学位論文要旨



No 213364
著者(漢字) 斉藤,みの里
著者(英字)
著者(カナ) サイトウ,ミノリ
標題(和) 腸管平滑筋のムスカリン受容体を介する収縮制御機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 213364
報告番号 乙13364
学位授与日 1997.05.12
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第13364号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 助教授 尾崎,博
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 西原,真杉
内容要旨

 ムスカリン受容体は、神経細胞、心筋、平滑筋、腺細胞などの組織に広く分布し、生体の多彩な機能に関わっている。摘出した腸管平滑筋でこの受容体を活性化すると、平滑筋は収縮する。しかし強い刺激は腸管平滑筋を収縮させた後に抑制作用を示すことが知られており、この現象は非特異的脱感作と呼ばれているが、その機構の詳細は良くわかっていない。本研究は腸管平滑筋のムスカリン受容体を介する収縮機構および収縮抑制機構の詳細を明らかにすることを目的とした。

1.ムスカリン受容体を介する収縮機構

 モルモット盲腸紐にムスカリン受容体作動薬であるカルバコールを投与すると、収縮張力は一過性に増加し、続いて持続相に移行した。高濃度K+も一過性収縮に続いて持続性収縮を発生させた。高濃度K+による収縮は、電位依存性Ca2+チャネル阻害薬であるベラパミルの投与、あるいは外液Ca2+の除去により完全に消失したため、この収縮は電位依存性Ca2+チャネルを介する外液からのCa2+流入に依存することが示された。同様の実験によりカルバコールによる持続性収縮も外液からのCa2+流入に依存することが示された。しかし、高濃度カルバコール(1M<)による一過性収縮の一部はCa2+除去液中でも残存したため、細胞内貯蔵部位からのCa2+遊離も関与するものと考えられた。

 次に、これらの収縮に関与する受容体のサブタイプについて検討した。現在、ムスカリン受容体は機能的には4種類(M1〜M4)、遺伝子レベルでは5種類(m1〜m5)に分類され、腸管平滑筋にはこのうちM2(m2)とM3(m3)の2つの受容体が存在することが報告されている。カルバコール収縮はM1受容体遮断薬(ピレンゼピン)やM2受容体遮断薬(AF-DX116)では抑制されず、M3受容体遮断薬(4-DAMP)で抑制された。したがってカルバコールによる収縮はM3受容体を介するものと考えられた。

2.ムスカリン受容体を介する収縮抑制機構

 標本にカルバコール(10nM〜100M)を投与すると、一過性収縮は濃度依存性に増加した。しかし持続性収縮は100nMまでは濃度依存性に増加したが、その後カルバコールの濃度に依存して小さくなった。Ca2+蛍光指示薬fura・2を負荷した標本にカルバコール(1M)を投与すると、細胞内Ca2+濃度と収縮は一過性に増加した後高い値を維持した。高濃度カルバコール(100M)を投与すると、一過性の細胞内Ca2+濃度と収縮の増加は低濃度カルバコールによるものに比べて大きくなったが、持続相はどちらも小さくなった。さらに高濃度K+による持続性の細胞内Ca2+濃度と収縮の増加は、高濃度カルバコール(1M<)の投与により抑制された。この結果からカルバコールは細胞内Ca2+濃度を増加させて収縮を発生させる作用だけでなく、高濃度では細胞内Ca2+濃度を減少させて収縮を抑制する作用をも有することが示された。カルバコールの抑制作用は、外液Ca2+濃度の増加やCa2+チャネル活性化薬のBay k8644を投与することにより減弱されたため、高濃度カルバコールが何らかの系を介して電位依存性Ca2+チャネルを抑制している可能性が示唆された。またこの収縮抑制作用も収縮作用と同様4-DAMPにより解除されたため、M3受容体を介するものと考えられた。

3.カルバコール以外のムスカリン受容体作動薬の作用

 M3受容体はイノシトールリン脂質代謝回転と結合し、カルバコールがこの機構を活性化することが知られている。その代謝産物であるイノシトール3リン酸は、細胞内貯蔵部位からのCa2+遊離をおこすものと考えられており、他の代謝産物であるジアシルグリセロールはCキナーゼ活性化することが知られている。ムスカリン受容体の部分活性薬であるMcN-A-343やピロカルピンは腸管平滑筋を収縮させるが、イノシトールリン脂質代謝回転の活性化作用は弱い。これらの部分活性化薬を標本に投与するとその持続性収縮は濃度依存性に増加し、高濃度カルバコールのような持続性収縮の低下作用は認められなかった。さらに高濃度K+収縮の一過性増強作用および収縮抑制作用も認められなかった。このため、カルバコールの抑制作用にイノシトールリン脂質代謝回転(特にCキナーゼ)が関与している可能性が考えられた。しかし、カルバコールと同様にイノシトールリン脂質代謝回転を活性化するアセチルコリンには一過性の高濃度K+収縮増強作用は認められたもののカルバコールのような収縮抑制作用は認められず、カルバコールがイノシトールリン脂質代謝回転以外の情報伝達系を介して抑制作用を発現している可能性も考えられた。

