学位論文要旨



No 211870
著者(漢字) 山本,禎子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,テイコ
標題(和) 脈絡膜毛細管板血管内皮に見られる偽足様構造物について
標題(洋)
報告番号 211870
報告番号 乙11870
学位授与日 1994.07.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11870号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣澤,一成
 東京大学 教授 神谷,瞭
 東京大学 教授 井原,康夫
 東京大学 助教授 水流,忠彦
 東京大学 講師 大内,尉義
内容要旨

 ぶどう膜は組織学的には、虹彩、毛様体、脈絡膜から構成される。脈絡膜の最内層には、分化した1層の有窓型毛細血管が2次元的に広がる身体他部に類を見ない構造の脈絡膜毛細管板があり、ブルッフ膜を隔てて接する網膜色素上皮とともに網膜外層への酸素、栄養素の補給および代謝、老廃物の輸送を行っている。臨床的には、脈絡膜毛細管板は新生血管黄斑症を代表とする種々の疾患の発生母地となる。今回我々は正常状態の人眼の脈絡膜毛細管板を観察し、その毛細血管内皮細胞が基底膜の断裂部より突出する像を認めた(図1)。本論文では正常状態の白人及び日本人眼、47眼の観察を行い、以上に述べた正常状態における毛細血管内皮細胞突起(以下、偽足様突起と称する)がすべての眼球の脈絡膜毛細管板に存在することを確認し、これまで解明されていなかった脈絡膜毛細管板毛細血管の微細構造の一部であることを証明した。さらに、透過型、走査型電子顕微鏡を用いて本突起の解剖学的特徴を観察するとともに、人種、年齢、周囲組織(ブルッフ膜)の変化との関連について検討した。

《研究方法》

 日本人25例白人22例、計47例47眼について観察を行った。

 47眼の脈絡膜、12眼の網膜、毛様体、虹彩を短冊状に細切し、定法に従い固定、脱水、包埋、超薄切片作成の後、透過型電子顕微鏡にて観察を行った。さらに12眼を固定後、眼底後極部を細切し、網膜、網膜色素上皮、ブルッフ膜を部分的に引き剥した標本と強膜側から脈絡膜を十分に剥離した標本を作成し、コラゲネース溶液に浸漬、同溶液を標本に吹きかけ洗浄した。その後、すべての標本は定法に従い脱水、乾燥、白金蒸着の後、走査型電子顕微鏡により観察した。

《観察結果》【透過型電子顕微鏡による所見】

 偽足様突起は脈絡膜毛細管板毛細血管の基底膜の断裂部から突出する血管内皮細胞突起として観察され(図1)、その径は0.1m〜0.5m、長さは0.2m〜2mであった。突起の内部構造は大きく次の5型に分類された。

 1.突起の長軸方向と平行に走る径約7nmの細線維が充満している。

 2.径約7nmの顆粒状構造物がみられる。

 3.径約12nmのリボゾーム様顆粒がみられる。

 4.小胞体様構造物がみられる。

 5.細線維、顆粒、細胞内小器官が認められず突起以外の内皮細胞の細胞質と同様の電子密度で満たされる。

 細胞内構造が明確に観察し得た39眼について以上の5型に従って分類した結果、1型に示した突起と平行に走る径7nmの細線維で満たされたものが他の4型と比較し最も多く全突起数の53%を占めた。

図1 偽足様突起模式図RPE:網膜色素上皮 Bruch:ブルッフ膜 CC:脈絡膜毛細管板中脈絡膜毛細管板の網膜色素上皮側に散在する偽足様突起を示す。(矢印)
【走査型電子顕微鏡による所見】

 露出された網膜側毛細血管壁表面に径0.1m〜0.3m、長さ0.2m〜0.8mの指状、コブ状、枝分かれした偽足様突起の散在を認めた。若年者と高齢者の偽足様突起の形態、出現頻度に差異はなかった。脈絡膜毛細管板毛細血管の強膜側では網膜側と異なり偽足様突起はほとんどみられなかった。

【各因子における偽足様突起の出現頻度】

 1.死後時間、眼底部位、人種、性、年齢:死亡あるいは眼球摘出から眼球を固定するまでの時間による偽足様突起の出現頻度に差がないことから、死後の組織変化である可能性は否定された。さらに翼なる眼底部位(後極部、周辺部)、日本人と白人、男性と女性、各年齢による偽足様突起の出現頻度に差がないことから、本突起は脈絡膜毛細管板の基本的な構造物であると思われた。

