イソプロピルリンゴ酸デヒドロゲナーゼ(IPMDH)とイソクエン酸デヒドロゲナーゼ(ICDH)はともに脱炭酸を伴う脱水素反応を触媒する酵素である。これら二つの酵素は構造に類似性があるため、共通の祖先酵素から進化したものと考えられている。したがって、さまざまな生物種由来のIPMDHやICDHを比較検討することにより、両酵素の進化経路を推定することができると考えられる。また安定性が異なるIPMDHやICDHを比較検討することにより、両酵素の安定化機構を解明する手がかりを得ることができると考えられる。本研究は、常温性真正細菌由来IPMDHと超好熱性古細菌由来ICDHを材料として、IPMDHとICDHの耐熱性と進化経路について検討することを目的としたものであり、以下の8章から構成されている。 第一章では、1)IPMDHとICDHとの関係、2)蛋白質の耐熱性、3)生命の進化、という三つの面から本研究の背景を概説するとともに本研究の目的を述べた。 第二章では、大腸菌IPMDH遺伝子の単離およびその配列決定について述べた。得られた遺伝子配列から推定したアミノ酸配列は、高度好熱菌Thermus thermophilus IPMDHのものと約52%一致することが明らかになった。したがって大腸菌IPMDHは、比較研究に用いる常温菌由来IPMDHとして好適な材料となり得ることがわかった。また大腸菌ICDHとの相同性も確認され、両酵素が共通の祖先酵素から進化したという説が支持された。 第三章では、大腸菌IPMDHの耐熱化およびその耐熱化機構について述べた。まず、現在までに報告されたさまざまな生物種由来IPMDHの一次構造を比較した。その結果、非常に保存性の高い領域に高度好熱菌特有の配列モチーフが存在することを見い出した。そこでこのモチーフを大腸菌IPMDHに導入したところ、モチーフ内の1残基置換(L204F)により耐熱性が上昇することが明らかになった。分子シミュレーションを行った結果、この残基は-ヘリックス内にあり、側鎖がもう一方のサブユニットの構造と相互作用していることが予測された(図1)。よってロイシンからフェニルアラニンへのアミノ酸置換によりサブユニット-サブユニット間の疎水性結合力が増加し、その結果蛋白の安定性が増大したことが予想された。つまり、IPMDHやICDHのようにダイマー構造が活性発現に必須である酵素では、サブユニット間結合力増加が安定化機構として重要であることがわかった。 図1 分子シミュレーションにより得られた(a)野生型IPMDHと(b)変異型(L204F)IPMDHの構造204番残基は-ヘリックス内にあり、その側鎖はもうひとつのサブユニットの-構造と相互作用している。 第四章では、登別温泉から単離された超好熱菌NC12株の16SrRNA遺伝子の単離およびその配列決定について述べた。古細菌は、硫黄代謝性超好熱菌の一群(Crenarchaeota)と、超好熱菌の一部とメタン菌や好塩菌を含む一群(Euryarchaeota)に二分されることが知られている。NC12から得られた配列は、既報の16SrRNA配列の中ではPyrodictium occultumやDesulfurococcus mobilis(ともにCrenarchaeotaに属する超好熱性古細菌)のものと最も似ていたが、同一性は最大でも約91%であった。よってNC12はCrenarchaeotaに属する新種新属の超好熱性古細菌であることが明らかになり、これをCaldococcus noboribetusと呼ぶことを提唱した。 16SrRNA配列に基づく系統樹を作製したところ、この新規な超好熱菌はPyrodictium,Desulfurococcus,Sulfolobusを含む一群の超好熱性古細菌の根元から分岐した種であることが推測された(図2)。今後この新規な菌は、さまざまな超好熱性古細菌由来の酵素源として利用できると期待される。 図2 最尤法により作製した16S rRNA配列に基づく系統樹NC12(Caldococcus noboribetus)は、Pyrodictium,Desulfurococcus,Sulfolobusを含む一群の根元から分岐している。 第五章では、C.noboribetus ICDH遺伝子の単離、配列決定、発現について述べた。得られた遺伝子配列から推定したアミノ酸配列は、既報のICDH配列の中では大腸菌やビブリオのものと極めて似ていることが明らかになった。また大腸菌ICDHで報告されている基質結合や補酵素結合に関与する残基がほぼすべてC.noboribetus ICDHにも保存されていることから、両者は高次構造的にも類似していることが推測された。大腸菌やビブリオ(真正細菌)とC.noboribetus(超好熱性古細菌)は進化系統上近縁ではない。にもかかわらず両者に酷似するICDHが存在するため、真正細菌と古細菌が分岐した後、ICDH遺伝子が二つの生物界をまたいで水平移動した可能性が示唆された。