本論は桶・樽の意匠、構造、製作技術に関する史的考察を目的とする研究である。桶・樽の生産技術に関する研究はこれまで断片的な形でしか考察が成されておらず、特に加工技法とその使用工具については系統性を持つ論究が全く見当たらないというのが現状である。桶・樽の生産技術は木材加工の技術として東西に広く普及し、基本加工が長く伝承されてきたことから、木材加工技術史の比較考察を行う貴重な資料となっている。本論の史的考察はこうした東西の木材加工技術を比較研究を通して標本化するものである。 本論はI部1章でまず桶・樽の構造を定義づけるために、我が国の文献資料から桶・樽という文字とその実体について検討が成された。その結果、桶と樽の文字は成立過程が異なり、双方の文字が実体との整合性を持つに至ったのは近世以降であることが明らかになった。この事実を前提として、これまで明確に規定されていなかった桶・樽の定義が成された。 2章では桶・樽の生産技術が先行していたヨーロッパ、中国に関して形態的特徴を基本に類型化が試みられた。フィールドワーク、絵画資料等から抽出した結果、形態の基本構造に東西の差は殆ど認められず、中国南部に見られる装飾性も構造的区別はないことが指摘された。但し、東アジアの広域に認められる竹箍と竹の植生に関してはヨーロッパの素材と異なることから、今後その成立過程に関してさらに検討する課題を残している。 3章では2章で標本化されたヨーロッパ、中国の内容を基礎とし、我が国の形態的特徴を抽出するための検討が成された。その結果、我が国の桶・樽は中国の形態を鎌倉時代以降基本的に踏襲しており、近世以降において一部に独自の改良が成されたことが明らかにされた。 II部1章ではヨーロッパ、中国、朝鮮半島における生産技術が資料を通して広く述べられている。東西で使用される鉋、鋸、錐という代表的加工具を構造面から類型化した比較考察法は独自的であり、豊富な資料より得た成果は既存の研究内容を越えるものとして高く評価されよう。特に刃物における片刃の切削構造は刃表を下にして使用するヨーロッパの工具類が台鉋に連動していることから、中国の片刃と明確に区分することが指摘されており、ヨーロッパの先行性が明らかにされたことは大きな成果であった。 2章は我が国の生産技術の成立過程が詳細に述べられている。まず基本工具の一つである正直台の成立時期に触れている。これまで正直台の成立に関しては近世初期とされていたが、文献資料から室町中期には既に成立していたことが立証された。次にヤリカンナにおけるこれまでの定義づけが不充分であることを指摘し、新たに構造を基準とした定義が提唱された。このような視点での論究は既存の認識を払拭するものであり、東西の共有する同類の工具を系統的に示す大きな手がかりとなるものである。こうした研究方法と成果は今後の欧米との比較研究を進める上で重要な標本となるものである。さらに我が国の類が持つ特徴が近世初頭から徐々に形成されたことを絵画資料から論証し、現在使用される自体が近世末に完成したことを明らかにしている。この傾向は他の鉋、鋸にも共通しており、道具の進化過程を検討する標本を示したとも言えよう。 また、我が国で使用されている桶・樽用の定規が江戸中期より使用されていることが指摘され、ヨーロッパの桶・樽技術が直接近世に導入されている可能性を示唆している。こうした具体的事例を通したヨーロッパ技術文化の導入は我が国の近世技術文化の形成過程を知る上でも重要であり、技術の東西交流の在り方の一面を明らかにしたと言える。 最後に明治以降の桶・樽生産技術を取り上げている。特にヨーロッパからの産業導入に樽が運搬に深くかかわった点を指摘している。この場台、当初は和樽タイプが使用され、明治後期になって洋樽が標準化されていることが明らかにされている。つまり最初は和式で出発し、国策としての輸出体制が洋式の規格を生み出したということになる。また、その加工技術が主にドイツの方法を導入していることから、他の木材加工技術の導入方法と近似していることも指摘されている。 結論として、ヨーロッパ、アジアにて広く使用された桶・樽は木材加工技術史そのものであり、広葉樹系の材料を中心に発達したヨーロッパに対し、針葉樹系材料を中心に発違した東アジアの特徴を具体的に示している。工具の形状、重さ、構造の相違もこうした使用材を中心に展開したことが明らかにされた。 本論により、桶・樽に関する東西の技術交流は一時期だけとは限らず、他の技術と常に連動していたことが立証され、木材加工技術の進化過程が系統的に位置付けられた。 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |