学位論文要旨



No 129634
著者(漢字) 畑仲,哲雄
著者(英字)
著者(カナ) ハタナカ,テツオ
標題(和) ジャーナリズムにおける<地域>という立脚点 : 地域紙とNPOの「協働」に関する事例研究
標題(洋)
報告番号 129634
報告番号 甲29634
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会情報学)
学位記番号 博学情第56号
研究科 学際情報学府
専攻 学際情報学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 林,香里
 東京大学 元教授 桂,敬一
 千葉大学 教授 小林,正弥
 東京大学 教授 田中,秀幸
 東京大学 教授 水越,伸
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、新潟の上越地方で発行されている地域紙と、同じ地域で活動する中間支援型NPOによる協働プロジェクトに関するケーススタディを通して、ジャーナリズムの規範論に〈地域〉という立脚点を設ける。そして、〈地域〉を立脚点とするジャーナリズムが、従来型ジャーナリズムの規範論の限界を超える芽をもつことを論証しようとするものである。

ジャーナリズムの規範論はこれまで、主に国家、市場、市民社会との関連のなかで論じられ、ナショナルな規模の主流メディアが対象化される傾向にあった。それに対し、本論文では、過疎や環境保全などの困難と直面する「地方」や「周縁」で発行されている小規模な新聞社が、NPOをパートナーとして、みずからの経営改善と地域の活性化に取り組む事例を分析し、これまで積極的に論じられる機会が乏しかった地域自治とジャーナリズムの関係を政治哲学の議論を援用して考察を進める。

対象は、新潟県上越市の新聞社「株式会社上越タイムス社」と特定非営利活動法人「くびき野NPOサポートセンター」である。2者の協働プロジェクトは1999年夏にはじまり、本論文執筆中の2012年まで12年以上にわたって継続している。そのプロジェクトは、新聞社が紙面の一部制作をNPOに無償提供するというものである。NPOは取材から版下づくりまで独力でおこなっており、新聞社はその紙面に一切関与していない。このプロジェクトを始めて以降、NPOは編集制作する紙面を活用して市民活動を支援し、域内の単位人口あたりNPO法人数を県内トップに押し上げた。新聞社も、業界全体が深刻な不況に陥っているにもかかわらず発行部数を数倍に伸ばした。

従来のジャーナリズムの規範論では、こうした事例を説明する概念や理論は十分用意されていない。このため本論文は、第1部においてジャーナリズムの規範論の系譜や地域研究の先行研究を概観し、第2部で上越の事例を直接対象にした市民メディア論やNPO論の先行文献を検討するとともに、本事例を検討するための鍵概念や理論を整序し、研究上の問いと方法論を示した。

ジャーナリズムの営みは、西欧近代市民革命のなかで成立したため、その実践倫理には国家からの自由(消極的自由)や個人主義が深く埋め込まれている。ジャーナリズムの器たるマスメディアはみずからの市場に立脚することで言論の独立をたもとうとしたが、一部の巨大メディアが強大な影響力をもつにいたり、市民社会からの批判を招いた。そうした史的展開がジャーナリズムの規範論を、対国家、対市場、対市民社会のなかで論じることを促したことには意味がある。

しかし、20世紀後半から「政府の失敗」「市場の失敗」を教訓とする欧州では、国家をまたぐ分権策が試行され、日本政府では「小さな政府」へと舵が切られた。大規模な市町村合併が断行され、「周縁」の地域は分権改革の最前線に立たされた。他方、社会学における地域研究において、メディアの問題が論じられることはあったが、ジャーナリズムの機能や役割に言及するものは多くなかった。いっそうの分権自治が求められる状況下で、地域のジャーナリズムにはどのような規範が必要となるか、というのが本論文の中心命題である。

筆者は、新潟県の上越地域における新聞社とNPOとの協働実践に着目した。この事例は、量的な規模としては大きくないが、質的にみれば重要な問いをいくつも含んでいた。本論文が立てた問いは、新聞社とNPOの協働がどのように成立し、なぜに長期継続したのかということと、地域ジャーナリズムにひとつの定義を与えることであった。それらを検討することでえられる知見から、〈地域〉を立脚点とするジャーナリズムの規範を検討しようと試みた。

先行文献は、協働成立の条件として、経営危機にあった新聞社が経営てこ入れのためNPOに紙面づくりを要請し、広報手段を必要としていたNPOのニーズとマッチしたことが指摘しており、両組織のトップが同一人物であったために橋渡しが可能であったと論じていた。しかし本研究はそうした視点を一歩すすめ、以下の要因を呈示した。ひとつに、新聞社が地域社会における自分自身の役割を見つめ直し、NPO側もメディア・リテラシーを高めたことである。また、新聞社とNPOのトップが同一人物であったことが必ずしも協働実践にとっての必要条件ではないことも分かった。

