学位論文要旨



No 213846
著者(漢字) 松尾,一郎
著者(英字)
著者(カナ) マツオ,イチロウ
標題(和) N-結合型糖鎖の効率的な合成に関する研究
標題(洋)
報告番号 213846
報告番号 乙13846
学位授与日 1998.05.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13846号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北原,武
 東京大学 教授 室伏,旭
 東京大学 教授 小川,智也
 東京大学 教授 瀬戸,治男
 東京大学 助教授 渡邉,秀典
内容要旨

 本論文は、アスパラギン残基を有するN-結合型糖鎖の効率的な合成法に関するもので四章よりなる。

 糖タンパク質糖鎖は、プロテアーゼや熱、酸に対する耐性などの物理的特性の付与だけでなく、糖タンパク質ホルモンにおける受容体に対するアフィニティーの向上やシグナル伝達の変化など生化学的機能を有していることが明らかになっている。この様な背景から有機合成化学の分野においても糖鎖の合成が重要なテーマとして認識され積極的に合成研究が行われている。しかし、複雑な糖鎖を合成するには、グリコシル化反応や保護基の導入反応および脱保護反応、アノメリック位への活性基の導入などの繰り返し、さらにこれらの反応に伴う精製工程など煩雑な操作が必要であった。そこで著者は、複雑な糖鎖をいかに簡単に、効率よく、大量に合成するかということを目的として以下の4点を特徴とする合成法の確立を目標として研究を行った。

 1)加水分解酵素によるオリゴ糖合成やリパーゼを用いた保護反応のように酵素反応を積極的に利用し、反応の工程数を極力少なくする。

 2)オリゴ糖ブロックを合成した後にそれらを繋ぎ合わせるブロック合成法を用いる。

 3)複数の水酸基を有する糖受容体に対して位置選択的にグリコシル化反応を行い反応工程を省略する。

 4)カラムクロマトグラフィーなどの精製工程を省略できるような反応を開発する。

 第一章では、現在報告されている代表的な糖鎖の合成研究について概説した後に著者の考える効率的なN-結合型糖鎖の合成法について述べた。

 第二章では、糖鎖とペプチドの結合反応について記述した。単糖とアスパラギン酸との結合反応の報告はあるが、オリゴ糖とアスパラギン酸との結合反応の例は少ない。そこでN-結合型糖鎖の共通構造である還元末端にアジド基を有する5糖3を合成し、アミノ酸との結合反応を検討した。その結果、還元末端のアジド基を還元しアミノ基へと変換すると同時にアスパラギン酸無水物4と反応することにより収率良く目的の5糖アスパラギン誘導体23を合成することが出来た。さらにペプチド鎖を伸長し絨毛性性腺刺激ホルモン部分糖ペプチド1の合成に成功した。

 

 第三章では、酵素を積極的に用いる事によるN-結合型糖鎖の部分オリゴ糖の合成について記述した。

 第二節では、リパーゼを用いた位置選択的なアセチル化反応を利用した-マンノシド結合を有するN-結合型糖鎖の共通母核3糖29の合成について記述した。すなわち、グルコース誘導体33の3位の水酸基をリパーゼにより選択的にアセチル化した後に、遊離の水酸基をクロロアセチル化して糖供与体31とした。キトビオース誘導体32と結合し、3糖誘導体37とした後に、グルコース残基の2位の水酸基の立体を反転、脱アセチル化することにより目的の3糖誘導体29を得ることが出来た。

 

 第三節では、-マンノシダーゼの縮合反応を用いたマンノオリゴ糖の合成について記述した。高濃度のマンノース水溶液を-マンノシダーゼにより処理することによりマンノビオース40やマンノトリオース41などのハイマンノース型糖鎖を構成するオリゴ糖を一段階で合成することが出来た。さらに得られたオリゴ糖をそれぞれ糖供与体へと変換した。

 

 第四節では、-ガラクトシダーゼの転移反応を用いたガラクトオリゴ糖の合成と得られたオリゴ糖を用いた複合型糖鎖の部分構造の合成について記述した。すなわち、-ガラクトシダーゼの転移反応によりガラクトビオース46を得た。糖供与体52へと変換後、グルコサミン誘導体47と結合し、3糖誘導体53を得た。保護基を順次、除去することにより複合型糖鎖の部分オリゴ糖45の合成に成功した。

 

 第四章では、複雑な分岐構造を有した糖鎖の合成について記述した。第二節では、位置選択的グリコシル化反応を利用した分岐構造の構築法の検討を行った。第三節では、第二節で得られたオリゴ糖を繋ぎ合わせてハイマンノース型糖鎖の部分構造8糖の合成を行った。第四節において、本研究で得られた知見を基にアスパラギン残基を有するハイマンノース型糖鎖11糖の全合成について記述した。すなわち、3糖受容体29にマンノトリオース供与体44bを結合して6糖75を得た。遊離の水酸基をアセチル化後、ベンジリデン基を除去して6糖受容体74を合成した。5糖供与体64と6糖受容体74との結合反応はDMTSTをプロモーターとして用いることにより11糖誘導体73を与えた。フタロイル基をアセトアミド基へと変換後、アスパラギン残基を導入し、保護基を除去することによりアスパラギン残基を有するハイマンノース型糖鎖11糖71の合成に成功した。

 

