学位論文要旨



No 212021
著者(漢字) 阿部,清治
著者(英字)
著者(カナ) アベ,キヨハル
標題(和) 軽水炉の炉心溶融事故解析研究
標題(洋)
報告番号 212021
報告番号 乙12021
学位授与日 1994.12.08
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第12021号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 近藤,駿介
 東京大学 教授 班目,春樹
 東京大学 教授 岡,芳明
 東京大学 助教授 大橋,弘忠
 東京大学 助教授 古田,一雄
内容要旨

 炉心溶融事故解析とは、原子炉炉心が溶融するような苛酷な事故を対象として、原子炉冷却系内及び格納容器内で事故はどのように進展するのか、その結果、燃料中の核分裂生成物(Fission Product:FP)はどれ程放出され、それはプラント中をどのように移行し、格納容器破損時にどれ程の量が環境中に放出されるかを解析することである。解析の最終結果であるFPの環境への放出量は、「事故時ソースターム」と呼ばれている。本解析は一般に、確率論的安全評価(Probabilistic Safety Assessment:PSA)の一環として実施される。

 1975年に米国において、原子力発電所に対する世界で最初のPSAである「原子炉安全研究(Reactor Safety Study:RSS)」の最終報告書が公開されたが、そこでのソースターム評価は、極く簡単なモデルに基づくものであった。しかしながら、1979年に米国スリーマイル島(Three Mile Island:TMI)原子力発電所2号機で炉心が溶融する事故が発生し、それまで仮想的なものでしかなかった炉心溶融事故が現実にも起り得る事故であることが示された。一方で、同事故によるFPの環境放出量は、RSS等従来の想定に比べて極めて微々たるものであった。このため、1980年代には、炉心溶融事故時に起き得る諸現象についてより正確な知見を得ることと、そうした知見に基づいて、より精度良く炉心溶融事故の進展とソースタームを推定する手法を確立することが課題となった。

 1980年代初期に、原子炉冷却系内及び格納容器内での炉心溶融事故の進展を解析する計算コードとしては、RSSの知見に基づいて開発されたMARCHコードがあった。しかしながら、同コードでは、炉心溶融事故時の重要な現象を、単純過ぎるモデルで取り扱っているように思われた。例えば、原子炉冷却系内各部の水位は、炉心温度や安全系の作動タイミング、PWRの蒸気発生器での熱伝達等に支配的影響を及ぼすと考えられる。しかし、同コードのモデルでは、原子炉冷却系全体を単一の円筒で模擬し、炉心水位やダウンカマ水位、PWRの加圧器や蒸気発生器1次側の水位を同一にしてしまうものであり、精度の良い解析結果を得ることは望み難かった。また、燃料棒の溶融落下は、燃料棒の温度変化や水素の発生量に大きな影響を及ぼすと考えられた。しかしながら、同コードのモデルでは、燃料棒の溶融ノードに過剰な熱が加わった場合に、原則としてそれを周囲のノードに振り分けるものであり、TMI事故で見られたような溶融部分が落下する現象をモデル化するものではなかった。

 このため、i)原子炉冷却系内各部の水位を精度良く計算でき、また、ii)燃料棒の溶融部分の落下挙動を表現できるような,THALES計算コード体系が開発された。同コード体系は、PWR及びBWRそれぞれにおける原子炉冷却系内事故進展を解析するTHALES-PM及びTHALES-BMコードと、PWR及びBWRの両炉型に適用し得る格納容器内事故進展解析コードTHALES-CV2から成る。

 上述i)の流動計算のためには、設計基準事象解析コード同様、原子炉冷却系を多数のボリュームに分割することが不可欠である。一方、PSAでは数多くの事故シーケンスを長時間にわたって解析する必要があることから、設計基準事象解析コードよりはるかに高速の計算も要求される。このため、多数ボリュームで計算速度を速める、新しい非定常流動計算手法が考案された。この手法の計算体系は設計基準事象解析コードに広く採用されているノード・ジャンクション型モデルと同様である。しかしながら、解析手法は全く異なっており、ノード・ジャンクション型モデルでは各ボリュームに含まれる流体の体積がそのボリュームの幾何的体積に等しくなる条件で圧力を計算するのに対し、新しく考案された手法では原子炉冷却系全体に含まれる流体の体積が系全体の幾何的体積に等しくなる条件で圧力を計算する。

