学位論文要旨



No 128869
著者(漢字) 福島,亜理子
著者(英字)
著者(カナ) フクシマ,アリコ
標題(和) 可聴域をこえる超高周波成分の周波数帯域が脳活動に及ぼす影響
標題(洋)
報告番号 128869
報告番号 甲28869
学位授与日 2013.03.15
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7905号
研究科 工学系研究科
専攻 先端学際工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 廣瀬,通孝
 東京大学 教授 相澤,清晴
 東京大学 准教授 渡邊,克己
 東京大学 准教授 広田,光一
 東京大学 講師 谷川,智洋
内容要旨 要旨を表示する

1.背景と研究の目的

メディア技術を人間の感覚感性とりわけ脳との適合性の観点から評価し適切な知見を提供することは、ますます重要になっている。人間の感覚感性とメディア技術との接点にある興味深い現象として、可聴周波数上限(20 kHz)をこえ複雑に変化する超高周波成分がある種の可聴周波数成分と共存すると、人間の間脳・中脳を含む脳深部及びそこから脳全体に投射する神経ネットワークが活性化して心身が賦活される現象〈ハイパーソニック・エフェクト〉が発見されている。この現象は、領域脳血流の増大、脳波α波の増強、免疫活性の上昇、ストレス性ホルモンの減少、音をより快く美しく感受させる反応、音をより大きく聴く方向へと行動を誘導する作用など、心身両面での多岐にわたるポジティブで複合的な効果を導く。そのため、芸術領域から医療・公衆衛生に及ぶ幅広い応用が期待されている。ただし、呈示される超高周波成分の周波数とハイパーソニック・エフェクト発現との関連についての知見は、未だ十分とはいえない。とくに、多様な音響規格が並存する現今の状況において、この効果が周波数依存性をもち、それを発現させる作用のより強い、またはより弱い、さらには負の作用をもつような特定周波数帯域が存在するかどうか、存在するとしたらそれはどの帯域でその度合いはどれほどか、などが未知である。これらを知ることは、この現象を応用する上で必須であるけれども、本格的にはいまだ検討されていない。そこで本研究では、これまで可聴域・超可聴域の各成分に大別し一括して検討されてきた超高周波の効果に対して、音楽を試料として帯域をより細かく分割し、超高周波成分の周波数帯域が脳活動に及ぼす影響を検討した。

2. 超高周波成分の周波数の影響を検討する実験手法の構築

超高周波成分を特定の周波数帯域に分割してその効果を調べるためには、100 kHzを超える広帯域にわたる高複雑性超高周波成分を豊富にしかもバランス良く含む実験用呈示音源が必要になる。しかし自然性の高いそのような音源を発掘し収録することはきわめて困難で、周波数帯域を細分化して行う実験を阻む要因となっていた。この問題を解決するために、100 kHzを超える帯域まで十分豊富な超高周波成を含み反復聴取に耐えうる感性的特性を具えた録音対象を探索し、そうした条件を満たす楽器と技量をもつインドネシア・バリ島の青銅製打楽器オーケストラ"ガムラン"の一演奏グループを選択した。その演奏を、オリジナルに開発した超広帯域録音システムによって5.6448 MHz標本化・1 bit量子化フォーマットで現地収録し、100 kHzをこえる豊富な高複雑性超高周波成分を含む200秒間の実験用音源を作成した。

音呈示に当っては、音源信号を16 kHz以下の可聴域成分([可聴音])と、上限下限ともさまざまなカットオフ周波数を設定できる周波数可変フィルタによってバンドパスフィルタリングを行った高周波帯域成分([超高周波])とに分割し、それぞれを独立に増幅し空気振動に変換・呈示するバイチャンネル再生系を構成した。

ハイパーソニック・エフェクトの発現指標としては、脳の全体的な活動を反映する自発脳波を用いた。独自に改良を加えたテレメトリ脳波計測システムを用い、国際10‐20法に基づく頭皮上12電極から耳朶連結を基準電極として脳波信号を導出し、先行研究で実績のあるα2成分(10‐13Hz)を抽出し定量化して指標とした。あわせて、α1成分(8‐10 Hz)、β成分(13‐30 Hz)、θ成分(4‐8 Hz)も計測した。

