学位論文要旨



No 212140
著者(漢字) 斉藤,和雄
著者(英字) Saito,Kazuo
著者(カナ) サイトウ,カズオ
標題(和) ハイドロリックジャンプを伴うおろし風の数値的・力学的研究
標題(洋) A Numerical and Dynamical Study of the Downslope Wind Accompanied by a Lee Hydraulic Jump
報告番号 212140
報告番号 乙12140
学位授与日 1995.02.20
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第12140号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木村,龍治
 東京大学 教授 山岬,正紀
 東京大学 教授 新田,勍
 東京大学 教授 山形,俊男
 東京大学 助教授 松田,佳久
 東京大学 助教授 木本,昌秀
内容要旨

 おろし風は、山越え気流に伴う気象現象の中でも、しばしば被害を伴う局地的な強風を発生させることから、特に興味ある現象として古くから気象学の研究対象となってきた。おろし風を発生させる山越え気流がハイドロリックジャンプ(はね水現象=山などの障害物を越えた流体が下流側で上方にはね上がる現象)を伴うことは、Long(1954)やHoughton and Kasahara(1968)の実験的・理論的研究や、Lilly and Zipser(1972)の観測的研究などにより古くから知られていたが、ハイドロリックジャンプの振舞に対する一般場や地形の効果については、これまで十分には調べられていなかった。また一般におろし風は地形の3次元的な影響を強く受けるにもかかわらず、これまでのほとんどの研究は、一般場や地形の2次元性を前提としていた。本研究では、非静水圧数値モデルを用いた数値実験と理論的考察により、ハイドロリックジャンプを伴うおろし風の振舞が一般場の変化や地形にどのように依存するかを数値的・力学的に調べ、これらを参考に日本における代表的なおろし風である「やまじ風」の事例研究を行った。また、非静水圧ネスティング数値モデルを開発することにより、これまで行われたことのなかった現実的な設定でのおろし風の予報実験を行った。

 第一章では、風上側と風下側で非対称な2次元の山を越える大気の流れの性質を、数値実験と解析解により調べた。

 解析解によれば、風下側斜面が急傾斜な非対称地形では山岳波がエンハンスされやすいが、その傾向は数値実験でも確認された。やまじ風の場合、四国山地の北側斜面が急傾斜になっていることが一般風が南よりの場合の砕波を起こりやすくしている。また、中国山地の存在によるブロッキングが、ハイドロリックジャンプの発生・停滞とジャンプ後面の逆向きの風の発生を容易にしている。ハイドロリックジャンプの振舞(ジャンプの停滞位置や移動速度の大小)の一般風の大きさに対する依存性は、Houghton and Kasahara(1968)が示した浅水流に生ずるハイドロリックジャンプの振舞と定性的に一致した。

 1987年4月21日の顕著なやまじ風について、実況データに基づく大気プロファイルを用いた数値実験を行い、逆転層がある場合には無い場合と比較して地表風はより大きくなることを確認した。また、一般風の大きさを時間とともに増大させる実験を行い、ハイドロリックジャンプの四国山地風下側斜面での発生と、一般風の強まりに応じた風下側への移動、およびこれに伴う平野部でのおろし風のオンセットをシミュレートした。数値実験で得られた場は、やまじ風の特徴である「やまじ風前線(ハイドロリックジャンプに伴う地上風速の急変域)」や、やまじ風前線北側での一般風とは逆向きの北風を表現しており、観測された地上での風速や気温・気圧の時間変化と、おろし風オンセットのタイミングのずれを除けば、概ね良く対応していた。実験結果に基いて一般場の変化に応じたやまじ風の概念モデルを提案した。

 第二章と第三章では、第一章で指摘された2次元シミュレーションと観測とのずれの原因の一つとしての3次元地形の効果を調べた。

 山脈地形を越える浅水流における3次元地形の効果については、流路幅が変化する場合の定常状態が存在する条件についてArakawa(1969)が考察を行っているが、本研究の第二章では、非定常流(ハイドロリックジャンプを伴う流れ)の解の特性を、Houghton and Kasahara(1968)の理論的モデルを流路幅が変化する場合に拡張することにより調べた。山脈の風下側に移動するジャンプを伴うレジームでは、流路幅が小さいほど、また山脈が高いほどジャンプの移動速度は大きくなる。この結果は、山を越す流れと谷間を吹き抜ける流れは同じ様に変形されるというArakawa(1969)の指摘を裏づける。一方、山脈の後面にジャンプが停滞するレジームでは、ジャンプは流路幅が小さいほどより風下側に発生し、流路幅の減少はジャンプの停滞位置に関しては、山脈の高さの増大とむしろ反対の効果を持つ場合がある事が分かった。ジャンプの手前の流速は流路幅が小さいほど大きくなり、この結果は強いおろし風が鞍部を伴う山脈の鞍部風下側に発生する傾向があることに対応している。

