糖尿病性神経障害は糖尿病の合併症の中で最も患者数が多い。その主な症状はしびれと疼痛であり、成因は多因子的と考えられているが明らかになっていない。現在、糖尿病性疼痛を適応疾患とした薬剤はないことから、治療には鎮痛薬、抗欝薬などが使用されている。しかし、その症状のコントロールは極めて困難であり、臨床側より有効で安全な新薬の開発が切望されている。最近、抗精神薬チアプリドが糖尿病性疼痛を著明に改善することが見出されたが、その作用機序は不明である。また、糖尿病動物の疼痛に関する報告は少なく、インスリンと糖尿病の関係は明らかであるがインスリンと痛みの関係については不明である。 本論文の目的は糖尿病マウスを用いて痛みの研究を行い糖尿病性疼痛の治療に有用な創薬の戦略を得ることにある。 糖尿病性疼痛の評価法は確立されていない。第1章では、ホルマリン試験法を用いて臨床で使用される薬剤の鎮痛作用を糖尿病マウスと正常マウスで比較した。ホルマリン試験法はマウス足蹠にホルマリンを皮下注入し疼痛を誘発する。その反応は2相性で第1相及び第2相はそれぞれ急性及び持続的疼痛に相当することが知られている。臨床で有効なアミトリプチリン、カルバマゼピンは糖尿病マウスで有効であったが、臨床で効果の弱いインドメタシンは糖尿病マウスで無効であった。このことからホルマリン試験法が糖尿病性疼痛の評価系として有用であると考えられた。次に、チアプリドの作用を明らかにすることが新薬創出につながると考え、ホルマリン試験法を用いて検討した。チアプリドはインスリン欠乏による実験的糖尿病マウス及び高インスリン血症を示す遺伝的糖尿病マウスにおいて有効であり、特に第2相に対して強い作用を示した。この作用はセロトニン枯渇剤、5-HT1受容体拮抗剤及び5-HT2受容体拮抗剤によって拮抗されたが、5-HT3受容体拮抗剤によっては影響を受けなかった。さらに、チアプリドは持続的疼痛を誘発するソマトスタチンの作用を抑制した。これらのことからチアプリドは持続的疼痛に対して有効性を示し、その作用にセロトニン神経系が関与することを明らかにした。 第2章では、糖尿病性疼痛治療におけるセロトニンの役割を明らかにするために5-HT受容体作働薬メタクロロフェニルピペラジンの作用をホルマリン試験法を用いて検討した。この化合物は糖尿病マウスにおいて有効性を示し、その作用はチアプリドと同様に5-HT1受容体拮抗剤及び5-HT2受容体拮抗剤によって拮抗された。これらのことから、メタクロロフェニルピペラジンの鎮痛作用には5-HT1及び5-HT2受容体が関与していることを明らかにした。 第3章では鎮痛に関与することが知られているドパミン及びオピオイド化合物の糖尿病マウスにおける作用を明らかにするためにホルマリン試験法を用いて検討した。ドパミン系鎮痛薬FR64822(N-(4-pyridylcarbamoyl)amino1,2,3,6,-tetrahydropyridine)は糖尿病マウスにおいて無効であった。オピオイド系鎮痛薬モルヒネは遺伝的糖尿病マウスにおいて有効性を示したが、実験的糖尿病マウスではその作用は減弱した。これらのことから、ドパミン系鎮痛剤の効果は糖尿病マウスで減弱すると考えられ、糖尿病性疼痛の治療にセロトニン系鎮痛剤が有用であることが示唆された。 第4章ではインスリンと痛みの関係を明らかにする目的でインスリンの鎮痛作用についてホルマリン試験法で検討した。インスリンは単独でホルマリン誘発疼痛の第2相に対して抑制作用を示し、このとき血糖値は一過性に低下した。インスリンの作用はオピオイド受容体拮抗剤、D2受容体拮抗剤及び5-HT2受容体拮抗剤によって拮抗された。また、インスリンは脳室内投与で血糖値に影響することなく鎮痛作用を示した。これらのことから、インスリンが一過性の血糖低下による交感神経系の活性化を介して、あるいは直接鎮痛作用を示すことを初めて明らかにした。 以上、本研究はホルマリン試験法を用いて、1)臨床で糖尿病性疼痛に有効なチアプリドはセロトニン神経系を介して鎮痛作用を示し、その作用は持続的な痛みに対して選択性が高いこと、2)糖尿病マウスにおいてセロトニン系鎮痛剤は有効であるが、ドパミン系鎮痛剤は無効であること、3)インスリンは末梢性及び中枢性鎮痛作用を有し、オピオイド、ドパミン及びセロトニン神経系が関与することを明らかにした。 本研究で得られた知見はセロトニン神経系を介する薬剤が糖尿病性疼痛の治療薬として有望であることを示唆するものであり、糖尿病性疼痛に関する薬理学及び創薬に貢献するものと考えられることから、博士(薬学)の学位に値すると認めた。 |