 同手法については、その評価・検証のために、同手法を組み込んだTHALES-BMコードと、米国の電力研究所(Electric Power Research Institute:EPRI)が設計基準事象の進展の詳細解析のために開発したRETRANコードとの比較解析が行われた。トランジェントに始まる事故シーケンスについては、両コードの解析結果は、原子炉冷却系内各部の水位も燃料被覆管の温度も極めて良く一致した。LOCAに始まる事故シーケンスについては、両コードの解析結果には相違があったが、炉心溶融事故時の諸現象の不確実さに比べれば十分小さな相違であった。また、THALES-BMコードの計算時間は、RETRANコードの100分の1程度であった。これから、THALESでの原子炉冷却系内事故進展解析のために考案された流動解析手法が、炉心溶融事故解析のためには十分な精度と高速性を有することが示された。

 上述ii)の燃料棒溶融落下挙動は、THALESの開発当時はもとより、現在でも十分に解明されていない現象である。従って、THALESでのモデル開発では、現象を忠実に模擬することよりは、様々な溶融ノード落下モデルを用意することにより、モデルが異なった時の影響を把握することが図られた。

 THALESコード体系と、別途開発されたFPの放出・移行挙動解析コードARTの結合により、炉心溶融事故の進展からソースタームまでを一貫解析できる総合的なコード体系THALES/ARTが確立された。それを用いて、PWRとBWRについて、原子炉冷却系内事故進展、格納容器内事故進展、FPの放出・移行挙動に関する感度解析計算が実施された。

 この解析を通じて、THALES/ARTコード体系が、PWRとBWRの広範な事故シーケンスにおける炉心溶融事故の進展とFPの放出・移行に関し、定性的には合理的に説明ができる計算結果を出すことが示された。また、THALES/ARTコード体系の有する特徴である、原子炉冷却系内流動計算モデル、燃料棒溶融落下モデル等が、事故の進展やFPの放出・移行挙動を解析する上で大きな役割を果すものであることも示された。

 一連の解析の結論は以下のとおりである。

 (1)炉心溶融事故の進展やソースタームは、対象とするプラントの形状と想定する事故シーケンスによって著しく異なる。

 (2)原子炉冷却系内での事故進展の速さは、どれ程の冷却材が炉心冷却に寄与するかに支配され、それはLOCAにおける破断口の位置及び口径、PWRの蒸気発生器での熱伝達、安全注入系の作動・不作動等によって決まる。

 (3)格納容器内での事故進展の速さは、格納容器冷却系の作動・不作動と、原子炉キャビティの形状(格納容器床の水が流れ込むか否か)に支配される。

 (4)ソースタームは、i)原子炉容器内でどれ程のFPが放出されるか、ii)原子炉冷却系内でどれ程のFPが沈着するか、iii)原子炉キャビティでどれ程のFPが放出されるか、iv)格納容器内でどれ程のFPが沈着するか、の4項目に分けて考えると分かり易い。

 (5)原子炉容器内でのFPの放出量は燃料もしくはその融体の湿度に支配されることが知られているが、この温度に対しては燃料棒溶融落下モデルが大きな影響を及ぼす。

 (6)原子炉冷却系内でのFPの沈着量は、ほとんどの場合無視できない割合である。従って、事故の途中での収束やFPの再蒸発を考えない限り、原子炉容器内でのFPの放出量が大きい程ソースタームが小さくなる傾向がある。

 (7)原子炉キャビティ内でのFPの放出量は、キャビティ中の融体の温度に支配され、それに対しては原子炉キャビティに水が流れ込むか否かが大きな影響を及ぼす。

 (8)格納容器内でのFPの沈着量には、FPの放出が激しくなる時刻から格納容器が破損する時刻までの経過時間が大きな影響を及ぼす。格納容器の破損時刻には、原子炉キャビティに水が流れ込むか否かが大きな影響を及ぼす。

 炉心溶融事故時の諸現象については、今でも不確実さが大きいので、本研究と同時期あるいはそれ以降になされた他の炉心溶融事故解析研究で得られたソースタームの値等は本論文の値と必ずしも一致していない。しかしながら、上述の定性的な結論は、他の研究によってもほぼこの通り確認されている。

 この他のTHALESの応用として、米国PBF(Power Burst Facility)のSFD(Severe Fuel Damage)実験の解析が行われた。最初のSFD実験である「スコーピング試験」についての解析では、実測された試験燃料集合体の温度上昇が精度良く再現されると共に、実験中に現われた温度急上昇の原因について、それが試験燃料集合体の下方で突然激しくなったジルコニウムの酸化反応によるものであるとの新しい解釈が提示された。

 高転換加圧水型炉(HCPWR)の1次冷却系内事故進展の解析では、HCPWRで炉心溶融事故が起きたと仮定した場合、事故の進展速度は従来型PWRと大差ないものであることが示された。

 PWRのフィード・アンド・ブリード運転の有効性解析では、LOCAシーケンスとトランジェント・シーケンスを対象に様々なケースの解析が行われ、1次系の加圧器逃し弁(PORV)を開くことによるブリードや、2次系の主蒸気逃し弁(MSRV)を開くブリードの有効な場合や無効な場合が明らかにされた。