 2.眼球内組織別の偽足様突起の出現頻度:眼球内各組織(脈絡膜毛細管板、毛様体、虹彩、網膜)において、偽足様突起は脈絡膜毛細管板に最も多く認められた。

 3.脈絡膜毛細管板における偽足様突起の出現部位:眼底後極部及び周辺部の脈絡膜毛細管板の偽足様突起出現頻度を網膜色素上皮側、側方、脈絡膜側で計測した。偽足様突起は後極部、周辺部の両部位において側方、脈絡膜側と比較し網膜色素上皮側に有意に多く認められた。

 4.脈絡膜毛細管板のfenestration:脈絡膜毛細管板毛細血管におけるfenestrationの範囲、程度と偽足様突起の出現頻度に関連はなかった。

 5.ブルッフ膜内沈着物:ブルッフ膜内沈着物は加齢とともに増加する所見を認めたが、その沈着物量と偽足様突起の出現頻度に関連はなかった。

《考察》

 偽足様突起は幅0.1m〜0.5m,長さ0.2m〜2mの指状の突起で,透過型電子顕微鏡では毛細血管の基底膜の断裂部をから突出する内皮細胞突起として観察された。これまで正常な状態における眼球の脈絡膜毛細管板の観察でヒヨコ、有色ラット、サルにおいて偽足様突起が観察されており、さらに毛細血管内皮細胞からその基底膜の断裂部を通して突出する細胞突起は、皮膚(ラット)、筋(ウサギ、イヌ)、肺(ウサギ)においても報告されている。しかし、人眼においては脈絡膜毛細管板内皮細胞突起は血管新生の初期段階として報告され、正常状態の眼球で観察された報告はなかった。今回、我々は正常状態の人眼47眼を観察し、毛細血管内皮細胞突起(偽足様突起)をすべての脈絡膜毛細管板に認めた。この観察から、偽足様突起はこれまで確認されていなかった正常な脈絡膜毛細管板の構造物の一部であることが証明された。

 走査型電子顕微鏡による観察では、偽足様突起は指状、コブ状、枝分かれした突起物として観察された。透過型電子顕微鏡により観察すると、その内部構造は径約7nmのアクチン様の細線維が突起の突出方向と平行に縦走、充満しているものが最も多く観察され、これは上皮細胞にみられる微絨毛に類似していた。同様に偽足様突起内に認められた径7nmの顆粒状構造物はその大きさから細線維の断面像である可能性が示唆され、両者を合計すると全体の約70%を占めた。これに対してリボゾームや小胞体などの細胞内小器官を認める偽足様突起は10%に過ぎず、この所見は多数の細胞内小器官が存在し、活発な代謝を示唆する血管新生の初期段階で見られる内皮細胞突起とは異なっていた。

 眼底後極部は新生血管の好発部位であるが、偽足様突起の出現頻度は眼底後極部と眼底周辺部を比較し差はなく、疫学的に新生血管黄斑症は高齢者に多く、また日本人と比較して白人に多く見られるが偽足様突起の出現頻度に年齢との相関はなく、日本人と白人における差もなかった。また、ブルッフ膜の沈着物量と血管新生黄斑症の関係はすでに多くの報告が為されているが、今回の我々の観察ではブルッフ膜の沈着物量と偽足様突起の出現頻度に関連はなかった。以上の結果から偽足様突起と血管新生黄斑症との関係は認められず、偽足様突起と血管新生の初期段階における血管内皮細胞の発芽像の間に関連はないと思われた。眼内において網膜色素上皮と脈絡膜毛細管板は代謝の活発な組織であり、網膜外層に対する酸素、ブドウ糖の供給、代謝物質の排出など機能的に密接な関係を持つことが知られている。また、一方の変性による他方の委縮の発現、相互から産生される成長因子、抑制因子の存在が報告されている。今回の我々の観察でも、偽足様突起は他の眼内組織と比較し脈絡膜毛細管板に最も多く認められ、また、脈絡膜毛細管板においては網膜色素上皮側に有意に多く認められた。この結果から、偽足様突起は網膜色素上皮-脈絡膜毛細管板における交通路としての可能性、さらに網膜色素上皮は脈絡膜毛細管板内皮細胞に対して偽足様突起の形成を促す何らかの誘発因子を産生している可能性が示唆された。

