学位論文要旨



No 213491
著者(漢字) 西山,千春
著者(英字)
著者(カナ) ニシヤマ,チハル
標題(和) ダニアレルゲン蛋白質のアレルゲン性に関する研究
標題(洋)
報告番号 213491
報告番号 乙13491
学位授与日 1997.09.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第13491号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野口,忠
 東京大学 教授 上野川,修一
 東京大学 教授 阿部,啓子
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 助教授 日高,智美
内容要旨

 近年、アトピー性皮膚炎、喘息、アレルギー性鼻炎、花粉症、春季カタルといった様々なアレルギー性疾患の発症率が増加している。これらアレルギー性疾患を引き起こす原因物質、アレルゲンとして、環境中に存在する蛋白質が次々と同定されている。アレルギー性疾患の原因の一つにハウスダスト中のダニがあげられる。ヒョウヒダニ属(Dermatophagoides)の、コナヒョウヒダニ(Dermatophagoides farinae)、ヤケヒョウヒダニ(Dermatophagoides pteronyssinus)が主にアレルギーの原因となるダニである。D.farinae、D.pteronyssinus虫体抽出物中にはアレルギー患者血清中のIgEと反応する蛋白質が多く存在しており、ここ10年ほどの間に、ヒトIgE結合活性を指標としてアレルゲン蛋白質が次々と同定されてきた。

 アレルゲン蛋白質と結合してアレルギー反応を引き起こしている免疫グロブリンはIgEである。IgEの受容体、FcRIのリガンドからの刺激は、FcRIに結合したIgEが抗原によって架橋され、受容体が凝集することによって、受容体を特異的に発現しているマスト細胞内に伝達され、細胞の活性化、脱顆粒を引き起こし、アレルギー反応を引き起こす化学伝達物質やサイトカイン等の放出に至る。従って、IgEに認識され、アレルゲンとなる蛋白質は、その分子内にIgE結合領域を2カ所以上もつ多価抗原である。

 この抗原-IgE-IgE受容体という一連の蛋白質の結合を阻害することによって、抗原特異的IgEを介したアレルギー反応を抑制することが期待され、幾つかのアレルゲン蛋白質についてIgEエピトープ領域の特定や一価のエピトープ部位の再構築が行われている。

 ダニ感受性アレルギー性疾患患者の約9割が反応する主要アレルゲンのグループ2ダニアレルゲン、Der f2、Der p2についても、決定されたアミノ酸配列を基に作製したペプチド断片を用いて、IgEやIgGのエピトープ検索が試みられた。しかし、IgEエピトープの再構築は勿論、IgEの結合部位の特定も明らかな結果が得られていない。これは、これらのダニアレルゲン蛋白質に対する抗体が結合している抗原上の領域が、短いペプチド断片では再現できない配列や構造を持っているためと考えられる。

 本研究では以上のことから、ダニ主要アレルゲンDer f2のIgE結合活性発現に重要な立体構造に関する情報を収集し、遺伝子組み換え技術を用い蛋白質の高次構造変化を抑えた方法でDer f2のIgEエピトープを特定することを試みた。更に、グループ3ダニアレルゲン蛋白質Der f3についてcDNAクローニングと活性発現を行った。本論文は、序章、五章よりなる本文、総括で構成されている。以下に本論文の内容を要約して述べる。

 序章では本研究の背景として、アレルゲン蛋白質によって引き起こされるアレルギー反応について現在明らかになっている機構を説明し、アレルゲン蛋白質のアレルゲン性に関する研究を行う意義について述べた。

 第一章ではDer f2のジスルフィド結合(S-S結合)位置の決定を行った。これは,機能、構造ともに不明であったDer f2を還元修飾することによりIgE結合能が著しく低下するという結果が報告されたことから、Der f2の持つ6つのCys残基の幾つかがS-S結合を形成して、エピトープを含む立体構造安定化に寄与していることが示唆され、Der f2の抗原決定基を検索する上でS-S結合位置は重要な情報であると判断したためである。そこで、第一章では、D.farinae虫体よりDer f2蛋白質を精製し、プロテアーゼ分解した後ペプチドマッピングを行うことによりS-S結合位置の決定を行った。その結果、6つのCys残基がCys21-Cys27、Cys73-Cys78、Cys8-Cys119という組み合わせで3つのS-S結合を形成していることが判明した。

