学位論文要旨



No 212409
著者(漢字) 北野,市子
著者(英字)
著者(カナ) キタノ,イチコ
標題(和) 円錐動脈幹異常顔貌症候群に類似する特異顔貌児についての検討 : その臨床的有用性と診断上の問題点について
標題(洋)
報告番号 212409
報告番号 乙12409
学位授与日 1995.06.28
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第12409号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新美,成二
 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 教授 桐谷,滋
 東京大学 教授 波利井,清紀
 東京大学 講師 須佐美,隆史
内容要旨

 小児の言語臨床において、言語発達遅滞や口蓋裂等を主訴として来院する児のなかに、その顔親が両親と似ておらず、互いに共通する特異的な顔貌を有するものが見られる.これらの児の多くは先天性心疾患や精神発達遅滞を合併しており、また明らかな口蓋裂や粘膜下口蓋裂がないのに開鼻声を呈する者も見られる.このような合併症を有する児の特異顔貌については、過去に様々な領域からの報告が見られる.我が国において代表的なものは、木内が報告した円錐動脈幹異常顔貌であり、外国においてはShprinczenが提唱したVelocardiofacial(VCF)症候群がある.前者は円錐部の異常を主とした先天性心疾患を有する症例に見られる特異顔貌とされており、後者は口蓋裂または粘膜下口蓋裂に心疾患を合併した症例に見られるとされている.いずれも、その徴候が極めて類似しているため、近年その症候群としての独立性を疑う見解や、診断基準の不明確性について指摘する議論が多くなされている.著者も同様の徴候をもつ患児を多く経験している.今回、これらの症例を詳細に検討し、こうした徴候をもつ患児について一つの疾患概念をもつに至ったので報告する.

対象

 症例は、1983年から1993年までの10年間に口蓋裂、心疾患、発達遅滞などを主訴に静岡県立こども病院口蓋裂診療班、循環器内科、内分泌代謝科、神経内科を受診した患児のうち、両親と顔貌の類似性が少なく、特異な顔貌をもつと判定された40例で、女児20例男児20例である.年齢は生後1カ月から10歳3カ月にわたり、平均年齢は3歳6カ月である.特異顔貌の判定は、本顔貌を多数経験している言語治療士、形成外科医、小児歯科医、循環器内科医4名が個々に患児の直接面接を行い、全員の意見が一致した症例のみを特異顔貌症例として選択した.

検討項目1. 顔貌の特徴

 (1)顔面の分析 顔面の正面写真が得られた40例中36例について計測点を設定し、内眼角間距離、口裂幅、眼瞼裂幅、眼瞼裂斜度を計測した.また、安静時の観察から安静時開口、上眼瞼肥厚(はれぼったい目).鼻根部の平坦化等の有無について判定した.

 (2)顎顔面骨格形態 本顔貌の顎顔面骨格形態を知るために頭部X線規格写真分析を行った.写真が得られたのは23例(女15例、男8例)で、口蓋形成術による顎顔面発育抑制の影響を取り除くために、口蓋形成術を施行したものは除外した.

2. 言語機能(1)口蓋咽頭形態と鼻咽腔閉鎖機能

 開鼻声または口蓋裂を認めた症例の口蓋咽頭形態および鼻咽腔閉鎖機能について調査した.また手術的治療を行った症例の術後の鼻咽腔閉鎖機能の改善について検討した.

(2)構音障害

 構音障害を認めた症例の構音の誤りを分析した.

3. 先天性心疾患

 先天性心疾患を有する症例の心奇形のタイプは、全例血管造影を含む心臓カテーテル検査または手術により確定されている.これらの症例の心奇形のタイプについて調査した.

4. その他の合併症

 病歴の検索および視診による観察等から、合併症について調査した.

5. 家族内発生

 両親や親族との面接により、親族内での先天性心疾患、口蓋裂や開鼻声などの言語症状、精神発達遅滞、特異顔貌の有無について調査した.

