学位論文要旨



No 213222
著者(漢字) 中村,嘉宏
著者(英字)
著者(カナ) ナカムラ,ヨシヒロ
標題(和) ペプチド伸長因子からみたトリパノソーマの系統的位置
標題(洋) Phylogenetic Position of Trypanosoma Inferred from Protein Phylogenies of Peptide Elongation Factors
報告番号 213222
報告番号 乙13222
学位授与日 1996.11.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第13222号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 芳賀,達也
 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 教授 石川,統
 東京大学 教授 小島,荘明
 東京大学 助教授 小林,一三
 東京大学 助教授 岸野,洋久
内容要旨

 本論文は、RT-PCR法でトリパノソーマ・クルジのペプチド伸長因子EF-1とEF-2のコーデング領域の9割以上にわたると考えられる部分を増幅し、その塩基配列を決め、推定アミノ酸配列から、タンパク質分子系統樹の最尤推定法によって、主としてミトコンドリアを持たない原生生物であるランブル鞭毛虫(ディプロモナス)、エントアメーバと、ミトコンドリア(キネトプラスト)を持つトリパノソーマの系統関係について検討したものである。

 真核生物の起源や、真核生物が細胞内諸器官をどのような過程で獲得したかなどの真核生物の初期進化を知るためには、原生生物の系統関係を明らかにしておくことが重要である。従来、原生生物の分子進化的な系統関係は、リボソーム小亜粒子RNA(SrRNA)の塩基配列に基づいて研究されきて、かなりのSrRNAのデータが蓄積されている。しかし、SrRNAの塩基組成は近縁の生物種間でも著しく異なることがよくあり、このGC含量の偏りのため系統樹推定の時に誤りを犯す危険性があることが指摘されてきたが、この偏りを塩基レベルで有効に補正する方法はまだ存在しない。そのため、塩基組成の偏りの影響を比較的受けないと考えられる保存的タンパク質のデータに基づく原生生物の系統関係の再検討が望まれてきた。

 図1に1993年にLeipe等によって発表されたSrRNAの系統樹を示す。これによると、ミトコンドリアを持たない原生生物である微胞子虫(Vairimorpha necatrix,SrRNAのGC含量37%)が原生生物としては最初に分岐し、この後にトリコモナス(Tritricomonas foetus,42%)、ディプロモナス(Giardia lamblia,75%とHexamita inflata,51%)が分岐し、その次にトリパノソーマ(Trypanosoma cruzi,51%)がユーグレナ(Euglena glacilis,57%)とクレードを組んで分岐し、ミトコンドリアを持たないエントアメーバ(Entamoeba histolytica,38%)はミトコンドリアを持ついくつかの原生生物が分岐した後で高等真核生物に至る系統から別れたことになっている。

図1.SrRNAの系統樹.Leipe et al. No1.Biochem.Parasitol. 59,41-48(1993)より転載。

 ところが、図2に示すように、4種の原生生物のEF-1で使われている塩基とアミノ酸との組成分布を見てみると、すべてのアミノ酸および1番目、2番目のコドンで使われている塩基は標準誤差の範囲に入っているのだが、3番目のコドンで使われている塩基はFF-1のような保存的なタンパク質でもゲノムのGC含量の偏りの影響をもろに受けていることが分かる。しかし、これをアミノ酸に翻訳するとゲノムのGC含量の偏りの影響から比較的自由であると期待される。これが本論文でタンパク質のデータで系統関係の再検討を行っている理由である。

図2.EF-1のアミノ酸組成、塩基組成分布

 推定アミノ酸配列を決め、トリパノソーマ・クルジ(T)のEF-1およびEF-2を動物・菌類(AF)、植物・緑藻(PG)、細胞性粘菌(D)、エントアメーバ(E)、ランブル鞭毛虫(G)、古細菌(O)のEF-1およびEF2のおのおのとアライメントし、この7個のOTUで可能な945通りのトポロジーに対して、遷移確率行列としてJTTモデルを使い尤度を計算した。その結果、古細菌をアウトグループとしたときEF-1では1個の最尤系統樹と、最尤系統樹から尤度が1S.E.の範囲内で否定できないトポロジーが47個、EF-2では1個の最尤系統樹と、最尤系統樹から尤度が1S.E.の範囲内で否定できないトポロジーが46個存在した。このうち41個はEF-1とEF-2で共通するトポロジーであった。これらから次のことが分かった。

