学位論文要旨



No 212722
著者(漢字) 阿部,浅樹
著者(英字)
著者(カナ) アベ,アサキ
標題(和) 血管平滑筋におけるサイクリックAMPの収縮抑制作用に関する薬理学的研究
標題(洋)
報告番号 212722
報告番号 乙12722
学位授与日 1996.03.01
学位種別 論文博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 第12722号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 唐木,英明
 東京大学 教授 菅野,茂
 東京大学 教授 高橋,迪雄
 東京大学 助教授 局,博一
 東京大学 助教授 尾崎,博
内容要旨

 平滑筋は、自律神経をはじめとする様々な生体内シグナル伝達システムによる支配を受け、収縮および弛緩運動をしている。そのうちアドレナリンの作用、小腸性血管作用ペプチド、プロスタサイクリン等、多くの作用物質による弛緩反応は、細胞内cAMP量の増加に関係していると考えられている。このようなcAMPの増加に基づく平滑筋の弛緩機序を利用し、多くの血管拡張薬開発の試みもなされており、cAMPによる弛緩反応について詳細に調べることは、循環器系の生理機能の解明だけでなく、疾病に対する治療薬の進歩においても大いに役立つものと期待できる。

 平滑筋に対してcAMPは収縮抑制作用を持つが、その機序として、収縮蛋白系の機能を直接抑制する作用と細胞内Ca2+濃度を低下させる作用の二つが考えられている。しかし、前者については、生理的な条件下での役割りを疑問視する考え方も提出されており、また後者の機序についてもこれまで詳細な検討はなされていない。この様なcAMP依存性平滑筋弛緩反応の機序については、cAMP濃度の上昇時における平滑筋細胞内のCa2+イオンの動きを詳細に調べることによって、かなり明らかにできると考えられる。本研究では、アデニル酸シクラーゼを特異的に活性化し、細胞内のcAMP量を増加させることが知られているフォルスコリンと、細胞膜透過性が良くホスホジエステラーゼによる分解を受けにくい誘導体であるジブチリルサイクリックAMP(db-cAMP)を用い、その収縮抑制作用と特に平滑筋細胞のCa2+動態に対する作用について、血管を材料に選び検討した。

1.収縮張力

 ラットおよびウサギ大動脈の高濃度K+液あるいはノルエピネフリンによる持続性収縮に対し、フォルスコリンおよびdb-cAMPは濃度依存的な抑制作用を示した。いずれの場合においても、ノルエピネフリン収縮は高濃度K+収縮よりも強く抑制され、またノルエピネフリンおよびK+の濃度を増加することによりフォルスコリンおよびdb-cAMPの抑制作用は減弱した。

 ウサギ大動脈を高濃度K+液とベラパミルで処理した「脱分極筋」におけるノルエピネフリン収縮に対し、フォルスコリンおよびdb-cAMPは通常の分極筋におけるノルエピネフリン収縮とほぼ同様の抑制作用を示した。従って、フォルスコリンおよびdb-cAMPの収縮抑制作用は、膜の過分極によるものではないと考えられた。

 cAMP増加作用の無いフォルスコリンの誘導体である1,9-ジデオキシフォルスコリンは、高濃度K+収縮に対し、フォルスコリンより弱い抑制作用を示し、またノルエピネフリン収縮はほとんど抑制しなかった。

2.組織cAMP量

 フォルスコリンは、濃度および時間依存的にcAMP量を増加させた。ウサギ大動脈において、ノルエピネフリンあるいは高濃度K+液はcAMP量を変化させず、またフォルスコリンによるcAMP量の増加に対しても影響がなかった。従って、フォルスコリンの収縮抑制作用はcAMPを介するが、ノルエピネフリン収縮と高濃度K+収縮に対する抑制作用の相違は、cAMP増加作用の変化によるものではないと考えられた。

3.ホスホジエステラーゼ阻害薬

 cAMPはホスホジエステラーゼ(PDE)により不活性な5’-AMPに代謝される。PDE阻害薬であるイソブチルメチルキサンチンとアムリノンは、いずれもフォルスコリンあるいはdb-cAMPによる収縮抑制作用を増強した。従ってフォルスコリンとdb-cAMPは、細胞内cAMP量に依存する機序により収縮抑制作用を示すものと考えられた。

4.Ca2+動態

 高濃度K+液による持続性収縮は電位依存性Ca2+チャネル(VDC)を介した細胞外からのCa2+の流入により生じ、ノルエピネフリンなどの受容体に作用する収縮薬による持続性収縮においては、これに加えてVDCとは異なるイオンチャネル(おそらくは非選択的陽イオンチャネル)を介したCa2+の流入も起こる。この様なCa2+流入経路は、45Ca2+を用いた取り込み実験により明らかにされている。ラットあるいはウサギ大動脈においてフォルスコリンまたはdb-cAMPは、このノルエピネフリンによるCa2+流入量の増加を抑制したが、フォルスコリンは高濃度K+によるCa2+流入量の増加を抑制しなかった。従って、ノルエピネフリン収縮に対するフォルスコリンおよびdb-cAMPの抑制作用の少なくとも一部は、ノルエピネフリンによるCa2+流入の阻害によるものと考えられた。