得られた遺伝子をT7プロモーターに連結し、大腸菌BL21に導入したところ、IPTG誘導による遺伝子産物(C.noboribetus ICDH)の発現が確認された。したがって、この発現系を用いることにより、C.noboribetus ICDHの生産が可能となった。 第六章では、C.noboribetus ICDHの精製とその諸性質について述べた。大腸菌内で発現させたC.noboribetus ICDHは、80℃での熱処理と疎水クロマトグラフィーのみで精製された。精製したC.noboribetus ICDHは既報の好熱性古細菌(SulfolobusやThermoplasma)由来ICDHとは異なって完全にNADP依存性であり、高濃度のNADを加えても活性を示さなかった。また至適pHは中性付近にあり、C.noboribetusの至適生育pHである強酸条件下(pH3)ではほとんど活性を示さなかった。したがって、C.noboribetusの細胞内は外環境よりも中性寄りにあることが推測された。C.noboribetus ICDHは大腸菌ICDHと類似の酵素学的諸性質を示したが、その熱的特性は特異なものであった。例えば、宿主(大腸菌)由来ICDHが70℃10分間の熱処理で完全に失活するのに対し、C.noboribetus ICDHはそれよりもはるかに高い耐熱性を示した。C.noboribetus ICDHの至適温度は非常に高く、低温(40℃以下)ではほとんど活性がみられなかった。したがってC.noboribetus ICDHは、蛋白質の高温適応機構や安定化機構を解明するための好適な材料となり得ることがわかった。 第七章では、IPMDH遺伝子やICDH遺伝子の大量発現に用いる宿主大腸菌の作製について述べた。まずT7ポリメラーゼ遺伝子がIPTG支配下にある大腸菌株BL21を出発材料とし、ゲノム上のIPMDH遺伝子をカナマイシン耐性遺伝子で分断し、IPMDH欠損株(MA153)を単離した。サザン分析を行った結果、MA153は設計通りの株であることが確認され、今後さまざまなIPMDH遺伝子の大腸菌内発現に利用できると期待される。 一方、同様な手法でBL21からICDH欠損株を単離しようと試みたが、目的通りの欠損株は得られていない。サザン分析の結果、ICDH遺伝子周辺の制限酵素地図が、BL21と大腸菌の野生株(W3110)とで異なることが明らかになった。したがって、このような配列の不一致により相同組み換えが起こらなかった可能性が考えられる。また、ICDH欠損が大腸菌にとって致死的であるためとも考えられる。 第八章では、本研究で得られた結果を、その後各方面から報告されたさまざまな研究結果とともに再検討し、今後の展望について述べた。大腸菌IPMDHと大腸菌ICDHとは配列全体にわたって相同性があるが、ICDHに特徴的な(IPMDHに欠落している)領域が3ヶ所ある。そのうちの2つの領域(領域Iと領域II)は真正細菌(大腸菌、枯草菌、ビブリオ)由来ICDH(II型)の特徴であり、IPMDHや酵母(S.cerevisiae)由来ICDH(I型)には見られない(図3)。しかし、本研究で得られたC.noboribetus(古細菌)由来ICDHはII型であり(5章)、高度好熱菌T.thermophilus(真正細菌)ICDHはI型である。最近、メタン菌(古細菌)(Methanococcus jannaschii)の全ゲノム配列が決まり、その中から2つのICDH遺伝子ホモログが報告された。配列の特徴から片方はIPMDH遺伝子ではないかと推測されるが、どちらが本当のICDH配列であっても、領域Iおよび領域IIを欠くI型ICDHに属するものである。このように、古細菌由来ICDHや真性細菌由来ICDHはいずれも単系統でないことが次第に明らかになってきており、遺伝子の水平移動だけではこの現象を説明することは困難である。しかし、I型ICDHとII型ICDHは別の祖先遺伝子に由来する(お互いがいわゆるパラログの関係にある)と仮定すれば、より合理的な説明が可能となる。IPMDHはI型ICDHと共通の祖先をもち、II型ICDHは別の遺伝子重複に由来する。つまり、生物はかつてIPMDHのほか、I型ICDHとII型ICDHを併せ持っていたと考えるのである。最近、大腸菌の全ゲノム配列が決まり、その中から新たなIPMDHホモログが存在することが明らかになった。もしこれが大腸菌のI型ICDHであれば、大腸菌内にI型ICDHとII型ICDHが並存していることになり、先のパラログ説を支持するものとなる。今後さらに多くのIPMDH遺伝子およびICDH遺伝子を単離解析することにより、両酵素の進化の歴史が明らかになっていくと期待される。 図3 さまざまなIPMDH,ICDH配列の領域IIとIII付近のアライメント酵母(S.ce)や好熱性真正細菌(T.th)由来ICDH(I型)はIPMDHと類似性が高く、大腸菌(E.co)枯草菌(B.sub)ビブリオ(Vibrio)(いずれも真正細菌)や超好熱性古細菌(C.no)由来ICDH(II型)とは領域IIとIIIの長さが異なる。 |