 また、Der f2のcDNAとして全129アミノ酸残基中最大4カ所のアミノ酸残基に置換がみられる3種類の多型が得られていたが、第一章で行ったDer f2のペプチドマッピング及びアミノ酸配列決定によって、発現蛋白質においても、最大4カ所のアミノ酸配列が異なる少なくとも2種類の多型が存在していることが確認された。第二章では、これらの異なるクローン型間にアレルゲン性や蛋白質の構造安定性の相違がある可能性を期待して比較検討を行った。即ち、組み換え遺伝子操作技術を用いて3つの異なるクローン型のDer f2蛋白質を大腸菌体内に発現させた。その結果いずれのDer f2蛋白質も菌体内に封入体として蓄積されたため、大腸菌体から回収した不溶化画分について変性・再生操作を行うことによりDer f2蛋白質を可溶化した。陰イオン交換カラムを用いて精製した組み換えDer f2蛋白質について、ペプチドマッピング、CDスペクトルによって確認した二次構造は天然型と同等であった。このようにして作製した3種類のDer f2についてダニアレルゲン感受性アレルギー性疾患患者由来ヒトIgEによる結合活性を測定したところ差異は認められず、このアミノ酸残基の置換の位置、或いは種類がDer f2のヒトIgEエピトープ構造に影響するものではないことが示唆された。一方、抗Der f2モノクローナル抗体との反応性、蛋白質安定性には有意な差が認められた。

 続いて、第三章ではDer f2のヒトIgEエピトープ領域を特定するため組み換え遺伝子操作技術を用いて作製したDer f2変異体についてIgE結合活性の測定を行った。まず、N末端側、C末端側アミノ酸を欠失した変異体を作製し、それらのIgE結合活性を調べたところ、Cys8やCys119を含むアミノ酸残基を欠失した場合にDer f2の構造安定性、IgE結合活性発現共に著しく低下することが判明した。このことからS-S結合の破壊を伴う変異体を用いてはIgE結合領域の特定は困難であると考えられた。そこで高次構造変化を抑えてエピトープの検索を進めるためにアミノ酸残基を1つずつ異なるアミノ酸に置換した変異体を作製し、IgE結合能を調べた。その結果、Cys8-Cys119及びCys73-Cys78近傍、更にC末端部位側に存在するアミノ酸残基の置換がIgE結合活性を低下させる傾向が見られた。

 更に、第四章ではDer f2の結合に対してIgEと拮抗するマウスモノクローナル抗体のエピトープを検索した。モノクローナル抗体では、ポリクローナル抗体であるIgEと比べて、抗原蛋白質のエピトープを形成しているアミノ酸残基を置換することによる抗原抗体親和性への影響は著しく、わずか1アミノ酸残基への変異導入でモノクローナル抗体による結合活性の喪失が観察されることもある。この結果明らかになったIgE拮抗性モノクローナル抗体のエピトープは、Cys73周辺、Cys8-Cys119に構造保持された領域、そしてC末端部位であった。また、用いたいずれのアレルギー性疾患患者血清由来IgEに対しても拮抗性を示すモノクローナル抗体の種類やその程度が似ていることから、Der f2のIgE認識部位は患者間で共通している可能性が示された。

 第五章では、遺伝子のクローニングがまだ行われていなかったグループ3ダニアレルゲンDer f3についてもDer f2と同様の解析を行うため、cDNAクローニングと蛋白質の活性発現を行った。D.farinaeのcDNAライブラリーから、報告されているDer f3のN末側アミノ酸配列を利用したPolymerase Chain Reaction(PCR)法で作製したプローブを用いてスクリーニングを行い、最終的に50,000クローンから1つの陽性クローンを得た。Der f3前駆体蛋白質(proDer f3)のcDNAをGlutathione-S-transferase(GST)の遺伝子下流に連結した発現プラスミドを作製し、融合蛋白質として大腸菌体内に発現させた。封入体として菌体内に蓄積されていたGST-Der f3は、変性、再生操作によって可溶化し、GST除去したDer f3タンパク質にはヒトIgEとの結合活性も認められた。しかし、セリンプロテアーゼ活性は検出されず、Der f3がproDer f3から成熟型へ移行していないことが判明した。そこで、Der f3のpro領域のC末端アミノ酸残基Thrを、Der f3を含めたトリプシン様セリンプロテアーゼが高い基質特異性を示すArgに置換した変異体を作製したところ、Der f3はpro配列が自己消化的に速やかに除去され、プロテアーゼ活性も発現することが確認された。また、PCR法によるcDNAクローニングの結果、Der f3には少なくとも3種類の多型が存在することが確認された。