 ラット大動脈に蛍光Ca2+指示薬であるfura-2を取り込ませ、平滑筋細胞内の遊離Ca2+濃度を測定した。高濃度K+あるいはノルエピネフリンの累積的投与により、収縮張力と細胞内Ca2+濃度の濃度依存的な増加が観られ、フォルスコリンおよびdb-cAMPは、これらの収縮とCa2+濃度の増加をいずれも抑制した。低濃度のフォルスコリンおよびdb-cAMPは、収縮とCa2+濃度をほぼ同程度に抑制したが、これに対し、高濃度のフォルスコリンおよびdb-cAMPはCa2+濃度よりも収縮張力をより強く抑制した。このことから、フォルスリンおよびdb-cAMPは血管平滑筋の収縮時におけるCa2+濃度の増加を抑制し、さらに高濃度の適用によって収縮蛋白系のCa2+感受性を低下させる作用を持つことが示された。

5.C-キナーゼ活性化薬

 ラット大動脈において、ノルエピネフリン収縮は、有機Ca2+拮抗薬によりCa2+濃度を低下させても収縮が残存した。これはノルエピネフリンによりある種のシグナル伝達系、たとえばC-キナーゼが活性化され、収縮蛋白系のCa2+感受性が上がったか、またはCa2+非依存性の収縮が起こったためと考えられる。この様な収縮に対し、フォルスコリンおよびdb-cAMPは対照のノルエピネフリン収縮に対するよりも強い抑制作用を示した。C-キナーゼ活性化薬のホルボールエステルのひとつである12-deoxyphrbol,13-butyrate(DPB)は、上記のノルエピネフリン収縮と同様の収縮作用を示した。フォルスコリンおよびdb-cAMPはこのDPB収縮を抑制し、またこの抑制作用はCa2+拮抗薬処置により増強された。

 これらのことから、フォルスコリンおよびdb-cAMPは、細胞内Ca2+濃度の減少に加え、C-キナーゼの活性化によるCa2+感受性の上昇による収縮に対しても、抑制作用を持つことが示された。しかも、この様な作用はフォルスコリンおよびdb-cAMPの比較的低濃度においてもみられることが明らかとなった。

6.ホスファターゼ阻害薬

 cAMPはcAMP依存性プロテインキナーゼ(A-キナーゼ)を活性化することが知られている。A-キナーゼは何らかの蛋白質をリン酸化し、リン酸化された蛋白はホスファターゼにより脱リン酸化されると想像される。またホスファターゼ抑制薬であるオカダ酸は平滑筋に対して収縮抑制作用があり、この作用にもある種の蛋白質のリン酸化が関与するものと考えられる。

 ラット大動脈の高濃度K+収縮において、フォルスコリンおよびdb-cAMPはオカダ酸の収縮抑制作用を強く増強したが、ニトロプルシッド、ニトログリセリン、心房性利尿ペプチド、ベラパミルおよびニカルジピンはいずれも増強作用が弱かった。従って、フォルスコリンとdb-cAMPの収縮抑制作用には、おそらくは特異的なA-キナーゼの活性化による蛋白質リン酸化の関与が強く示唆された。

7.細胞内Ca2+遊離による一過性収縮

 Ca2+除去液中では、ノルエピネフリンによる一過性の細胞内Ca2+濃度の上昇と一過性の収縮がみられる。フォルスコリンおよびdb-cAMPは、このCa2+濃度の上昇と収縮をともに抑制した。このときの収縮抑制作用は、Ca2+濃度上昇に対する抑制作用よりも強かった。またノルエピネフリンによる細胞内高親和性結合45Ca2+の遊離は、フォルスコリン処置により抑制された。従って、フォルスコリンおよびdb-cAMPは、細胞内貯蔵部位からのCa2+遊離を抑制し、さらに収縮蛋白系のCa2+感受性を性下させることにより、ノルエピネフリンによる一過性収縮を抑制する作用を持つことが示唆された。

 以上を要するに、ラットおよびウサギ大動脈に対するフォルスコリンおよびdb-cAMPの収縮抑制作用とそれにともなう細胞内Ca2+動態の変化を検討した結果、血管平滑筋収縮のcAMPによる抑制は、(1)細胞内へのCa2+流入および(2)貯蔵部位からのCa2+放出を抑え、さらに(3)収縮蛋白系のCa2+感受性を低下させる機序によることが明らかとなった。

