学位論文要旨



No 128482
著者(漢字) 大井,奈美
著者(英字)
著者(カナ) オオイ,ナミ
標題(和) ネオ・サイバネティクス的近現代俳句研究 : 文学研究にたいする基礎情報学の批判的応用
標題(洋)
報告番号 128482
報告番号 甲28482
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学際情報学)
学位記番号 博学情第45号
研究科 学際情報学府
専攻 学際情報学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西垣,通
 東京大学 教授 吉見,俊哉
 東京大学 教授 林,香里
 東京大学 教授 坂井,修一
 富山大学 教授 名執,基樹
内容要旨 要旨を表示する

明治期以降の近現代俳句にたいして、ネオ・サイバネティクス、とくに基礎情報学の理論にもとづく分析をおこなったのが本研究である。

俳句をめぐって従来、文献学など様々なアプローチによる研究がおこなわれてきた。それらの実り多い研究は、しかし一面で、俳句現象を作家やテクストに還元してしまう傾向が否めないこともあった。俳句はもともと共同体やメディアと非常に関係が深い文学である。とくに、俳句結社における師弟関係などに典型的な、俳句現象をめぐる非対称な力関係は特筆される。こうした俳句の特徴に着目した分析が不可欠なのである。

文学を、個人や作品のみならず、共同体やメディアという位相をもふくみこむコミュニケーション現象としてとらえるアプローチは、近年「ネオ・サイバネティクス」と呼ばれている研究潮流の一種である。そこでは、コミュニケーション現象が、あるシステムの観察・記述行為として理解される。とりわけ、システムの観察行為の観察、すなわち「二次観察」こそが、ネオ・サイバネティクスの核心にある概念であり、また研究態度にほかならない。

すでに1970 年代から、コミュニケーション現象からなるシステムとして文学を分析する「文学システム論」が、ドイツやオランダを中心に盛んにおこなわれてきた。これらはネオ・サイバネティクス的文学研究の先駆けと位置づけられる。とはいえ文学システムは、既存の文学研究とは逆に、分析において作家や文学テクストの位置づけが曖昧になりがちであり、また、個人、社会、メディアのあいだに存在する権力関係も考慮しないという弱点を有していた。

そのため本研究では、ネオ・サイバネティクスのなかで、とくに基礎情報学をおもな理論的枠組として採用する。なぜなら、基礎情報学における「生命情報」、「社会情報」、「機械情報」という連続する三つの情報概念と「階層的自律コミュニケーション・ステム(HACS)」概念とによって、既存の文学システム論の限界をのりこえる可能性が期待できるからである。

以上の問題意識のもとで、本研究の目的はつぎの三つにまとめられる。第一に、ネオ・サイバネティクス、とりわけ基礎情報学の観点から近現代俳句の誕生と歴史をとりあげることによって、俳句の本質を従来の研究よりいっそう多角的に浮き彫りにすること。第二に、既存の文学システム論一般がもつ弱点をも批判的にのりこえ、ネオ・サイバネティクス的文学研究のさらなる展開を目指すこと。第三に、俳句システム分析をつうじて基礎情報学の理論的枠組自体が有する限界を逆照射し、それを克服することによって、理論の深化を試みること。

これら三つの目的をとげる準備として、まず分析の理論的基礎を検討した。おもな概念装置はつぎの二つである。第一に、俳句をめぐるシステムの誕生と進化として近現代俳文学史が理解された。システムにおけるコミュニケーションを特定の方向に導き継続するためのメカニズムは、ルーマンのいわゆる「二値コード」と「成果メディア」であるが、システムの「誕生」とは、(自己のコミュニケーションにたいする)二次観察をつうじた、それら独自の機構の成立にほかならない。またシステムの「進化」とは、他のシステム(環境)あるいは当該システム自体にたいする二次観察をつうじた、観察メカニズムの実現条件の変化である。それは具体的には、二値コードを判定する「プログラム」(俳句をめぐる文学理論)の内実変化を意味しており、その変化によって俳句システムが多様化されてきた。プログラム変化は、システムが作動する際に参照する概念資源、すなわち「意味ベース」(俳句作品など)の充実・変遷と触発しあっており、俳句システム進化はこれら二つの複合的プロセスとして実現する。

