に必要な時間は106年から107年であると考えられる。従って、微惑星の暴走成長とそれに続く急速なガス捕獲に必要なトータルの時間スケールはせいぜいが107年程度であろう。ここで考慮されるべきは、内側の地球領域に形成した原始惑星は木星領域に形成した原始惑星に比べて質量が小さいために、不安定な急速ガス捕獲を開始することはないという事柄である。事実、現在の地球型惑星はどれも木星や土星のようなぶ厚いガスに覆われてはいない。更に、上述したように地球領域の原始惑星系の力学的安定性時間は非常に長く、107年程度の時間で現在の惑星にまで進化を遂げる可能性は高くない。ここに至り、私達はひとつの仮説を立てることができる。即ち、急速なガス捕獲を完了した時点で木星型惑星は地球型惑星の進化を追い越してしまい、その後、地球領域に存在する原始惑星達は巨大な木星型惑星からの摂動の下で進化を再開するという仮説である。この仮説に基付き、本論文に於ける第二の問題意識-安定な惑星系の起源と進化-に関しては、地球型惑星領域に存在したであろう原始惑星系の安定性と軌道進化を木星型惑星の影響下での数値実験により検証するという方向で研究を進めた。

本論文での研究-木星型惑星の存在が原始惑星系の安定性に与える影響の評価

 本論文ではまず、地球型惑星領域に放置された原始惑星が木星型惑星の摂動無しではどの程度の時間スケールで不安定化するのかについての数値実験を行った。本論文に於ける数値計算は天体同志の衝突合体を扱わない極く簡単なものではあるが、初期値を複数選んで行ったその結果によれば、木星型惑星の摂動が無い場合にも原始惑星系の進化はそれなりに進むものの、やはり非常に時間が掛かり、衝突合体が進んで天体の個数が減って行くにつれて更に進化速度が鈍るであろうことがわかった。このことから、地球型惑星領域にある原始惑星系の進化を加速するためには何らかの外的要因が必要であるということが結論できる。次に、木星型惑星からの摂動が地球領域の原始惑星系の軌道安定性にどのような影響を与えるのかを検証する数値実験を行った。この実験の結果の解釈に関しては未だに不確定性が多く、極めて明解な結論を提出する段階には至っていない。しかし多くの数値計算の結果から言えるであろう予備的な言明は幾つか存在する。まず、初期値として円・平面に近い軌道を持つ原始惑星系に対しては、木星型惑星の摂動は一定の影響を持ち得ることがわかった。この場合、木星型惑星の摂動を受けて原始惑星同志が初回の近接遭遇を起こすまでの時間スケールは最長でも107年程度であろうと見積もられた。もちろん原始惑星同志の近接遭遇の確率は初期軌道が持つランダムな軌道速度成分に大きく依存する。初期に大きなランダム速度成分を持つ原始惑星系は木星型惑星の摂動が無い場合にもかなり短い時間スケールで進化が進むと予想される。しかし問題は、現在の惑星系のランダムな軌道速度(離心率と軌道傾斜角)が非常に小さいという事実である。大きな初期ランダム速度によって原始惑星系の進化が促進されたとしても、惑星形成過程のいずれかの段階に於いてはそうしたランダムな速度成分が何らかの原因によって低下し、現在の状況に近づいて来たはずである。それが如何なる要因であったにせよ、もしも原始惑星系のランダム速度成分が再び低下してしまった場合には、上述のような理由によって木星型惑星の摂動の効果が再び顕在化する可能性がある。またこれは当然予想されたことであるが、原始惑星系の初期質量分布に依存してその後の進化の様子は大きく異なる。原始惑星が等質量に近い状況にある場合、その安定性はより強く、進化は遅い。原始惑星が広い質量分布を持っている場合には天体間のエネルギー等分配が促され、ランダム速度の上昇が生じて進化は加速されることもわかった。更に、木星型惑星が持つ離心率(=強制振動の振幅に相当する)によっても原始惑星系の安定性が左右されるということも判明した。

4.軌道の連動と原始惑星系の安定性

 不安定に至るまでの原始惑星達の軌道進化を注意深く観察すると、幾つかの興味深い現象が発生していることがわかる。本論文では、木星型惑星からの摂動が原始惑星系内の軌道の連動を促す場合があり得ることを見い出した。原始惑星系のランダム速度が小さい場合には、原始惑星系自身が持つ自由振動の振幅に比べて木星型惑星の摂動による強制振動の振幅が大きくなる。その結果、原始惑星達の軌道は木星型惑星が作るポテンシャルに引き擦られ、多くの原始惑星の軌道要素(特に離心率と近点経度)が連れ立って動くという現象が発生する。前節では木星型惑星からの摂動が原始惑星系の不安定を加速する方向に働くと述べたが、こうした軌道の連動が関与して来ると話はそれほど単純ではなくなる。複数の天体の軌道が連動するということは、即ちそこにある天体の近接衝突の確率が減り、安定化に寄与するということである。幾つかの数値実験の結果、木星型惑星の影響によって軌道が連動するようなパラメータ領域にある原始惑星系は、そうでない系に比べると確かに長い時間安定に保たれ得ることが判明した。本論文ではこうした軌道要素の連動の機構に関して簡単な摂動論を適用し、定性的な説明を行うことも試みている。

