学位論文要旨



No 212957
著者(漢字) 矢部,尚登
著者(英字)
著者(カナ) ヤベ,ナオト
標題(和) シロイヌナズナHSP90ファミリー遺伝子HSP81の転写制御機構の分子遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 212957
報告番号 乙12957
学位授与日 1996.07.15
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第12957号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 教授 東江,昭夫
 東京大学 教授 内宮,博文
 東京大学 助教授 長谷,あきら
 東京大学 助教授 高橋,陽介
内容要旨

 植物は個体として能動的な移動能力を持たないが故に厳しい外部環境の変化に対応して個体を維持、分化・成長してゆかねばならない。植物をとりまく外部環境因子としては光、温度、水分、養分等がありそれらに対する植物の生理的な応答については古くから研究がなされてきた。突然変異体の解析、ディファレンシャル法等による数多くの環境応答性遺伝子の単離、動物・酵母の系からの類推による相同遺伝子の単離などにより植物の外部環境因子に対する応答、情報伝達系の構成要素に関する情報は蓄積されつつあるが、一連の経路として明らかにはされたものは未だ少ない。本研究は植物の環境応答、発生分化の過程で特異的に起こる転写制御の機構の解析を通して植物の情報処理・制御システムの解明を目指した。研究を進める上の環境応答性遺伝子のモデルとして、生理的条件下でも大量に発現している分子種が知られ、熱ショック応答のみならず常温での情報伝達系にも関与していることが哺乳類の系などで示唆されているHSP90ファミリーを用いる事とした。

結果と考察1.構成型HSP81-3遺伝子の発現様式の解析

 既知の構成型HSP81-2遺伝子の上流にタンデムに位置しHSP90ファミリーを構成する第3の遺伝子として単離したHSP81-3について、これを含み更に上流側にのびるHS813-2を単離した(図1)。HSP81-3転写調節領域とレポーター遺伝子GUSと翻訳レベルで融合し導入した形質転換植物を独立に20ライン以上作成し、発色基質を用い組織化学的にHSP81-3の発現様式を解析した。その結果をHSP81-1,81-2GUSの融合遺伝子導入植物で得られた結果と併せて図2、3に示す。HSP81-3はHSP81-2と極めて類似した発現様式を示し、常温においては花粉とタペータム細胞、主根および側根の根端分裂組織から伸長領域にかけた領域で器官特異的な染色が認められ、35℃2時間の熱処理を行った植物ではその器官特異的発現様式を保ったまま、染色強度の上昇が認められた。これはHSP81-2同様、HSP81-3においても熱ショックによる転写誘導よりも上位の器官特異的制御が行われていることを示唆しており、他の熱ショック遺伝子では知られていないHSP81特有の制御機構である。また、葯の内部の染色は雄蕊の原基のかなり初期の段階から成熟花粉に至るまで認められ、花粉の発育ステージでの有為な差異は認められなかった。

 転写産物の蓄積レベルではHSP81-2,81-3がともに0.1M NaClで誘導を受けることから、それが塩ストレスによるものか浸透圧ストレスによるものなのかを確認するため0.2Mマンニトール処理も行った。その結果HSP81-2はNaClのみで誘導を受け、81-3では両者に有為な差は認められなかった(図4)。

2.HSP81遺伝子転写制御因子の単離と解析

 HSP81-2,81-3が熱誘導よりも上位の器官特異的転写制御を受けていることが示唆されたことから上流因子の解析を行い、熱ショック時の転写に関わっている熱ショック因子以外の転写調節因子を抽出することで,このHSP90遺伝子の特異な発現制御のシステムを解明できると考えた。

a)転写調節領域の必要十分性の確認

 上流因子の解析を行うに当たり、形質転換植物作成に用いたプロモータ領域が組織特異的発現に必要十分な領域を含んでいるかを確かめるため、各遺伝子特異的な35SラベルcRNAプローブを用いて、常温のシロイヌナズナ花冠部でin situ hybridizationを行った(図5)。センスおよび81-1プローブでは有意な組織特異的なシグナルは認められないが、81-2,81-3アンチセンスプローブでは雄蕊の原基および葯の内部に強いシグナルが認められ,GUS組織化学染色の結果と矛盾しなかった。これにより、この領域が器官特異的な転写制御領域を含んでいると考えられるため、この領域を用いて上流因子の検索を行うこととした。