 第三章では、おろし風に対する3次元地形の効果を、山脈を越える流れに対する鞍部の影響に焦点を当てて、線形解析解と数値実験によって調べた。山の形状を記述するため、スコーラー数で無次元化した山の高さと、山の高さに対する鞍部の振幅の比の2つのパラメータを用いた。

 数値実験で得られた流れのレジームは、線形論の予測するレジームと概ね良い対応を示したが、各レジームを分けるクリティカルな山の高さは線形論の予測値に比べて20%程小さかった。線形論によれば山脈前後の気圧差によって生ずるドラッグは鞍部の振幅が大きいほど大きくなるが、数値実験で得られたドラッグは山脈前面での澱み点の発生を伴う非線形レジームでは鞍部の振幅が大きいほど小さくなった。このことは、強いおろし風を生じさせるのに適した山脈地形の形状において鞍部の振幅に上限があることを示唆している。山脈が鞍部を伴う場合、山蔭後面では鞍部を伴わない場合と比較してより小さな高さの山に対しても砕波が生じ、ジャンプの停滞と後面の逆風の発生が見られた。一方、鞍部の後面では強風域は容易に風下側に拡大し、ジャンプ自体も不明瞭である場合が多い。ジャンプの振舞は、鞍部の存在による山脈の高さの違いに極めて敏感だが、山脈風上側のブロッキングは、鞍部の有無に比較的鈍感である。これらの鞍部の振幅の変化に対するハイドロリックジャンプの振舞の応答は、第二章で示された浅水流に生ずるハイドロリックジャンプの流路幅の変化への応答と定性的に対応している。

 1987年4月21日のやまじ風の事例に対し、第一章で行った一般風を時間とともに増大させる数値実験の3次元モデルによる再実験を行った。東西方向に平均した地形を用いた2次元数値実験では早過ぎるおろし風のオンセットのタイミングが、鞍部を含む四国山地の地形を用いた3次元数値実験では改善された。また、地表摩擦の効果をシミュレーションに含めることによって、より現実的な地表風系が得られた。シミュレーション結果を基に、やまじ風の特徴の東西方向での地理的な違いの理由を四国山地山蔭でのハイドロリックジャンプの停滞とその後面の逆風及び三島付近に抜ける鞍部風下側での強風域の拡がりによって説明した、やまじ風の概念モデルの改良版を提唱した。

 第四章では、第三章で用いられた非静水圧モデルをもとに多重ネスティング局地モデルを開発し、おろし風の予報実験を行った。

 モデルの初期化として、非弾性の連続の式と上・下部の境界条件とが満足されるように、変分客観解析を用いて風の場の修正を行った。側面境界条件として、Orlanski(1976)の放射条件の外部参照値を時間変化させてネスティングを行った。

 1991年9月27日の台風19号に伴うやまじ風の事例について、気象庁現業予報モデルJSMにネスティングした10kmと2.5kmの水平分解能をもつ非静水圧モデルによるシミュレーションを行った。10km分解能モデルにより予報された風は基本的にJSMによるものに近く、一般場の変化を良く表現するものの顕著なおろし風はシミュレートされなかった。一方、2.5km分解能モデルでは、四国山地後面のおろし風、新居浜付近の逆風、やまじ風前線がシミュレートされ、観測された地上風の変化と良く対応していた。シミュレーションで得られた風系と一般風の強さの変化に対応するハイドロリックジャンプの消長は、第三章で提唱したやまじ風の概念モデルを概ね支持する。

 比較感度実験を行い、地面温度が低いほど、また地表面粗度が小さいほど、地表付近の風は強くなることを確かめた。やまじ風の場合、四国山地の特徴的な形状(風上側と風下側の非対称性、鞍部の存在)に加え、燧灘の存在が、海陸の粗度の違いを通じて平野部での強風の発生に寄与している。

