学位論文要旨



No 213835
著者(漢字) 澤野,誠
著者(英字)
著者(カナ) サワノ,マコト
標題(和) 外傷性小腸破裂症例の術後水分移動に対する受傷から手術までの時間ならびに膠質液投与の影響
標題(洋)
報告番号 213835
報告番号 乙13835
学位授与日 1998.04.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第13835号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 前川,和彦
 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 教授 橋都,浩平
 東京大学 助教授 斉藤,英昭
 東京大学 講師 木村,健二郎
内容要旨 【研究の目的ならびに背景】

 腹部鈍的外傷症例において腸管破裂は開腹手術の絶対的適応であると考えられてきた。しかし、受傷後早期に腸管破裂の診断を確定する努力にもかかわらず、「受傷から手術までの時間」が数時間から10時間以上かかる腸管破裂症例も少なくないのが現状である。このような症例では、「受傷から手術までの時間」が長くなるほど、急性腎不全や肺水腫など術後水分移動に関係した術後合併症の頻度が高くなり予後不良となることが指摘されてきたが、外傷性腸管破裂症例にける「受傷から手術までの時間」が術後水分移動に与える影響についての報告はほとんどない。著者は、外傷性腸管破裂症例における死亡率が低下した現在でも、開腹手術のタイミングなど治療方針の決定には「受傷から手術までの時間」が術後水分移動に与える影響を考慮することが重要であると考え、外傷性小腸破裂症例における術後水分移動の様相を定量化し、「受傷から手術までの時間」が与える影響を評価することを研究の第一の目的とした。さらに、未だ評価が定まらない外傷性小腸破裂症例における周術期の膠質液投与が術後水分移動に与える影響について検討することを第二の目的とした。

【研究の対象】

 1985年11月から1995年6月までの期間に、都立墨東病院救命救急センターにて入院手術をおこなった腹部鈍的外傷による外傷性小腸破裂症例のうち、術後水分移動に影響する因子をできる限りそろえた38例を対象とした。このうち、全経過を通じて血漿製剤やデキストランなどの膠質液を投与されなかった26例を膠質液非投与群(No-Col群)とし、術中から術後24時間までの期間に膠質液を投与された12例を膠質液投与群(Col群)とした。No-Col群とCol群との間で、年齢、性別、身長、体重、受傷から手術までの時間のいずれの背景因子にも統計的な偏りは認められなかった。比較のために、東京大学第三外科学教室にて早期胃癌に対し胃亜全摘術(R0またはR1)を施行した24例を非外傷例(NT群)とした。

【研究の方法】

 外傷性小腸破裂症例における術後水分移動に「受傷から手術までの時間」や膠質液投与が与える影響を評価する方法として、術後水分移動の時間的な側面ならびに量的な側面を二つの指標をもちいて定量化した。時間的な指標としては、手術開始から術後利尿期の開始までの時間(「手術から利尿期開始までの時間」)をもちいた。量的な指標としては、術後利尿期終了時のwater retentionの量(受傷から術後利尿期までの期間に輸液されながら、術後利尿期にも尿として排泄されず体内に貯留した水分量)を、輸液量、尿量、術中の出血量、腹水の量、腹部ドレーンおよび経鼻胃管からの排液量の測定値、ならびに不感蒸泄量、代謝水量の推定値から算出しこれをRetained Waterと名づけ、「体重あたりのRetained Water」をもちいた。

 2群間での測定値(または計算値)の平均値の比較にはStudentのt検定を用いた。3群以上の間の平均値の比較には、一元配置の分散分析法(ANOVA)を用い、個々の群間の平均値の差はFischerのProtected Least Significance Difference法にて検定した。相関の有意性の検定には相関係数rをFisherのz変換をもちいて正規化し検定した。いずれの検定方法においてもp<0.05を有意とした。

【研究の結果】

 1.No-Col群において、「受傷から手術までの時間」と「手術から利尿期開始までの時間」との間には正の相関(r=0.437)を認めた。とくに「受傷から手術までの時間」が6時間以下の群と6時間をこえる群との間、ならびに8時間以下の群と8時間をこえる群との間には、「手術から利尿期開始までの時間」に有意差を認めた。(小括1)

 2.No-Col群において、「受傷から手術までの時間」と「体重あたりのRetained Water」との間には正の相関(r=0.641)を認めた。(小括2)

