日本の山地では、斜面の急峻さや頻発する豪雨のために、激しい斜面侵蝕が生じている。このため、河川には多量の土砂が供給され、下流部では土砂の堆積が広域で認められる。したがって、日本の山地を流下する河川の流域は、地形学における侵蝕・堆積過程の検討に適している。従来、山地域の流域では、斜面からの土砂供給の量が、河成段丘・扇状地といった下流域の河成堆積地形の発達を強く規定すると指摘されてきた。しかし、上流域からの土砂供給と下流部での堆積の規模を量的に求めてこの問題を検討した研究は少ない。このため、土砂供給量と河成堆積地形発達との関係の定量的検討は未解決の課題として残されていた。この課題を検討するために、本論文では日本の山地域の流域における地形発達を侵蝕、運搬、および堆積に関わる土砂量に注目して検討した。検討の際には2つの異なった手法を用いた。一つは、地形の分類、編年、および地形計測法を用いていくつかの流域の最終氷期末期以降の地形発達史を復元し、その結果に基づき長期間の土砂移動を量的に検討する方法である。もう一つは、地形計測データ、斜面崩壊による現在の土砂生産量、およびダム堆砂量から推定した河谷の土砂移動量に関する資料に基づき、日本全国の流域における土砂移動の平均像を検討する方法である。 本論文の第一部(II章〜VI章)では、一つ目の手法を用い、山地域の15流域における晩氷期〜完新世における地形発達を検討した。調査対象流域は、中部日本の松本盆地周辺(大起伏)、東北日本の山形盆地東縁(中起伏)、および東北日本の北上低地西縁(小起伏)に位置する。空中写真判読、地形図の読図、および野外での400ヶ所以上の露頭調査に基づき、山地斜面と河成面の分類・編年を行った。その結果、以下のように地形形成プロセスに大きな変化があったことが明らかとなった。最終氷期極相期頃には、山地斜面上では周氷河作用による岩屑の生産・堆積が活発であり、平滑な斜面が形成された。一方、晩氷期と完新世には、主要な斜面プロセスが流水の作用による侵蝕に変化し、斜面の凹所では表層崩壊と基盤岩の掘削が生じた。この変化は、最終氷期末期における前線帯の北方への移動に伴う豪雨の急増に起因する。表層崩壊は斜面上に浅い凹地(高位開析斜面)を形成し、基盤岩の掘削はガリー(低位開析斜面)を形成した。これらの開析斜面は、山地斜面上の遷急線の判読により認定可能である。また、豪雨強度の増加は、扇頂より上流側の河谷における河床低下をも引き起こした。さらに、山地斜面の開析と河床低下によりもたらされた土砂により、扇状地では埋積を生じた。 次に、上記の地形発達史を踏まえて晩氷期以降の流域の土砂移動を量的に検討した。開析を免れた斜面における晩氷期以降の侵蝕量は無視できるので、地形図上での開析斜面の谷埋めにより、山地斜面の晩氷期以降の平均侵蝕速度を算出した。また、河成段丘の分類図と投影断面図を用いて、扇頂より上流側の河床低下に伴う土砂生産量も推定した。両者を積算し、晩氷期以降における扇状地への平均土砂供給速度を得た。得られた土砂供給速度と晩氷期以降に形成された扇状地の面積は正比例する。本流沿いでの河床低下に由来する土砂供給量は山地斜面の開析にともなう土砂供給量よりも相対的に少ない。また、山地斜面の侵蝕速度は開析斜面の面積構成比率と良く対応する。それゆえ、大局的には山地斜面の開析の規模に応じて晩氷期以降の土砂供給量が決まり、それが扇状地発達を規定するということができる。 一方、ボーリング資料と地形計測資料により、晩氷期以降に扇状地に蓄積された土砂の量を推定できる。推定された土砂量と、上流域から供給された土砂の量との比率は0.2〜0.8となった。土砂の比率は、扇端部とその下流側の大河川とが接触した形跡がない扇状地では約0.8となるが、形跡が認められる扇状地では比率がより小さくなる。このことは、扇端部での大河川による土砂の除去の有無が、扇状地での土砂残存率を規定することを示す。また、供給土砂のうち約2割は土砂の除去がない状況下でも下流側へ運搬されると考えられろ。このことは、日本の山地を流下する河川では流送土砂の約7〜8割が掃流物質、約2〜3割が浮流物質であることと調和的である。