学位論文要旨



No 129639
著者(漢字) 森下,有
著者(英字)
著者(カナ) モリシタ,ユウ
標題(和) 9グリッドによる情報記述の枠組み : 人工物の分析における情報インターフェイスに関する研究
標題(洋) Discipline-to-description : The 9-grid as operative framework
報告番号 129639
報告番号 甲29639
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学際情報学)
学位記番号 博学情第61号
研究科 学際情報学府
専攻 学際情報学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野城,智也
 東京大学 教授 吉見,俊哉
 東京大学 教授 浅見,泰司
 東京大学 教授 暦本,純一
 東京大学 教授 越塚,登
内容要旨 要旨を表示する

概要

本論文の目的は、「今日において、どのように人工物を記述すれば良いのか?」という問いに答えることにある。人工物の記述手法は、分析的表象、生成的構成、そして包括的記述の三通りに分類し得る。分析的表象は、社会学や人類学等の学問分野において遂行される、既存の人工物やその環境の分析と解釈において発展してきた。生成的構成は、設計行為を実施する工学やデザイン系の学問分野にて、人工物を生産する問題解決プロセスの内に発展してきた。本論文の焦点は、第三にあげる人工物の情報の包括的記述であり、人工物の設計から運用にわたるライフサイクルを、一連の情報構成の連なりとして記述することにある。本論は、包括的記述により、学問領域の境界をもって分離される傾向のある分析的記述と生成的記述を、共通する枠組みの内に、人工物そのものに関する一連の情報として構成することを通し、人工物の記述から発生する気づきのプロセスを舵取る、問題認識手法を提示する。

背景

上記に示した人工物の包括的記述を考慮する必要性は、技術的革新がもたされた情報空間において、人工物の運用段階や使い手のagency(ある結果をもたらす作用、能力、媒体)が、人工物に対して情報構成的な位置付けを持ちつつあることに依存している。このような情報構成は、主体間どうしにおける積極的参加という動向以外にも、不随意の内に情報として参加するということが考慮される。このような変化は、市場の動向においても推測されており、Doc Searlsが「意思の経済」と呼ぶ枠組みの内では、市場デマンドの定義付けを供給側が牽引するモデルから、需要側が牽引し、情報を保有・マネジメント・活用するモデルへの移行を意識している。しかしながら、現時点においては、供給側と使い手側の間には未だ多くの情報ギャップが存在しており、このような主体間における関係性を、包括的に情報構成として捉え問題視する情報記述手法はない。

仮説

社会が情報により牽引されているという認識がもたらされてから既に相応の時間が経つが、現時点における人工物に関する情報の流れやシステムの多くには、情報のギャップやヴォイドが存在し、価値の再生産を可能にする情報を、必要な場所に融通出来ていないといった現況が存在する。このことは、人工物に接する主体が、価値の再生産の為に必要となる情報を生産、あるいは保有出来ていないという現況にも表象している。このような観点から、情報の非対称性という現象は、市場空間における主体関係と市場への影響を説明するのみならず、社会的空間とそれを構成する人工物に関しても適応出来る現象表現であると考えられる。市場をベースとする文献では、情報非対称性がもたらす問題の解決アプローチとして、人工物そのものの情報に焦点を当て、人工物の情報生産を通した、価値生産へ繋がる主体関係の修復を試みることが一般的である。本論の情報構成的視点からは、agent(主体関係)をベースとする人工物の記述は、人工物に関するuse-end(使い手側のagency)を、問題解決の結果を享受するだけの主体(end user)とみなしており、それらの主体がagencyとして生産する情報をなおざりにしていると推測する。特に、人工物の運用に関する情報領域においては、人工物自身の情報に焦点が当てられることが多く、人工物に組み込まれた可能性を具現化する、使い手側のagencyの役割に関しては、情報構成として言及されていない。

