学位論文要旨



No 211958
著者(漢字) 石村,真一
著者(英字)
著者(カナ) イシムラ,シンイチ
標題(和) 桶・樽の生産技術に関する研究
標題(洋)
報告番号 211958
報告番号 乙11958
学位授与日 1994.10.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第11958号
研究科 工学系研究科
専攻 建築学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 藤森,照信
 東京大学 教授 横山,正
 東京大学 教授 長澤,泰
 東京大学 助教授 藤井,明
 東京大学 助教授 曲淵,英邦
内容要旨

 本論は我が国において広く普及されている桶・樽の生産技術に関する成立過程を、東西の木材加工技術、工具、材料を通して明らかにすることを目的とする史的研究である。

 桶・樽の集成技法に関する指摘は遠藤元男の"細長板と割竹の造形者・結桶師"(『歴史手帳三巻2号』,1975年発行、所収)に認められ、生産技術の価値を造形技術面から再考する示唆があった。桶・樽製作用工具を我が国の大工道具の発達と関連づけて見る指摘は村松貞次郎の"桶・樽文化と木工具"(『学士会会報第744号』,1979年発行、所収)に認められ、桶・樽の工具に対する研究の必要性が強調された。桶・樽の研究はその後活発な動きを示し、特に民俗学、生活文化学の分野から研究が進展した。本論はこれら先学の研究成果を基礎とし、さらに国際的な視野に立脚した生産技術の比較研究を試みるものである。桶・樽の生産技術は単に製作技術、道具という要素の追究だけでは全体を掌握できない。意匠、構造、使用材料と複合することで全体の実像に近づくことになる。本論はこうした生産技術にかかわる多面的な要素を文献資料、図像資料、民俗資料を通して東西の比較を試みた。

 以下、本論各章の論点と概要を記す。

■序章

 序章においては、桶・樽に関する既往の研究、研究方法と対象について記述した。

■I部桶・樽の意匠と構造◆1章桶・樽の定義

 本論で取り上げる桶・樽は結い物として製作された結桶、結樽のみを指すが、これまで明確な定義が示されていない。その問題点の一つに我が国で使用されてきた文字と実体の関係がある。「笥」、「桶」、「樽」、「ゆい桶」という文字の使用について『万葉集』、『延喜式』、『鎌倉遺文』、 『教王護国寺文書』、『北野社家日記』、『山科家禮記』を主な資料とし、その中に記述されている用例をまず摘出した。その後文字の使用を年代順に整理し、実体との相関を求めた。こうした方法を通して桶と樽の文字は必ずしも同一展開を示していないことが明らかとなった。また、現在関西地方を中心に深い桶を樽と呼ぶ慣習が認められるが、元禄期の『好色五人女』にも同様の使用例があり、古い起源を持つものであることが確認された。

 本論では文字の使用実態を配慮しながら、固定蓋のないタイプを桶、固定蓋のあるタイプを樽とし、構造上の規定を行った。

◆2章ヨーロッパ、中国、朝鮮半島の桶・樽

 桶の原型は既にB.C2800年前後のエジプトに見られるが、樽の成立は現存する資料からヨーロッパであったと推定した。我が国に桶・樽の技術が伝来するまでには中国の技術として定着していることから、まずヨーロッパ、中国の桶・樽に関する意匠、構造の資料を通して標本を作成する必要があった。絵画資料、フィールドワークによる資料を手がかりに全体の形態、運搬機能、箍の構造、材質の類型化を試みた。その結果ヨーロッパの桶・樽を基盤とすれば、中国の桶は形態の意匠性が強く、樽は当初から縦に置いて運搬する傾向があったことが明らかになった。また、朝鮮半島は中国ほど桶・樽文化が発達していず、我が国への伝来は竹箍の発達した中国中南部である可能性を指摘した。