3.超高周波成分の周波数と脳活動との関連性の基礎的検討

まず、新たに作成した実験用音源を、16 kHz以下の[可聴音]と16 kHz以上の[超高周波]とに分割して呈示し、16 kHz以上の超高周波成分の共存によって脳波α1およびα2ポテンシャルが有意に増大し、ハイパーソニック・エフェクトが発現することを確認した(n=12、p<0.05)。

次に、[超高周波]を48 kHzを境に[16 kHz‐48 kHz]と[48 kHz以上]という2つの帯域に分けて呈示することによって、16kHzまでの [可聴音]のみ(コントロール条件)、[可聴音+16‐48 kHz] 、[可聴音+48 kHz<]という3条件を設定し、それぞれで発現するα1、α2、β、θポテンシャルを比較した。実験参加者は健康で正常な聴力を有する12名で、このうち体調不良者を除く11名のデータを有効とした。図1は、呈示音の周波数パワースペクトルである。電気信号が忠実に空気振動に変換され、検討対象周波数が被験者に到達していることを示している。図2は、音呈示200秒間の後半100秒間に計測された脳波のうちのα2成分について、全被験者平均脳波等電位図(BEAM)と、眼球運動によるアーチファクトの混入が軽微な[中心‐頭頂‐後頭部7電極](C3,C4,T5,T6,Pz,O1,O2)から得られたポテンシャルの全被験者平均値を示す。

得られたポテンシャルを変数として分散分析を行った結果、α2ポテンシャルにおいて、音条件による主効果が統計的有意に認められた(p<0.05)。続いてシェッフェ法で検定した結果、[可聴音+16‐48 kHz]よりも [可聴音+48 kHz<]の方が、α2ポテンシャルがより高いことが統計的有意に示された(p<0.05)。β、α1、θ各帯域成分においては、超高周波条件による主効果の違いは認められなかった。

すなわち、48 kHz以上の超高周波成分の共存は、コントロール条件およびそれ以下の成分を共存させた条件よりも脳波α2ポテンシャルの活性をより高めることが見出された。反対に、有意水準には至らないものの、48kHz以下の成分の共存によってα2成分の活性がわずかに低下する傾向が見られた。これらの結果は、超高周波成分の効果は一様でなく、周波数によって正負強弱の違いがある可能性を示唆している。

4. 脳活動に影響を及ぼす周波数の詳細な検討

上記により、超高周波成分の共存が脳活動に及ぼす影響が周波数に依存する可能性が示唆された。そこで、超高周波帯域をさらに細かく分割して同様の実験を行った。すなわち、16 kHz以上の超高周波成分を8 kHz帯域ごとの10帯域に分割して[可聴音+16‐24 kHz]、[可聴音+24‐32 kHz]、[可聴音+32‐40 kHz]、 [可聴音+40‐48 kHz]、[可聴音+48‐56 kHz]、[可聴音+56‐64 kHz]、 [可聴音+64‐72 kHz]、[可聴音+72‐80 kHz]、[可聴音+80‐88 kHz]、 [可聴音+88‐96 kHz]の10条件を設け、これらよりもさらに高い帯域を2つの帯域に分割して [可聴音+96‐112kHz]、 [可聴音+112 kHz<]の2条件を設定した。脳波α1、α2ポテンシャルを指標としてこれら合計12条件それぞれを、[可聴音] のみを呈示するコントロール条件と比較する12セットの実験を行った。各実験の参加者は10名とし、体調不良者や睡眠条件の不適格者を除き有効なデータとした。

図3は、[可聴域+超高周波帯域成分]を呈示したときの脳波α2ポテンシャルを[可聴音のみ]を提示したコントロール条件下のα2ポテンシャルと比較した増減値を算出し、各帯域成分ごとに示している。各実験とも、200秒間音を呈示し、その後半100秒間のデータを計測対象にした。各実験で得られたα2ポテンシャル変化量の全体像は、超高周波成分の効果が周波数に応じて連続的な値を取りながら増減する様子を示している。α2ポテンシャルは、32‐40 kHz近辺よりも低い帯域成分を共存させた時には可聴音だけを呈示したコントロール条件よりも減少し、それよりも高い帯域成分を呈示した時には周波数に対応してさまざまな値に増大した。この結果は、先に行った48 kHzを境に超高周波成分を2分割して呈示した場合の実験結果と矛盾しない。