b)one-hybrid法の導入

 上流因子の検索においてはサウス・ウエスタン法などが用いられ、実際に複数の転写因子がクローニングされている。しかしながら、この方法はかなり強い相互作用を持つものしか単離が困難である、複合体をつくるものはホモダイマーしか単離出来ない等の問題点があるとされている。そこで、酵母の細胞内でよりin vivoに近い状態でDNA-蛋白相互作用を検出できるone-hybrid法を改変した方法を用いた。HSP81プロモーター/GUS融合遺伝子を多コピー系プラスミドYEplac181につなぎ、S.cerevisiae RAY3A株に導入、各コンストラクトの常温での活性を接合型ごとに測定した(表1)。全ての接合型で81-1が最も活性が高く81-2,81-3はそれよりも1桁以上低い活性しか示さなかった。これらの結果は植物の中での傾向と異なり、HSEの保存性と活性が並行関係にある(図6)。これはヘテロの系でのアーティファクトの可能性もあるが、HSE以外の因子がHSP81-2,3遺伝子の発現制御に必要である可能性を示唆していると考えた。

 さらに各コンストラクト毎に熱処理に対する反応性を検討した。その結果81-2が40℃の熱処理で25℃の約170倍の活性を示し顕著な誘導を受けた。これに対し81-1ではその活性は25℃のときが最も高く、熱ショック処理温度を上げるに従って活性の低下がみられ、81-3では誘導温度による有為な活性の差は認められなかった(図7)。

 ここまでの結果を踏まえた上で、常温での構成的な活性が相対的に低く、誘導の余地があることから上流の発現制御因子の単離にはHSP81-2プロモータを用いることとした。

 シロイヌナズナcDNAライブラリは低コピーで維持されるCEN4系プラスミドpSE936のATGを含まないGAL1プロモータの下流にcDNAが挿入されている(ロナルド・デイビス博士より分与)。

c)転写制御因子のクローニング

 約20万コロニーをGUS活性を指標にスクリーニングした結果、ガラクトースの誘導により約2〜4倍の活性を示す候補が8クローンを単離した。これらの中より相対的に活性の高いものを選びcDNAを回収、部分的に塩基配列を決定したところ#102,#108がNewmanらが大量単離を行ったシロイヌナズナzinc finger DNAsに含まれるクローンと#105がレセプター型キナーゼと高い相同性を持つことが判明した。転写産物の蓄積傾向をノーザン解析により解析したところ#102,#105がロゼット葉特異的に、#108がスクリーニングに用いたHSP81-2と地上部に関しては同様の傾向で蓄積が認められた(図8)。熱ショックによる誘導性,HSP81-2で認められた10M IAA.0.1M NaClによる誘導は有意なものは認められなかった。これらがシロイヌナズナ核ゲノムに由来するものであることを確認するため緩やかな条件でサザン解析を行った。3分子とも核コードのシロイヌナズナ遺伝子であることを支持する結果が得られたが、#102,#105はそれ自身以外に3本以上のシグナルが認められ遺伝子群を形成していることが予想される。

 #102,#108が転写因子である可能性が高いと考えられたため、これらについて更にcDNAライブラリをスクリーニングし、得られた最長のcDNAの塩基配列を決定した。#102は転写因子であることを強く支持するモチーフ配列は持っていなかったがHMG box結合因子であるubf-1で保存されている領域と高い相同性を示す領域を持っていた。

 #108は明確な核移行シグナルを持っており核蛋白であることが予想された(図9)。またC末端近くにtyrosine kinaseの活性部位と相同性の高い領域を持っていた。既知のDNA結合モチーフは見つけることができなかったが、モチーフ以外の領域ではhunchbackを始めとする転写因子と高い相同性を持つ領域を含んでおり、核において何らかの転写-調節に関与していることが予想される。

