第1部: 正常脳温における局所脳血流量およびグルタミン酸の放出と梗塞の大きさとの関係について 研究の背景と目的:グルタミン酸は脳における主要な興奮性神経伝達物質であるが、虚血中に多量に放出され、これが虚血性脳障害の形成に大きく関与しているという仮説が有力となっている。
局所脳虚血モデルでは、大脳皮質虚血中心部の周辺に"ischemic penumbra"と呼ばれる特別な領域が存在する。この部位では、神経細胞の自発的な活動は消失するが、膜電位は維持できるほどの血流の供給がある。早期血流再開やグルタミン酸アンタゴニストの投与などによって救済可能なのはこの領域であると考えられている。
この研究の目的は、一過性局所脳虚血モデルのpenumbra領域における虚血中のグルタミン酸の放出と梗塞の大きさの関係を検討することである。細胞外液中のグルタミン酸はmicrodialysis法で、局所脳血流量はlaser-Doppler法によってそれぞれ測定した。
脳の温度が虚血性病変の形成に大きく影響することが指摘されてきているので、脳温は正常に保った。
実験方法:実験のプロトコールを図 1、脳における各種モニターの模式図を図2に示す。
図 1:プロトコール図 2:実験の模式図 Sprague-Dawleyラットを用い、7匹を虚血群、2匹をコントロール群とした。ハローセンと笑気で麻酔し、動物を定位脳固定装置に固定した。生理学的パラメターは正常に保った。右頚頂上面に burr hole を開け、microdialysis probeをpenumbraと考えられる部位に刺入した。体温は直腸でモニターして37-38℃に、脳温は側頭筋でモニターして37.0±0.5℃に保ち、それぞれ独立にコントロールした。局所脳血流量は、penumbra領域の脳の表面の硬膜上で連続的にモニターし、虚血中、血流再開後の血流値は、中大脳動脈閉塞前値に対する百分率で表示した。dialysis probeの回収率は脳内に刺入する前に測定し、細胞外液グルタミン酸濃度は回収率から補正して求めた。
右中大脳動脈近位部を miniclipで2時間閉塞した後解除して一過性局所脳虚血を作成し、虚血後3日目にラットを灌流固定して梗塞の体積を測定した。
結果:虚血群の1匹とコントロール群の1匹が灌流固定前に死亡した。
図3にpenumbra領域での局所脳血流量の変化を示す。虚血中の平均血流は虚血前の32±12%、血流再開後3時間の平均血流は157±68%であった。
コントロール群での細胞外液グルタミン酸濃度は安定していた。虚血群の細胞外液グルタミン酸濃度の変化を図4に示す。虚血中のグルタミン酸濃度は有意に高値を示した。中大脳動脈閉塞後、虚血周辺部の細胞外液グルタミン酸濃度は急速に上昇し、虚血後20-30分で最高値に達した。グルタミン酸濃度はその後急速に減少し、虚血状態が続いているにも関わらず、中大脳動脈閉塞後70-80分には虚血前の基礎値に近い値にまで低下した。虚血前の基礎値と比べると、虚血中のグルタミン酸の上昇は中大脳動脈閉塞後の20-30分および30-40分で有意に高かった。
図表図 3:penumbra cortexでの局所脳血流量の変化 / 図 4:細胞外液グルタミン酸の推移 個々の動物から得られた、中大脳動脈閉塞前、閉塞中、血流再開後の各採取毎のグルタミン酸濃度の値を、それを採取した際の血流値(%)に対してプロットしたものを図5に示す。虚血前の基礎値のグルタミン酸濃度に対する95%信頼区間を算出し、虚血中のグルタミン酸濃度がこの区間を超える最大の虚血中の血流値をグルタミン酸放出に対する血流の閾値とした。このようにして求められた虚血中のグルタミン酸過剰放出に対する血流量の閾値は48%であった。
虚血群における中心的な病変は、全般的壊死を伴う脳梗塞であった。梗塞は大脳皮質にも線状体にも認められたが、皮質血流量と皮質でのグルタミン酸放出量とを病理学的変化と比較するために、大脳皮質の梗塞巣のみの大きさを計測した。
虚血中の平均血流量と大脳皮質の梗塞の大きさの間には負の相関関係を(図6a)、虚血中の総グルタミン酸放出量と梗塞の大きさの間には正の相関を認めた(図6b)。
図表図 5:虚血中のグルタミン酸放出に対する血流の閾値 / 図 6:血流量およびグルタミン酸放出と梗塞の体積の関係 第1部のまとめ:上記の結果から、正常脳温の下での一過性の中大脳脳動脈閉塞においては;
(1)Penumbra領域でのグルタミン酸放出は血流低下の程度に強く依存する。
(2)局所脳虚血によって脳梗塞となる原因は単独ではないが、グルタミン酸はその主要な原因の一つと考えられた。
(3)penumbra領域ではグルタミン酸の再吸収機構が機能していることが示唆された。