審査要旨

 山の風下側に強風の吹く現象が日本各地にあり、一般に「おろし風」と呼ばれる。その多くは、上空の風が特定の気象条件の下で山の風下側の斜面に集中して下降する現象である。四国の中央山塊から北側に吹き下ろす「やまじ風」はおろし風の代表的な例で、風速10m/sを越す南風が半日程度吹き続けることが多い。風速60m/sを越える「やまじ風」が吹き、送電線の鉄塔を倒したこともある。常識的には、山は風の障壁になるので、山の風下に弱風域が形成されるはずであるが、風上側よりはるかに強い風が風下側に吹く点が「おろし風」の特徴である。「おろし風」に関しては過去に多くの研究があるが、複雑な地形を理論的に扱いにくいということがあり、従来は、(自由表面のある流体、または密度が高さによって不連続的に変化するような流体など)理想化された流体系に対する力学的研究に限定されていた。また、極めて局地的な現象であるため、従来の数値予報モデルでは解像できない現象であり、局地天気予報に関連して、その予報の方法の開発が望まれている問題である。

 本論文は、「やまじ風」の予報を目標にして、おろし風を起こす地形条件と気象条件を詳細に研究したものである。論文は4章から構成される。

 第1章では、2次元のモデルを用いて線形及び非線形の解析解を求め、四国の山岳地形が南に緩傾斜、北側に急傾斜になっていることが、低い山頂にもかかわらず、従来の理論から予想されるおろし風より強風をもたらす原因になっていることを指摘した。また、二次元の数値実験を行い、風下に位置する中国山塊が風をブロックすることにより、風下側に弱風域を作り、それが、「やまじ風」の前兆現象である逆向きの風(北風)の原因になっていることを指摘した。さらに、その結果を、1987年4月21日に発生した「やまじ風」の観測結果と比較し、2次元モデルの限界を検討した。この検討により、著者は山岳地系の3次元的形状の効果が「やまじ風」の予報に必要であるとの結論を得た。

 第2章では、山脈が稜線の方向に凹凸がある効果を理論的に考察する。凹んだ部分は鞍部であるが、「やまじ風」は、特に、鞍部を吹き抜けるとき強風になる性質がある。その効果を理論的に扱うために、著者は幅が変化する水路に置かれた二次元の障害物を越える流れを理論的に扱い、鞍部の存在が、あたかも山頂を高くするのと似た効果を与えることを発見した。鞍部の存在は、緩急非対称な斜面の形状と相まって、「やまじ風」の強風の原因になっているわけである。

 第3章では、3次元の数値実験を行うことにより、地形とおろし風とハイドロリックジャンプの関係を詳細に調べた。その結果、山脈が鞍部を伴う場合は、低い山でも山岳波が容易に砕波し、ハイドロリックジャンプが生じて、全面に強風、後面に逆風が形成されることが示された。さらに、第1章と同じ気象条件の下で、実際の「やまじ風」の再現実験を行い、「やまじ風」の吹き始める時刻がより観測結果に近ずくことを確認した。

 第4章では、現在、天気予報に用いられている日本域スペクトルモデルに、著者の開発した3次元モデルを組み込み、初期条件と境界条件を実際の気象条件に近い状態で時間変化させながら、1991年9月27日に発生した「やまじ風」についての予報実験を行った。この数値予報モデルは、水平分解能10kmのモデルの一部に2.5kmのモデルを組み込み、さらにそれを水平分解能40kmの現業数値モデルに組込んだ複雑な構造になっている(3重ネスティングモデル)。予報実験の結果は良好で、四国山地後面のおろし風、新居浜付近の逆風、やまじ風前線をよく再現した。著者は、さらに、地面の温度や粗度に関する感度実験を行い、地面温度が低く、粗度が小さいとより強風になる結果を得た。

 本論文は、「やまじ風」という具体的な現象を研究対象としながら、おろし風一般に当てはまる基礎的な力学まで掘り下げて理論的に研究したことにより、おろし風に伴う強風の発現条件の知見を深めるのに貢献している。また、その基礎研究を「やまじ風」の予報モデルの開発まで進めたことにより、局地天気予報技術の発展にも寄与している。この意味で、気象学に寄与する点が多く、学位論文に十分値するものと判断する。

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