 さらに検索の範囲を拡げるため、レポーターとしてHIS3遺伝子を用いたものを作成した。ヒスチジン合成阻害剤である20mM3AT存在下で約15万コロニーをスクリーニングし、最終的に5クローンを単離した。これらよりcDNAを回収し部分的に塩基配列を決定したところ、#H90が熱ショック因子(HSF)と高い相同性を保持していた。シロイヌナズナにおいてはトマトのHSFをプローブにHubelらによりAthsf1が単離されているがこれとは塩基配列が異なっていた。これがシロイヌナズナ核ゲノムに由来するものであることを確認するため緩やかな条件でサザン解析を行ったところ核コードのシロイヌナズナ遺伝子であることを支持する結果が得られた。トマトの3分子種を始めとしてHSF遺伝子は複数存在するのが一般的であり、新たなHSFを単離したと考えている。転写産物の蓄積を見るためノーザン解析を行ったところ、常温、熱ショック処埋植物とも転写量は極めて少なく一般的な条件では検出できなかった。

 ここで得られたクローンがHSP81-2プロモータDNAと相互作用することを確認するため、これらcDNAを持つ酵母をガラクトース存在下で16時間生育させたものから粗蛋白画分を抽出し、HSP81-2プロモータDNAを制限酵素処理で断片化したものをプローブにゲルシフト解析を行った。高イオン濃度、低イオン濃度の両方でアッセイしたところ、メジャーなバンドのシフトでcDNA特異的なものは認められなかったが、低分子側で#H90特異的にシフトするバンドが複数認められた(図10)。

まとめ

 HSP81-2,81-3が受ける器官特異的転写制御は形質転換植物作成に用いた上流側約1kbの中に必要なシス因子が含まれていることを明らかにした。さらに、その領域を用いて相互作用すると考えられる上流因子を複数単離した。それらの中には81-2と同様の発現傾向を示す核蛋白と考えられるものに加え、シロイヌナズナでは2分子種目となる新規のHSFが含まれていた。これらの因子が常温でのHSP81-2の発現制御に重要な働きをしていることが示唆された。

図1 HSP81-2,81-3を含むゲノム領域の構成ゲノミッククローンの制限酵素地図を示す。各遺伝子のエクソン領域を網掛けで、転写の方向を矢印で示す。a-cはプローブに用いた領域を示す。E=EcoR I,S=SalI,X=Xbal図2 花冠部のGUS組織化学染色常温で生育した植物(A〜D)と35℃2時間熱処理を行った植物(E〜F)でのX-Glucを基質としたGUS活性の局在を示す。A,Eが非形質転換体(Columbia).B,FがHSP81-1GUS融合遺伝子。C,GがHSP81-2GUS融合遺伝子。D,EがHSP81-3GUS融合遺伝子を導入した形質転換植物を示す。サイズマーカーは1mmを示す。図3 NaClおよびマンニトール処理に対するHSP81の応答播種後15日目の植物を0.1M NaCl(レーン2),0.2Mマンニトール(レーン3)を含むMS培地に移植し24時間処理した後、総RNAを抽出した。移植ストレスを考慮し、新たなMS培地に移植したものをコントロール(レーン1)とした。各遺伝子特異的なプローブとして図1のd,cを用いた。図4 花冠部におけるHSP81転写産物の局在常温で生育した植物(Landsberg erecta株)の花冠部にたいしin situハブイダリダイゼーションを行った。A〜Dは透過光像でシグナルの銀粒は黒く、E〜Hは暗視野像でシグナルの銀粒子は白く認められる。A.EiHSP81-2センスプローブ。B.FはHSP81-1、C,GはHSP81-2、D.HはHSP81-3のアンチセンスプローブを用いた結果である。サイズマーカは100mを示す。図5 HSP81プロモータ領域の構成〓各コンストラクトの常温での活性crevisiaeRAY3A株各接合型でのHSP81-1,81-2,81-3GUS融合遺伝子活性を示す。熱処理に対する応答性ノストラクトの熱処理に対する応答性を示す。横軸に熱処理の温度、に25℃の時の活性を1としたGUSの相対活性を示す。〓 mRNAの蓄積の器官特異性〓生型植物体の各器官から抽出したmRNAに対しノーザン解析を行った。図8 #108cDNAの塩基配列得られた最長のcDNAの塩基配列を示す。塩基配列の下に予想されるアミノ酸配列を示す。網掛けの部位は核移行シグナルを示す。図9ゲルシフト解析の結果ガラクトース培地で16時間培養し誘導をかけたcDNAを持つ酵母の粗蛋白画分と、Sau3AIで完全分解したHSP81-2プロモータ領域をklcnow fragmentでラベルしたプローブを用いゲルシフト解析を行った。左がcDNAインサートを持たないベクターpSE936を持つ株、右が#H90をもつ株の粗蛋白画分を用いた結果を示す。矢印はシフトしたバンドを示す。
審査要旨

