学位論文要旨



No 213807
著者(漢字) 竹下,暢昭
著者(英字)
著者(カナ) タケシタ,ノブアキ
標題(和) セロトニン作働薬の糖尿病性疼痛改善薬としての有用性に関する研究
標題(洋)
報告番号 213807
報告番号 乙13807
学位授与日 1998.04.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第13807号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
内容要旨

 糖尿病性神経障害は糖尿病の三大合併症の中で最も患者数が多い。その主な症状はしびれと疼痛である。糖尿病性疼痛の成因は多因子的で不明な点が多く薬物治療も試行錯誤的である。患者には種々の鎮痛薬、抗欝薬などが投与されるがその症状をコントロールすることは極めて困難であることから、有効で安全な新薬の開発が望まれている。最近、臨床で抗精神薬として用いられているチアプリド(ドパミン2受容体拮抗剤)が糖尿病性疼痛を著明に改善することが発見された。しかし、その作用メカニズムは不明である。また、糖尿病動物において持続的な痛みの評価系を用いて検討した報告は少ないことから、糖尿病性疼痛の特徴も明らかになっていない。さらに、インスリンの欠乏あるいはインスリンの作用不足が糖尿病を誘発するにもかかわらず、インスリンと痛みの関係についても不明である。そこで本研究ではマウスを用いたホルマリン試験法(足蹠にホルマリンを皮下注入すると2相性の疼痛反応を示し、第1相及び第2相がそれぞれ急性及び持続的疼痛に相当すると考えられる)を用いて、チアプリドの作用及び作用メカニズムを検討した。また、遺伝的及び実験的糖尿病マウスにおいて各種薬剤の評価を行い、糖尿病マウスにおける痛みの特徴を薬理学的に検討した。さらにインスリンの鎮痛作用の有無及び特徴を明らかにした。これらの研究は糖尿病性疼痛に有用な薬剤の創出を目指した研究の一環として行った。

ホルマリン誘発侵害刺激反応におけるチアプリドの作用及び作用機序の検討

 チアプリド(ホルマリン注入60分前に経口投与)は正常マウス、ストレプトゾトシン(STZ)で誘発した実験的糖尿病マウス(インスリン依存型、インスリン欠乏)及び遺伝的糖尿病マウス(db/db、インスリン非依存型、高インスリン血症)においてホルマリン誘発侵害刺激反応の両相に対して用量依存的に抑制作用を示し、特に第2相に対して強い作用を認めた(図1a,b,c)。また、チアプリド(100mg/kg)の抗侵害刺激作用はセロトニン(5-HT)枯渇剤p-chlorophenylalanine(PCPA)前処置によって両相ともにほぼ完全に拮抗された(図2)。さらに、5-HT受容体サブタイプを検討したところ、チアプリドの抗侵害刺激作用は5-HT1受容体拮抗剤ピンドロール及び5-HT2受容体拮抗剤ケタンセリン前処置によって拮抗されたが、5-HT3受容体拮抗剤ICS205-930前処置によっては影響を受けなかった。

図1 ホルマリン誘発侵害刺激反応におけるチアプリドの作用図2 チアプリドの抗侵害刺激作用に対するp-chlorophenylalanine(PCPA;5-HT枯渇剤)の影響

 サブスタンスP及びソマトスタチンをマウスに脊髄内投与すると、マウスはそれぞれ急性及び持続的侵害刺激反応を示した。チアプリドはこれらの神経ペプチド誘発侵害刺激反応に対して用量依存的な抑制作用を示した。有意な作用はサブスタンスPに対して320mg/kg(p.o.)、ソマトスタチンに対して100mg/kg(p.o.)で認められた。

 以上の結果より、チアプリドは糖尿病マウス及び正常マウスにおいて持続的な痛みに対してより強い抑制作用を有すること、その作用に5-HT神経系が関与することが明らかとなった。

ホルマリン誘発侵害刺激反応におけるm-CPP、FR64822及びモルヒネの作用とその作用機序の検討

 チアプリドの作用機序に5-HTが関与したことから5-HTの役割に着目した。また、ドパミン及びオピオイドにも注目し、それら作働薬のホリマリン誘発侵害刺激反応に対する作用を検討した。5-HT受容体作働薬としてmeta-chlorophenylpiperazine(m-CPP)を用いた。m-CPPは正常マウスにおいてホルマリン誘発侵害刺激反応の両相に対して用量依存的に抑制作用を示し、その作用はピンドロール及びケタンセリン前処置によって拮抗されたが、ICS205-930前処置によっては影響を受けなかった。また、m-CPPは遺伝的及び実験的糖尿病マウスにおいても正常マウスと同程度の抑制作用を示した。ドパミン2受容体を介して鎮痛作用を示すFR64822(N-(4-pyridylcarbamoyl)amino1,2,3,6,-tetrahydropyridine)は正常マウスにおいてホルマリン誘発侵害刺激反応の第2相に対してのみ抑制作用を示した。一方、FR64822は遺伝的及び実験的糖尿病マウスにおいては有意な作用を示さなかった。オピオイドを介する鎮痛薬モルヒネは正常マウスにおいてホルマリン誘発侵害刺激反応の両相に対して用量依存的に抑制作用を示した。その作用は遺伝的糖尿病マウスでは正常マウスと比較して同程度であったが、実験的糖尿病マウスでは減弱した。