 3.No-Col群において、「受傷から手術までの時間」が6時間以下の群と6時間をこえる群との比較では、P/F比の最低値にてあらわされる術後酸素化能が6時間をこえる群で有意に低下した。(小括3)

 4.Col群ではNo-Col群と比較して、「手術から利尿期開始までの時間」には有意差が認められなかったが、手術から術後利尿期の開始までの期間に一定の尿量を維持するために必要な時間輸液量が減少し、「体重あたりのRetained Water」が減少した。(小括4)

【考察】

 1.No-Col群における検討から、外傷性小腸破裂症例において「受傷から手術までの時間」が長い症例、特に6時間をこえる症例では、術後利尿期への移行が遷延し、術後利尿期終了時のwater retentionの量が増加することが示された(小括1,2)。このような症例では、術後利尿期終了時の肺血管外水分量が増加し酸素化能が障害されることが理論的、文献的に推察される。著者の外傷性小腸破裂症例における検討でも、「受傷から手術までの時間」が6時間をこえる症例では、6時間以下の症例と比較して、P/F比の最低値にてあらわされる術後酸素化能が有意に低下した(小括3)。著者が対象とした症例は、術後24時間以上気管内挿管下で呼吸管理がなされたため、「受傷から手術までの時間」が長い症例でも、術後利尿期以後の機能的細胞外液の過剰が酸素化能に与える影響は、陽圧換気やPEEPを用いた呼吸管理によりある程度代償されたと考えられる。したがって、術後気管内挿管下での呼吸管理がなされなかった場合には、「受傷から手術までの時間」が長い外傷性小腸破裂症例において、酸素化能の低下はさらに顕著になるものと推測される。

 2.Col群とNo-Col群との比較の結果(小括4)より、外傷性小腸破裂症例に対し、術中から術後24時間以内に膠質液を投与することにより、術後利尿期への移行をはやめる効果は期待できないが、術後利尿期までの期間に尿量を維持するために必要な輸液量が少量ですみ、術後利尿期終了後も体内に貯留する水分量(water retentionの量)を減少させる効果が期待されることが示された。文献的には、外傷や熱傷症例における術後早期の膠質液投与の呼吸器合併症に対する効果に関しては否定的な報告も多いが、著者の検討からは、外傷性小腸破裂症例に対する膠質液投与が酸素化能の障害につながることはなく、むしろこれを防ぐと考えられた。このような文献的報告と著者の検討結果との差異は、報告にある重度外傷症例や熱傷症例では全身的な侵襲が大きく、毛細血管壁の透過性亢進の程度が高いため、投与された膠質の大部分が血管外に移動し血管外水分量を増加させるのに対し、著者が対象とした外傷性小腸破裂症例では大部分が血管内に留まり血管内水分量を増加させるためと考察される。

 3.以上の検討結果より、外傷性小腸破裂症例のうち「受傷から手術までの時間」が長く6時間をこえる症例では、術後利尿期終了後のwater retentionの量が大きく術後酸素化能の障害を合併する可能性が高いと予測されるため、利尿剤の投与や術後利尿期の終了まで気管内挿管下にて陽圧換気やPEEPを用いた呼吸管理をおこないうべきであると考えた。またこのような症例に対する周術期の膠質液投与は、輸液需要量ならびに術後利尿期終了後のwater retentionの量を減少させることから、術後酸素化能の障害を防ぐうえで有用であると考えた。ただし、周術期の膠質液投与によりwater retentionを減少させ術後酸素化能の低下を防ぐ効果は、外傷性小腸破裂症例あるいは同様に侵襲の程度が比較的小さな外傷症例において認められるものであり、重度外傷症例や熱傷症例においては異なる結果をもたらすものと考察される。

 4.外傷性小腸破裂症例6症例における、術後の水分バランスの推移と血中抗利尿ホルモン値(ADH)、血色素値(Hb)の変動の検討より、外傷性小腸破裂症例において、術後利尿期へ移行する時期はADHが基準値まで低下する時期とほぼ一致するが、Hbの低下より推測される血漿量が増加する時期とは一致しなかった。また「受傷から手術までの時間」が6時間をこえる3症例では、6時間以下の3症例と比較し、手術直後のADHは有意に高かったが、血清浸透圧にはかたよりが認められなかった。

 外傷性小腸破裂症例のうち「受傷から手術までの時間」が6時間をこえる症例では、サイトカインを介したADHの分泌刺激が長時間持続し、手術直後のADHが著しく高値を呈すると考えられた。このような症例ではADHが基準値まで低下するのに要する時間が長いため、「手術から利尿期の開始までの時間」が延長すると考察される。

 周術期の膠質液投与は血漿量を効果的に増加させるが、外傷性小腸破裂症例の術後に血漿量が増加する時期と術後利尿期へ移行する時期とは一致しないことから、膠質液投与は「手術から利尿期の開始までの時間」に影響を与えないと考えられた。

 5.Retained Waterは、sequestrationにともなう血管内から血管外への水分移動量と、mobilizationにともなう血管外から血管内への水分移動量との差であると考えられる。Col群では、血漿浸透圧が上昇し、血管内外の浸透圧較差がNo-Col群と比較して増大する。その結果、手術から術後利尿期までの期間に血管内から血管外へ移動量する水分量(血漿量の減少)がNo-Col群と比較して小さいため、血漿量の維持に必要な時間輸液量が少量であることが説明される。また、Col群における浸透圧較差の増大は、術後利尿期には血管外から血管内への水分移動量を増加させ、「体重あたりのRetained Water」が減少すると説明される。

 「受傷から手術までの時間」が長い外傷性小腸破裂症例では、腹膜炎の刺激による毛細血管壁の透過性亢進が長時間持続し、多量の蛋白が血管内から血管外へと移動すると考えられる。このような症例では、蛋白の移動により血管内外の浸透圧較差が減少するため、血管内から血管外への水分移動量は増加し、血管外から血管内への水分移動量は減少する。その結果「受傷から手術までの時間」が長い症例では「体重あたりのRetained Water」が増加することと説明される。

【結論】

 受傷から手術まで6時間をこえる外傷性小腸破裂症例では、術後利尿期への移行の遷延や術後利尿期終了後も体内に貯留する水分量(water retentionの量)の増加により術後に酸素化能が低下することが予測される。このような症例に対しては、利尿剤の投与や術後利尿期終了まで陽圧換気やPEEPを用いた呼吸管理を続けることにより酸素化能の低下に対処するべきである。また、このような症例に対する、手術から術後利尿期までの期間の膠質液投与は、術後利尿期終了時のwater retentionの量を減少させ、術後酸素化能の低下を防ぐために有用であると考えられた。

審査要旨

 本研究は、外傷性小腸破裂症例において、「受傷から手術までの時間」ならびに「周術期の膠質液投与」が術後水分移動に与える影響について検討をおこなったものである。術後水分移動の様相を定量化する指標としては、「手術から利尿期開始までの時間」と「術後利尿期終了時のwater retentionの量」(以下「Retained Water」)をもちい、下記の結果を得ている。

 1.膠質液非投与群において、「受傷から手術までの時間」と「手術から利尿期開始までの時間」との間には正の相関を認めた。「受傷から手術までの時間」が6時間以下の群と6時間をこえる群との間、ならびに8時間以下の群と8時間をこえる群との間には、「手術から利尿期開始までの時間」に有意差を認めた。

 2.膠質液非投与群において、「受傷から手術までの時間」と「体重あたりのRetained Water」との間には正の相関を認めた。

 3.膠質液非投与群において、「受傷から手術までの時間」が6時間以下の群と6時間をこえる群との比較では、後者で術後P/F比の最低値にてあらわされる酸素化能が有意に低下した。

 4.膠質液投与群では膠質液非投与群と比較して、「手術から利尿期開始までの時間」には有意差が認められなかったが、手術から術後利尿期の開始までの期間に一定の尿量を維持するために必要な時間輸液量が減少し、「体重あたりのRetained Water」が減少した。

 5.1.〜4.の結果より、受傷から手術まで6時間をこえる外傷性小腸破裂症例では、術後利尿期への移行の遷延や術後利尿期終了時のwater retentionの量の増加により、術後に酸素化能が低下することが予測される。このような症例に対する、周術期の膠質液投与は、術後利尿期終了時のwater retentionの量を減少させ、術後酸素化能の低下を防ぐために有用であると考えられた。

 以上、本論文は、外傷性小腸破裂症例における「受傷から手術までの時間」が術後水分移動に与える影響を定量的に示し、受傷から手術まで6時間をこえる外傷性小腸破裂症例における周術期の膠質液投与が、術後酸素化能の低下を防ぐために有用であることを明らかにした。外傷性小腸破裂症例についてこれらの知見を示した研究は現在までないことから、外傷小腸破裂症例の臨床上重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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