本論文は、C型肝炎治療薬の開発をめざしたウイルスプロテアーゼの生化学的解析に関するもので、3部よりなる。C型肝炎ウイルスは輸血により感染し、慢性肝炎から高い比率で肝硬変・肝癌へと移行することから、社会的に問題視されている疾患である。感染予防面では、ワクチンの開発は難航しているものの、輸血用血液の検査法が開発されて新たな感染者を激減させることに成功している。一方、治療面では未だ有効な治療薬がインターフェロンしかなく、それも副作用が強くかつ約3割にしか有効でないのが現状である。そこで著者らは、ウイルスの増殖過程で機能するNS3プロテアーゼの活性を阻害するというコンセプトでの治療薬開発をめざして、本プロテアーゼ遺伝子の単離および酵素の生化学的解析を行った。 序論では、研究の背景、研究の目的と論文の構成を述べている。 第1部は2章から構成されているが、C型肝炎ウイルスが変異を起こしやすいことをふまえて、慢性C型肝炎患者の血清から複数のNS3プロテアーゼ遺伝子を単離し、その変異の解析を行った結果について述べている。第1章では、まずNS3プロテアーゼの活性を大腸菌菌体内で簡便に測定できる系を確立した。これは、maltose binding proteinとproteinAの間にNS3プロテアーゼの切断配列を挿入した組み換え蛋白質基質を、大腸菌内で酵素と共発現させることにより達成した。さらに、酵素領域の各種deletion mutantを構築して発現領域と活性との相関を調べ、プロテアーゼ活性を保持しうる蛋白質領域がVal1059〜Thr1204であることを示した。 第1部・第2章では、慢性C型肝炎患者の血清よりNS3プロテアーゼ遺伝子を新たに複数単離し、遺伝子配列と活性の相関を調べた内容を述べている。第1章で確立した活性測定系を用いて、単離した30クローンのNS3プロテアーゼ(領域1027-1260)の活性を調べたところ、4クローンが不活性型であった。各クローンの配列解析の結果、患者の体内でウイルスのNS3プロテアーゼ領域に高頻度で変異が起こっていることが確認された(塩基の変異率は、患者N-1.18%、患者U-0.27%)。また、不活性クローンについては変異の解析を行い、それぞれの失活の原因がW1074→ストップコドン、His1083→Leu、Pro1168→Thr、Arg1135→Glyであることを明らかにした。 第2部は3章から構成されており、NS3プロテアーゼクローンD51について、精製した酵素の生化学的な解析について述べている。第1章では、NS3プロテアーゼを大腸菌にて発現・精製し、in vitroでの活性を検出することに成功した。酵素の領域としては、第1部・第1章のdeletion解析により領域(1050-1214)の活性が強いことが示されたことからその領域を選択し、基質は第1部・第1章と同じものを用いた。 第2部・第2章では、第1章で確立した活性測定系を用いて酵素の生化学的解析を行った。反応条件の至適化の過程で、本酵素活性測定系においては基質のP1/P2部位に存在するCys残基が隣同士でジスルフィド結合を形成しており、その結合をDTTによって還元しないと切断反応が起こらないことを見いだした。また、各種プロテアーゼ阻害剤の効果を調べたところ、セリンプロテアーゼ阻害剤以外に、システインプロテアーゼ阻害剤として知られるiodoacetamide(IAN)、およびメタルプロテアーゼ阻害剤であるキレート剤により活性阻害を受けることがわかった。IANに関しては、基質のP1/P2部位に存在するCys残基を不可逆的に修飾することで阻害作用が生じると考えられた。一方、キレート剤については、そのキレート作用を示す部位が活性阻害に関与していることが推察された。 第2部・第3章では、NS3のN末配列(1027-1049)を保持した酵素を調製し、その性質を第1/2章で用いた酵素NS3(1050-1214)と比較して、NS3のN末配列が酵素活性に重要な役割を果たしていることを述べている。NS3(1027-1214)、NS3(1027-1243)、NS3(1027-1656)をそれぞれ発現・精製し、ペプチド基質に対する反応速度論的解析を行ったところ、NS3(1050-1214)と比較して反応速度定数koは変化しないのに対してミカエリス定数Kmの値が小さくなることが観察された。また、NS3のN末領域を保持した酵素はEDTAによる阻害を受けないことが判明し、酵素の構造の安定化が示唆された。さらに、NS3のN末配列と相互作用してプロテアーゼの活性を上昇させることが報告されていたNS4Aの部分ペプチドを酵素と共存させることにより、Kmの値がさらに小さくなることを示した。その効果はN末配列を欠失したNS3(1050-1214)に対しても同様に観察され、NS4Aは酵素本体とも相互作用することが示された。 第3部では、第1部・第2部で得られた結果を構造の観点から考察している。近年報告されたX線結晶構造解析の結果(Kim,J.L.,et al.1996、Love,R.A.,et al.1996)と照らしあわせ、本研究で得られた結果の解釈・考察を述べている。そして最後に、残された課題と今後の展望について述べた。 本研究により見出されたNS3プロテアーゼに関する新たな知見は、酵素活性測定系にフィードバックされ、現在阻害剤のスクリーニングに応用されている。新規なC型肝炎治療薬を開発するうえで、本研究で確立した活性測定系はきわめて有用な系である。 以上本論文は、C型肝炎患者からNS3プロテアーゼ遺伝子を単離し、それを用いた阻害剤スクリーニング系を開発したものであって、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。 |