また、大河川による土砂の除去の強度は土砂残存率に強く関与するものの、その扇面面積に対する関与は、上流域からの土砂供給速度の関与に比べて弱いことが判明した。 次に、土砂供給量と密接に関係する開析斜面の面積構成比率の規定要因を検討した。流域を約3,000個の0.5×0.5kmの区画に区分し、各区画の山地斜面の地形・地質特性を地形分類図、地質図、および標高データを用いて調査した。その結果、全開析斜面(高位+低位)の面積構成比率は斜面の傾斜と地質に強く規定されることが判明した。全開析斜面構成比率は概して傾斜が大きい区画で大きく、同一の傾斜では中・古生代堆積岩、新第三紀堆積岩、花崗岩類の順に大きくなる。低位開析斜面のみの面積構成比率も上記の2つの要因に規定されるが、さらに地域間の降雨強度の違いにも規定され、同一傾斜・同一地質の条件下では豪雨が少ない北方の地域ほど面積構成比率が小さくなる。これらの結果は、傾斜による斜面の安定性の相違、地質による被侵蝕性の相違、および表層崩壊と基盤岩の掘削に要する降雨強度の相違を反映すると考えられる。以上から、3つの要因により晩氷期以降の斜面侵蝕の規模と河谷への土砂供給量が決定され、それが下流における扇状地の堆積の規模を規定したと結論できる。 本論文の第二部(VII章〜VIII章)では、扇面面積・流域面積等の地形計測データ、豪雨による斜面崩壊による現在の土砂供給量、およびダムの堆砂速度に関する資料を用いて日本全国の山地域の浸蝕・堆積過程を検討した。最近約15年間に全国で発生した約800の崩壊災害に関する資料によれば、崩壊災害に伴う土砂生産の量は流域面積と正の相関を持つ。一方、流域内の山地斜面の平均傾斜は流域面積と負の相関を持ち、ダム堆砂から推定された土砂供給速度は斜面の平均傾斜と正の相関を持つ。これらの関係を解析したところ、流域面積80km2以下の流域では、最大級の崩壊災害は平均約20年に1回発生することが判明した。この周期は、約50mm/hrもしくは約100〜200mm/dayという崩壊災害の閾値を超える豪雨の発生周期と対応しており、合理的と判断される。最大級の崩壊災害は全土砂供給の約半分に寄与しており、残りの半分はより小規模な崩壊によってもたらされる。また、崩壊災害時に斜面で生産される土砂量は、斜面の平均傾斜と正の相関を持つことが示された。次に、日本をいくつかの地域に区分して検討を行ったところ、崩壊災害の発生周期と規模は、地質や局地的な豪雨強度にも影響を受けることが判明した。しかし、これらの要因の寄与は斜面傾斜の寄与に比べて限られている。 次に、日本全国の完新世扇状地の規模と土砂供給量との関係を論じた。従来、扇面面積と流域面積の間にべき関数の関係が成立することが指摘されている。この関係を、土砂流出や地形量に関わる経験式を用いて再吟味した。山地斜面、河道、および扇状地にかけての土砂移動過程から見て、扇面面積と流域面積の関係は、土砂供給量と斜面傾斜、斜面傾斜と流域面積、および土砂供給量と扇面面積という3つの式の組み合わせと考えられる。この仮説の妥当性は、日本全国および合衆国南西部の扇状地に関する資料により確認でき、扇面面積は流域面積に直接規定されるのではなく、上流域からの土砂供給速度に正比例することとが示された。上記の3つの式を用いて扇面面積を規定する要因を詳しく検討したところ、豪雨強度と流域の起伏構造により土砂供給速度が規定され、それが扇面面積を規定することが判明した。 論文の最後では、第一部と第二部で得られた結果を比較した。第一部と第二部では異なった手法と資料を用いたにも関わらず、「斜面傾斜、豪雨強度、および地質により、崩壊等に起因する斜面侵蝕と土砂供給の速度が決定され、それが扇面面積を規定する」という共通の結果が得られた。さらに、第一部で地形学的手法により得られた侵蝕速度の値は、第二部の検討で用いたダム堆砂による推定値とほぼ等しく、それぞれで得られた土砂供給速度と扇面面積の関係を表す式も基本的に共通であることが判明した。したがって、本論文で得られた結果は普遍性を持ち、日本の山地の流域における侵蝕・堆積過程の本質を表すということができる。 |