結果

 40症例の結果一覧を表1に示す.顔貌の特徴のうち、顔面についてはこれまで本邦で報告された結果と同様、内眼角開離、口裂幅の縮小、眼瞼裂斜上、鼻根部平坦化、上眼瞼の肥厚が高率で見られ、円錐動脈幹異常顔貌症候群の特徴と同一と思われた.顎顔面骨格形態は頭蓋底角が縮小し、上下顎が前方偏位していることが明かとなった.その他、咬合平面の平坦化、顎角の狭小化、下顎枝後縁の時計周りの回転が認められた.これらの特徴を顕著に表わす男女各5歳6カ月〜6歳6カ月年齢集団の平均プロフィログラムを図1に示す.これらの顔面の特徴や顎顔面骨格形態はVCF症候群と異なるものであった.VCF症候群の顔面は外眼角が下降しており、肉付きのよい棒状の鼻を特徴とする.また、顎顔面骨格形態は頭蓋底角が開大し、下顎が後退した長い顔を特徴とする.従って顔貌の特徴からは今回の対象患児とVCF症候群児は異なるentityに属するものと思われた.言語機能については、口蓋裂、粘膜下口蓋裂、先天性鼻咽腔閉鎖機能不全症を示す症例が28例70%で、これらのうち手術施行群の術後の鼻咽腔閉鎖機能改善成績が不良であり、この結果はこれまでの内外の報告およびVCF症候群の特徴と合致した.先天性心疾患の合併は29例73%にみられ、そのタイプはVSD、ToFなど円錐部の異常が多く木内ら、Shprintzenらの報告と同様であった.その他の合併症については、精神発達遅滞、低身長の合併が高率であり、その他耳介奇形、鎖肛、指趾異常など全身に及ぶ合併症が見られ、木内ら、Shprintzenらの報告と共通していた.家族内発生は7例にみられた.これらのことから、今回研究対象とした特異顔貌集団は木内の報告した円錐動脈幹異常顔貌症候群と同様の顔貌特徴をもち、VCF症候群とは異なる顔貌と思われたが、顔貌以外の他の徴候はいずれの症候群にも共通する特徴が見出され、診断名を特定することは困難であった.

表1 特異顔貌40症例の臨床症状まとめ
考察1. 臨床的有用性

 本顔貌を呈する患児については、その有する問題点や治療経過についてかなり的確に予測し得るので、本顔貌を特定することは臨床上非常に有用であると思われた.例えば小児循環器内科領域においては、聴診による心疾患の発見の後に、本顔貌をもって非観血的に心臓の円錐部異常を診断し得る確率が高いといわれている.さらに、筆者は臨床的には以下のような有用性を経験している.すなわち本顔貌を呈するがゆえに口腔内診査を行い、言語発達初期に粘膜下口蓋裂を発見することができた.こうした患児には早期から口腔機能の発達についての直接的指導や家族への助言を行って、予測される構音障害の発生に対して十分な知識と適切な対応を指導することが可能であった.明らかな口蓋裂症例については、初回口蓋形成術後の鼻咽腔閉鎖機能改善成績が不良であることが特徴的であった.この知見は外科的治療の予後予測に役立てることができ、家族へのインフォームド・コンセントを行う際に有用であった.さらに精神発達遅滞や言語発達遅滞を生じる可能性が高いため、早期の言語指導や家族指導を行った.

2. 診断上の問題点と包括的概念の提唱

 今回の調査は特定領域の患児の調査ではなく、顔貌の類似性を基盤にした多様な主訴をもつ症例の調査である.顔貌の類似性という観点からは円錐動脈幹異常顔貌症候群に類似した顔貌としてまとめ得る共通点をもっていたが、他の徴候においては必ずしも心疾患を伴っていなかったり、他のさまざまな組み合わせをもつ集団であった.このことから、既存の症候群診断基準ではこれらの特異顔貌集団に対して特定の診断を下すことができず、同一患児の同一徴候に対して二つ以上の診断が下される可能性が有り、診断上の混乱が生じるという問題点が見出された.例えば心疾患を伴わない円錐動脈幹異常顔貌児の診断をどうするか、また口蓋裂と心疾患を伴う異常顔貌児はVCF症候群であるのか円錐動脈幹異常顔貌児であるのか、またVCF症候群は免疫機能の異常を伴うことがあることからDiGeorge sequenceと類似疾患であるとの見解もあり、また眼疾患を合併する症例についてCHARGE associationとの異同が議論となっている.これらに精神発達遅滞を加えると図2のような組み合わせが考えられ、どこまでが症候群としての必然の組み合わせで、どこまでが偶然の組合せであるのか特定し難い.すなわち図2に示す様に、この特異顔貌は心疾患と口蓋咽頭の異常、精神発達遅滞の合併を主とし、さらに他の合併症を加えたいくつかの疾患の組み合わせに伴って出現している.この顔貌は発生学的に近似した領域および同一時期にheterogeneousな病因によって生じる、多様な病態に合併し得る形態的変化である可能性があり、そのため本顔貌を主徴とする症候群を想定すると、そのspectrumが拡大するものと思われる.奇形症候群(Malformation syndrome)は本来、単一の病因(single cause)によってひきおこされる奇形の集合体であるという定義に従えば、今回の対象児やVCF症候群などの既存の疾患群はsyndromeとして独立性を主張することには無理がある.従ってこれらの症例については、むしろ特異顔貌を主体とした奇形の連合(association)という包括的疾患慨念をもつ方が臨床的に有用であると考える.すなわち、本顔貌に伴う心疾患、口蓋裂の発生率は60〜70%と主徴になり得る率ではあるが、他の症状も含めた組合せは多様であるため、Velocardiofacial associationと捉えることが妥当のように思われる.