第二に、システムの関係性として共進化(構造的カップリング)、包摂関係、階層関係の三概念を整理した。具体的には俳句システムは、俳人の心的過程、俳句結社、俳句協会、俳句マスメディア、俳句インターネットという、非対称な力関係(階層関係)によって結ばれた複数のサブシステムによって実現されており(包摂関係)、これら俳句をめぐる各種システムは、たがいに共進化をつうじて成立してきたのである。

上記の理論的土台のもとで、まず、前史として江戸期の俳諧を瞥見した。近世では俳諧をめぐって、広範な社会階層にわたる人々が社会的な絆を結んでいたが、この俳諧ネットワークも一種の自律的なシステムとして理解できる。しかし、俳諧システムはあくまで封建的な一元的社会秩序との関係において存在しており、個人主体よりも連や座といった共同体としての主体性が優先された事実などに鑑みても、二次観察にもとづいて存在する近代以降の俳句現象(俳句システム)から区別される。ただし一方で、季語の体系に代表される文化的概念資源や、人々のネットワーク性などの点において、俳諧と俳句に重要な連続性があることもまた忘れてはならない。

近代俳句の成立は、正岡子規の「俳諧大要」(明治28 年)という論文に画期される。俳諧の発句は、個人的観察にもとづくものとして、他の句や他者からいわば独立した存在とみなされたのである。このとき選択された二値コードは、「俳人的/非俳人的」である。それは、近代作家としての俳人がもつ主観や感情などに根差したコミュニケーションであるか否かを表している。このような俳句システムの観察の観点が自覚的に問題化されたとき、すなわち二次観察が導入されたときに、俳句システムが成立した。なぜならこのとき、近代的「俳句作品」という概念がシステムの「成果メディア」としてはじめて登場したからである。

社会的背景に目を向けると、俳句システムは、封建社会の成層的分化社会から近代の機能的分化社会への移行過程で、政治や教育など他の機能的分化システムと相互に影響を及ぼしあいながら誕生したHACS として理解される。また俳句システムとの共進化をつうじて、俳人の心的システムも成立した。

明治30 年代中葉から大正時代にいたる俳句システムの揺籃期では、河東碧梧桐らの「新傾向俳句」と高濱虚子らの「伝統派俳句」が注目される。基本的に無季自由律の句風を共有していた新傾向俳句プログラムは、有季定型という、俳人の心的システムの観察枠組に再考を迫った。また新傾向俳句潮流が、特定の俳句理論に即した創作を追求し俳句批評を創出して、俳句システムにたいする意識的な自己観察をはじめたことは、俳句システム確立にとって重要だった。

一方で伝統派俳句によるプログラムのねらいは、観察し表現する行為の自覚化を促すことにあった。このような実践が、近世以来共有されてきた季語などの文化資源と俳諧ネットワークを近代的に革新させ、俳句大衆化を導き、俳句の国民文学性に重大な貢献を果たした。伝統派俳句潮流のもとで発達をみせたのが、俳句結社システムと俳句マスメディア・システムであった。当時、俳人と俳句結社との階層関係が利用されたことで、俳句大衆化と人々の近代的自覚とが促進されたのである。また俳句マスメディアは、各結社の橋渡しをおこない、俳壇という統一した「現実-像」の構成をはじめていた。