本論は、上記に示す情報構成の問題に関して、現在、人工物の記述が、ユーザー/消費者/顧客を、供給者と対立的な立ち位置に置く、主体性をベースとした、問題解決プロセスが用いる認識枠組みのダイアグラム(図1)を基調としていることに問題が存在すると仮定する。この記述枠組みの構造は、主体間における情報の非対称性を、二項対立的な記述システムそのものに潜在的に付帯する性質であることを示しており、人工物の使い手側の情報構成を担うagencyの役割をもとより不能にしていると言える。主体性をベースとする人工物の記述は、人工物の使い手側の情報にとって、粗鬆な形式と認識枠組みであると言える。

本論が提示する9グリッド記述システムは、人工物を構成する情報の流れにおける非干渉性、あるいはギャップを擦り合わせる為に、主体間における対面的な情報の記述から、人工物の情報の流れと調和した、agencyベースの記述への移行を提示する。即ち、本論は、人工物のライフサイクルを情報処理、あるいは情報の流れの構成として記述することで、これまでの人工物とその主体の関係性を、agency をベースとしたプロセス指向の記述枠組みの内に同調化することを試案する(図2)。

9グリッドによる情報記述は、現時点において、主に分析的表象プロセスと関連付けられる、使い手側と運用に関する情報と、主に生成的構成プロセスと関連付けられる、設計/生産に関する情報の間の断絶性の解消に言及する。現時点における人工物の定義は、その多くが、「何を、いつ、どこで、誰が、なぜ、どのように」を基に、構成的な手法を取っている為、構成主体別に断片的となりやすい。本論はこの構成的定義を展開させ、人工物全体において「情報がどのように構成されているのか」という人工物の情報アーキテクチャを説明することを通し、学問領域や社会的実践の枠組みにより定義された人工物の問題認識に対し、各当事者の認識外部性からのinsight(気づき)を与えることを試案する。Discipline-to-description(専門領域/教練/規律から記述へ)は、現況の与えられた枠組みを越えた人工物とのエンゲージメントを目指す、認識プロセスである。このことは、人工物を説明するだけの停滞的な情報関係から、人工物の記述を通し、情報の流れを差配し、その作用を引き出す為のinsight を与える枠組みへの移行を提案している。

このような人工物の記述枠組みを提案する為、本論は二つの情報関係軸、即ち、agencyベースの情報構成軸と、プロセスベースの情報構成軸をその基盤とする。Agency軸において情報の流れを認識する過程では、「何をどのように作るのか」という問いと、「何をどのように使うのか」という問いの関係性を定義することを通し、この間にどのような情報の擦り合わせが存在するかということに焦点があてられる。この記述に際しては、供給側と使い手側の双方において、そのdisciplineの領域内における定義を越える、一貫性をもった論理が必要となる。本論ではこの問題に対し、双方の関係軸上に、インターフェイスに関わる情報空間を、固有の自律性をもった領域として認識するにより、これまで主に供給側の主体性に依存してきた情報インターフェイスを第三の情報構成agencyとして位置づけた。Agency軸の定義に続き、情報構成プロセス軸の枠組みが定義された。この軸においては、人工物の運用というプロセスを設計生産というプロセスと擦り合わせる為に最適である構成が探索された。これらから明確になったエージェンシー軸とプロセス軸を掛け合わせることで、包括的な情報構成の記述と分析手法となる、情報記述の構造が提案された(図3)。

人々は適切な情報を手にすることで、価値生産のagencyとなり得るという仮定のもと、9グリッドによる情報記述は、現況において個々の主体が価値生産のagencyとなることを妨げていると考えられる、人工物の情報構成におけるギャップとヴォイドを明示化することを目的とする。情報を必用とされているところに届ける為のインフラストラクチャーを発展させる重要性と並行し、本論は情報が届けられるべきところを認識する手法を提案する。