第2部:脳温が局所脳血流量とグルタミン酸の放出に与える影響について研究の背景と目的 脳虚血の実験では、虚血中の脳の温度がわずかに変化するだけで病理所見が大きく左右され、温度が高いほど病変が大きくなることが知られている。第2部の目的は、一過性局所脳虚血モデルにおいて、虚血中のhyperthermiaが細胞外液中のグルタミン酸濃度と局所脳血流量にどのような影響をおよぼすかを検討することである。
実験方法:第1部と同様に2時間の一過性局所脳虚血モデルを作成した。実験のプロトコールを図 7に、脳における各種モニターの模式図を図8に示す。この実験では、脳の温度とグルタミン酸の放出の関係を正確に知るために、temperature probeを、microdialysis probeと平行に、ほぼ同一の大脳皮貿内に刺入して脳の温度を測定した。それ以外の実験方法は第1部と同じとした。
ラット12匹を用い、5匹はnormothermia群(37℃)、5匹はheperthermia群(39℃)とした。虚血を加えないラット2匹で脳の温度だけhyperthermia群と同じ時間経過で変化させ、温度上昇によるグルタミン酸基礎値の変化を測定しコントロール群とした。
硬膜の上から脳血流を持続的にモニターするために、microdialysisとtemperature probeのためのburr holeから1mm外側にもう一つburr holeを開けた。
normothermia群では実験中の脳の温度を36.5-37.5℃の間に保ち、hyperthermia群では虚血時間中のみ38.5-39.5℃の間に維持し、虚血前と血流再開後はnormothermia群と同じ温度に保った。
虚血後3日目の病理学的な検討を予定したが、hyperthermia群の5匹中3匹が死亡したため、この実験では病理学的な検索を行わず、グルタミン酸の放出のみを検討した。
結果:図9にpenumbra領域での脳血流量の変化を示す。虚血中の平均血流は、normothermia群で24±11%、hyperthermia群で24±16%であった。血流再開後2時間の平均血流は、normothermia群で102±81%、hyperthermia群で147±79%であった。虚血中も血流再開後も、局所脳血流量は両群間に差は認めなかった。
図表図 7:プロトコール / 図 8:実験の模式図 / 図 9:penumbra cortexでの局所脳血流量の変化 実験中に2時間のhyperthermiaは負荷したが、虚血を加えなかったコントロール群では、観察期間中安定したグルタミン酸の基礎値を示した。虚血前、2時間虚血中、2時間血流再開における細胞外液グルタミン酸濃度の変化を図10に示す。虚血前の基礎値では、両群間に有意な差は認めなかった。虚血中のグルタミン酸濃度はhyperthermia群において有意に高値を示した。
hyperthermia群においては、細胞外液グルタミン酸濃度は虚血後直ちに急速に上昇しはじめ、中大脳動脈を閉塞してから10-20分で最高値の217±184Mに達した。虚血状態はその後も継続していたにもかかわらず、グルタミン酸濃度は急速に減少し、中大脳動脈閉塞後70-80分には虚血前の基礎値に近い値にまで低下してしまった。虚血前の基礎値と比べると、虚血中のグルタミン酸の上昇は中大脳動脈閉塞後の10-20分でのみ統計学的に有意であった。
normothermia群においても、細胞外液中のグルタミン酸濃度は虚血後に上昇しはじめ、中大脳動脈閉塞後10-20分で26±17Mの最高値に達した。hyperthermia群においてと同様に、グルタミン酸濃度はその後虚血中にもかかわらず減少し基礎値とほぼ同じレベルに戻った。
両群にあいて、第1部と同様に虚血中のグルタミン酸放出に対する血流の閾値を求めると(図11)、hyperthermia群で61%、normothermia群で33%であった。
図表図 10:細胞外液グルタミン酸の推移 / 図 11:虚血中のグルタミン酸放出に対する血流の閾値 第1部および第2部のまとめ:第2部の結果から、以下の点が示唆された:
(1)虚血中のhyperthermiaは虚血中の局所脳血流量を変えることなくグルタミン酸の上昇を助長し、グルタミン酸の上昇に対する虚血中の血流量の閾値も上昇させる。
(2)第1部で示唆された虚血中のpenumbra領域におけるグルタミン酸再吸収機構は、hyperthermiaでも保たれている可能性がある。
局所脳虚血によって脳梗塞となる原因は単独ではないが、第1部の結果から、グルタミン酸はその主要な原因の一つと考えられる。第2部の実験結果は、局所脳虚血モデルにおける細胞外液中のグルタミン酸の上昇が著しく温度依存性であることを示し、小動物の局所脳虚血モデルを用いて薬剤の効果を判定する際には脳の温度の管理が極めて重要であることが示された。