学位論文要旨



No 128812
著者(漢字) 中澤,栄輔
著者(英字)
著者(カナ) ナカザワ,エイスケ
標題(和) 記憶と因果 : 哲学的ならびに経験的検討
標題(洋)
報告番号 128812
報告番号 甲28812
学位授与日 2013.01.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1184号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 信原,幸弘
 東京大学 教授 橋本,毅彦
 東京大学 准教授 廣野,喜幸
 東京大学 准教授 石原,孝二
 立正大学 教授 村田,純一
内容要旨 要旨を表示する

本論は想起体験の構造を吟味し,記憶の哲学の中心的問題を論じる.記憶の直接説と記憶の間接説を詳細に記述することで両者の論点を対比させ,記憶における因果概念を哲学的ならびに経験的に吟味することによって,記憶の間接説を擁護することの困難さを明らかにしつつ,記憶の直接説に内実を与える.

本論の研究背景

記憶は人間の認知システムの一部であり,心理学や脳神経科学において現在盛んに研究されている分野である.心理学や脳神経科学の研究を通して記憶のあり方,記憶する器官としての脳の働きは徐々に明らかになってきている.それとともに,記憶は哲学の課題でもある.プラトン,アリストテレス,アウグスティヌス,デカルト,ロック,ヒューム,トマス・リード,ベルクソン,ラッセル,フッサールといった哲学者も間接的にあるいは直接的なしかたで記憶を論じてきた.とりわけ記憶が哲学的な関心を惹く場合には,その問いは記憶と過去の世界との関係に集中してきたと見られる.

記憶と過去の世界との関係は,次のような問題圏を形成する.大きな流れを示せば,近代においてロックやヒュームによって記憶の代表象説が提示された.記憶の代表象説によると,想起体験の対象は代表象という心的存在であり,それが現在想起している主体と過去の世界との間にインターフェイスとして挟み込まれる.その意味で,記憶の代表象説は典型的な記憶の間接説である.記憶の間接説に対して,トマス・リードやフッサールは心的なインターフェイスを媒介にすることを拒否する記憶の直接説を提唱した.記憶の直接説によると,想起体験の対象は過去の世界における出来事や状態そのものである.さらに,他方では,現代の自然主義的な哲学的趨勢を背景にした記憶の因果説が存在する.記憶の因果説とは過去の世界における出来事や状態と現在の主体の想起体験との間に因果的な繋がりを要請する理論であり,通常は記憶の直接説に対置される.

現代の記憶の哲学の研究状況は,知覚の哲学などの近接領域と較べればそれほど進捗しておらず,萌芽的段階にあると言える.しかし,ベルネッカーの The Metaphysics of Memory(Bernecker 2008)やサットンの Philosophy and Memory Traces(Sutton 1998)など,記憶の哲学にかんする精力的な研究が一部で遂行されている.本論も両書の研究成果に負うところが多い.Bernecker 2008は記憶の直接説と記憶の間接説との関係を論じ,双方を両立させる議論を展開しているが,しかしながら,その議論はまだ完全であるとは言えない.とはいえ,想起主体と過去の実在,そして因果の三者の間の関係が現在の記憶の哲学における大問題であることを見越し,それに正面から取り組んでいる意欲的な研究として評価することができる.Sutton 1998は記憶痕跡概念にターゲットを絞った比類なき先駆的研究であり,本論の記憶痕跡概念の分析の背景であると同時に,記憶の直接説に有用な記憶モデルを供給している.しかし,Sutton 1998における記憶モデルの経験的検討は必ずしも十分であるとは言えず,自然科学の知見によってサポートされる記憶モデルの確立に向けては更なる彫琢が必要である.

本論の方法,目的と主要な結論

本論を導く問いは,記憶の直接説を経験的に確かなしかたで記憶の因果説と結合させるにはいかなる方法があるのか,というものである.従って,本論もBernecker 2008と同様に,記憶の直接説と記憶の因果説の関係を論じる.本論はBernecker 2008と,記憶の直接説を採用しつつ記憶の因果説を包摂という方針では一致するが,しかし,経験的研究の成果の取り入れの多寡,及びラッセルが提唱したムネメ的原因仮説の取り扱いについては見解を異にする.本論は,記憶の哲学の中心的課題に取り組むのに,自然科学,とりわけ心理学と脳神経科学の成果を最大限取り込み,その成果をもとに考察するという方法を採る.また,伝統的な記憶因果概念に替えてムネメ的原因仮説を導入し,心理学と脳神経科学の成果を基にそれに経験的内実を供給する.