審査要旨

 原子力発電所の確率論的安全評価(Probabilistic Safety Assessment:PSA)では、様々な事故シーケンスの体系的摘出及びその発生頻度の評価とともに、炉心溶融事故解析、すなわち、原子炉の炉心が溶融する事故シーケンスのそれぞれについて、事故が原子炉冷却系内及び格納容器内で進展していく様子や、その結果として燃料から核分裂生成物(Fission Products:FP)が放出され、プラント中を移行して格納容器破損時に環境に放出されていく状況を解析することが重要である。この解析の最終結果であるFPの環境への放出状況はこの事故シーケンスの影響評価の入力になるので、「事故時ソースターム」と呼ばれている。

 1975年に米国で行われた原子力発電所についてのはじめての本格的なPSAである「原子炉安全研究」では、事故時ソースタームは極く簡単なモデルで評価されていた。しかしながら、1979年に米国スリーマイル島原子力発電所2号機で発生した重大な炉心損傷事故は、それまで仮想的なものでしかなかった炉心溶融事故が現実にも起り得ることを示す一方、FPの環境放出量が「原子炉安全研究」の示すところと比べて極めて小さかったことから、炉心溶融事故の進展と事故時ソースタームをより精度よく解析できる手法の確立を促した。本論文は、著者が日本原子力研究所において1980年代はじめよりこの課題に応える目的で開発に着手し整備してきた、PWR及びBWR両炉型における原子炉冷却系内事故進展解析コードTHALES-PM及びTHALES-BMとPWR及びBWRの両炉型に適用し得る格納容器内事故進展解析コードTHALES-CV2について、その開発の経緯とそれに基づく研究成果を取りまとめているもので、6章から構成されている.

 第1章は序論で、軽水炉の炉心溶融事故解析の重要性と研究の視点を述べているものである。

 第2章は、これらのコード体系で採用している数理モデルならびに新しい計算手法について述べているものである。これらのコード開発にあたって著者は、原子炉冷却系内各部の水位が事故進展を支配する一つの重要な因子であることに着目し、これを合理的な計算時間で精度良く計算できる流動計算モデルを考案し、また、溶融した燃料棒の落下という複雑な現象を、後の研究に指針を与える観点から、いくつかの大胆な仮説の下でモデル化して解析に取り入れている。

 第3章は、開発されたコードの評価・検証について述べているもので、採用したモデルごとに過酷事故に関する炉内実験であるPBF/SFDの再現解析、設計基準事象進展の詳細解析コードRETRANコードとの比較解析、「原子炉安全研究」に用いられた解析コードであるMARCHとの比較解析などを行い、モデルの妥当性及び意図した開発効果を確認し、さらには実験結果の解釈に新しい知見を提供することができたとしている。

 第4章は、開発されたコードシステムを用いて、PWRとBWRについて、原子炉冷却系内事故進展、格納容器内事故進展、FPの放出・移行挙動に関する感度解析を実施した結果を取りまとめているもので、開発されたコード体系が、両炉型の広範な事故シーケンスにおける炉心溶融事故の進展とFPの放出・移行に関して、定性的には合理的説明が可能な結果を与えることが示されている。また、このコード体系のために新たに開発された原子炉冷却系内流動計算モデル、燃料棒溶融落下モデル等が事故進展やFPの放出・移行挙動の解析に大きな役割を果すことや、格納容器冷却系の作動・不作動と原子炉キャビティの形状が格納容器内での事故進展の速さに大きな影響を与えることなど、シビア・アクシデント・マネジメントにも有益な知見も示されている.

 第5章は、このコード体系の有効性を示すいくつかの応用解析の結果を示しているもので、高転換加圧水型炉(HCPWER)の一次冷却材系内事故進展の解析では、HCPWRの炉心溶融事故進展は従来型PWRのそれと大差ないこと、PWRのフィード・アンド・ブリード運転の有効性解析では、冷却材喪失事故シーケンスと過渡事象シーケンスを対象に様々なケースの解析を行い、加圧器逃し弁を開くブリードと主蒸気逃し弁を開くブリードのそれぞれが有効な場合、無効な場合がシーケンスによって異なること、などを述べている。

 第6章は結論で、研究内容をまとめ、今後の研究課題を展望しているものである。

 以上のように、この論文は原子力発電所のPSAの実施に必要な軽水炉の炉心溶融事故解析をより精度よく実施できるツールを開発し、採用されているモデルの妥当性と得られたツールの有効性を例をもって示しているもので、その後の炉心安全研究、リスク解析研究に大きな影響を与えており、システム量子工学の発展に寄与するところが少なくない。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50915