審査要旨

 本研究では、眼球内で最も血管に富む組織である脈絡膜の最内層に位置する脈絡膜毛細管板血管のこれまで解明されていなかった微細構造について観察を行った結果を報告した。

 日本人25例白人22例、計47例47眼の正常状態の人眼について観察を行った結果、全例の脈絡膜毛細管板において、その毛細血管内皮細胞が基底膜の断裂部より突出する像を認めた。これまで、脈絡膜毛細血管基底膜の断裂部から突出する血管内皮細胞は種々の疾患の発生原因である血管新生の初期段階に認められる病的所見として報告されていたが、私は本所見がすべての正常状態の眼球の脈絡膜毛細管板に存在することを確認し、本血管内皮細胞突起を偽足様突起と称した。さらに、透過型、走査型電子顕微鏡を用いて本突起の解剖学的特徴を観察するとともに、人種、年齢、周囲組織(ブルッフ膜)の変化との関連について検討した。

【透過型電子顕微鏡による観察】

 偽足様突起は脈絡膜毛細管板毛細血管の基底膜の断裂部から突出する血管内皮細胞突起として観察され、その径は0.1m〜0.5m、長さは0.2m〜2mであった。突起の内部構造は大きく次の5型に分類された。

 1.突起の長軸方向と平行に走る径約7nmの細線維が充満している。

 2.径約7nmの顆粒状構造物がみられる。

 3.径約12nmのリボゾーム様顆粒がみられる。

 4.小胞体様構造物がみられる。

 5.細線維、顆粒、細胞内小器官が認められず突起以外の内皮細胞の細胞質と同様の電子密度で満たされる。

 細胞内構造が明確に観察し得た39眼について以上の5型に従って分類した結果、1型に示した突起と平行に走る径7nmの細線維で満たされたものが他の4型と比較し最も多く全突起数の53%を占めた。

【走査型電子顕微鏡による所見】

 網膜側毛細血管壁表面に径0.1m〜0.3m、長さ0.2m〜0.8mの指状、コブ状、枝分かれした偽足様突起の散在を認めた。若年者と高齢者の偽足様突起の形態、出現頻度に差はなかった。脈絡膜毛細管板毛細血管の強膜側では網膜側と異なり偽足様突起はほとんどみられなかった。

【死後時間、眼底部位、人種、性、年齢】

 偽足様突起の出現頻度と種々の因子との関係について観察を行った。この結果、死後時間、異なる眼底部位(後極部、周辺部)、日本人と白人、男性と女性、若年者から高齢者までの各年齢における偽足様突起の出現頻度に差がないことから、本突起は脈絡膜毛細管板の基本的な構造物であると思われた。

【眼球内組織別の偽足様突起の出現頻度】

 眼球内各組織(脈絡膜毛細管板、毛様体、虹彩、網膜)において、偽足様突起は脈絡膜毛細管板に最も多く認められた。

【脈絡膜毛細管板における偽足様突起の出現部位】

 脈絡膜毛細管板においては側方、脈絡膜側と比較し、網膜色素上皮側に有意に多くの偽足様突起を認めた。

【脈絡膜毛細管板のfenestrationとブルッフ膜内沈着物】

 脈絡膜毛細管板の活動性の指標であるfenestrationおよび周囲組織の加齢性変化(ブルッフ膜内沈着物)と偽足様突起の出現頻度との間に関連はなかった。

 以上、偽足様突起は正常な眼球内において脈絡膜毛細管板にかなり特異的にみられ、人種、年齢等による影響をほとんど受けないことから、脈絡膜毛細管板の基本的な構造物であると思われた。今回の観察により、病的所見とされていた脈絡膜毛細管板の血管内皮細胞突起は正常な組織にみられる構造物であり、これまで解明されていなかった脈絡膜毛細管板の微細構造の一つであると思われた。本研究は、今後、脈絡膜毛細管板の正常、異常所見についての認識、さらに、血管受容体、物質輸送としての機能の解明に影響を与えると考えられ、学位の授与に値するものと思われる。

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