学位論文要旨



No 214089
著者(漢字) 吉村,誠司
著者(英字)
著者(カナ) ヨシムラ,セイジ
標題(和) 新規抗炎症剤を目指したII型PLA2阻害剤の探索および合成に関する研究
標題(洋)
報告番号 214089
報告番号 乙14089
学位授与日 1998.12.24
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第14089号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 教授 山口,五十麿
 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
内容要旨

 Phospholipase A2(PLA2)は生体膜のリン脂質を加水分解し、炎症性メディエーター前駆体のアラキドン酸とリゾリン脂質とを産生する酵素であり、主に分泌型のI型、II型と、高分子の細胞内在型とに分類されている。このうちII型PLA2は炎症巣で亢進することから最も炎症への関わりが深いとされ、その阻害剤はリウマチ、急性膵炎、乾癬、クローン病、潰瘍性大腸炎などの治療薬になりうると考えられる。リード化合物として良質なII型PLA2阻害剤は、当研究に着手した当初は知られていなかったため、醗酵産物よりリード化合物を探索した。

 約12000株の微生物を培養してスクリーニングを行った結果、静岡県の土壌より採取した放線菌No.8242よりII型PLA2を強力に阻害するWA8242A及びWA8242B(Fig.1)を見いだした。本菌株は、分類学的な比較、考察によって、Streptomyces violaceusnigerと推定され、Streptomyces violaceusniger No.8242と命名した。本生産菌を720Lの液体培地にて培養し、菌体画分より各種クロマトグラフィーを用いてWA8242Aを80mg、WA8242Bを165mg得た。

Fig.1.Structures of WA8242B(1)and A(2).

 構造決定は、主成分であるWA8242Bを用いて行なった。まず、FAB-MSスペクトル、1H、13CNMRスペクトル及び元素分析によって、分子式をC40H76N2O7と決定した。次に、1H-1HCOSY、13C-1HCOSYデータを解析し、2つの-ヒドロキシイソ脂肪酸と-アミノアジピン酸の3つの部分構造よりなることが判明した。この部分構造の結合位置はHMBCデータを解析することによって明らかとし、2つの脂肪酸のメチレンの長さをFAB-MS及びESI-MSデータのフラグメントイオンピークを解析することによって推定した。その結果、平面構造をFig.2に示す通りに決定した。さらに、分解反応によって3つの部分構造に対応する分解物(3、4、5)を得た後に、これらの絶対立体配置を標品または文献との比較によって決定し、3つの不斉点の絶対立体配置(3S,2’S,3"S)を全て決定した。WA8242Aの構造はWA8242Bと各種スペクトルを比較することにより2(Fig.1)のように推測した。

Fig.2.Planar Structure of WA8242B.

 WA8242Bの微生物による生産力価は向上させることができず、しかもアルキル鎖の異なる混合物を同時に生産するため、単離収率を実用レベルに上げることはできなかった。そこで、薬理試験への物量供給を目的とし、誘導体研究の合成ルートの検討を兼ねて、WA8242Bの全合成に着手した。その全合成ルートをFig.3に示す。工業スケール合成の可能な本合成の焦点は、2つの-ヒドロキシイソ脂肪酸部分の共通中間体となるアルキル鎖の長い光学活性な-ヒドロキシエステルを効率的かつ高い光学純度で得ることであり、その合成には最近進歩の著しい触媒的不斉還元を用いることにした。触媒としてIkariyaらの開発した[RuCl2((S)-BINAP)]2・Et3Nと(D)-CSAを用い、中圧の水素下にてケトエステル7を還元したところ、望みの(S)の立体を有する8を高収率(93%)、高光学純度(98%e.e.)で得ることができた。これは、アルキル鎖の長い-ヒドロキシエステルを触媒的不斉還元によって高い光学収率で得た最初の例である。エステル8をカルボキサミド10へと変換し、Sakuraらの方法によってリジンより5工程28%で合成した-アミノアジピン酸誘導体11と、PyBOPを縮合剤として反応し、12を高収率(84%)で得た。12のBoc基を除去した後、カルボン酸9と縮合し、更にベンジル基を加水素分解して、全10工程、全収率15%でWA8242Bを得ることができた(Fig.3)。

Fig.3.Total Synthesis of WA8242B(1).