4.Cキナーゼ活性化薬の作用

 静止状態においてCキナーゼを活性化するホルボールエステル(12-deoxyphorbol 13-isobutyrate;DPB)を投与しても、細胞内Ca2+濃度や静止張力には全く影響しなかった。しかし高濃度K+や高濃度カルバコールで標本を収縮させた後にDPBを投与すると細胞内Ca2+濃度はゆっくり減少し、収縮は一過性に増強された後やはりゆっくり減少した。低濃度カルバコール存在下ではDPBにより細胞内Ca2+濃度は急速に静止値まで減少し、それに伴って収縮も完全に抑制された。このような成績からDPBは静止値の細胞内Ca2+濃度には影響せず刺激による細胞内Ca2+濃度の増加を抑制すること、またDPBは細胞内Ca2+濃度が高い時には収縮を増強するが、細胞内Ca2+濃度の減少が速いとこの増強作用が隠されてしまうことが示された。DPBは電位依存性Ca2+チャネルを抑制しないという報告があることから、このDPBによる細胞内Ca2+濃度の減少作用はCa2+ポンプの活性化による可能性が考えられた。

 次にDPBによる収縮の増強作用を黄色ブドウ球菌毒素で脱膜化した標本で検討した。この標本にCa2+(100nM〜100M)を投与すると、濃度依存性に収縮が発生した。DPB(1M)存在下では、この用量反応曲線が低濃度Ca2+側に移動した。近年、ホルボールエステルの作用が脱リン酸化酵素の抑制を介する可能性が報告されている。このためDPBが脱リン酸化酵素を抑制し、ミオシン軽鎖のリン酸化を増加させることで収縮蛋白質のCa2+感受性を増加させるものと考えられた。さらにこの作用が生筋での初期の収縮増強作用につながるものと考えられた。

5.Cキナーゼをダウンレギュレートした標本での反応

 ホルボールエステルで細胞を長時間処理すると、Cキナーゼ量の低下と活性の消失がおこることが知られている。DPBによるK+収縮の増強作用およびその後の抑制作用は、標本をDPBで24時間処理しても完全には消失しなかったが、DPBと比べCキナーゼ活性作用の強いホルボールエステル(phorbol 12-myristate 13-acetate;TPA)で24時間処理することにより消失した。このためホルボールエステルによるCa2+ポンプの活性化および脱リン酸化酵素の抑制作用はどちらもCキナーゼの活性化を介するものと考えられた。

 次にTPA処置した標本における収縮薬の作用を、TPAの溶媒(DMSO)で24時間処置した対照標本と比較検討した。高濃度K+およびアセチルコリン収縮はTPAで処置してもその大きさも波形も全く変化しなかった。またカルバコールによる一過性収縮の大きさも対照と変わらなかったが、高濃度カルバコール(1〜100M)による一過性収縮の低下は対照に比べ有意に速かった。また持続性収縮は対照に比べ有意に大きくなった。他方低濃度カルバコールによる持続性収縮はTPA処置により変化しなかった。また高濃度カルバコールによる高濃度K+収縮抑制作用は、TPA処置により明らかに減弱した。これらの結果から高濃度カルバコールによる抑制作用の少なくとも一部はCキナーゼの活性化を介すること、一方Cキナーゼの活性化が対照標本の一過性収縮の低下を遅延させていることが示された。

6.Cキナーゼを介さない収縮抑制機構

 TPA処置した標本において、高濃度カルバコール(100M)による高濃度K+収縮抑制作用は減弱されたものの、初期の抑制が一部残存した。このため高濃度カルバコールによる抑制作用にはCキナーゼを介さない機構も存在する可能性が考えられた。腸管平滑筋において高濃度カルバコールが電位依存性Ca2+チャネルを抑制することが報告され、さらにIP3による筋小胞体からのCa2+遊離が電位依存性Ca2+チャネルを不活化するという報告もある。このためカルバコールはCキナーゼを介さずに電位依存性Ca2+チャネルを抑制して、一過性に収縮を抑制するものと考えられた。

7.まとめ

 以上の成績から、腸管平滑筋におけるムスカリン受容体を介する収縮制御機構は以下のようにまとめられる。モルモット盲腸紐に存在するムスカリン受容体はM3型であり、この受容体を刺激すると外液からCa2+が流入し、筋収縮が発生する。強い刺激はCa2+流入作用に加えてイノシトールリン脂質代謝回転を活性化し、その結果生じるイノシトール3リン酸は細胞内貯蔵部位からCa2+を遊離し、収縮を引き起こす。一方、高濃度カルバコールはCキナーゼを介してCa2+ポンプ活性化し、細胞内Ca2+を減少させることにより収縮を抑制する。またCキナーゼを介して一過性収縮から持続性収縮への移行を遅延させる。さらにCキナーゼを介さない一過性の収縮抑制作用も活性化する。