 本論文は2章からなり、第1章ではHSP90を構成する第3の分子種として初めて単離したシロイヌナズナHSP81-3について、HSP81-3プロモータGUS融合遺伝子形質転換植物を作成し、HSP81-3の発現様式を解析した。HSP81-3は常温においては花粉とタペータム細胞、主根および側根の根端分裂組織から伸長領域にかけた領域で器官特異的な染色が認められ、35℃2時間の熱処理を行った植物ではその器官特異的発現様式を保ったまま、染色強度の上昇が認められた。これはHSP81-2同様、HSP81-3においても熱ショックよりも上位の器官特異的制御が行われていることを示唆していた。花粉発育ステージでの有為な差異は認められなかった。

 第2章においては、第1章の結果を踏まえ、器官特異的発現を制御する上流因子の単離を試みている。まず、形質転換植物作成に用いたプロモータ領域が組織特異的発現に必要十分な領域を含んでいるかを確かめるため、各遺伝子特異的なプローブを用いて、in situ hybridizationを行った。センスおよびHSP81-1プローブでは有意なシグナルは認められないが、81-2,81-3プローブではGUS組織化学染色の結果と一致していた。これにより、この領域が器官特異的な転写制御領域を含んでいると考えられた。

 上流因子の検索には酵母を用いたone-hybrid法を改変した方法を導入した。HSP81-2プロモータGUS融合遺伝子を用い、スクリーニングした結果、約2〜4倍の活性を示す候補が8クローンを単離した。これらの中より相対的に活性の高いものを選びcDNAを回収、部分的に塩基配列を決定したところ#102,#108がNewmanらが大量単離を行ったシロイヌナズナzinc finger DNAsに含まれるクローンと#105がレセプター型キナーゼと高い相同性を持つことが判明した。ノーザン解析の結果#102,#105が普通葉特異的に、#108がHSP81-2の地上部と同様の傾向で蓄積が認められた。熱ショック、10M IAA,0.1M NaClによる誘導は認められなかった。サザン解析の結果から3分子とも核コードのシロイヌナズナ遺伝子であることを支持する結果が得られ、#102,#105はそれ自身以外に3本以上のシグナルが認められ遺伝子群を形成していることが予想された。

 #102は転写因子であることを強く支持するモチーフ配列は持っていなかったがHMG box結合因子であるubf-1で保存されている領域と高い相同性を示す領域を持っていた。

 #108は明確な核移行シグナルを持っており核蛋白であることが予想された。またC末端近くにtyrosine kinaseの活性部位と相同性の高い領域を持っていた。モチーフ以外の領域ではhunchbackを始めとする転写因子と高い相同性を持つ領域を含んでおり、核において何らかの転写調節に関与していることが予想された。

 さらにレポーターとしてHIS3遺伝子を用いスクリーニングし、最終的に5クローンを単離した。これらよりcDNAを回収し塩基配列を決定したところ、#H90が熱ショック因子と高い相同性を保持していた。Hube1らにより単離されたAthsf1とは塩基配列が異なっていた。サザン解析の結果、核コードのシロイヌナズナ遺伝子であることを支持する結果が得られた。

 HSP81-2プロモータ領域をプローブにゲルシフト解析を行ったところ、低分子側で#H90特異的にシフトするバンドが複数認められた。HSEコンセンサス配列のみのプローブでは特異的なシフトは認められなかった。

 こうした一連の解析を通して、論文提出者はHSP81-2,81-3が受ける器官特異的転写制御は形質転換植物作成に用いた上流側約1kbの中に必要なシス因子が含まれていることを明らかにした。さらに、その領域を用いて相互作用すると考えられる上流因子の候補を酵母の系を導入して複数単離した。それらの中には81-2と同様の発現傾向を示す核蛋白と考えられるものに加え、シロイヌナズナでは2分子種目となる新規のHSFが含まれており、これらの因子が常温でのHSP81-2の発現制御に重要な働きをしていることが示唆された。こうした一連の解析を通して、高等植物の器官特異的転写制御機構を解析する基礎を築き、またそれをを構成する因子を単離した本論文提出者の業績は優れている。なお、本論文は高橋卓、米田好文両氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって解析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。従って、博士(理学)を授与できるものと認める。

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