◆3章日本の桶・樽

 ヨーロッパ、中国の標本を基礎とし、我が国の桶・樽を発掘資料、伝世資料、絵画資料、民俗資料を通して分類した。その結果、我が国において桶は鎌倉中期に成立し、初期のタイプは竹箍だけでなく、蔓状の箍、曲物状の箍が存在したことが確認された。樽については資料が乏しく、15世紀末の資料が最古のものである。このことから樽は桶よりやや発達が遅れたという結論を得た。大型の桶類は中世末から発達の動きがあり、現在使用される30石以上のタイプは江戸期に入ってから確立したことを指摘した。また、味噌桶、大桶のフィールド調査資料を通して見る限り板目材の使用は規格化されていず、アルコール、塩分が柾目材に浸透するという一般説は肯定できないことを指摘した。

 我が国の桶・樽文化が独自性を示すのは江戸中期以降であり、中世後期より長い年月を経て徐々に変化があったことを記した。

■II部桶・樽の工具、加工技術、材料◆1章ヨーロッパ、中国の生産技術

 ヨーロッパの製作技術の特徴は樽に見られる焼き曲げ加工にある。木材を曲げて成形する技術自体は造船に広く認められることから、樽の技術は独自の発達を示したものではなく、木材加工技術の発達の延長上に位置していることを指摘した。桶・樽用工具に関してもジョインターに代表されるように基礎工具に定規を付加させる技術が早くから発達し、ネジの技術文化と結合して展開したことを指摘した。但し、基礎工具の使用自体は東西に広く共通した部分があり、工具が持つ工作原理は古代より交流があったことから、工具における東西交流の実態についても考察した。

 中国の製作技術は鉋、鋸、錐に見られるようにヨーロッパと共通する部分が多い。しかしながら刃物の刃表、刃裏に関する工作原理は独自の展開を示し、東アジアの特徴を形成していることを指摘した。また、ヨーロッパが広葉樹の使用が多いのに対し、中国は針葉樹の使用割合が多い。この傾向は朝鮮半島も含めて我が国と共通していることを述べた。

◆2章日本の生産技術

 我が国の桶・樽製作技術は鎌倉中期に中国から伝来した可能性が強いが、当初から現在見られる工具を使用してはいない。製作技術、工具は段階的な発達があり、正直台のような定規を付加した工具は中国においても南宋前期には成立していない。この実証は中国と我が国の絵画資料を通して行った。

 絵画資料から見た場合、江戸初期においても現在使用する工具の一部には普及していないものがある。江戸後期に至り、概ね製作技術、工具が現在のものに近づいたことを資料より抽出した。また、我が国の製作技術、工具の発達は中国にだけ影響を受けたわけではない。引廻し鋸、側板を計測する定規はヨーロッパの影響を受けて江戸中期以前に成立した可能性が高く、その内容の実証をヨーロッパの絵画資料、フィールド資料との比較を通して行った。

 江戸初期以降桶・樽は産業と深く関与し、特に醸造業の生産規模の拡大にともない桶の大型化が加速化される。同時に標準化も促進され、地方文化にその影響が短期間に伝来することになった。こうした現象を東西の近世社会の特徴として位置づけ、現存する資料と絵画資料、文献資料を比較して指摘した。

 明治期に入り、政府の殖産政策と呼応してヨーロッパから導入された新しい産業が活発な動きを示す。当然桶・樽は輸送容器として利用されるが、国際社会に対応するためにヨーロッパ規格の樽と計量単位が使用されるようになる。そして樽の製作技術にもヨーロッパの工具、機械類が多数導入されることになる。その結果、我が国の伝統的な桶・樽の技術文化にもヨーロッパの工具が浸透していった。明治以降の大量生産システムは木材の大量消費を促し、そのために木材供給が消費に追いつかない現象が大正期から起こった。この現象はその後も続き、第二次大戦後に桶・樽文化が衰退していく主な要因となっており、その経過をセメント樽、砂糖樽の事例を通して指摘した。

審査要旨

 本論は桶・樽の意匠、構造、製作技術に関する史的考察を目的とする研究である。桶・樽の生産技術に関する研究はこれまで断片的な形でしか考察が成されておらず、特に加工技法とその使用工具については系統性を持つ論究が全く見当たらないというのが現状である。桶・樽の生産技術は木材加工の技術として東西に広く普及し、基本加工が長く伝承されてきたことから、木材加工技術史の比較考察を行う貴重な資料となっている。本論の史的考察はこうした東西の木材加工技術を比較研究を通して標本化するものである。