 以上の結果より、m-CPPの抗侵害刺激作用には5-HT1及び5-HT2受容体が関与していることが示唆された。また、m-CPPは遺伝的及び実験的糖尿病マウスにおいて正常マウスと同様の作用を示したことから、糖尿病マウスでは5-HT神経系を介する抗侵害刺激作用は正常に機能していると考えられた。また、FR64822のホルマリン誘発侵害刺激反応の第2相に対する抑制作用は両糖尿病マウスにおいて減弱したことから、糖尿病マウスにおいてはドパミン神経系を介する鎮痛作用が減弱すると考えられた。一方、モルヒネの作用は実験的糖尿病マウスと遺伝的糖尿病マウスで差異が認められた。これらの糖尿病マウスの違いの1つは血中インスリン値であることがら、モルヒネの作用の相違にインスリンが関与している可能性が示唆された。

ホルマリン誘発侵害刺激反応におけるインスリンの作用及びその作用機序の検討

 正常マウスにおけるインスリン(皮下投与)の作用をホルマリン試験法を用いて検討したところ、インスリンは単独でホルマリン誘発侵害刺激反応の第2相に対して有意な抑制作用を示した(図3;ED50=0.62U/kg)。このとき血糖値は一過性に低下した。一方、インスリンは酢酸ライジング試験法では有効性を示さなかった。インスリンのホルマリン誘発侵害刺激反応の第2相に対する作用はオピオイド受容体拮抗剤ナロキソン、ドパミン2受容体拮抗剤スルピリド及び5-HT2受容体拮抗剤ケタンセリン前処置によって拮抗された。また、インスリンを脳室内投与したところホルマリン誘発侵害刺激反応の第2相に対してのみ用量依存的な抑制作用を示した。このとき血糖値には影響を与えなかった。

図3 正常マウスにおけるホルマリン誘発侵害刺激反応におけるインスリンの作用

 以上の結果よりインスリンはホルマリン誘発侵害刺激反応の第2相に対して抗侵害刺激作用を示すことが初めて明らかになった。その作用は一過性の血糖低下による交感神経系の活性化(オピオイド、ドパミン及び5-HT神経系の関与)によると考えられた。また、インスリンは脳室内投与により血糖値に影響することなく抗侵害刺激作用を示すことから直接的な作用も有すると推察された。

まとめ

 1)臨床で糖尿病性疼痛に有効なチアプリドが正常及び糖尿病マウスのホルマリン試験法において抗侵害刺激作用を示すことを明らかにした。また、チアプリドはソマトスタチン誘発侵害刺激反応に対しても有効性を示した。これらのことからチアプリドは持続的な痛みに対してより選択性が高いと考えられた。また、チアプリドの作用は5-HT枯渇剤及び5-HT拮抗剤で抑制されたことから5-HT神経系を介すると推察された。

 2)5-HT受容体作働薬m-CPPはホルマリン試験法で有効性を示した。m-CPPは実験的及び遺伝的糖尿病マウスにおいても正常マウスと同程度の作用を示したことから、5-HT神経系を介する抗侵害刺激作用は糖尿病マウスで正常に機能していると考えられた。一方、ドパミン2受容体を介する鎮痛剤FR64822の作用は両糖尿病マウスにおいて減弱したことから、ドパミン神経系を介する鎮痛作用は糖尿病マウスにおいて減弱していると考えられた。また、モルヒネの抗侵害刺激作用は正常マウスと比較して実験的糖尿病マウスにおいては減弱したが、遺伝的糖尿病マウスにおいて変化は認められなかった。これらモデルの違いの1つは血中インスリン値であることから、モルヒネの作用の相違にインスリンが関与している可能性が推察された。

 3)インスリンがマウスを用いたホルマリン誘発侵害刺激反応の第2相に対して抗侵害刺激作用を示すことを初めて明らかにした。その作用は末梢性及び中枢性と考えられ、オピオイド、ドパミン、セロトニン神経系が関与すると推察された。

 以上のことから糖尿病性疼痛の治療薬としてはセロトニン神経系を介する薬剤が有望であり、糖尿病マウスを用いたホルマリン試験法は糖尿病性疼痛の治療薬のスクリーニング系として有用であると考えられた。

