本論文は、日本古代史研究のための文献史料の中核をなす史書および法制史料について基礎的な考察を加えたものであり、序論のほか、三部からなる. 戦後、日本古代史研究は飛躍的に発展し、多くの研究が蓄積されてきたが、最近二〇年ほどの間には更に研究の精密度を高めつつあり、それには史料に対する一層厳格な取組みの姿勢を伴っている。古代史研究の主な文献史料はほとんどが活字化されているが、研究が深化するとともに活字史料に対する批判的検討が必要となり、史料の一字一句を写本にさかのぼって確認するという研究スタイルが定着しつつある。このような状況下においては、写本の伝来の経緯や、写本に加えられている改竄(抹消・加筆・校訂注記など)の性格を検討することによって、諸写本間の相互関係と個々の写本の質を明らかにし、依拠すべき写本を確定するとともに、更に進んで、主要な写本を相互に対校する作業を通じて各史料の原撰本の復原(=校訂本の作成)を意識的に追求することが求められる.ことに日本古代史研究の最も基本的な文献史料である史書および法制史料についてこのような基礎的研究を行うことは焦眉の課題となっている. 以上のような状況判断のもとに、本論文ではまず序論において最近二〇年間における史書・法制史料ならびに日記・儀式書を対象とした史料学研究の状況把握に努めた。それによれば,史料学研究の水準は歴史学的研究の進展と不可分の関係にあり、最も研究の盛んな八世紀史の基本史料に関して相対的に史料学研究が進展しており、ことに『続日本紀』と『令集解』については現存する諸写本の系統がほぼ解明され、原撰本復原のための基礎が固められつつある.これに対して、その他の律令関係史料や、最近になって研究が進展し始めた平安時代史研究の基礎となる『日本後紀』以下の四国史および儀式書に関しては、個々の写本研究では一定の進展があるものの、写本系統の解明が不十分であるため、史料を翻刻する場合、底本・対校本の選択の際にその弱点が露呈する.これらの史料については、研究者の共同作業によって史料ごとに写本の悉皆的調査を進め、写本系統を解明することから出発しなければならない.古代史料学研究は漸くその本格的な第一歩を踏み出したにすぎない. 本論文の第一部では史書を扱うが、ここでは最も史料学的な研究が進んでいる『続日本紀』を中心に据え、名古屋市蓬左文庫所蔵本(以下、蓬左文庫本と称する)および、蓬左文庫本と密接な関連を持ち、同じく蓬左文庫に架蔵されている角倉本『続日本紀』に考察を加えた.蓬左文庫本は一部に近世の補写があるが、その主体は金沢文庫旧蔵の鎌倉時代末期の写本で、『続日本紀』諸写本の中で最も書写年代が古く、また最も重要な写本であることが明らかにされており、『続日本紀』原撰本の復原に当っては中心的な役割を担う写本である.しかし蓬左文庫本は書写直後から近世初期にかけて数次にわたる改竄が加えられた重層的な構造を持っており、ことに近世に加えられた改竄は多様かつ夥しい数にのぼる.この近世の改竄については従来の校訂本では注意が払われていないが、改竄者とその意図を明確にすることによって蓬左文庫本の写本としての質を解明し、それを校訂本に反映させることが必要である.本論文では,角倉本『続日本紀』およびその周辺の関連史料の分析を通じて、近世初期の改竄が角倉素庵によって加えられたものであることを立証し、また改竄の意図については、近世初期に尾張藩主徳川義直が推進し、素庵も深く関わっていたと考えられる『類聚日本紀』編纂のための予備作業と推論した.この例が示すように、一般に写本に加えられた改竄を識別して写本の原形体を把握することにより、校訂本作成の際に当該写本に対して取るべきスタンスもまた明確になる. なお、校訂本を作成する場合、踏むべき手順をあらかじめ明確にしておくことは、作業効率の問題だけでなく、成果の質にも関わるが、明治末年から大正年間に宮内省で行われた六国史校訂事業はその手順を知ることができる希有のケースである.この校訂事業で行われた、底本・対校本の選択→諸写本の対校→対校結果の一覧表作成→校訂の際の考証過程の一覧表作成、という作業の内容を批判的に検討することにより、現時点での校訂本作成に資することができる.