協働が長期継続した要因については、新聞社のジャーナリズムが権力監視(watchdog)的なものから善き隣人(good neighbor)的なものへ変化したことや、NPOが制作する紙面が新聞社の論理に巻き込まれずに独立していたこと、そしてNPOが独自の社会貢献的な広告モデルを開発したことなどが考えられた。また、上越地域では大規模な自治体合併がおこなわれ、NPOや住民自身が自治に関与し、行政が供給してきた福祉を補完することが要請された。そうした社会構造の変化が、新聞社とNPOの双方に共通の目標――地域の利益や共通善――を重視する思考をもたらしていた。

ただし、協働プロジェクトが成立・継続するにはいくつもの障壁があった。もっとも深刻だったのは新聞界に根強い「編集権」問題であった。言論の独立性を重視する新聞社が、外部組織に紙面の一部を委ねた上越の新聞社は、主流メディアのジャーナリズムたちからジャーナリズムの規範から逸脱したと批判された。NPOに対しても営利企業の下請けがであるかのような誤解がもたれた。他方、協働に取り組んだ新聞社とNPOの担当者に自信を与えたのは、NPO研究のパートナーシップ論であった。上越の協働事例はNPO界では高く評価され、思想的な指針が与えられた。また、新聞社とNPOの両組織のトップを兼ねた人物の思想が、コミュニタリアニズム思想に親和的で、それらが難局を打開する支えとなっていたことも判明した。

このほか、事例分析から、上越の協働実践が1990年代の米国で起こったパブリック・ジャーナリズムの到達点を超える事業の継続性を獲得していたことや、NGO/NPOのアドボカシー論に接合することも知見として得られた。上越の協働事例は新聞社とNPOが対等なパートナーシップによって成立しており、両者の営みをひとつのメディア実践として把握される。NGO/NPOのアドボカシーが職業ジャーナリストの限界を補完しうることもわかった。さらに、分権型の狭い地域社会においてジャーナリズムにはwatchdogよりもgood neighborが求められるのではないかという仮説も導出できた。

これらの知見から本論文は、これまでジャーナリズムの規範論から注目される機会が乏しかった〈地域〉を立脚点とするジャーナリズムの理論が必要であると主張し、〈地域ジャーナリズム〉を以下のように定義した。すなわち、地域ジャーナリズムは、地域社会を立脚点とし、インフォーマルなセクター(市場、アソシエーション、コミュニティ)と共助的な関係を築き、善をもたらすことを志向するメディア活動である。それはナショナルな主流ジャーナリズムを縮小したものではなく、よその地域とつながり、国家の枠を越えるという意味で、トランス・リージョナル、トランス・ナショナルな広がりをもつ。

各地の小規模なマスメディアは、まちづくりや地域メディア論、市民メディア論のなかで対象化されることはあっても、ジャーナリズムの規範論から論究される機会に乏しかった。だが、これまで集権的であった統治形態が分権的なものへと移行していくにともない、ジャーナリズムの規範論には、新たな領域の開拓がもとめられる。ひとつの重要なテーマは、小規模なマスメディアやジャーナリストが地域の自治とどうかかわっていくかについての理論である。

市町村合併によってつくりだされた基礎自治体には自立が、住民には自治への参加や自律がもとめられる。分権的な統治形態の下ではNPO を中心とした市民活動団体や町内会などの地域団体が、行政機関によって供給されてきた福祉資源を補完する使命を担いつつあり、地域のジャーナリストは、全国メディアのジャーナリストとおなじく「客観的」で「バイアスなき」観察者ではいられない。上越の事例では、紙面の一部をNPOに提供したことが、主流ジャーナリズムの規範からの逸脱とみなされたが、それは見方を変えれば、〈地域〉に立脚するジャーナリズムにオルタナティブな(もうひとつの)方向性を示す。ジャーナリズムの規範は、かならずしも国家や市場、市民社会から導出されるだけではなく、〈地域〉を起点に構築することが必要なのである。

上越の協働プロジェクトは、ジャーナリズムと地域自治をめぐる最先端の実験といえる。人口約28 万5000 人、世帯数約10 万2500 の上越地域(上越・妙高・糸魚川3 市)は、けっして特異な地域ではなく、過疎や高齢化に悩む典型的な「地方」である。だが、「地方」は分権政策の最前線に立たされており、地域のジャーナリストに求められるのは、功利主義的自由主義に固執する主流ジャーナリズムの規範ではなく、いま眼前にある地域の危機を克服していくための実践であり、そこにはコミュニタリアニズムの哲学はジャーナリズムの規範にとって指針を示すものとなる。

地域ジャーナリズムは、主流ジャーナリズムからは、小さな営みのようにみられるかもしれない。だが、〈地域〉を立脚点とするジャーナリズムは、主流ジャーナリズムの限界を超える芽をもち、それを実証的に論じたことが、本論文のジャーナリズム研究への貢献となろう。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、新潟の上越地方の一地域紙の成功例をケーススタディとして取り上げ、ジャーナリズムの規範論に〈地域〉という立脚点を設け、これまでのジャーナリズム規範理論に修正を加える試みである。事例は次のようなものである。

