学位論文要旨



No 214298
著者(漢字) 沖森,卓也
著者(英字)
著者(カナ) オキモリ,タクヤ
標題(和) 日本上代の表記と文体に関する研究
標題(洋)
報告番号 214298
報告番号 乙14298
学位授与日 1999.04.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第14298号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 白藤,禮幸
 東京大学 教授 多田,一臣
 東京大学 教授 佐藤,信
 東京大学 助教授 月本,雅幸
 東京大学 助教授 大西,克也
内容要旨

 古代の文字資料は発掘の成果によってますます増大しているが、それによって日本語の文字表記の歴史も再検討すべき段階に来ている。例えば、「天皇」号の成立や、7世紀代の金石文の製作年代に対する日本史学等における最近の研究成果を踏まえ、日本語表記の創造とその展開を改めて位置づける必要に迫られている。

 第1章では、まず漢字を用いて日本語を表記することがどのように行われてきたのかを跡づけることを中心に論じた。日本語に基づく文章表記と確認できるのは5世紀後半で、6世紀初頭には和化された表現も見られるようになる。朝鮮半島における借音字との関係で見ると、渡来系、特に百済系の人々によって万葉仮名の使用が始まったことは疑いない。ただ、訓の成立は5世紀にはいまだ見当たらず、現存資料では6世紀半ば頃のものが最も古い。訓がその時期に発生するのは、6世紀前半における、学問・仏教の本格的な伝来によるものであり、漢文の理解行為が繰り返しなされる過程で出来したものと考えられる。一方、万葉仮名は古くは音仮名だけが固有名に限って用いられるというものであったが、7世紀前後には普通名詞の表記にも広がりが見える。一方、訓の成立に基づき訓仮名も7世紀半ばのものが確認できるが、音訓交用表記が同じ頃に確認できるところから見て、その発生はもう少し遡ると見るべきである。古くはある語を表記する場合、語の単位で音仮名もしくは訓だけで書くが、7世紀半ば以降音と訓を交える表記が確認できる。それは文書などの実用的な書記活動において、「田・名・手」などの日常的に用いる一音節の訓を担う字から発生し、やがて広く用いられるに至ったと見られる。そして、文のレベルにおける、訓字主体の文字列に対する付属語の音仮名表記へと発展するのである。また、音仮名には古音系と呉音系のものがあるが、上代文献においては、その文章の性質によって、音仮名が選択されている。音仮名は当代の字音に依拠するのではなく、既に記号性を確立していたため、特に実用的な文章には、ノ(乙類)の「乃」など当代の字音からかけ離れた字母が用いられる傾向にある。また、万葉仮名の選択には漢字の表意・表音の両面が関与しており、表意性の強い字母の使用を避けるのも、万葉仮名が表音的機能のみを担い、やがて仮名の成立へと推移していく過程を物語るものである。

 第2章では、訓の用法をも有するに至った漢字がどのように用いられたか、用字法を中心にその日本的な展開を論じた。漢字の用法は、従来、漢字の本来の字義に即した正訓、それからかけ離れた義訓・戯書などに分類するのが一般的であるが、それだけでは上代における多彩な用字法を分析することはできない。そこで、漢字の機能的側面に着目して、音を表す機能、そして訓を表す機能のほか、表意(表語)文字としての漢字の性質による限定機能、解説機能、副文機能などを抽出する。また、例えば、ユキを「白雪」と記すように、雪の白さを記号表現としてではなく、記号内容だけを表す表意機能のみを担う表記もある。このような分析によって、初めて上代の文字法が総合的に展望できる。一方、各論的な用字法を取り上げると、「所」は、漢語本来の用法のほかに、ル・レなどの音節表記、敬語の表示など日本語表記独自の用法が認められる。ただ、従来は日本的用法を強調するあまり、その拡大解釈が多かったが、使役や完了などの用法は認める必要はない。「有・在」は漢文法では用法が異なるものの、いずれも存在を表す語である故に、上代文献であまり区別がないように見える。しかし、万葉集の人麻呂歌集・作歌では、例えば、完了の助動詞リについては人麻呂歌集では「在」、人麻呂作歌では「有」の使用というように区別がある。また、日本書紀では、漢文法に反する用法が「有」には見えるが、「在」には確認できない。こうした傾向は、「在」の多用から「有」の多用へという書記用字の変化を反映したものと捉えることができよう。また、上代文献に用いられた否定の用字には種々のものがあるが、その用法はおおむね漢文法に従っているものの、それに反する例も見える。例えば、「莫」は古代中国語では下に動詞を伴うのであるが、日本書紀では名詞を伴う場合もあり、しかもそれが特定の巻に集中している。こうした用字法の分析を行うと、従来の書紀区分論と合致する場合が多く、また、万葉集でもズのク語法に用いる「無」は巻11の人麻呂歌集略体歌だけに見えるというように、ある特定の筆録者(または筆録時期)に偏るという傾向がうかがえる。

 第3章では、上代における、類型的な記載様式すなわち表記体の成立を考察した。漢文法では破格の文章となる和文は、7世紀初頭前後の推古朝に発生したと考えられる。この結論は通説と異ならないが、推古朝遺文を吟味するとともに、新資料で再検討した結果、その考えが妥当であるという結論に達した。その発生の要因は朝鮮の「俗漢文」の影響によるもので、渡来系の人々によって創始されたものと考えるべきである。その和文は漢字万葉仮名交り文へ発展するが、それには辞的要素を借訓によって表記する段階、訓仮名を交える段階、そして音仮名をも自由に交える段階という経緯が想定され、人麻呂歌集の略体表記から非略体表記への過程はまさにその反映であると見られる。これによって、文字列から音列が紡ぎ出される、漢字・漢文から解き放たれた日本語表記が成立したのである。同じ漢字万葉仮名交り文である宣命体は、人麻呂歌集の非略体表記から成立したというのが定説になりつつあるが、それは用字から見て従うことはできない。宣命体(宣命大書体)の確認できる最も古いものは天武13年(684)の年記をもつ木簡で、実用的な文書の世界では音訓交用の原理を際だたせて、辞的要素を音仮名表記することが天武朝では行われるようになっていた。一方、宣命小書体も藤原宮時代から行われており、それは漢籍の訓注形式を模倣して、新たな表記体を創始したものと考えられる。万葉仮名文は通説では推古朝から存在するとされていたが、とうていその時期まで遡れるものではなく、天武朝末、遅くとも持統朝の初めである。それは伝承歌謡の文字化を通して行われるようになったと考えられる。また、散文の万葉仮名文は上申文書の習書にも一つの源流があり、音仮名表記の傾向が次第に強まる中で出現したと見られる。

 第4章では、語や構文の表記が表記体との関係でどのようになされているかを中心に分析した。古事記において、ある構文がどのような用字、または字順(漢字の配列)で表されているかを分析すると、そこには種々のものがある。ニ格やヲ格などを表す構文は、必ずしも一定しておらず、用字もまた統一が図られていない。漢文の枠組みを借りると同時に、日本語の語順に同化した字順を混用しているのは、なるべく日本語的に記載しようと試みる一方、歴史書として漢文的体裁をなるべく崩さないことをも重視した、和漢の妥協の上に成立した表記体であると言える。漢字万葉仮名交り文としての万葉集には、活用語尾がかなり表記されている。これを続日本紀宣命と比べると、原理的に相違している。例えば、助動詞リの表記を見ると、宣命では原則としてリ(連体形はル)より1つ前の音節から表記されるのに対して、万葉集にはそのような原理が見えないなど、万葉集に比して宣命は表記原理が組織的であることがわかる。従って、万葉集の非略体表記を宣命大書体と呼び、宣命体に直結させることはできない。風土記は5ヶ国のものが現存するが、肥前・豊後を除き、それぞれ日本語文にふさわしい用字法が反映している。例えば、常陸国風土記で「俗云」として宣命体を用いるのはそれが俗用文体であることを意識したものであり、出雲国風土記の表記体は万葉集の非略体表記に近い性格を有していることなど、奈良時代前半には地方にまで実用的な書記法が浸透していたことがうかがえる。ただ、上代の文章表記における、個人的な営為によるさまざまな工夫を、文末のある種の形態や表記体など、文章の特徴で局所的に捉えるだけでは、言語主体の表現行為を十分に分析したとは言えない。そこで、省略や倒置など破格的な表現を広く「文体」の立場から分析すると、例えば、「雨が何時から降ったのか」の問いに対して、「十七日の日中から」とだけ最小限の答えが記されているのは、書き言葉に口頭語が反映した故であろう。語、構文、文章などさまざまなレベルで分析することが文体研究に不可欠である。