 1.EF-1の最尤系統樹(図3)はO(G(E(AF(T(D,PG)))))で、この系統樹のブートストラップ確率は21%であった。しかし、図3、表1に示したようにランブル鞭毛虫が最初に分岐した原生動物であるとするブートストラップ確率は74%、かつその後からエントアメーバが分岐したとするブートストラップ確率は68%であった。しかし、ランブル鞭毛虫の次にエントアメーバとトリパノソーマとがクレードを組んで分岐したとするブートストラップ確率も10%あり有意に否定できない。トリパノソーマのほうがエントアメーバよりも早く分岐したとするSrRNAの最尤系統樹、O(G(T(E(D(AF,PG))))))は有意に否定される。

図3.EF-1の最尤系統樹

 2.EF2の最尤系統樹(図4)はO(G(D(PG(AF(E,T)))))で、この系統樹が実現するブートストラップ確率は15%であった。ランブル鞭毛虫が最初に分岐した原生動物であるとするブートストラップ確率は89%であったが、その次に分岐した生物が細胞性粘菌(31%)なのか、クロレラ(27%)なのかエントアメーバ(22%)なのか確定できない。しかし、EF2の解析結果からもSrRNA最尤系統樹は、有意に否定された。

図4.EF-2の最尤系統樹

 3.細胞性粘菌のデータを除いて(理由は論文参照)解析すると、EF-1とEF-2の最尤系統樹は同じトポロジーO(G(E((T,PG)AF))))になり、両者を総合評価すると84%のブートストラップ確率でこのトポロジーが支持される。トリパノソーマはエントアメーバより後で分岐した生物であることが示唆される。

表1.EF-1,EF-2の各種トポロジーに対するブートストラップ確率
審査要旨

 本論文は、トリパノソーマ・クルジのペプチド伸長因子EF-1とEF2のアミノ酸配列を決定し、タンパク質分子系統樹の最尤推定法によって、ミトコンドリアを持たない原生生物であるランブル鞭毛虫(デイプロモナス)及びエントアメーバと、ミトコンドリア(キネトプラスト)を持つトリパノソーマの系統関係について検討したものである。

 真核生物の起源や、細胞内諸器官の獲得などの真核生物の初期進化を知るためには、原生生物の系統関係を明らかにしておくことが重要である。従来、原生生物の分子進化的な系統関係はリボソーム小亜粒子RNA(SrRNA)の塩基配列に基づいて研究されてきた。しかしRNAを用いた場合、GC含量の偏りのため系統樹推定に誤りを犯す危険性がある。そのため、塩基組成の偏りの影響が少ない、保存的タンパク質のデータに基づく原生生物の系統関係の再検討を試みたものである。

 トリパノソーマ・クルジ(T)のEF-1及びEF2の推定アミノ酸配列を決め、動物・菌類(AF)、植物・緑藻(PG)、細胞性粘菌(D)、エントアメーバ(E)、ランブル鞭毛虫(G)、古細菌(O)のEF-1及びEF2の配列と比較した。7種についての可能な並べ方945通りに対して尤度を計算し、EF-1及びEF2各々について1個の最尤系統樹と有意に否定できない系統樹46-47種を決定した。その結果を、SrRNAの塩基配列を用いて決定した系統樹(SrRNA最尤系統樹)と比較した。SrRNA最尤系統樹では、ミトコンドリアを持たないランブル鞭毛中が初めに高等真核生物に至る系統から分岐し、ついでトリパノソーマを含むミトコンドリアを持ついくつかの原生生物が分岐し、次にミトコンドリアを持たないエントアメーバが分岐したことになっている。これに対し、本研究で求めたEF-1及びEF2の最尤系統樹から以下の結果が得られた。

 (1)トリパノソーマのほうがエントアメーバよりも早く分岐したとするSrRNA最尤系統樹は、EF-1とEF2いずれを用いた推定からも有意に否定された。(2)EF-1とEF2の最尤系統樹は、細胞性粘菌のデータを除いて、同じトポロジーO(G(E((T、PG),AF))))であった。(3)この結果及び他の原生生物についての結果は、トリパノソーマがランブル鞭毛虫の次に早く分岐した原生生物であるというSrRNA最尤系統樹の主張を支持せず、真核生物進化の比較的後の段階でトリパノソーマがほかの原生生物から分かれたことを示唆した。

 なお、本論文の結果は、長谷川政美、橋本哲男、釜石隆、中村文規、岡本謙一、足立淳氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

 以上のように、本論文で得られた結果は,今後真核生物の起源と進化を論ずる上で資するところが大きいと思われ,博士(理学)の学位授与の要件を充たしていると判断できる。

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