1.本論文は、「日本における電力業の発展過程を経営史的に研究すること」を課題とする著者が、これまで発表してきた論文に加筆し、集大成したものである。その構成は、以下の通り。
終章総括と展望 まず、著者は、序章において、電力業を対象とする理由を、日本の経済発展に果たした電力業の質・量両面からみた貢献度の大きさにあることを明らかにしたうえで、さらに、日本電力業の発展過程の大きな特質が、国際比較の視点から見て、基本的には民営形態で営まれてきた点に求めることができることを指摘し、そうした特質をもつ日本電力業の分析に当たっては、「民間電力会社や電力業経営者の主体的活動をも視野に入れる経営史的手法を採用する」必要があると、経営史的分析視角をとる理由を説明している。
以上の「課題と視角」に沿って、本書は、民営形態に着目し「電力業経営の自立性」を検証する第I部と、そのなかで、電力業の代表的経営者として業界をリードした松永安左ヱ門の役割に注目する第II部とから構成されている。このうち、第I部では、研究史上の通説を批判するかたちで、電力業経営の自立性を阻害したと目されてきた諸主体(財閥、官僚、GHQ、通産省)の真の影響力の検討が進められ、著者の主張する「電力経営の自立性」が明らかにされる。また、第II部では、日本の民間電力会社内に蓄積された経営能力を最も典型的なかたちで体現する人物だったと著者が見る松永安左ヱ門に焦点を紋り、彼の電力国家管理への抵抗、第2次大戦後の電気事業再編成の過程におけるリーダーシップなどを検討し、電源開発や資金調達面での革新性、電力統制構想の先見性、電気事業再編成・再々編成問題での指導力などを明らかにする、という構成をとっている。
2.第1章「戦前期日本電力業の資金調達と財閥」では、第2次大戦以前の時期の電力業の資金調達過程を豊富な資料収集に基づいて分析し、(1)電力業の資金調達が1920年代まで「一種の反循環的性格」を持ち、以後その特徴が希薄化したこと、(2)資金調達方法が1920年代前半から社債へと移行したこと、(3)さらに20年代後半にはいると外債発行が有力な資金調達手段となったが、その背景には、アメリカ証券発行市場の巨大化などの有利な条件があり、これを生かすために外債発行会社が積極的な活動を展開したことを明らかにする。また、(4)研究史上で強調されてきた東京電灯に対する三井銀行・三井財閥の経営関与・介入については、「電力資本の支配を企図したものではなく、債権保全のための一時的措置であった」ことを明らかにしている。
第2章「電力統制・国家管理と財閥・官僚」では、(1)「1932年5月に5大電力が結成したカルテル組織である電力連盟は、諸資本の共同行為による競争の意識的制限という点で、明らかに成果をあげた」こと、(2)電力業の公的規制機関である電気委員会(1932年12月発足)は、電力連盟と相互に連携して活動していたこと、(3)その背景として、この時期の電力業経営者が「豊富で低廉な電力供給」という社会的要請に対応して行動したことが明らかにされる。こうして公的規制と私的独占の対立という構図は排除されるが、他方で、(4)成立した電力連盟を中心とする共同行為は関西地区における単一電力企業の形成には否定的な影響を及ぼし、業界内に国家管理を受け入れる潮流を生んだことも指摘されている。また、(5)電力国家管理に関する研究史の検討を通して、もし上述のような社会的要請が国家管理の経済的必然性を示すものだとしたら、なぜ戦後において再び民営形態に基づく再編成が行われるかを説明できないとの論点も提示されている。
第3章「電力事業再編成とGHQ」では、この再編成が、(1)電力行政の所管についてではなく、「国際的にみても珍しい民間大企業」を成立させたという企業形態の面で長期的な影響を与える大きな意味を持ったこと、(2)そのような再編成のプラン作成の担い手となったのは、松永安左ヱ門であり、GHQという外圧ではないことが明らかにされる。
第4章「民営9電力と通産省」は、再編成以後の電力業の動向が通産省との関係を視野に入れつつ概観され、民間電力企業の私的性格と公益事業である電力業の公的性格との相克が論じられる。その結論は、(1)高度成長期に民間9電力企業は、その自立性を保持しつつ「低廉で安定的な電力供給」を基本的には達成したが、(2)1971年以降には立地問題の深刻化や2度の石油危機の発生のなかで、政府との距離が縮まり経営の自立性が後退しつつある、というものである。
次いで、第II部「松永安左ヱ門の役割」では、以上の検討から明らかになった「電力業経営の自立性」の根拠となる「民間企業内に蓄積された経営能力」が検討の俎上にのせられることになる。まず、第5章「電源開発や資金調達における革新」では、「豊富で低廉な供給」の鍵を握る電源開発とコスト削減(とりわけ資金コストの削減)に対する電力業経営者の行動が検討され、(1)水力中心の電源開発を追求し国営や発送電と配電の分離を提唱した福沢桃介に対して、松永は一貫して水火併用の開発・民営・発送配電一貫経営を主張していたこと、こうした考えに基づいて、(2)松永は、1922年以降、東邦電力の経営にあたって資金コストの低減に重点をおいて、株式配当率の抑制や社債依存度の上昇、さらに、内部留保の充実、優先株の発行などの対応策を講じたこと、(3)その成果への自信が、松永の電力国家管理への抵抗を支えたこと、などが指摘される。
第6章「先見的な電力統制構想と国家管理への反対」は、松永が1928年に明らかにした「電力統制私見」を、他の有力電力企業経営者の考え方と比較しながら検討し、(1)松永の見解が電力業の公益性を認識したうえでの先見性を有していたこと、(2)その構想の実現を阻んだのは関西地区の地方的合同の遅れであったことなどが指摘され、さらに、(3)経済的な必然性を持たず、経営者の創意工夫を封殺し、水力偏重という開発方式によって供給の安定性や発電コストに問題を生ずるなどの弊害を伴った国家管理が実現した条件は、国家主義的、全体主義的イデオロギーの台頭という「経済外的要因」に求められると結論される。
