漢方薬はアジアを中心として使用されている。しかし、その薬効成分やその作用機構などについては未知であるものが多い。 チョウセンニンジンにおいて、ラットの単離脂肪細胞でアドレナリン(AD)によって誘導されるリポリシスを阻害する物質が同定された。これは14アミノ酸からなるペプチド(ginseng polypeptide、GPP)であり、そのアミノ酸配列も決定された(図1)。しかし、抗リポリシスにおけるGPPの作用機構は不明であった。そこで、GPPの一次構造における既知のタンパク質との相同性に着目し、それから推定される性質からGPPの抗リポリシス活性について追求した。このGPPの性質を調べるために、生体物質との親和性を測定する必要が求められたため、高性能キャピラリー電気泳動(HPCE)における溶出時間の変化によって親和性の有無を検出可能な結合シフトアッセイ法を開発し、GPPの研究に用いた。 図1、GPPの一次構造。計算上の分子量は1390、等電点は2.38であった。酸性アミノ酸は網掛けした。 研究の背景を述べた序論に続き、第1章では、カルシウム結合タンパク質(CaBP)を用いてHPCEにおける溶出時間の変化をもとにタンパク質とリガンドの間の親和性の有無を検出するための結合シフトアッセイ法を開発した。Ca2+の結合の有無によってカルモジュリン(CaM)の溶出時間が変化した。この変化の要因は、Ca2+の結合によって引き起こされた構造変化を反映するものだった。本法は亜鉛結合タンパク質などのCaBP以外の金属結合タンパク質にも有効な手法であった。この結合シフトアッセイ法は、これまでのアフィニティーゲル電気泳動法よりも、分析精度、必要とする試料量、分析時間、pH範囲、温度管理、および装置の自動化の点で優れていた。このHPCEにおける結合シフトアッセイ法は、現在ではアフィニティーキャピラリー電気泳動(ACE)法と総称されるようになり、多くの応用例が報告されるに至った。 第2章では、GPPに酸性アミノ酸が5残基存在すること、およびカルモジュリンのEFハンド構造との類似性から金属結合能が示唆された(図1)ので、ACE法を用いてGPPの金属結合能について調べた(図2)。GPPはMg2+やCa2+等の二価カチオンが存在するとその溶出時間が変化し、これらの金属に対して親和性を持つことが示された。しかし、Co2+やCd2+などに対しては親和性を示さなかった。ACEによる測定の結果、Mg2+に対する結合定数は3.1×104mol-1(pH6.8)および2.0×104mol-1(pH7.6)であると算出された。 図2、Mg2+によるGPPのACE分析。(A)2mM EDTA存在下、(B)2mM Mg2+存在下。1-2はカルボニックアンヒドラーゼ、3-4はラクトグロブリン、5がGPPである。 GPPの金属との結合の様式を調べる目的で、6種の置換GPPを合成した(図3)。それらは、(1)1アミノ酸置換GPP:1、4、7番目のグルタミン酸およびアスパラギン酸をそれぞれグルタミンおよびアスパラギンに置換したもの3種(E1Q、E4Q、およびD7N)、(2)D体置換GPP:11番目のグリシンをD-アラニンに置換したもの1種(G11dA)、(3)4アミノ酸置換GPP:GPP中の5残基の酸性アミノ酸4つを互いに入れ替えたもの2種(Peptide-1およびPeptide-2)である。それぞれの目的としては、(1)1アミノ酸置換GPP:分子全体の荷電の減少による影響ならびに金属の結合に関与しているアミノ酸の同定、(2)D体置換GPP:連続する3残基のグリシンの役割、(3)4アミノ酸置換GPP:酸性アミノ酸の側鎖の長さの影響である。 図3、GPPの持つ結合能と抗リポリシス作用の関係を調べるために合成した置換GPP。 pHが中性付近の場合、1アミノ酸置換GPPではいずれも金属結合能が失われていたが、G11dAおよび4アミノ酸置換GPPはMg2+に結合能が残存していた(表1)。しかし、G11dAおよび4アミノ酸置換GPPのACEでの溶出時間はGPPの場合とは異なっていた。GPPの中の1、4、7番目の酸性アミノ酸は金属の結合に重要な役割を果たしていると考えられ、グリシン残基付近の可動性は立体構造の形成において重要であると考察された。また、酸性アミノ酸の側鎖の長さを変更すると、GPPの溶出時間とは異なる溶出時間を与えたことから金属との結合の際に形成する立体構造も異なると考えられた。 GPPのの持つ金属結合能についてはCDスペクトルやステインズオールを用いた吸光度法等でも金属の有無によるスペクトルに違いを確認した。 表1、GPPと置換GPPの金属結合能、リボース結合能、および抗リポリシス作用の関係。+++は顕著な効果、+は有意な効果、および-は効果がなし。n.t.は未測定。 第3章では、GPPはアデノシンキナーゼや微生物由来の糖キナーゼのモチーフ-2コンセンサス配列に対して相同性が認められたことから、GPPが糖と親和性を持つのではないかと推測し、GPPの糖結合能について調べた。ACE実験においてGPPはリボースが存在するとその溶出時間が変化したことから、リボースに対して親和性を持っていると結論された。ACE法によって、GPPとリボースの間の結合定数は1.04×104mol-1であると算出された。合成した置換GPPのうち、Peptide-2のみにリボース結合能が認められた。 また、表面プラズモン共鳴法(SPR)を用いた解析では、センサーチップにビオチンを用いて固定したGPPとアデノシンの間の親和性を測定したが、両者の間の結合定数は1.91×104mol-1であると算出され、ACEとSPRではほぼ同じ値が得られた。 第4章では、GPPの金属およびリボース結合能とブタ単離脂肪細胞および分化させたウシ筋肉間由来脂肪前駆細胞で測定した抗リポリシス活性を比較した(表1)。GPPは齧歯類以外のこれらの脂肪細胞でもADによって誘導されるリポリシスを阻害した。金属およびリボース結合能の両方が失われている置換GPPには抗リポリシス作用は認められなかった。結合能が残存している置換GPPは部分的は抗リポリシス作用を示した。GPPの持つ結合能とADのレセプター以降の情報伝達経路から、(1)Ca2+と結合することによる阻害、(2)細胞内外のMg2+と結合することによりアデニレートシクラーゼ等を不活化することによる阻害、(3)cAMPのリボース部位と結合し情報伝達を阻むことによる阻害、(4)レセプター表面の糖鎖に結合し、ADレセプターへの結合を阻むことなどによる阻害機構が考えられた。脂肪細胞における主要なADレセプターは3型であることから、GPPの持つ金属結合能に加えて糖結合能の両方が相加的に作用してADによって誘導されるリポリシスを阻害していると考えられた。 |