本論では,ムネメ的原因仮説を梃子にして記憶の直接説と因果説を両立させるモデルである構成的・分散的記憶モデルを提示し,それを心理学や脳神経科学の記憶研究の成果を基に展開させる.確かに,経験的証拠の蓄積が現時点においては未だ不十分であるという留保はつくものの,記憶の直接説の可能性は拓かれているということが最終的に示される.

本論の議論の流れ

本論において実質的な議論は第2章から第4章において展開される.第2章では記憶における表象が論じられる.代表的な記憶の間接説として記憶の代表象説が導入された後,批判的に吟味され記憶の直接説が展開される.記憶の代表象説によると想起の対象は代表象である.代表象とは想起する主体と過去の世界の間に挟み込まれるインターフェイスである.それによって代表象説は過去の世界と現在想起する主体との関係を説明しようとするが,しかしながら,その説明は過去の世界の実在性を理解不可能なものにする.その限りにおいて,記憶の代表象説は根本的な困難を抱えている.それに対して,記憶の直接説によると,想起の対象は過去の実在の世界における出来事や世界の状態である.トマス・リードは,記憶のオリジナルな能力によって過去の出来事の直接的な経験が形成されると論じた.また,フッサールはその経験の形成過程を如実に記述し,記憶の直接説に内実を与えた.フッサールによると,想起体験は時間的あるいは想起的な射映構造を持つ.射映的に超越的対象が与えられるというしかたで,想起される対象は過去の世界における対象として,想起する主体に直接的に与えられる.

第3章では,記憶における因果が論じられる.個別的独立的記憶痕跡は記憶の因果における原因と結果の時間的空間的近接性を担保するものとして,2段階の記憶因果説によって要請されてきた.しかし,2段階の記憶因果説が個別的独立的記憶痕跡仮説を援用してその内実を供給しようとしても,記憶の間接説に陥らざるを得ず,従って,記憶の直接説による批判に耐えることができない.そこで,記憶痕跡仮説を避けつつ,記憶の因果説を保持するためには,2段階の因果説とは異なった因果性概念が必要とされる.ラッセルが主張したムネメ的原因仮説はその候補であり,それを採用することで記憶の直接説と因果説も両立する.ムネメ的原因とは「過去におけるA, B, C, …… が,現在のXとともに,現在のYを引き起こす」というような法則における,A, B, C, …… を指す.ムネメ的原因仮説が受け入れられ,伝統的な因果概念の代替とすることができれば,記憶の因果説は過去の世界における出来事や世界の状態と現在の主体の想起体験との関係を得ることができる.しかし,それには経験的な吟味が要請される.ムネメ的原因仮説に経験的サポートを付与する方途として,コネクショニストモデルの適用とシナプスの長期増強の生化学的メカニズムに訴える方向が有望である.それは長期増強としての記憶痕跡が分散的に情報を担うメカニズム―本論ではこれを時間的分散的記憶痕跡と呼ぶ―,及びそれによる想起体験のメカニズムの解明へと帰着する.脳神経科学の歴史を紐解くと,細胞レベル/分子レベルをベースにした研究はアメフラシのような単純な神経回路を持つ生物のレベルでは多大な成果を上げている.その延長線上に人間の記憶メカニズムも統合するという方針は確保されているが,しかしギャップは存在し,それをボトムアップの科学的営為によって地道に埋める必要がある.一方の人間の記憶モデルに関しては,静的な記憶モデルを離れ,構成的・分散的記憶モデルへと拡張させるのが自然である.構成的・分散的記憶モデルによると,想起される記憶はその記憶の核になるような過去の体験だけではなく,認知の形成史とそのときの周囲の状況,それによってもたらされる情動的変化などが複合的に影響してその都度構成され,また,認知の社会的分散というアイデアを背景として,社会的,あるいは環境的なリソースも想起体験の構成に関与している.

第4章では,構成的・分散的記憶モデルの内実を明らかにするため,偽記憶と記憶の固執という二つの記憶のエラーが経験的知見を元に吟味される.特に第4章前半では偽記憶が論じられる.記憶の直接説によると,想起は一時的なものではなく,継続する想起主体と過去の世界との関係であり,真なる記憶の想起体験と同様に,偽記憶体験も主体の継続的な想起体験の一契機としてその想起体験の系列に含まれるものとして理解される.想起体験はその都度パースペクティブ的な性格を有するが,そのように時間的パースペクティブ的に与えられる過去の世界の出来事は常に訂正可能なしかたで定立される.それにより偽記憶体験は,後続の時間的パースペクティブを通して与えられた想起体験との比較を経て,まさに偽記憶として訂正線が引かれることによってその想起体験が偽記憶の想起であると理解される.こうした記憶の直接説による偽記憶理解の全体論的性格を記述した先駆的研究が日常認知の心理学研究によってなされている.偽記憶現象は記憶の直接説の枠組によって説明され,その内実は日常的認知の心理学による偽記憶研究によって記述されると言える.偽記憶現象は本来避けられるべき記憶のエラーであるが,それにもかかわらず偽記憶現象を通じて見える記憶の本性があり,それは構成的・分散的記憶モデルを良く反映している.