 以上、本論文では、抗Der f2ヒトIgE、及び、IgEとDer f2の結合において拮抗性を示すマウスモノクローナル抗体について、Der f2変異体との結合活性を調べることによりDer f2のIgEエピトープを形成するアミノ酸残基の特定を行った。その結果、Cys8とCys119近傍、Cys73周辺のアミノ酸残基、そしてC末端に位置する領域がエピトープ形成に寄与することが示唆されたが、これらの領域の立体構造保持には本論文中で明らかにされたS-S結合、特にCys8-Cys119が影響を及ぼしていると考えられる。また、Der f3については大腸菌を用いて、アレルゲン性、プロテアーゼ活性共に有する組み換え体の作製を行った。

審査要旨

 抗原特異的IgEを介したアレルギー反応は、マスト細胞上に発現しているIgE受容体に結合したIgEが抗原によって架橋され、受容体が凝集することが引き金となって引き起こされる。従って、抗原-IgE-受容体の結合を阻害することによって、アレルギー反応を抑制しうることが期待される。しかし、その目的を達成するためには、アレルゲンタンパク質のエピトープ構造についての十分な知見が必須である。本研究は、ダニのアレルゲンタンパク質であるグループ2アレルゲンDer f2のIgE結合活性発現に重要な立体構造に関する情報を収集するため、遺伝子組換え技術を用いてタンパク質の高次構造変化を抑えた方法でDer f2のIgEエピトープを特定したものである。さらに、同じくダニアレルゲンタンパク質であるDer f3についても、cDNAのクローニングとその活性発現を行ってアレルゲンとしての特性を解明しようと試みたものである。論文は序章、5章よりなる本論および総括で構成されている。

 序論で本研究の背景を述べたあと、第1章では、Der f2のジスルフィド(S-S)結合位置の決定を行った。これは、Der f2を還元修飾することによりIgE結合能が著しく低下するという報告から、Der f2の抗原決定基を検索する上でS-S結合位置は重要な情報であると判断したためである。D.farinae虫体より精製したDer f2についてペプチドマッピングを行った結果、Cys21-Cys27、Cys73-Cys78、Cys8-Cys119のS-S結合の存在を証明した。

 Der f2のcDNAとしては3種類の多型が得られていたことから、第2章では、これらについてアレルゲン性やタンパク質の構造安定性の比較検討を行った。3種類のDer f2組み換え体は、タンパク質の安定性やマウスモノクローナル抗体(mAB)との反応性が異なっていたが、ヒトIgEによる結合活性に差異は認められなかったことから、このアミノ酸残基の置換の位置や種類はDer f2のヒトIgEエピトープ構造に影響するものではないことが示唆された。

 第3章では、Der f2のヒトIgEエピトープ領域を特定するためDer f2変異体についてIgE結合活性の測定を行った。欠失体について調べた結果、Cys8やCys119を含む欠失体では構造安定性、IgE結合活性共に著しく低下することが判明した。そこでDer f2のアミノ酸残基を1つずつ異なるアミノ酸に置換した変異体についてIgE結合能を調べた。その結果、Cys8-Cys119およびCys73-Cys78近傍、さらにC末端部位側に存在するアミノ酸残基の置換がIgE結合活性を低下させる傾向が認められた。

 第4章では、Der f2の結合部位がIgEと拮抗するmAbのエピトープを検索した。この結果明らかになったIgE拮抗性mABのエピトープは、第3章の結果を支持するものであった。また、用いたいずれのアレルギー性疾患患者血清由来IgEに対してもmABの拮抗様式が似ていることから、Der f2のIgE認識部位は患者間で共通している可能性が示された。

 第5章では、Der f2のcDNAのクローニングとタンパク質の活性発現を行った。D.farinaeのcDNAライブラリーから得られたDer f3のcDNAを、glutathione-S-transferase(GST)の遺伝子下流に連結することによって、大腸菌を用いて作成したDer f3融合タンパク質にはヒトIgEとの結合活性が認められた。しかし、こうして得られたDer f3は、前駆体(proDer f3)から成熟型へ移行しておらず、Der f3のダニ生体中の機能であるセリンプロテアーゼ活性も検出されなかった。そこで、pro領域のC末端アミノ酸残基Thrを、Der f3を含めたトリプシン様セリンプロテアーゼが高い基質特異性を示すArgに置換したところ、pro配列が自己消化的に速やかに除去され、プロテアーゼ活性も発現した。また、Der f3には少なくとも3種類の多型が存在することを確認した。

 以上、本論文では、ダニのアレルゲンタンパク質であるDer f2およびDer f3に関して、Der f2についてはその変異体を作成するなど、詳細な解析でIgEエピトープ領域の特定を行ったこと、Der f3については、大腸菌を用いて、アレルゲン性、プロテアーゼ活性共に有する組み換え体の作成に成功したもので、学術上応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51055