そのため本論文第一部ではこの六国史校訂事業の経過をも解明した。 本論文第二部では各種の法制史料のうち、『令集解』・『延喜式』関連史料・国司交替制度関係史料を研究の対象としている.法制史料については、『令集解』の他は、それぞれの史料の研究状況に応じて多方面から基礎的な考察を加えなければならない段階にあり、本論文でもこのような研究段階に規定され、史料に対するアプローチの角度もまた多様なものになる. まず『令集解』については写本系統がほぼ解明され、重要度の高い写本も識別されている.『令集解』の現存諸写本は、今は失われた二種類の金沢文庫本のいずれかから派生していることが明らかにされているが、そのうちの一方に最も近い位置にある重要な写本と見なされている田中穣旧蔵本(以下、田中本と称する)については、近年まで公開されていなかったため、写本系統上の位置付けに不確実な部分を残し、見解の対立が見られた.本論文では田中本に加えられた押紙の筆跡と、田中本の形態的特徴を手懸かりに問題点を検討し、田中本の写本系統上の位置付けをより正確なものにしようと試みた。 次に『延喜式』関連史料として取り上げた『延喜式覆奏短尺草写』は、『延喜式』の編纂段階において条文の内容・字句を確定していく過程を示す史料であり、『延喜式』成立史の研究にとって貴重な史料であるばかりでなく、古代の法典編纂の具体的なプロセスとそれへの天皇の関わり方を解明する手懸かりをも与えるものである.この史料は極めて難解であり、内容の理解は今後の研究に俟たなければならないが、内容の検討に先だってまず外形的な問題点を全て解決しておくことが必要である。本論文では、この史料の伝来の過程で料紙の破損に起因する錯簡が生じていることを指摘し、写本の形態と記述内容の両面から錯簡の個所に考察を加えることによってこの史料の原形体を復原した. 次に国司交替制度関係史料として、本論文では『延暦交替式』・「不与解由状」・「検交替使帳」を取り扱っている。 国司交替に関する基本法は延暦・貞観・延喜の三交替式である.それぞれの交替式の写本はいずれも祖本となる古写本が伝わっているため、写本自体の研究はなされていないが、史料学的には、各交替式の個々の条文の成立についての研究、および各交替式の構成とそこに貫通する論理の構造に関する研究も、個々の条文を歴史学的研究の史料として用いる前提として踏まえる必要がある.本論文では、この二つの論点に関連して、『延暦交替式』所収の二つの条文を取り上げ、条文の原形体について考察し、あるいは年次未詳条文の成立時期を解明し、併せて『延暦交替式』の論理構造解明の前提として、この交替式における条文配列の原則について試案を提示した. 次に取り上げた「不与解由状」・「検交替使帳」はいずれも国司交替の際に作成される交替公文である.「不与解由状」については文書の形式・内容に関する研究の蓄積があるが、その機能および成立の契機・時期については問題が残っており、「検交替使帳」に関しては全ての面でほとんど研究がなされていない、本論文では、「不与解由状」について、その作成手続きを媒介に「不与解由状」の制度的成立の時期を解明し、この文書の機能と成立の契機についても考察した。また「検交替使帳」については、唯一現存する鎌倉時代の「筑後国検交替使実録帳」の錯簡を正すとともに、この文書を手懸かりに、検交替使の実態、「検交替使帳」の機能および「不与解由状」との関連などを究明した。 本論文第三部では三種類の史料を翻刻し、それぞれの史料の意義について解題を加えた.九条家旧蔵本『令訓釈』は中世の律令学に関する新史料であるが、中世における『令義解』写本の伝来にも関わり、本論文第二部と関連する。また『類聚国史』関係史料も中世における『類聚国史』写本の伝来の一端を示すもので、本論文第一部に関連している。なお『平治元年十月記』は平安後期の公家日記の空白を埋める史料として翻刻し、併せてこの日記の記主を明らかにしたものであり、本論文では対象外とした日記・儀式書研究の一部を構成する. |