審査要旨

 糖尿病性神経障害は糖尿病の合併症の中で最も患者数が多い。その主な症状はしびれと疼痛であり、成因は多因子的と考えられているが明らかになっていない。現在、糖尿病性疼痛を適応疾患とした薬剤はないことから、治療には鎮痛薬、抗欝薬などが使用されている。しかし、その症状のコントロールは極めて困難であり、臨床側より有効で安全な新薬の開発が切望されている。最近、抗精神薬チアプリドが糖尿病性疼痛を著明に改善することが見出されたが、その作用機序は不明である。また、糖尿病動物の疼痛に関する報告は少なく、インスリンと糖尿病の関係は明らかであるがインスリンと痛みの関係については不明である。

 本論文の目的は糖尿病マウスを用いて痛みの研究を行い糖尿病性疼痛の治療に有用な創薬の戦略を得ることにある。

 糖尿病性疼痛の評価法は確立されていない。第1章では、ホルマリン試験法を用いて臨床で使用される薬剤の鎮痛作用を糖尿病マウスと正常マウスで比較した。ホルマリン試験法はマウス足蹠にホルマリンを皮下注入し疼痛を誘発する。その反応は2相性で第1相及び第2相はそれぞれ急性及び持続的疼痛に相当することが知られている。臨床で有効なアミトリプチリン、カルバマゼピンは糖尿病マウスで有効であったが、臨床で効果の弱いインドメタシンは糖尿病マウスで無効であった。このことからホルマリン試験法が糖尿病性疼痛の評価系として有用であると考えられた。次に、チアプリドの作用を明らかにすることが新薬創出につながると考え、ホルマリン試験法を用いて検討した。チアプリドはインスリン欠乏による実験的糖尿病マウス及び高インスリン血症を示す遺伝的糖尿病マウスにおいて有効であり、特に第2相に対して強い作用を示した。この作用はセロトニン枯渇剤、5-HT1受容体拮抗剤及び5-HT2受容体拮抗剤によって拮抗されたが、5-HT3受容体拮抗剤によっては影響を受けなかった。さらに、チアプリドは持続的疼痛を誘発するソマトスタチンの作用を抑制した。これらのことからチアプリドは持続的疼痛に対して有効性を示し、その作用にセロトニン神経系が関与することを明らかにした。

 第2章では、糖尿病性疼痛治療におけるセロトニンの役割を明らかにするために5-HT受容体作働薬メタクロロフェニルピペラジンの作用をホルマリン試験法を用いて検討した。この化合物は糖尿病マウスにおいて有効性を示し、その作用はチアプリドと同様に5-HT1受容体拮抗剤及び5-HT2受容体拮抗剤によって拮抗された。これらのことから、メタクロロフェニルピペラジンの鎮痛作用には5-HT1及び5-HT2受容体が関与していることを明らかにした。

 第3章では鎮痛に関与することが知られているドパミン及びオピオイド化合物の糖尿病マウスにおける作用を明らかにするためにホルマリン試験法を用いて検討した。ドパミン系鎮痛薬FR64822(N-(4-pyridylcarbamoyl)amino1,2,3,6,-tetrahydropyridine)は糖尿病マウスにおいて無効であった。オピオイド系鎮痛薬モルヒネは遺伝的糖尿病マウスにおいて有効性を示したが、実験的糖尿病マウスではその作用は減弱した。これらのことから、ドパミン系鎮痛剤の効果は糖尿病マウスで減弱すると考えられ、糖尿病性疼痛の治療にセロトニン系鎮痛剤が有用であることが示唆された。

 第4章ではインスリンと痛みの関係を明らかにする目的でインスリンの鎮痛作用についてホルマリン試験法で検討した。インスリンは単独でホルマリン誘発疼痛の第2相に対して抑制作用を示し、このとき血糖値は一過性に低下した。インスリンの作用はオピオイド受容体拮抗剤、D2受容体拮抗剤及び5-HT2受容体拮抗剤によって拮抗された。また、インスリンは脳室内投与で血糖値に影響することなく鎮痛作用を示した。これらのことから、インスリンが一過性の血糖低下による交感神経系の活性化を介して、あるいは直接鎮痛作用を示すことを初めて明らかにした。

 以上、本研究はホルマリン試験法を用いて、1)臨床で糖尿病性疼痛に有効なチアプリドはセロトニン神経系を介して鎮痛作用を示し、その作用は持続的な痛みに対して選択性が高いこと、2)糖尿病マウスにおいてセロトニン系鎮痛剤は有効であるが、ドパミン系鎮痛剤は無効であること、3)インスリンは末梢性及び中枢性鎮痛作用を有し、オピオイド、ドパミン及びセロトニン神経系が関与することを明らかにした。

 本研究で得られた知見はセロトニン神経系を介する薬剤が糖尿病性疼痛の治療薬として有望であることを示唆するものであり、糖尿病性疼痛に関する薬理学及び創薬に貢献するものと考えられることから、博士(薬学)の学位に値すると認めた。

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