続いて、各実験において計測されたα2ポテンシャルを[可聴音]だけのコントロール条件下でのポテンシャルに比較した増加・減少値を1変量のt検定によって検討した。その結果、80‐88 kHzの帯域成分を付加した実験と、88‐96 kHzの帯域成分を付加した実験では、α2ポテンシャルが統計的有意に増大した(それぞれp<0.01、p<0.05)。一方、24‐32 kHzの超高周波を付加した条件では、[可聴音]よりもα2ポテンシャルが統計的有意に低下した(p<0.05)。

脳波α1ポテンシャルは、α2ポテンシャルほど明瞭ではないが、周波数にある程度依存して活性が増減し、80‐88 kHz呈示において統計的有意な増大を示した (p<0.05)。

5. 考察と結論

この研究では、これまでおよそ20 kHz以上の帯域が一括して検討されていた超高周波成分の効果について、16 kHzから100 kHzをこえる周波数までを帯域別に詳細に検討し、可聴音に共存させる超高周波成分の周波数によって脳波α2ポテンシャルの増減効果に相違があることを見出した。α2ポテンシャルの変化は、可聴音と同時に80‐96 kHz帯域成分を呈示した時にもっとも顕著な増大と統計的有意性を示した。ハイパーソニック・エフェクトの発現状態が超高周波成分の周波数に依存することを示すこれらの知見は、この現象を応用する上でも、発現メカニズムの解明など基礎研究においても、有用な材料を提供することが期待される。

一方、24‐32 kHz帯域成分を可聴音と共存させた時には、脳波α2ポテンシャルが顕著に、しかも統計的有意に低下することが見出された。この帯域は、現在普及しつつある高品位の音楽メディアのうち96 kHz標本化PCMフォーマットが対応している領域であり、その周波数成分にネガティブな効果がある可能性が示唆されたことには注意を要する。先に述べた、再生周波数の上限を48 kHzに設定した実験において、脳波α2ポテンシャルの活性が向上せず低下する傾向を見せたことからも、超高周波成分の生理的心理的効果を有効かつ安全に活用するためには、48 kHz以上の周波数成分の再生が少なくとも安全であり、もしかすると必須であるかも知れない。

すでに、可聴域上限をこえる超高周波を含む高密度高品質の音響データが、DVD-Audio、Super Audio CD、Blu-rayなどの高品位なパッケージメディアや、ネットワークからダウンロードしたりUSBメモリなどに記録するオーディオファイルとして、市場に供給されはじめている。これらに含まれる192 kHz標本化によるPCM方式や2.8 MHz、5.6 MHz標本化によるDSD方式などのいわゆるハイレゾリューション・オーディオは、その音質が高く評価され、急速に普及しつつある。これらのコンテンツの規格や再生システムについて、今後は人間の脳に及ぼす影響や感覚感性との適合性の観点から本格的な検討がなされるべきではないかと考える。

図1呈示した音源の周波数パワースペクトル(全200秒間の平均)

図2脳波α2成分(10-13Hz)の脳波等電位図(BEAM)(上)

および中心頭頂後頭7電極からのα2ポテンシャルの平均値(下)

(各200秒間の音呈示の後半100秒間のデータ、全被験者平均と標準誤差)

図3可聴音と共存させた超高周波各帯域成分に対応する脳波α2ポテンシャル

(各200秒間の音呈示の後半100秒間のデータ、中心頭頂後頭7電極の平均値、全被験者平均と標準誤差)

審査要旨 要旨を表示する

メディア技術を人間の感覚感性とりわけ脳との適合性の観点から評価し適切な知見を提供することは、ますます重要になっている。特に音響メディア領域では、広帯域高品位のいわゆる"ハイレゾ"音源の配信の急速な進展・普及に伴い、多様な規格方式が並立し、客観性の高い生理的評価の本格的な適用と新たな知見の提出が求められている。

本論文は、広帯域音響規格実用化の学術的根拠となった知見、すなわち、可聴周波数上限(20 kHz)をこえ複雑に変化する超高周波成分がある種の可聴周波数成分と共存すると、人間の間脳・中脳を含む脳深部及びそこから脳全体に投射する神経ネットワークが活性化して心身が賦活される現象〈ハイパーソニック・エフェクト〉に注目している。そして、先行研究では超高周波成分の有無による生理的心理的反応の相違が主に検討されてきたのに対し、超高周波成分の周波数と脳活動との関係について脳波を指標として詳細に検討している。

