醗酵法は、安価な糖質からL-体アミノ酸を製造する優れた方法として工業的にひろく用いられているが、L-アラニン(L-Ala)は酵素法によって生産されている。L-Alaの醗酵生産検討は古くから試みられているが、2つの障害(異性体D-Alaの副生とL-Alaの生産性)を克服できる菌株が得られていなかったため実用化には至っていない。本論文は、新たな菌株の探索、変異株の誘導、遺伝子クローニングなどによって上記の障害を克服した工業的に使用可能なL-Ala生産菌株の造成について報告するものである。 第1章では、L-Alaの効率的生合成に有利と考えられるL-アラニンデヒドロゲナーゼ(ALD)依存的にAlaを過剰生産する菌株の探索について述べている。申請者は醗酵生産条件であるグルコースとアンモニウム塩存在下でALD活性を発現している菌株を見いだすため、活性染色を利用した探索方法を考案し、土壌からArthrobacter oxydans HAP-1株を単離した。本菌のALD合成はグルコース非抑制性、アンモニアイオン誘導性だった。ALD活性に応じて培地中に分泌されるDL-Ala量も増加し、至適条件下では14.5%のグルコースから80g/lもの蓄積が認められた。本菌のALDは可逆反応を触媒するが、生理的条件と考えられる中性近傍ではほぼアミノ化反応のみを触媒する性質を持っていた。さらに、本菌から誘導したALD欠損変異株がAlaではなくピルピン酸を蓄積したことから、HAP-1株のALDはin vivoでAla合成に機能していることが明らかになった。Ala合成へのALDの関与を遺伝学的に実証したのはこれが初めてである。 第2章ではA.oxydans HAP-1の代謝特性の解析結果について述べている。HAP-1株は菌体増殖後にAlaを生産し始める独特の生産様式を示した。培養中ALD活性は殆ど変動しないが、ピルビン酸をTCA回路へと代謝するピルビン酸デヒドロゲナーゼ(PDH)活性と呼吸に必須なNADH酸化活性は定常期になると低下することが分かった。従って、増殖期にはPDHを経由してTCA回路に流入していたピルビン酸代謝が、定常期にALDによるAla合成へと変換することが生育非連動型の生産様式の原因と考えられる。ALD欠損変異株でも同様の活性低下が観察されたが、その糖消費は定常期に入って停止した。このことは、NADH酸化活性が低下した定常期には解糖でのNADH生成とALDによる消費が共役し、Ala合成がelectron sinkとして働いている可能性を示唆している。 第3章では、A.oxydans HAP-1株からのアラニンラセマーゼ(AR)欠損変異株の取得とその変異株によるL-Ala醗酵について述べている。すべての真性細菌の細胞壁の構成成分であるD-AlaはL-AlaからARの作用で合成されると考えられている。HAP-1株でもそうであることが確かめられたので、この活性を消去することでL-Alaのみを生産できると考え、HAP-1株からD-Ala非資化性を指標にAR欠損変異株を誘導した。得られた株はD-Ala要求性を示し、本菌のD-Ala合成にARが必須であることが確認された。このAR欠損変異株は、グルコース14.5%から75.1g/lのL-Ala(光学純度97%e.e.)を蓄積し、高純度・高収率のL-Ala醗酵が可能であることが判った。 第4章ではALD遺伝子の取得とそれを導入したCorynebacterium glutamicumによるL-Ala醗酵生産について述べている。申請者は、まず大腸菌を宿主として活性染色法によりALD遺伝子を単離した。次にこのDNA断片をC.glutamicum用のベクターに連結し、上流に強いブロモーター活性を配してALD高発現プラスミドを作成した。このブラスミドを導入したC.glutamicumのAR欠損変異株は、培養中に酸素供給をシフトダウンする培養法によって、グルコース20%から82時間の培養で94.8g/lのL-Ala(光学純度99%e.e.)を生産し、工業化レベルのL-Ala醗酵生産ができることが実証された。 第5章では、上記の結果を総括し、高い生産性は、菌体増殖時の好気的代謝から生産期のALDへのピルビン酸代謝の切り替えと生産期における解糖とALD間の共役によってもたらされると考察した。 以上のように本研究はL-アラニンの醗酵法による工業生産のための基礎的研究から、実際の生産研究までを行ったものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |