学位論文要旨



No 211902
著者(漢字) 武田,洋
著者(英字)
著者(カナ) タケダ,ヒロシ
標題(和) 各種3H標識化合物及び作物のラットにおける生体内動態と被曝線量評価
標題(洋) Biokinetics and Dose Estimation of Various Tritiated Compounds and Crops in Rats
報告番号 211902
報告番号 乙11902
学位授与日 1994.09.14
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11902号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青木,芳朗
 東京大学 教授 佐々木,康人
 東京大学 教授 木谷,健一
 東京大学 助教授 草間,朋子
 東京大学 講師 青木,幸昌
内容要旨

 トリチウム(3H)は放出する線のエネルギーが極めて低いこともあり、被曝による危険度は相対的に低いと考えられ、これまで影響評価に関する研究は非常に遅れていた。特に、化学形差によってその危険度がどの程度異なるかについてはほとんど情報がない。本論文では、研究室等で3H標識化合物を取り扱う研究者や作業者への職業被曝、および環境に放出された3Hによる公衆被曝において問題となる様々な化学形の3Hの相対的な危険度を推定するため、動物(ラット)での生体内動態を明らかにし、その代謝データから動物各組織への被曝線量値を算定した。この研究では、単回投与と連続投与の2つのシリーズの実験を行い、単回投与実験にはトリチウム水(HTO)と3種の有機形3H標識化合物(ロイシン、グルコース、チミジン)を使用し、連続投与実験にはHTOと6種の有機形3H標識化合物(ロイシン,リジン、グルコース、グルコサミン、チミジン,ウリジン)、さらに3種の2H標識作物(玄米、小麦、大豆;HTOを与えて栽培し収穫したこれら作物の可食部を粉末化したもの)を使用した。なお、単回投与の場合には経ロゾンデを使用して胃腔内へ投与し、連続投与の場合には飲料水あるいは飼料中に混合して自由摂取させた。

 単回投与実験の結果は、HTO投与の場合に多くの組織への3Hの分布がほぼ均等であるのに比べ、ロイシン、グルコース、チミジンの3H標識化合物投与の場合にはいずれも3Hの体内分布が一様ではなく、かつその分布様式および排泄様式に化学形差のあることを示した。概して、有機形3HはHTOに比べて動物各組織への取り込み率が高く滞留時間が長くなる傾向が認められた。表1にはHTOと有機形3H標識化合物投与後100日間の積算線量値を示している。HTO投与の場合、多くの組織がほぼ同じ線量値を示し、3Hの分布が組織間でほぼ均等であることを反映する結果となっている。一方、有機形の3H標識化合物投与の場合の線量には組織間差が見られた。また、有機形3H標識化合物はいずれもHTOより相対的に高い線量を与えその線量の増加比は、3H-グルコース投与の場合に1.2から1.4倍、3H-チミジン投与の場合に1.4から2.0倍、さらに3H-ロイシン投与の場合には1.6から3.3倍であった。

表1.各種3H標識化合物単回投与後100日間の積算線量

 連続投与実験では、22日間投与終了後の動物各組織中の放射能を測定し、その時点での被曝線量率(mGy/day)を算定した。その結果を表2に示している。有機形3H標識化合物の中で、2種の3H標識モノサッカライド(3H-グルコース、3H-グルコサミン)はHTOより低い線量を与えるが、アミノ酸(ロイシン、リジン)や核酸前駆体(チミジン、ウリジン)の3H標識化合物はHTOより相対的に高い線量を与えることが判明した。しかし、HTOに対する線量の差が2倍を越える例はほとんど見られなかった。一方、3種の3H標識作物はHTOや有機形3H標識化合物のいずれの場合より高い線量率となり、HTOに比べると3H-玄米で1.8から2.4倍、3H-小麦で2.0から3.3倍、3H-大豆で1.7から3.0倍高い線量率となることが判明した。