第4章の後半では固執する記憶が論じられる.構成的・分散的記憶モデルにおけるネットワークの柔軟性を考慮すると,トラウマ記憶,フラッシュバルブ記憶のような固執する記憶を説明することは一見困難であると考えられる.しかし,構成的・分散的記憶モデルの下で説明される情動を伴った固執する記憶のメカニズムは,他の通常の記憶メカニズムの延長上に据えられる.従って,フラッシュバルブ記憶の想起のように鮮明な想起体験であったとしても,その想起体験には繰り返しの再想起による再固着化など様々なムネメ的原因が作用していると解釈することができる.それ故,固執する記憶も,構成的・分散的記憶モデルに基づく想起に特徴的である動的な性格を有する想起体験と考えられる.

以上,本論で吟味されるのは,記憶における因果性概念である.その結果として提示される時間的分散的記憶痕跡仮説及び構成的・分散的記憶モデルには,脳神経科学や心理学の記憶研究により内実を補填することが可能であり,また逆に,時間的分散的記憶痕跡仮説及び構成的・分散的記憶モデルを軸に記憶と想起体験を吟味すれば,それは心理学や脳神経科学の記憶理論を理解する際の重要な手引きとなる.当然,ボトムアップの経験的証拠の蓄積が現時点においては未だ不十分に留まるということを考えると,なおも人間の想起体験と過去の世界との間には埋めるべきギャップがある.しかしながら,構成的・分散的記憶モデル,及びこのモデルに適合した因果性概念であるムネメ的原因仮説の見通しは経験的に拓かれている.その意味で,記憶の直接説の可能性もまた拓かれている.

審査要旨 要旨を表示する

記憶は、人間の認知システムの重要不可欠な役割を演じており、哲学においてはもちろんのこと、心理学や脳科学において重要な研究分野を構成してきた。本論文で、中澤氏は、記憶に関わる哲学的問題を心理学や脳科学の最新の成果を踏まえながら論じることによって、伝統的な記憶モデルに代わって「構成的分散的記憶モデル」という独自のモデルを提示することを試みている。本論文の特色は、過去の世界との直接的連関を強調する記憶の直接説の立場を擁護しながら、B・ラッセルの提唱するムネメ的原因という概念を用いて、心理学や脳科学における経験的知見に基づく議論によって、直接説に内実を与える記憶の具体的なモデルを提示することに成功している点に見出すことができ、この点に本論文の独創性を見ることができる。

本論文は、全体で5章からなる。第1章は序論、5章は結論であり、どちらも議論の前提と論文全体の概観が述べられているので、以下では主に、2章から4章の本論の議論を簡単に紹介する。

第2章は「記憶と代表象――記憶の間接説と直接説」と題されており、そこでは、記憶に関する代表的な哲学者の議論を間接説と直接説という軸のもので整理することがなされ、それによって、記憶の直接説擁護の試みがなされている。

伝統的な記憶観によると、記憶とは過去の経験の痕跡を貯蔵することであり、想起は、貯蔵されている痕跡にもとづいて過去の出来事のイメージないし表象を思い浮かべることと見なされる。この見方を支えているのが、記憶に関する(代)表象主義であり、同時に、過去から現在まで記憶像を保存する記憶痕跡という考え方である。このような見方は多くの論者に見られるが、代表的な議論としては、イギリス経験論の哲学者、J・ロックとD・ヒュームに見られる。どちらも、記憶とは、過去に知覚することによって得た観念を現在の時点で改めて心に再生する意識のあり方のことだと見なされる。そのために、想起している現在と過去の世界とは観念によって媒介されることになり、この見方は想起の間接説と特徴づけられる。