第1章「序論」では、本研究の着想に至った背景と研究の目的、論文の構成を述べている。ハイパーソニック・エフェクトが音質向上に限らず心身両面での多岐にわたるポジティブな効果を含み、芸術領域から医療・公衆衛生に及ぶ幅広い応用が期待される一方、呈示される超高周波成分の周波数と現象発現との関連という応用に必須な検討が未着手であることを指摘した。そして、この効果が周波数依存性をもち、それを発現させる作用のより強い、またはより弱い、さらには負の作用をもつような特定周波数帯域が存在するかどうか、存在するとしたらその周波数と作用の度合いはどれほどかについて、音楽を試料として帯域を細かく分割し、脳波を評価指標として検討する本研究の意義目的を述べている。

第2章「関連領域の動向と先行研究」では、ディジタル音響メディアの進展に呼応して行われてきた、超高周波成分が人間の感覚感性に及ぼす影響についての先行研究を整理し、本研究の位置付けを明らかにした。特に、主観的心理学的音質評価実験に依拠した従来の知見に対し、生理学的評価指標の導入がもたらしたブレイクスルーに焦点を当てている。

第3章「脳活動に影響を及ぼす超高周波成分の特性について」では、研究対象である超高周波成分の諸特性とハイパーソニック・エフェクト発現との関係について、自然性の高い音源と人工的音源との信号構造の比較など、関連研究によって見出されている既知の知見を整理し、そこから導かれた本研究が取り組むべき課題と方略について述べている。

第4章「超高周波成分の周波数が脳活動に及ぼす影響を検討する実験手法の構築」では、本研究に必須でありながらこれまで実現していなかった、100 kHzを上回る超高周波成分を含む広帯域音源の収録、周波数可変音呈示システムの構築、感性反応の鋭敏な検出を実現する脳波計測分析手法の整備など、実験手法の構築について述べている。

第5章「超高周波成分の周波数が脳活動に及ぼす影響を検討する実験」では、3つの実験について述べている。第1の実験では、本研究のために開発した音源、呈示システム、評価手法を用いて、脳波を指標としてハイパーソニック・エフェクトの再現を確認している。第2の実験では、16 kHz以上の超高周波成分を48 kHzを境界として2分割し、16 kHzまでの[可聴音]のみを呈示したコントロール条件に比較して48 kHz以上の帯域成分を共存させた条件が α2ポテンシャルをより高め、48kHz以下の成分を共存させた条件がα2ポテンシャルをわずかながら低下させるという結果を見出している。第3の実験では、16 kHz以上の超高周波帯域をおよそ8 kHz帯域ごとの12帯域に分割し、各帯域の超高周波成分を[可聴音]と同時に呈示する12条件それぞれを、[可聴音]のみのコントロール条件と比較している。この12セットの実験の結果、α2ポテンシャルは、周波数に応じて連続的に増減し、32-40 kHz近辺よりも低い周波数帯域成分を共存させた時にはコントロール条件よりも減少し、それよりも高い帯域成分を共存させた時には周波数に対応して増大するという結果を見出している。また、80‐88 kHzの帯域成分、および、88‐96 kHzの帯域成分を付加した実験では、コントロール条件よりもα2ポテンシャルが統計的有意に増大し、24‐32 kHz帯域成分を付加した実験では統計的有意に低下するという結果を見出している。

第6章「考察」では、先行研究における26 kHz以下の音楽の呈示条件下で得られた、間脳・中脳の領域脳血流および脳波α波がともに暗騒音条件よりも低下したという結果と、本研究で得られた結果との比較による解釈や、自発脳波の感覚感性反応の指標としての有効性と限界、メディア技術の生理的評価の意義について論じている。

第7章「結論」では本研究の成果をまとめ、異なる音源や他の評価指標を用いる検討など今後の課題と、コンテンツやシステム開発への応用などの展望を述べている。

筆者によって得られた実証的知見、すなわち、超高周波成分と可聴音との共存が脳活動に及ぼす影響は超高周波成分の周波数帯域に依存し、32-40 kHz近辺よりも低い帯域成分の共存は脳波α2ポテンシャルを低下させ、それよりも高い帯域成分の共存は周波数に対応してさまざまな値に増大し80‐96 kHz近辺で最大となるという知見は、いずれも新規性の高い知見である。音響再生システムやコンテンツ規格を、脳との適合性という観点から生理的客観的に評価する意義を具体的に示したもので、成果の応用も期待される。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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