 軌道要素の連動は、原始惑星系のみならず現在の太陽系に於ける惑星-衛星系や衛星-リング系に於いてもしばしば見られるものである。太陽系内のそうした軌道連動の例の多くは非常に安定しており、少なくとも太陽系形成後の早い段階から現在に至るまでの間は無事に保たれて来たものと考えられている。けれども原始惑星系で見られる軌道要素の連動はかほど安定なものではない。私達の数値実験によれば原始惑星系の軌道要素連動は106年程度で崩れ、不安定化するものであった。木星型惑星の影響によって原始惑星の軌道要素が連動する場合、近接遭遇は避けられるものの原始惑星の離心率は強制振動によって増大する。連動が崩れた場合、この大きな離心率が近接遭遇の確率を上昇させ、その後の衝突合体進化へと繋がって行くものと思われる。

 以上のように得られた結果をもとに、本論文では木星型惑星の存在が惑星集積過程の後期に地球型惑星の形成に与えた可能な影響についての議論を幾つか行った。また、本論文で用いた研究手法の幾つかは近年発見が相次いでいる太陽系外惑星系の力学的研究に対しても応用できる。巻末ではそのような例のひとつについて示唆を与える議論をも行っている。

審査要旨

 本論文は、現在の太陽系がどのように形成され、なぜ現在まで安定に存在しているのか、さらには、今後も安定に存在し続けることができるのかという、近代的な天文学、物理学、数学の発展の一つの源泉ともなっている問題について、現代的なアプローチによる解明を目指すものである。

 現在の太陽系の長期的な安定性は、現在、太陽系が存在しているという観点からは自明なように思われるかもしれないが、理論的にはパラドクシカルなものである。一つのパラドックスは、1980年代から1990年代にかけての長時間・高精度の数値積分によって、最大リヤプノフ指数が正であり、しかもその値が大きいこと、しかも、それにも関わらず現在の太陽系の構造は長期に渡って変わらないことが示されたということである。もう一つのパラドックスは、それではそのように安定な構造がいったいどのようにして形成されたのかという問題である。現在の標準的な惑星形成モデル、すなわち林モデルによる微惑星の衝突・合体による成長モデルでは、地球軌道程度の位置で地球質量の1/10程度の原始惑星までは成長できるが、そこから地球まで成長できるかどうかは明らかになっていない。本論文は、上の2つの基本的な問題、すなわち、

 ・太陽系はどの程度の時間スケールで安定か

 ・地球型惑星はどのように形成されたか

 という問題の解明を目指すものである。

 主論文は4章からなる。その一部は既に2篇の論文として印刷公表されている。これらの論文はそれぞれ、1名の共著者との連名であるが、論文提出者の伊藤孝士が筆頭著者であるだけでなく、彼の主導で研究が進められたものであることを論文審査において確認した。なお、その論文の内容を主論文のなかに含めることについては、共著者の承諾書が得られている。

 主論文第1章は序論であり、以上のような研究の背景や従来の研究の問題点をまとめ、本研究の目的と意義を述べている。

 第2章では、現在の太陽系の超長期の安定性について高精度の数値積分を使って調べた結果が報告されている。従来の研究では、全9惑星を積分したものでは最長でも108年までしか行なわれていなかったが、本論文では全9惑星を積分したもので最長4.2×109年、外惑星だけのものについては5×1010年と画期的に長い計算を実現した。このような長い計算を可能とするために、2次のMVS法(mixed-variable symplectic method,あるいはsymplectic mapping method)にwarm start,と呼ばれる特別な出発公式を使うことで十分な精度を実現した。結果として、このような超長期に渡っても惑星系は安定であり、短期間の数値計算で示されていた周期的な軌道要素の変動を続けることが示された。

 第3章では、原始惑星から地球型惑星が形成される過程について、特にその過程への木星型惑星の影響について調べている。近年、微惑星と呼ばれる小天体の衝突合体による進化の数値計算は大きく発展した。その結果、従来の通念とは異なり、木星型惑星のほうが地球型惑星よりも先に形成される可能性が高いことが明らかになった。これは、木星型惑星では原始惑星の暴走成長により一気に現在のコアの質量まで成長できるのに対し、地球型では質量が現在の1/10程度のところで暴走成長は止まってしまう。この状態から、どのようにして現在の地球型惑星に進化するのかということが現在大きな問題になっている。なお、上に述べたように木星型惑星は短い時間でできるとわかっているので、この問題では木星型惑星による摂動が重要な役割を果たしている可能性がある。

 本論文では、実際に木星・土星の影響を入れた数値計算を行なうことで、その効果について明確な結論を得ている。すなわち、木星・土星が存在しない場合では107年以上に渡って安定であり軌道要素の変化が無視できるような系の場合でも、木星・土星があると原始惑星の離心率が大きな変動を起こすようになり、結果的に原始惑星間の軌道交差や衝突が起きるまでの典型的な時間が107年以下程度まで短くなるということが示されている。

 木星・土星の影響は複雑であるが、基本的な効果は原始惑星の離心率の変動と、近点経度の木星のそれとの同期である。この同期によって原始惑星の軌道要素が大きく変動し、しかも同期が完全ではないために離心率の変動が不安定化に寄与することになる。なお、本論文では、さらにこの軌道要素の連動について摂動論的な解析を行なって連動が起きるメカニズムと条件を与え、さらに連動が強い条件下では不安定化がおきにくいことも示している。

 第4章はまとめであり、結果のサマリーが与えられ、将来の方向が議論されている。

 以上を要するに、本論文は惑星系の超長期安定性および原始惑星系の不安定性という重要な問題に対して新しい知見をもたらしたものであることを審査委員会一同が確認した。

 よって学位審査委員会は博士(理学)の学位を授与できると認めるものである。

UTokyo Repositoryリンク