図表図1 円錐動脈幹異常顔貌症候群児のプロフィログラム / 図2 本調査研究対象の特異顔貌集団と近縁類似疾患との関係
審査要旨

 本研究は円錐動脈幹異常顔貌症候群と類似する特異顔貌を示す40症例について、顔貌の特徴などの臨床症状を詳細に分析することによって、これらの徴候をもつ患児について一つの疾患概念をもつに至ったものである.本特異顔貌には先天性心疾患・口蓋裂・精神発達遅滞等を高率で合併するため、これまで個々の徴候を主体とした診断が下されていた.その代表としてVelocardiofacial(VCF)症候群や円錐動脈幹異常顔貌症候群などがあるが、いずれも諸領域で断片的に報告されていたものであり、今回豊富な症例を包括的に分析して下記の結果を得ている.

 1.顔面の特徴は、内眼角間距離の開離、口裂幅の縮小、眼瞼裂幅の短小、眼瞼裂の斜上、開口、上眼瞼の肥厚、鼻根部の平坦化などであり、これらは円錐動脈幹異常顔貌症候群と類似していた.

 2.顎顔面骨格形態については上下顎の前方偏位が顕著であった.また上顎前歯の唇側傾斜傾向、Gonial angleの狭小化、Saddle angleの狭小化、口蓋平面の平坦化が見られた.これらの結果は、VCF症候群の顎顔面形態とは異なるものであった.

 3.口蓋咽頭の異常の発生率は70%と高率にみられたが、VCF症候群はほぼ100%の発生率であり、発生率に若干の相違が見られた.しかし口蓋咽頭の異常に対する術後の言語成績が不良であることはVCF症候群と共通していた.

 4.先天性心疾患の発生は73%で、ファロー四徴症や心室中隔欠損症などの円錐部の異常を主とした.この傾向は円錐動脈幹異常顔貌症候群やVCF症候群と類似していた.

 5.その他の徴候については精神発達遅滞、低身長が高率で合併した.その他、低カルシウム血症、乳児性痙攣、耳介奇形、指趾の異常、鎖肛、眼の異常など全身におよぶ合併症が見られた.これらは円錐動脈幹異常顔貌症候群、VCF症候群の他、DiGeorge sequence、CHARGE associationなどに報告されているものと共通していた.

 6.特異顔貌集団を特定することは、粘膜下口蓋裂や口蓋咽頭の異常の早期発見、言語発達・精神発達への早期介入、口蓋形成術後の予後予測が可能で家族へのインフォームド・コンセントに役立つといった点で、臨床的に有用であった.

 7.特異顔貌集団は、顔貌の特徴から円錐動脈幹異常顔貌症候群と同一のものであると思われたが、VCF症候群やDiGeorge sequence、CHARGE associationとの類似性もみられ、いずれかの症候群であるという診断を下すことは困難であり、診断上混乱を生じるという問題点が見出された.

 8.上述した疾患単位はすべて同一のspectrumを示すものと思われ、個々のsyndromeとして存在するというよりは、共通した徴候の組み合わせをもつassociationであると捉えることが、臨床的により有効である.従って、三徴となり得る口蓋咽頭の異常、心疾患、特異顔貌を包括してVelocardiofacial associationと命名するのが妥当のように思われた.

 以上、本論文は特異顔貌児の臨床症状を分析し、本顔貌を特定することによる臨床的有用性を示した.さらに従来から議論されていた特異顔貌児の診断上の問題点を明らかにし、これを解決するための新たな疾患概念を提唱しすることによって診断学的に貢献すると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる.

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