 第5章では、宣命・祝詞を取り上げて、表記の側面からその享受関係を明らかにした。六国史に記載された宣命は、それぞれ前代の宣命を下敷きにして起草されている。ただ、詳しく見れば、そこにはそれぞれの時代の反映や、表現の変化も認められる。例えば、称徳期のものは特異な用字や表現が目立つが、それは漢文訓読に影響されたものであり、また貞観頃のコの二類の区別が失われた例は、参考にする宣命がないが故に、その当時の言語事象が露呈したものである。そのような宣命における表現の変化に着目すると、延喜式祝詞の文章にもそれが反映されていることがわかる。そこで、カチハニ(堅磐)とトキハニ(常磐)の語順など、いくつかの表現を手がかりに、延喜式祝詞の成立年代を推定すると、例えば、平野祭・久度古関は嘉祥3年(850)以降斉衡2年(855)までの間に成立したものが延喜式に採録されたことなどが明らかになる。また、その表現や表記を分析することで、祈年祭系とそれ以外に大きく分かれるなど、それぞれの祝詞の相互の影響関係やその形成過程を推測することができる。

審査要旨

 本論文は、近時の木簡・土器・鉄剣などの発掘による盛んな文字資料の発見報告を受け、新たな立場から日本語表記の創造とその展開を論じようとしたもので、5章20節から成る。

 第1章では、漢字を用いて日本語を表記することがどのように行われてきたか、を考古学・日本史学の研究成果を利用しつつ、跡づけ、5、6世紀の金石文を検証し、訓の成立を6世紀半ば頃とする説を継体朝・欽明朝の事跡とも関係づけつつ提起した。また、固有名に限られていた万葉仮名が普通語の表記にも広まった時期についても7世紀頃とする説を資料の分析を通して出した。万葉仮名に関しては、音仮名・訓仮名を交用する資料群、「乃(の)」「止(と)」などの万葉仮名を用いている文献群について、その資料の性格等を分析し新見を出している。

 第2章では上代における漢字の用法について論じる。まず、上代の文字の用法について、旧来の『万葉集』についてのみの用法分類にとどまっていたのに対し、上代のすべての資料を総括的に捉える立場から、表訓機能・表語機能・表音機能・統合機能・置換機能・表意機能・限定機能・解説機能・副文機能に分類する新説を提示する。個別的な用字法研究として、「所」、「有・在」、「無」「莫」「勿」などの否定字について、記紀・万葉・風土記など主要な上代文献を総合的に分析考察している。

 第3章では、上代における類型的な記載様式すなわち表記体の成立を論ずる。漢文法では破格の「和文」、いわゆる変体漢文の始まりを推古朝遺文とする通説を新資料でも再検討し、このような文体の発生には朝鮮の「俗漢文」が影響し、渡来系の人々によって創始されたものとする説を提起した。万葉仮名文の成立に関しては、『万葉集』の柿本人麻呂歌集のいわゆる略体歌と非略体歌の表記の差が意味するものについて論じ、正訓字表記から、借訓表記の付加、音仮名表記の参画、など論者の表記体論の立場からの展開の理論付けをする。また、散文の表記体の一である宣命体の成立について、宣命大書体の成立を天武朝からとすること、この文体が非略体歌的な表記法から発展したものとする近時の通説に対し、それを否定する新説を立てている。万葉仮名文の成立に関しては、記紀や『上宮聖徳法王帝説』など漢文や和化漢文に収められた歌謡・和歌が原則的に一字一音の音仮名によって表記されている意味を論じ、その成立時期を天武朝末〜持統朝初に伝承歌謡の表記のために成立したとする説を出している。

 第4章では、語や構文の表記がどのようになされているかについて論じる。『古事記』では動詞と名詞の語順の関係、日本語の付属語表記に関して助字や万葉仮名をどのように用いたか、などを通じて、「変格和文」たる本資料の特質を明らかにする。『万葉集』については、活用語尾の表記に着目し、その形に万葉人の文法意識を抽出する。『風土記』では、各風土記の文体の差、他資料との関係を明らかにする。最後に文体研究という立場から文体要素の体系化を試み、語の選択と省略、語の配列、文章の構成について、古文書・万葉集・古事記・木簡などを対象に立論する。

 第5章では、表記形式的に共通する宣命・祝詞を取り上げ、その享受関係を論じたものである。宣命では前代の宣命を下敷きにして成っていることから、その関係を明らかにし、特に称徳期の宣命の特異性を明らかにした。祝詞については、その表現を手がかりに延喜式祝詞の成立時期を推定し、新説を出している。

 以上、本論文は、上代日本語の表記研究という研究分野に、新資料の収集・分析による多くの新見をもって新しい地歩を築こうとするものである。本論文の論調・方法は堅実・抑制的で、その考証の成果は十分に信頼できるものである。日本史学・考古学・古代朝鮮語学などの研究成果をも広く取り入れ多くの新しい知見を提起している。ただ、体系化を試みた文字の用法の分類に関してはなお再考の余地があるかと思われるが、全体としては前述のような新説に富む業績であり、上代日本語の表記・文体研究に新たな展開をもたらすものとして、博士(文学)を授与するに値すると判断する。

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