第7章「電気事業再編成過程におけるリーダーシップと再々編成問題への対応」では、(1)1949年に電気事業再編成審議会会長に就任して第一線への復帰を果たした松永が、民間9電力体制の成立に至る過程で、再編成プラン作成の主役の役割を果たしたことが明らかにされる。第I部第3章に対応した部分であるが、そこで簡略化された「事実経過」の部分が詳細に跡づけられている。また、(2)1958年以降の電力再々編成問題に関する松永の態度も、広域運営を主張した9電力会社との対立ではなく、民営形態擁護という9電力と共通の視点からの意見として理解すべきことが主張されている。
終章「総括と展望」は、これまでの分析について、著者が重要と考える論点に即して議論が要約され、さらに71年以降の新たな事態に対して9電力が「高度成長期までに示したような企業活力を発揮して、「低廉な電気供給」を再構築」できなければ、「企業形態の改変をめぐる議論が再燃する可能性が強い」との展望を述べて結びとしている。
3.以上のような内容をもつ本論文の特徴は、第1に、電力業史の通説的な見解を批判的に検討し、(1)「1880年代に成立した日本の電力業は、1939年〜51年の国家管理期と1971年以降の時期を除いて、総じて事業経営の自立性を確保し、日本経済の発展に寄与した」こと、(2)「それを可能にした主たる要因は民間電力会社内に蓄積された経営能力であり、松永安左ヱ門はその典型的な体現者であった」ことなどの新たな電力業史像を提供したことであろう。とくに、「電力業経営の自立性」については、(1)通説において、財閥による電力業支配の論拠とされてきた1927〜30年の三井銀行による東京電灯の経営への介入が、電力資本の支配を企図したものではなく、債権保全のための一時的措置であったと結論づけたこと、また、(2)電力国家管理を、「豊富で低廉な電力供給」をめざす官僚ないし財閥が、個別資本的立場に執着する電力資本を抑え込んだ過程として理解する伝統的な見方に対して、「日本電力業にとって電力国家管理は、経済的必然性をもたない長い回り道であった」と評価したことなどの著者の主張は、きわめて明快で斬新である。
特徴の第2は、経営史的視点を生かして松永安左ヱ門という1人の経営者に注目しながら、上述のような通説的見解への批判を展開したことである。ここで著者が強調するのは、松永に代表される電力業経営者が、電力業の将来像-とりわけ企業形態や産業組織のあり方についてのビジョン-に関して、優れた構想力を発揮し、民営・発送配電統合・地域独占を骨子とする、国際的には例を見ない独特の電力企業・電力産業のあり方を決定づけたことである。産業史と経営史という2つの研究領域をどのように架橋するかについては議論があり得るが、この点で本論文は、注目すべき方法的な試みと評価できる。
第3は、その歴史研究としての実証的密度の高さという点である。とくに、(1)第1章の電力各社の資金調達に関する膨大な統計データの整理、(2)同じく第1章の電力外債の発行に関する諸条件の検討、(3)電力連盟の活動分析、(4)GHQの動向を含めた再編成の諸プランの検討過程の史実確定などについては、すでに単独の論文として発表され、その際、高い評価を得ているものであるが、著者の研究の精密・丹念な実証性を示すものとして高く評価できるものである。
その反面、本論文にも問題点がある。第1に、本論文が通説を批判する論争的なスタイルをとっているためもあって、部分的には実証面で不十分と思われる点が残っていることである。例えば、第3章の国家管理に関する部分は、研究史批判にとどまっており、分析不足の一部は第6章の後段で補われているとはいえ、電力国家管理の展開を正面から論じるという点では十分とはいえない。そのため、電力国家管理に関する著者の「長い回り道」との評価には異論が残った。また、第4章の検討は概説的にすぎて他章とのバランスを欠いている印象がある。その結果、戦後の9電力体制が、経営的な自立性を示したという著者の主張について、資金面での財政資金等への依存などをどのように評価するかについて十分な議論が尽くされたとはいえない。
第2に、著者が強調する松永安左ヱ門の役割についても、松永の先見性を支えた基盤が「日本の電力業の技術的、歴史的条件に関して、広く深い理解」であったとされているが、本論文では、こうした見方の妥当性については十分な検討がなされているとはいえない。産業史研究としては、分析が「経営者と資金調達」に偏っており、総じて電力生産の具体的条件についての検討は希薄だからである。著者はそうした分析の限定を意識的に行うことによって、経営者の示した優れた構想力とその実現への着実な歩みを明らかにしたが、その反面で、産業発展の条件を検討するという面で物足りなさを残した。
第3に、著者の方法的な特徴というべき「経営史的視角」についても、経営者の構想力という観点に偏っており、より広く企業活動の諸側面に光をあてることが必要ではないかと考えられる。本論文において試みられた意欲的な方法的な提言が、著者によってさらに発展させられることを期待したい。
4.以上のような問題点があるとはいえ、本論文が日本電力業の歴史的分析として、これまでの研究を越える新たな知見をもたらし、日本経済史・経営史研究の発展に貢献したことは、疑問の余地がない。従って、審査委員会は、橘川武郎氏が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。