 しかし、アセチルコリンはイノシトールリン脂質代謝回転を活性化するにもかかわらずCキナーゼを介する収縮抑制作用もCキナーゼを介さない一過性の収縮抑制作用も示さなかったので、カルバコールはアセチルコリンとは別の情報伝達系を介してCキナーゼを活性化しているものと考えられた。

審査要旨

 ムスカリン受容体は、神経細胞、心筋、平滑筋、腺細胞などの組織に広く分布し、生体の多彩な機能に関わっている。摘出した腸管平滑筋でこの受容体を活性化すると、平滑筋は収縮する。しかし強い刺激は腸管平滑筋を収縮させた後に抑制作用を示すことが知られており、この現象は非特異的脱感作と呼ばれているが、その機構の詳細は良くわかっていない。本研究は腸管平滑筋のムスカリン受容体を介する収縮機構および収縮抑制機構の詳細を明らかにすることを目的としている。

 モルモット盲腸紐にムスカリン受容体作動薬のカルバコール(10nM〜100M)を投与すると、一過性収縮に続いて持続性収縮が発生した。一過性収縮は濃度依存性に増加したが、持続性収縮は100nMまで濃度依存性に増加した後、高濃度では逆に濃度に依存して小さくなった。蛍光Ca2+指示薬fura-2を負荷した標本において高濃度カルバコールによる一過性の細胞内Ca2+濃度の増加と収縮は低濃度カルバコールに比べて大きかったが、持続相はどちらも小さかった。さらに高濃度K+による持続性の細胞内Ca2+濃度と収縮の増加は、高濃度カルバコールの投与により抑制された。この結果からカルバコールは細胞内Ca2+濃度を増加させて収縮を発生させる作用だけでなく、高濃度では細胞内Ca2+濃度を減少させて収縮を抑制する作用をも有することが示された。またこの収縮作用と収縮抑制作用はどちらもムスカリンM3受容体を介していた。

 M3受容体がイノシトールリン脂質代謝回転と結合していること、さらにその代謝産物のジアシルグリセロールはCキナーゼ活性化することが知られている。このためカルバコールの作用にCキナーゼが関与している可能性が考えられた。Cキナーゼの活性化薬であるホルボールエステル(12-deoxyphorbol 13-isobutyrate;DPB)は、静止状態の細胞内Ca2+濃度や静止張力には影響しないが、刺激による細胞内Ca2+濃度の増加を抑制すること、また細胞内Ca2+濃度が高い時には収縮を増強することが示された。このDPBによる細胞内Ca2+濃度の減少はCa2+ポンプの活性化によるものと考えられた。黄色ブドウ球菌毒素で脱膜化した標本にCa2+を投与すると、濃度依存性に収縮が発生した。DPB存在下では、この用量反応曲線が低濃度Ca2+側に移動し、DPBが収縮蛋白質のCa2+感受性を増加させることが示された。またこの収縮増強作用は脱リン酸化酵素の抑制によるミオシン軽鎖リン酸化の増加によるものと考えられた。

 細胞をホルボールエステルで長時間処理すると、Cキナーゼ量の低下と活性の消失、すなわちダウンレギュレーションがおこることが知られている。このダウンレギュレーション標本において高濃度K+およびアセチルコリン収縮は対照と変わらなかったが、DPBによる高濃度K+収縮増強作用およびその後の抑制作用は消失した。また、カルバコールによる一過性収縮の大きさは変わらなかったが、高濃度カルバコールによる持続性収縮は対照に比べ有意に大きくなり、さらに高濃度カルバコールによる高濃度K+収縮抑制作用は一部減弱された。これらの結果から高濃度カルバコールによる抑制作用の少なくとも一部はCキナーゼの活性化を介すること、しかし高濃度カルバコールの抑制作用にはCキナーゼを介さない機構も存在する可能性が考えられた。また、アセチルコリンはイノシトールリン脂質代謝回転を活性化するにもかかわらずCキナーゼを介する収縮抑制作用もCキナーゼを介さない一過性の収縮抑制作用も示さなかったので、カルバコールはアセチルコリンとは別の情報伝達系を介しているものと考えられた。

 以上を要するに、本論文はモルモット盲腸紐に存在するムスカリン受容体はM3型であり、この受容体を刺激すると外液からCa2+が流入し、筋収縮が発生すること、一方高濃度カルバコールはCキナーゼを介してCa2+ポンプ活性化し、細胞内Ca2+を減少させることにより収縮を抑制すること、さらにCキナーゼを介さない一過性の収縮抑制作用も関与することを明らかにした。これらの発見は平滑筋の生理、薬理学的特性を明らかにする上で重要であり、学術上、応用上、貢献するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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