それに対して、哲学史のなかでは、T・リードが観念を用いたロックやヒュームらの見方を批判したことがよく知られている。中澤氏はこのリードの間接説批判にのっとって直接説を擁護したうえで、E・フッサールの記憶理論を詳細に論じることにより、直接説に哲学的、現象学的な内実を与える。その際に重要なのが、ちょうど知覚において同じ対象をさまざまな空間的パースペクティブから意識するのと同じように、想起体験では、同じ過去の出来事を多様な時間的パースペクティブのもとで意識するという中澤氏独自の見方である。

第3章では、本論文の中心的テーマである記憶と因果の関係が論じられる。伝統的な記憶の表象説では、過去と現在が記憶痕跡を介して因果的に結びついており、記憶痕跡によって想起が可能になると見なされている点で、記憶の表象説ないし間接説は同時に記憶の因果説という仕方で理解されることが多い。そして、こうした見方のもとで、脳科学でも記憶痕跡を探し出す探求が継続されてきた。

それに対して、中澤氏は、記憶の直接説と整合的な因果関係を考えるために、ラッセルの提出したムネメ的原因という概念を用いることによって、伝統的見方とは異なった仕方の記憶と因果の連関を考えることを試みる。ムネメ的原因概念の特色は、伝統的な因果概念のように個別連続的な因果関係を想定する必要がなく、過去に起きた多様な出来事すべてが現在の記憶のあり方に影響するように考えることを可能にする点にある。この概念を用いることによって、伝統的な記憶痕跡概念のような個別的独立的な痕跡を考える必要のなくなることが示される。そのうえで、中澤氏は伝統的な記憶痕跡概念に代わって、「時間的に分散した記憶痕跡」という大変興味深い概念を提起する。そして、この時間的に分散した記憶痕跡概念に内実を与えるために、現在の生理学で用いられている神経ネットワークのコネクショニストモデルと長期増強という考え方を取り上げる。中澤氏によると、現在の脳科学で用いられている長期増強という概念は「時間的分散的記憶痕跡」の実例として解釈することが可能なのである。ただし、現在の経験的研究状況では、この長期増強をめぐる議論は、下等動物の神経細胞のネットワークの形成という次元にとどまっており、人間の記憶に直ちに適応可能なところまではいまだ距離がある。それに対して中澤氏は、哲学者サットンの見方を参照して、人間の記憶に関しても、記憶は時間的に離れた多様な要因によって構成されるという「構成的分散的記憶モデル」を提示する。この「構成的分散的記憶モデル」によって、人間の記憶も含めて、記憶の直接説を擁護しながら、過去の世界との因果関係を理解可能にする見方が示されることになる。この3章で示された「時間的分散的記憶痕跡」という概念や、それと連関した「構成的分散的記憶モデル」は中澤氏独自のものであり、これらの点に本論の独創性が集中的に現れている。

本論最後の第4章では、この「構成的分散的記憶モデル」をさらに説得的なものとするために、偽記憶ならびにPTSDのような固着する記憶という二つの種類の記憶が取り上げられる。

その際に参照されるのは、日常生活のなかでの記憶のあり方を重視したバートレットの記憶論であり、それを基礎にして展開されたナイサ―やロフタスら、現代の心理学者による議論である。

ナイサ―やロフタスらの見方によると、日常生活のなかでの記憶は、一度経験されたことが単独で保存され続けるようなあり方をするのではなく、過去から現在に至るまでの間に経験されるさまざまな要因によって影響を受けながら多様に編集され、構成されるあり方を示し、そのような過程ではしばしば偽記憶というあり方が生じることになる。こうした記憶現象は、ムネメ的原因というメカニズムによって記憶が生じるという見方を見事し証明しているということができる。

他方で、PTSDのような固着する記憶現象は、一見すると、構成的分散的記憶モデルにはそぐわない現象のように見えるかもしれない。しかし、中澤氏によると、現在、研究されているPTSDに対する治療薬として開発され使用され始めているプロプラノロールの効果のあり方などを考慮すると、むしろこうした治療薬は、新たなムネメ的原因を追加することによって記憶のあり方を改変する過程と解釈することができ、こうした現象も、必ずしも「構成的分散的記憶モデル」の反証例として見なされる必要はないことになる。以上のようにして、構成的分散的記憶モデルの妥当性があらためて確認される。

以上のような議論に対して、審査委員のなかからは、論文中で用いられた直接説や偽記憶といった概念が必ずしも十分明確でないという指摘などがなされた。本論文は、そうした点で改善すべき点を含んでいることは確かであるが、「構成的分散的記憶モデル」という独自のモデルを現代の経験科学の成果を十分考慮に入れて明快に提案している点で、本審査委員会は、本論を博士論文として十分な水準をクリアーしていると判断し、博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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