手法

本論が提案する記述枠組みとその分析手法は、どのような人工物に対しても活用し得ると推論しているが、本論中では、建築の理論と実践に焦点をあて、その有用性を検証した。様々な人工物の中でも、建築はライフサイクルが比較的長い上、使い手の関与が常時発生している人工物であると考えられる。しかしながら、建築は多主体間において複雑な関係性を持ち、またその専門性も高いことから、運用時、あるいは使い手の情報は、細分化された実践のカテゴリー別に、分散的に存在している。このことから、多くの使い手側の情報や運用パラメターは、問題解決プロセスにおいて重要でありながらも、供給側からはかなりの距離を持っていることが把握されている。

記述枠組みの検証は、先行研究に対する応用と、実践に対するケーススタディを通して実施された。先行研究に対する応用では、記述枠組みの手法としての有効性を検証した。はじめに、供給側と使う側の間に存在するギャップを例示する為、供給側が使い手側の情報パラメターを取り入れた情報構成に関して検証した。これに引き続き、使い手側の情報を構成する際の様々な調査手法の事例を通し記述枠組みの有効性を検証した。供給側と使い手側の情報構成が分析された後、その二つの情報構成領域を擦り合わせる、インターフェイスagencyの役割に関しての検証がなされた。

実践のケースを通した検証では、建築産業から三つの例が用いられた。これらの事例では、一律ではない、複雑な状況下における本手法の応用性を検証した。ケーススタディは、1:建築のインフィルとなる大量生産品、2:戸建て住宅、3:ファシリティマネジメントの三例を持って、運用時、あるいは使い手側の情報がそれぞれにおいて、どのような既存の問題点を視覚的に明らかにするかが検証された。始めの例は、供給側の情報比率が大きい大量生産品(衛生陶器)の例を取り、その中での使い手側の情報の位置付けを目的として記述枠組みが試された。二つ目のケースでは、使い手側の情報に依存していると考えられる人工物(戸建住宅)において、それらが供給側の情報とどのようなインターフェイスを構成しているかを記述した。三つ目のケースでは、人工物運用時に業務の焦点をあてるケース(ファシリティ・マネジメント)を例に取り、その中での使い手側の情報、あるいは、運用コンテクストの情報の位置付けを記述することを通し、手法の有用性を検証した。これらの分析では、人工物の情報構成において、問題認識が必用とされている情報領域の確認がなされた。

何が異なり、何が新しいのか?

本論が提案した記述構造は、現況の人工物の情報構成の内に、気付きを位置づけることが出来る問題認識の為のツールと考えられる。この気付きは、問題定義の再考と、問題解決プロセスの遂行の為の基盤として位置付けられる。人工物の記述を問うことは、学問領域の問題定義の境界を認識する為の、基礎的で重要な段階である。これまでにも問題定義や問題解決に関する文献は多く存在してきたが、既存の人工物の現況を分析的ながらも構成的に検証し、問題認識を行う手法はなかった。特に建築分野において、この情報記述の枠組みは、使い手側と運用時における情報に対し、包括的記述の手法を与えるという観点から重要視される。二章における手法的な適応性が言及するように、ある人工物に対する学際的な研究時においてもこの手法がコミュニケーションを図るために有効であると考えられるが、現時点においては、サンプル数の限りから、その実証には更なる調査が求められる範囲であると考慮される。また、実践における活用においても、その記述を最適化する際に、数多くのバリエーションと応用例が、基本の認識枠組みをもとに発生すると考えられる為、更なる調査が求められる。現時点において本論が明らかにしたことは、価値生産を可能にし得るagencyを有効化する人工物の記述、また人工物に対する気付きを構造的に構成し得る、人工物の基盤的な記述枠組が定義できたことにある。9グリッド記述は、図解や図式とは異なり、人工物に対する問題認識と価値牽引型の認識を提起する。