 以上記述したごとく、アスパラギン残基を有するハイマンノース型糖鎖(11糖)の合成に成功した。

 本研究において、冒頭に述べたいくつかの特徴的な手法を開発し、駆使することにより複雑なN-結合型糖鎖の非常に効率の良い一般的な合成方法を確立することが出来た。

審査要旨

 本論文は、アスパラギン残基を有するN-結合型糖鎖の効率的な合成法に関するもので四章よりなる。

 糖タンパク質糖鎖は、プロテアーゼや熱、酸に対する耐性の付与だけでなく、糖タンパク質ホルモンと受容体のアフィニティーの向上や、シグナル伝達の変化といった機能を有しているため有機合成化学的にも重要なテーマとして認識され、積極的に合成研究が行われている。しかし複雑な糖鎖合成の現状は、グリコシル化反応や保護基導入および脱保護、アノメリック位への活性化基の導入などの繰り返し、さらにこれらの反応に伴う精製工程など、操作が煩雑である。著者はこれらの糖鎖合成における問題点に着目し、複雑な糖鎖をいかに簡単に効率よく、大量に合成するかということを目的として、アスパラギン残基を有するN-結合型糖鎖の効率の良い一般的な合成法の確立をおこなった。

 まず序論にて研究の背景について概説した後、第一章では現在報告されている代表的な糖鎖の合成研究を紹介し、さらに著者の考えた効率的なN-結合型糖鎖のブロック合成法について述べている。

 第二章では、糖鎖とペプチドの結合反応の開発について記述している。単糖とアスパラギン酸との結合反応の報告はあるが、オリゴ糖とアスパラギン酸との結合反応の例は少ない。そこでN-結合型糖鎖の共通構造である還元末端にアジド基を有する5糖1を合成し、アミノ酸との結合反応を検討した。その結果、還元末端のアジド基をアミノ基へ還元すると同時にアスパラギン酸無水物2と反応させることにより収率良く目的の5糖アスパラギン誘導体を得た。さらにペプチド鎖を伸長し絨毛性性腺刺激ホルモン部分糖ペプチド4の合成に成功した。

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 第三章では、酵素を積極的に用いることによるN-結合型糖鎖の部分オリゴ糖の合成について述べている。

 まず、リパーゼを用いた位置選択的なアセチル化反応を利用し、-マンノシド結合を有するN-結合型糖鎖の共通母核3糖7を合成した。すなわち、グルコース誘導体5の3位の水酸基をリパーゼにより選択的にアセチル化して6とした。残った水酸基を保護後、キトビオース誘導体を導入して3糖誘導体とした後に、グルコース残基の2位の水酸基の立体を反転、脱保護することにより目的の3糖誘導体7を得ることが出来た。

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 次に、-マンノシダーゼの縮合反応を用いたマンノオリゴ糖の合成について述べている。高濃度のマンノース水溶液を-マンノシダーゼにより処理することによりマンノビオース9やマンノトリオース10などのハイマンノース型糖鎖を構成するオリゴ糖を一段階で合成することが出来た。さらに得られたオリゴ糖をそれぞれ糖供与体(11,12)へと変換した。

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 最後に、-ガラクトシダーゼの転移反応を用いたガラクトオリゴ糖の合成と得られたオリゴ糖を用いた複合型糖鎖の部分構造の合成について記述している。すなわち、13の-ガラクトシダーゼの転移反応によりガラクトビオース14を得た。さらにこのものにグルコサミン誘導体を導入し、複合型糖鎖の部分オリゴ糖15の合成に成功した。

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 第四章では、第三章で得られた中間体12,7,11を用いて、ブロック合成法により、さらに複雑な糖鎖を合成している。この際筆者は、複数の水酸基を持つ糖受容体に対する位置選択的なグリコシル化を行うことによって合成経路を短縮し、複雑な分岐構造を有したアスパラギン残基を有するハイマンノース型糖鎖11糖16を効率的に合成することに成功した。

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 以上本論文は、オリゴ糖ブロックを合成した後にそれらを繋ぎ合わせるブロック合成や、カラムクロマトグラフィーなどの精製工程を省略できるような反応の開発を行うことで合成経路を簡略化し、また、酵素をグリコシル化反応や水酸基の位置選択的保護に積極的に利用したり、複数の水酸基を持つ糖受容体に対する位置選択的なグリコシル化を行うことによって合成経路の短縮化を達成しつつアスパラギン残基を有するN-結合型糖鎖の効率の良い一般的な合成法を確立したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

 第三章では、静岡県の茶園などで被害が確認されているナガチャコガネの性フェロモン(22)の合成に関して述べている。合成法の簡素化、天然物の物性確認さらに立体構造と生物活性の相関を明確にするため、ラセミ体ならびに両鏡像体の合成を検討した結果、従来法より短い工程で合成に成功した。ラセミ体は、23から25を調製する一方、側鎖部分は、26を27に変換した後、25とのシス選択的なWittig反応を行い、短工程で22を合成した(通算6工程、収率34%)。一方、両鏡像体の合成は、22から誘導したヒドロキシエステルを酵素を用いた不斉アシル化反応で分割し、各鏡像体の純度を向上させて目的物を得た。

 天然型(R体)は95%e.e.(通算10工程、収率10%)、そして非天然型(S体)は94%e.e.(通算9工程、収率7%)であった(Scheme5)。ラセミ体の生物試験において生物活性が認められたことで、実用的なフェロモンの供給は極めて容易となり、害虫防除に利用するに当たって、経済上極めて有益な知見が得られたことになる。

Scheme 5. 性フェロモンの合成

 以上のように、本論文は昆虫フェロモンの合成研究を行い、チャバネゴキブリの効果的な駆除法になり得る生態物質誘導体を見出し、また殺虫剤が使用しにくい環境下に生息するバナナゾウムシ並びにナガチャコガネに対する新しい駆除の可能性を提供したもので、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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