表2.各種3H化合物連続投与22日目における線量率

 以上の実験結果は、3H化作物を含む有機形3Hの摂取による被曝線量がHTOを摂取した場合に比べて相対的に高くなることを示している。動物主要組織への平均線量値(表1、2の中に示した)が各3H化合物の危険度の指標として使えるとするなら、単回投与実験の結果から3H-グルコース、3H-チミジンおよび3H-ロイシンは1.3、1.8、2.6倍それぞれHTOより危険度が高いと推定される。一方、連続投与実験の結果は、HTOに対し有機形3H標識化合物が0.6から1.8倍、また3H標識作物が2.0から2.5倍の差で平均線量率が異なることを示しているが、この結果を危険度の指標として使うためには、少なくとも3Hの取り込みが平衡状態に達しているという前提条件が必要である。我々はHTOと3H標識小麦を使った関連実験で、連続投与によりラット組織中の3H濃度が平衡に達するのはHTOの場合3週目で、3H-小麦の場合には10週目であること、そして3H標識小麦連続投与によるこの平衡濃度は連続投与3週目の3H濃度の約2倍であることを既に明らかにしている。他の3H標識作物でもほぼ同様な結果になるとすれば、3Hの取り込みが平衡状態となった時点での3H標識作物の線量率は、本実験での連続投与3週目でのHTOに対する線量率比(2.0〜2.5)を2倍した値となる。したがって、3H標識作物摂取の危険度はHTO摂取の場合に比べ4〜5倍高いと推定される。

 現在、ICRP(国際放射線防護委員会)が3Hに対して設定している放射線防護上の基準値(年摂取限度)はHTOに対するもので、有機形3Hを対象にはしていない。本研究の結果からは、3H標識作物を含む有機形3H摂取時の危険度はHTO摂取の場合の最大で5倍程度であると推定された。したがって、我々は3H汚染食物を含む有機形3Hに対する年摂取限度値を、現在ICRPが設定している値の1/5にすることを提案したい。

審査要旨

 本研究は、原子力の平和利用に伴って環境中に放出されるトリチウム(3H)が人体内に摂取された場合の危険性を明らかにするため、動物(ラット)実験により3Hの生体内勤態を明らかにし、動物各種臓器への被曝線量評価を行ったものである。3Hの一般環境中での主たる存在形態はトリチウム水(HTO)であるが、人体内には食物連鎖系においてその一部が有機化した3Hを食物として取り込むと考えられ、本研究では情報が少ないこの有機形3Hによる被曝に着目し、その危険度を相対的に評価するためHTOと対比して研究をおこなっている。実験に供した有機形3Hとしては、食物構成成分であるアミノ酸やモノサッカライド、そして核酸前駆物質(ヌクレオシド)の3H標識化合物、さらには水稲、小麦および大豆をHTO存在下で栽培して得た3H標識作物を用い、下記の結果を得ている。

 1.トリチウム水(HTO)をラットに単回経口投与した場合、3Hはラット全身臓器へほぼ均等に分布し、約3.5日の生物学的半減期で比較的速やかに排出することが示された。

 2.食物の構成成分であるロイシン、グルコース、チミジンの有機形3H化合物を単回経口投与した場合、体内での3H分布は一様でなく、その分布様式は化学形毎に異なり、またHTO投与の場合に比べ3Hの体内滞留時間が相対的に長くなることが示された。

 3.単回経口投与後100日間のラット各臓器への積算線量(Gy)を算定した結果は、有機形3H化合物はいずれもHTOに比べ高い線量を与え、その線量増加の程度は3H-グルコースで1.2から1.4倍、3H-チミジンで1.4から2.0倍、さらに3H-ロイシンで1.6から3.3倍となることが示された。

 4.HTOと6種の有機形3H化合物(ロイシン、リジン、グルコース、グルコサミン、チミジン、ウリジン)のそれぞれを飲料水に混入して連続的に投与し、22日目において動物各臓器中の3H濃度を測定し被曝線量率(Gy/day)を算定した結果は、3H-グルコースと3H-グルコサミン以外の有機形3H化合物はHTOに比べ相対的に高い線量率を示すが、その値は最大でもHTOによる線量率の2倍程度であることが示された。

 5.一方、3種の3H標識作物(玄米、小麦、大豆)をそれぞれ飼料に混入して連続投与し、22日目で算定した被曝線量率はHTOを連続投与した場合に比べ、3H-玄米で1.8から2.4倍、3H-小麦で2.0から3.3倍、3H-大豆で1.7から3.0倍高い線量率を与えることが示された。

 以上、本論文は有機形3H摂取による被曝線量が同量のHTOを摂取した場合に比べ相対的に高くなることを示した。また、単一化学形の化合物より作物の形で摂取した3Hの方がより高い線量を与えることを明らかにし、公衆への現実的な被曝評価を行う上に重要な知見を提供した。本研究の成果は、現在ICRP(国際放射線防護委員会)がその必要性を唱えている有機形3Hに対する放射線防護上の摂取限度値設定のための重要な資料となると考えられる。このような放射線防護の面からの国際的貢献が期待されるのみでなく、その知見は栄養学や物質代謝学にも寄与できると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53869