 こうして大量取得が可能となったWA8242Bの薬理作用について検討した。in vitroのII型PLA2阻害作用は、基質として1-triacontanoyl-2-[-(1-pyreno)decanoyl]-sn-glycerophosphoethanol-amineを用いて測定したところ、IC50が0.14nMと、これまでの阻害剤にない強力な作用を有していることが判明した。基質として、3H-アラキドン酸を取り込ませたEscherichia coliの細胞膜の懸濁液を用いた場合においても、WA8242Bは濃度依存的かつ強力なPLA2阻害作用を示した(IC50:49nM)。また、Dixonplotによる解析の結果、WA8242Bの阻害様式は拮抗型であることが判明し、そのKi値は3.7×10-10(M)であった。このことは、WA8242BがII型PLA2の活性中心に作用して阻害作用を発現していることを示唆した。また、WA8242Bは、PLA2とTNF-の刺激によって亢進されたヒト臍帯静脈由来内皮細胞のPGI2産生を濃度依存的に抑制し、細胞レベルにおいても抗炎症作用を有していることが示された。

 WA8242Bは溶解性に難点があり、このままでは臨床開発は困難であったので、作用強度の増強と物性の改善を目指して、全合成的誘導体研究を行なうことにした。WA8242Bの活性発現最小単位を探るため、全合成中間体、WA8242B分解物及びその誘導体のin vitro阻害作用を検討したところ、化合物13(Fig.4)がWA8242Bと同等の活性を有していることを見出した。また、13の原料であるイソ脂肪酸6の合成が煩雑であったので、直鎖アルキルを有する14について活性を検討したところ、13と同等であり、ここに構造を単純化した14を新たなリード化合物に設定することができ(Fig.4)、誘導体研究への展望を開くことができた。まず、14の立体異性体の阻害作用を検討したところ、天然配位の14のみが強力な活性を有しており、このことは、先の薬理研究で示唆された14やWA8242Bが酵素の活性中心に直接作用していることを支持するものであった。次に14の構造をFig.4に示した様に、A〜D部分に分け、それぞれを変換してその構造活性相関を検討した。先ず、B部分においては、メチレンの数を増減すると阻害作用が一気に減少し、また、エステルに変換したものには活性が見られないことから、カルボン酸がPLA2と重要な静電相互作用を行っていると考えられた。C部分においては、カルボキサミド基をメチルアミド基、カルボン酸、ニトリル基等に変換すると阻害作用が大きく減少し、また、-オキシカルボキサミドとした場合にも活性が大きく減少することから、カルボキサミド基が高い活性発現に重要な役割を担い、その位置が重要であることが示唆された。D部分は、アルキル鎖を減じるにつれて活性が減じていくことが判明し、この部分の酵素との疎水的相互作用が重要であることを示した。A部分は脂溶性残基を導入すると、高い活性を維持することができ、14と同等の阻害作用を示す15を見い出した。

Fig.4.Optimization of WA8242B to FR167233.

 高いin vitro阻害作用を有する15について、in vivo試験としてマウスのホルボールエステル誘発の耳浮腫モデル(PMA耳浮腫)に対する抑制作用を検討したところ、1mg/ear(塗布)において阻害作用が見られなかった。そこで、PMA耳浮腫において薬効を示す化合物を見い出すため、さらなる修飾を計ることにした。修飾の可能性を探るため、CADDを応用し、WA8242BとII型PLA2の結合をコンピューター上で仮想的に結合させたところ、A部分が最も酵素との相互作用が少なく、構造の自由度が高いと考えられた。そこで、この部分に複素環を導入し、in vitro阻害作用とPMA耳浮腫を指標として最適化したところ、in vitroの活性を維持し、PMA誘発の耳浮腫に対して1mg/earにおいて75%の阻害作用を示す16(FR167233)を見いだした。FR167233はPMA耳浮腫に対して濃度依存的な阻害作用を示し、そのED50値は0.56mg/earであり、in vivoの系で薬理作用を有する化合物の創製に至った。

 FR167233の合成法をFig.5に示す。WA8242Bの全合成と同様に-ヒドロキシカルボキサミド20と-アミノアジピン酸誘導体11を縮合させたところ、-アミノアジピン酸の位が約20%ラセミ化することが判明した。そこで、トリクロロエチルエステル21として11との縮合を行ない、ラセミ化を回避することができた。トリクロロエチルエステル22をカルボキサミド23へと導き、23のBoc基を脱保護した後に、2-キノリンカルボン酸と縮合、更にベンジル基を脱保護してFR167233を17より9工程、収率32%にて得ることができた。

Fig.5.Synthesis of FR167233(16).

 以上まとめると、著者は、Streptomyces violaceusnigerより、強力なPLA2阻害剤WA8242Bを見いだし、構造活性相関の研究に必須であるWA8242Bの化学構造を各種機器分析と化学分解によって絶対立体配置を含めて決定した。次に、WA8242Bの実用的な全合成ルートを開発し、WA8242Bの薬理プロファイルを明らかとした。更に、WA8242Bの構造活性相関を全合成的誘導体研究によって探求し、CADDを利用してin vivo(PMA耳浮腫)で薬理作用を有するFR167233を創製し、その実用的な合成法を確立した。FR167233はII型PLA2阻害剤という仮説に基づいた、従来にない作用機作を有する抗炎症剤であり、この化合物を基にして、様々な炎症性疾患に対する治療薬を創製することが著者の願いである。

審査要旨

 本論文は、新規抗炎症剤を目指したPLA2阻害剤の探索と合成に関するもので、6章よりなる。Phospholipase A2(PLA2)は生体膜のリン脂質を加水分解し、炎症性メディエーターの前駆体であるアラキドン酸とリゾリン脂質とを産生する酵素である。PLA2は主に分泌型のI型、II型と、高分子の細胞内在型とに分類され、このうちII型PLA2は炎症巣で亢進することから、最も炎症への関わりが深いとされている。そこで著者は、新しい作用機作の抗炎症剤の創出を目的として、II型PLA2阻害剤の研究に着手した。

 序論で、研究の背景と意義を論じたのち、第一、二章では新規物質の単離・構造決定・合成について述べている。当初、リード化合物として魅力的なII型PLA2阻害剤は皆無であったため、醗酵産物よりスクリーニングした。その結果、静岡県の土壌より採取したStreptomyces violaceusniger No.8242の生産するWA8242A2及びWA8242B1を見いだした。本生産菌を720L培養し、菌体画分より各種クロマトグラフィーを用いてWA8242Aを80mg、WA8242Bを165mg得た。主成分であるWA8242Bを用いて、各種機器分析によって平面構造を決定し、分解反応によって三つの不斉点の絶対立体配置を下図のように決定した。

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 WA8242Bは高活性であったが、放線菌による生産力価は低く、しかも炭素鎖の異なる混合物が同時に生産されるため、単離収率を上げることは困難であった。そこで、薬理試験への物量供給を目的として、WA8242B物質の全合成を行なった。WA8242B物質は実用的なBlNAP不斉還元を鍵段階として、全10工程、15%で得ることができた。

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 第三章では、合成したWA8242B物質の薬理作用の詳細な検討結果について述べている。in vitroのII型PLA2阻害作用を測定したところ、IC50が0.14nMと、これまでの阻害剤にない強力な作用を有していることが判明した。また、阻害様式は拮抗型であり、そのKi値は3.7×10-10(M)であった。このことは、WA8242BがII型PLA2の活性中心に作用して阻害作用を発現することを示すものである。

 第四章から第六章においては、誘導体合成による構造-活性相関研究及び新規高活性誘導体の開発について述べている。WA8242B物質は溶解性に難点があり、このままでは臨床開発は困難であったので、in vivoで薬効を示す化合物を見いだすべく、誘導体合成研究を行なった。WA8242B化学分解物、合成中間体及びその誘導体の阻害作用を検討した結果、小分子化した化合物6がWA8242Bと同等の活性を有していることが判明した。そこで、6を新たなリード化合物にして合成研究を行なった。その結果、6の立体異性体は活性が大きく減少し、B,C部分を変換すると活性が大きく減少することが判明した。これらの構造活性相関は、WA8242Bや6が活性中心に作用していることを支持するものである。また、D部分のアルキル長鎖は、その長さを減じるに従い、阻害作用が減じていく傾向が明らかとなった。A部分の置換基の脂溶性を上げると阻害作用が強くなる傾向にあり、6と同等の阻害作用を示す7を見いだした。

図表

 しかしながら、7はマウス・ホルボールエステル(PMA)誘発の耳浮腫に対して、1mg/ear(塗布)において全く阻害作用を示さず、新たなドラッグデザインが必要であった。そこでWA8242BとII型PLA2をコンピューター上で仮想結合させ、A部分が更なる変換が可能であることを推測した。この仮説を基に、A部分に複素環を組み込んで最適化したところ、in vitroの活性を維持し、PMA誘発の耳浮腫に対して1mg/earにおいて75%の阻害作用を示す8(FR167233)を見いだした。FR167233は、濃度依存的にPMA誘発の耳浮腫を抑制し、そのED50値は0.56mg/earであった。

 以上、本論文は新しい観点から抗炎症剤を発掘すべく検討の結果、醗酵産物より強力なII型PLA2阻害剤WA8242Bを見い出し、構造決定、全合成、薬理評価、CADDを利用した構造活性相関によって、in vivo抗炎症モデル(PMA耳浮腫)において有効なFR167233を見い出したものであり、薬理学的な面からも、合成化学的な面からも、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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