図1:主体関係をベースとする人工物の記述枠組み

図2:人工物の情報構成の視点による記述枠組み

図3:Agencyを基調とした人工物の記述

図4: 人工物の記述における主体性からagency への認識的変化

表1: 人工物の記述における認識的相違

審査要旨 要旨を表示する

著者 は、第一章の研究背景において説明しているように、北海道大樹町で開催された住宅省エネルギー・コンテストにおける「体験的学び」を本論 文主題の定立動機としている。筆者は、24戸 の住宅にエネルギー使用量や環境条件を計測するセンサーを取り付け、省エネルギー機器取り付け前後の、エネルギー使用量や環境条件の変化をモニタリングするとともに、居住者へのインタビューを行った。その結果、仮に、エネルギー使用量や環境条件の見える化を通じて情報を提 供したとしても、住宅の住まい手が、提供された情報を咀嚼し、機器の性能を十分に使いこなし快適な環境を実現しているわけではないという事実、いいかえれば人工物の使い手がその価値創造の為に必要となる情報を生産あるいは保有出来ていないという事実が存在していることを明らかにした。

筆者は、供給側と使い手側の間には未だ多くの情報ギャップや情報欠損が存在している事実があることの一因は、人工物の設計から運用にわたるライフサイクルにおいて供給者たる専門家(discipline)から使い手(user)に至るまでの一連の情報構成の連なりとして記述する手法が確立していないことによると、既往研究の分析にもとづき指摘している。そのうえで、その情報ギャップや情報欠損を認識し解決緩和策を導くための手がかりとなる、記述(description)のための枠組を考案・提案し、その有効性を検証することを論文の主題として設定している。

具体的には、本論文はその枠組みとして、9グリッドによる記述システムを提示している。グリッドの横軸は、人工物のライフサイクルプロセスにわたる情報処理プロセスをあらわし、縦軸はagency間の情報処理プロセスをあらわしている。既往研究においてライフサイクル方向プロセスの記述については様々な研究蓄積がなされてきたが、agency軸の記述については必ずしも十分には検討されてこなかった。9グリッドによる記述法は、ライフサイクルとagencyという複数軸をもちいて情報の流れを記述しようとしている点に新規性がある。また、既往研究では、使い手を問題解決の結果を享受するだけの主体(end user)とみなしている傾向が強く使い手自身がagencyとして生成する情報をなおざりにする傾向があったが、9グリッドの記述システムは、使い手をuse-end(使い手側のagency)として明確に位置づけている。

本論文は、第二章において、既往研究と、9グリッドによる記述法を比較することで、その意義を検証した。そのうえで、第三章において、衛生陶器の生産・使用、戸建て住宅の設計・建設・居住、及びファシリティ・マネジメントという3つのケースにおいて、9グリッドを用いて、人工物の運用時において作り手側から生成される情報がどのように処理されていくのか、また使い手側の情報がどのように生成処理されるのかなど、その情報処理プロセスを視覚的に記述することを試みた。その結果、衛生陶器という供給側のagencyの情報比率の高い大量生産品にかかわって発生する情報ギャップや情報欠損、使い手にかかわる情報運用が価値創成に大きな影響を与える戸建住宅に関してあらわれる情報ギャップや情報欠損、また、ファシリティ・マネジメントによる運用支援に関してあらわれる情報ギャップや情報欠損、それぞれの特徴を明らかにし、9グリッドによる記述法が、人工物の運用にかかわる情報処理の問題点を視覚的に明らかにしする「気づき」の方法として有効であることを示した。

審査委員会における議論においては、9グリッドによる記述法が人工物を用いる際の情報運用のあり方を視覚化する手段として有用であることを確認し、実務者などに活用されていくための期待と示唆が述べられた。また、例えば、使い手が供給者の提示するバラバラの情報を探索にいくのではなく、使い手側個別のコンテクスト・要求に応じて個別編集されるユーザーインターフェースを具体的に作成することが、9グリッドによる記述法の具体的有用性を示すことになるという指摘もあった。以上のように、審査委員会は本論文が提示する9グリッドによる記述法が学術的価値だけではなく技術的シーズとしての価値を有するという共通認識をもつに至り、総合的にみて本研究が博士号に値することについて審査委員全員が合意した。

よって本審査委員会は、本論文が博士(学際情報学)の学位に相当するものと判断する。

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