新潟県上越市の新聞社「株式会社上越タイムズ社」は、1999年以降、特定非営利活動法人「くびき野NPOサポートセンター」に紙面を無償提供してきた。NPOは取材から版下づくりまで独力でおこなっており、新聞社はその紙面に一切関与していない。このプロジェクトを始めて以降、NPOは編集制作する紙面を活用して市民活動を支援し、域内の単位人口あたりNPO法人数を県内トップに押し上げた。新聞社も、業界全体が深刻な不況に陥っているにもかかわらず、NPOとの協働を開始して以降、発行部数を数倍に伸ばした。

本論文では、この現象をジャーナリズム研究においていかに位置づけ、解釈するかが大枠の研究設問として設定されている。というのも、これまでのジャーナリズム研究では、主に国家、市場、市民社会との関連のなかで論じられることによって、暗黙裡にナショナルな規模の、大手メディア企業によるジャーナリズム実践を対象とする傾向にある。とくに、ジャーナリズムの編集業務は、社会のあらゆる権力や利害から自由であるために、企業組織の専権事項であるとされ、外部の団体に譲渡することは論外としてタブー視されてきた。

これに対し、本論文では、過疎に苦しむ「地方」で発行されている小規模な新聞社が、NPOをパートナーとして経営改善と地域の活性化に取り組む様子を観察し、これまで積極的に論じられる機会が乏しかった地域自治とジャーナリズムの関係を、NPO論やコミュニタリアニズムという政治哲学の議論を援用して考察を進めている。本論文は、こうした手法によって、〈地域〉を立脚点とするジャーナリズムが、主流ジャーナリズムの欠点と限界を超克する芽をもつことを実証的に論じた。

事例検討の手順としては、第1部においてジャーナリズムの規範論のこれまでの系譜、地域研究の先行研究を概観した。第2部では、本論文が取り上げる上越の事例を対象にした市民メディア論、ならびにNPO論の先行文献を一つひとつ検討し、その限界を明らかにした。これらの先行研究のレビューを踏まえた上で、第3部では、上越市の関係者への長時間のインタビュー、紙面分析および関連一次資料をもとに、この協働プロジェクトが90年代に米国で議論されたいわゆる「パブリック・ジャーナリズム」が抱えていた財政基盤の脆弱さを克服した持続可能な試みであること、他方で「上越タイムズ」の成功はいわゆる「経営合理化」を超えるものであること、そしてそれが近代自由主義的発想による権力監視型規範理論よりも、NPO研究のパートナーシップ論やコミュニタリアニズム思想によってよりよく説明できることを明らかにしていった。

こうして、論文では、「上越タイムズ」が実践する地域ジャーナリズムは、地域社会を立脚点とし、インフォーマルなセクター(市場、アソシエーション、コミュニティ)と共助的な関係を築き、地域社会をよりよくすることを志向する「コミュニタリアン的メディア活動」であると結論づける。それはまた、ナショナルな主流ジャーナリズムを縮小したものではなく、地域同士のつながりをもつことによって国家の枠さえ越え、トランス・リージョナル、トランス・ナショナルな広がりに向けた実践でもあると主張している。

以上のような手順で「地域ジャーナリズム」を議論した本論文は、ジャーナリズム論、NPO論および地方自治論など先行研究の範囲の広さ、ジャーナリズムおよび政治哲学の諸理論の理解度の正確さと深さ、そして研究の学際性とオリジナリティに至るまで、審査員全員からきわめて高く評価された。とくに、ジャーナリズムの規範がかならずしも国家や市場、市民社会から導出されるだけでなく、〈地域〉を起点に構築することが可能であり、また必要だとする結論の新しさ、また、そのように論じることによって現代社会のジャーナリズムが抱える諸問題を逆照射しつつ、新たな規範理論を提示したことに対して、非常に優れた学問的貢献であるという評価が与えられた。また、以上の諸点は、ジャーナリズム研究を超えて、政治哲学の観点からも高く評価できる功績であるとの評価も得た。

同時に、論文に対しては、以下のような注文と期待が寄せられた。1)「上越タイムズ」を取り上げた理由をより明確にし、研究事例として対象化する作業を一層精緻化・徹底化すること、2)この事例をグローバルな文脈で再解釈していくこと、3)この事例を、デジタル化によって広がる「オルターナティヴ・ジャーナリズム」「シヴィック・ジャーナリズム」などと呼ばれるさまざまな新しい試みと接続させ、現代社会の最先端の実践の文脈に位置づけていくこと、などである。なお、「パブリック」という言葉の用法と政治哲学的概念との関係を説明する余地があること、従前の権力監視型、および近代自由主義思想に基づくジャーナリズムと本事例との関係性について一層の整理の必要性なども指摘された。しかし、これらの諸点は論文の欠点というよりは、今後の発展的課題として期待されたものであると言えよう。

以上、審査員全員一致の高い評価に鑑み、本審査委員会は、畑仲哲雄氏の論文が博士(社会情報学)の学位に相当するものと判断する。

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