審査要旨

 平滑筋は、自律神経をはじめとする様々な支配を受け、その抑制性の支配には細胞内cAMP量の増加が関係していると考えられている。しかし、その機序についてはこれまで詳細な検討はなされていない。本研究では、cAMPの平滑筋抑制機構を明らかにすることを目的とし、アデニル酸シクラーゼを特異的に活性化するフォルスコリン(FK)と細胞膜透過性が良い誘導体であるジブチリルサイクリックAMP(db-cAMP)を用い、その収縮抑制作用について検討している。

第1章収縮張力の解析

 ラットおよびウサギ大動脈の高濃度K液あるいはノルエピネフリン(NE)による持続性収縮に対し、FKおよびdb-cAMPは高濃度K収縮よりもNE収縮を強く抑制した。

 ウサギ大動脈を高濃度K液とべラパミルで処理した脱分極筋におけるNE収縮に対し、FKおよびdb-cAMPは通常の分極筋におけるNE収縮とほぼ同様の抑制作用を示した。従って、FKおよびdb-cAMPの収縮抑制作用は、膜の過分極によるものではないと考えられた。

第2章組織cAMP量

 FKは、濃度および時間依存的にcAMP量を増加させた。ウサギ大動脈において、NEあるいは高濃度K液はcAMP量を変化させず、またFKによるcAMP量の増加に対しても影響がなかった。従って、FKの収縮抑制作用はcAMPを介するが、NE収縮と高濃度K収縮に対する抑制作用の相違は、cAMP増加作用の変化によるものではないと考えられた。

第3章ホスホジエステラーゼ阻害薬

 PDE阻害薬であるインブチルメチルキサンチンとアムリノンは、いずれもFKあるいはdb-cAMPによる収縮抑制作用を増強した。従ってFKとdb-cAMPは、細胞内cAMP量に依存する機序により収縮抑制作用を示すものと考えられた。

第4章Ca動態

 ラットあるいはウサギ大動脈において、高濃度KあるいはNEは収縮張力と細胞内へのCa流入およびCa濃度を増加した。FKまたはdb-cAMPは、NEによるCa流入量の増加を抑制したが、FKは高濃度KによるCa流入量の増加を抑制しなかった。従って、NE収縮に対するFKおよびdb-cAMPの抑制作用の少なくとも一部は、NEによるCa流入の阻害によるものと考えられた。低濃度のFKおよびdb-cAMPは収縮とCa濃度の増加をほぼ同程度に抑制したが、高濃度のFKおよびdb-cAMPはCa濃度よりも収縮張力をより強く抑制した。このことから、フォルスコリンおよびdb-cAMPは収縮時におけるCa濃度の増加を抑制し、さらに高濃度の適用によって収縮蛋白系のCa感受性を低下させる作用を持つことが示された。

第5章C-キナーゼ活性化薬

 ラット大動脈において、NEあるいはホルボールエステルのひとつてある12-deoxyphrbol13-isobutyrate(DPB)は有機Ca拮抗薬存在下において細鉋内Ca濃度の上昇を伴わない持続性収縮を発生させるが、FKおよびdb-cAMPはこれらの収縮を抑制した。これらのことから、FKおよびdb-cAMPは、細胞内Ca濃度の減少に加え、C-キナーゼの活性化によるCa感受性の上昇による収縮に対しても抑制作用を持つことが示された。

第6章ホスファターゼ阻害薬

 ラット大動脈においてFKおよびdb-cAMPはホスファターゼ抑制薬であるオカダ酸の高濃度K収縮抑制作用を増強したが、ニトロプルシド、ニトログリセリン、心房性利尿ペプチド、ベラバミルおよびニカルジピンはいずれも増強作用が弱かった。従って、cAMPの収縮抑制作用にはA-キナーゼの活性化による蛋白質リン酸化が関与していることが示唆された。

第7章細胞内Ca遊離による一過性収縮

 Ca除去液中では、NEによる一過性の細胞内Ca濃度の上昇と一過性の収縮がみられる。FKおよびdb-cAMPは、これらをともに抑制した。またNEによる細胞内結合Caの遊離は、FK処置により抑制された。従って、FKおよびdb-cAMPは、細胞内貯蔵部位からのCa遊離を抑制し、NEによる一過性収縮を抑制する作用を持つことが示唆された。

 以上を要するに、血管平滑筋収縮のcAMPによる抑制は、(1)細胞内へのCa流入および(2)貯蔵部位からのCa放出を抑え、さらに(3)収縮蛋白系のCa感受性を低下させる機序によることが明らかとなった。これらの成績は学術上、応用上貢献するところが少なくなく、よって審査員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものとみとめた。

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