 本論はI部1章でまず桶・樽の構造を定義づけるために、我が国の文献資料から桶・樽という文字とその実体について検討が成された。その結果、桶と樽の文字は成立過程が異なり、双方の文字が実体との整合性を持つに至ったのは近世以降であることが明らかになった。この事実を前提として、これまで明確に規定されていなかった桶・樽の定義が成された。

 2章では桶・樽の生産技術が先行していたヨーロッパ、中国に関して形態的特徴を基本に類型化が試みられた。フィールドワーク、絵画資料等から抽出した結果、形態の基本構造に東西の差は殆ど認められず、中国南部に見られる装飾性も構造的区別はないことが指摘された。但し、東アジアの広域に認められる竹箍と竹の植生に関してはヨーロッパの素材と異なることから、今後その成立過程に関してさらに検討する課題を残している。

 3章では2章で標本化されたヨーロッパ、中国の内容を基礎とし、我が国の形態的特徴を抽出するための検討が成された。その結果、我が国の桶・樽は中国の形態を鎌倉時代以降基本的に踏襲しており、近世以降において一部に独自の改良が成されたことが明らかにされた。

 II部1章ではヨーロッパ、中国、朝鮮半島における生産技術が資料を通して広く述べられている。東西で使用される鉋、鋸、錐という代表的加工具を構造面から類型化した比較考察法は独自的であり、豊富な資料より得た成果は既存の研究内容を越えるものとして高く評価されよう。特に刃物における片刃の切削構造は刃表を下にして使用するヨーロッパの工具類が台鉋に連動していることから、中国の片刃と明確に区分することが指摘されており、ヨーロッパの先行性が明らかにされたことは大きな成果であった。

 2章は我が国の生産技術の成立過程が詳細に述べられている。まず基本工具の一つである正直台の成立時期に触れている。これまで正直台の成立に関しては近世初期とされていたが、文献資料から室町中期には既に成立していたことが立証された。次にヤリカンナにおけるこれまでの定義づけが不充分であることを指摘し、新たに構造を基準とした定義が提唱された。このような視点での論究は既存の認識を払拭するものであり、東西の共有する同類の工具を系統的に示す大きな手がかりとなるものである。こうした研究方法と成果は今後の欧米との比較研究を進める上で重要な標本となるものである。さらに我が国の類が持つ特徴が近世初頭から徐々に形成されたことを絵画資料から論証し、現在使用される自体が近世末に完成したことを明らかにしている。この傾向は他の鉋、鋸にも共通しており、道具の進化過程を検討する標本を示したとも言えよう。

 また、我が国で使用されている桶・樽用の定規が江戸中期より使用されていることが指摘され、ヨーロッパの桶・樽技術が直接近世に導入されている可能性を示唆している。こうした具体的事例を通したヨーロッパ技術文化の導入は我が国の近世技術文化の形成過程を知る上でも重要であり、技術の東西交流の在り方の一面を明らかにしたと言える。

 最後に明治以降の桶・樽生産技術を取り上げている。特にヨーロッパからの産業導入に樽が運搬に深くかかわった点を指摘している。この場台、当初は和樽タイプが使用され、明治後期になって洋樽が標準化されていることが明らかにされている。つまり最初は和式で出発し、国策としての輸出体制が洋式の規格を生み出したということになる。また、その加工技術が主にドイツの方法を導入していることから、他の木材加工技術の導入方法と近似していることも指摘されている。

 結論として、ヨーロッパ、アジアにて広く使用された桶・樽は木材加工技術史そのものであり、広葉樹系の材料を中心に発達したヨーロッパに対し、針葉樹系材料を中心に発違した東アジアの特徴を具体的に示している。工具の形状、重さ、構造の相違もこうした使用材を中心に展開したことが明らかにされた。

 本論により、桶・樽に関する東西の技術交流は一時期だけとは限らず、他の技術と常に連動していたことが立証され、木材加工技術の進化過程が系統的に位置付けられた。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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