昭和初年から中期までにわたる俳句システムの確立期では、(初期)新興俳句によって、写生概念の刷新と感情表現の知的構成がなされた。たとえば、水原秋櫻子らによる唯美主義プログラムで重視された俳句の「調べ」や、山口誓子らの「根源俳句」プログラムにおける認知過程への注目をつうじて、観察する自己を二次観察する態度がうちだされたのである。その結果、「言葉を操る近代的個人が、感情すなわち観察内容を表現する」という転倒が生じた。新興俳句のプログラムは、俳句システムの二値コードを自覚的に運用するものであったと言える。

新興俳句派の一部が感情などを自己の「外部」に対象化して知的に観察し構成することで趣味的に扱いがちだった点を批判しつつ登場した、中村草田男ら人間探究派は、時代性をおびた社会にたいする二次観察をつうじて心理や思想などを描こうとした。ここから、俳句における批判的リアリズムも生じてくる。人間探求派は、事物と一体化して心理をそれに投影するような観察・写生をおこなった。近代的個人としての俳人性に根ざした俳句コミュニケーションは自明のものとなり、俳句システムの二値コードが成立した際の偶発性が隠蔽されて二値コードは「必然」のものになった。このとき近代的俳句システムが真の確立をみせた。俳句システム確立の一環として、当時俳句協会システムが成立してきたことも見逃せない。

しかし1960 年代以降には、対象に主観を投影するような既存の観察・記述手法そのものを問いなおす潮流が生じた。比喩を駆使して言語使用を前景化させる金子兜太らの前衛俳句プログラムを経て、飯田龍太らの構造主義プログラムにいたると、言葉が、作者の内面を表象する手段という位置価を本質的にぬけだし、観察枠組として前景化されはじめた。すなわち、「写生に代表される技法によって主観を表現する」という、俳句システムを存立させてきた転倒の仮構性が明確になったのである。それは俳句システムの観察の観点自体を二次観察して再考に付すことであり、俳人性に根差す近代的「俳句作品」概念の内実を刷新してしまう。したがって構造主義潮流は、近代的俳句システムの「終焉」とでも呼びうる、俳句システム進化の最終的な事態を招いた。その後の現代俳句では、俳句作品概念が一義的に決まっておらず、俳句本来の主体性や観察のあり方が多様なかたちで試みられている。なお、現代の俳人性を特徴づける重要な契機としては、俳句インターネット・システムの登場がある。

以上述べたように本研究をつうじて、俳句が、二次観察・記述行為と、その結果として生じる特異な主体性とを本質とするコミュニケーション現象であることが浮き彫りになった。より実際的に説明すれば、俳句は、観察・記述の枠組(プログラム)であると同時に、観察・記述の結果として析出される俳句テクストとしても実現される、多元的な社会情報として存在しているのである。近現代俳文学史はこのような社会情報の変化として総括でき、ネオ・サイバネティクス的観点によって、その、個人、共同体、メディアにわたる多層的かつ自律的な性質をあきらかにできた。

並行して、既存の文学システム論を理論と対象の両面でさらに展開した本研究により、従来の研究が有していた弱点を克服する道が拓かれ、ネオ・サイバネティクス的文学研究の可能性が拡張された。さらに、自律システム同士の関係性をめぐる理論上の展開、通時的考察の導入、システムの作動メカニズムと情報概念との有機的関係づけなどをとおして、基礎情報学の理論的な進展・深化をも達成することができた。

審査要旨 要旨を表示する

大井奈美提出の本論文は、ネオ・サイバネティカルな議論とくに基礎情報学の理論を批判的に応用して、明治期から現代にいたる近現代俳句の分析をおこなったものである。ネオ・サイバネティクスとはおもに「二次観察」概念にもとづく総合的・学際的な研究潮流であり、基礎情報学以外にもオートポイエーシス生命論、ラディカル構成主義心理学、エナクティブ認知科学、機能的分化社会論、文学システム論などが含まれる。本研究はコミュニケーション現象からなるシステムという観点から俳句をとらえる試みであり、文学システム論の新たな分野を切り開く研究と位置づけることができる。本論文は、以下のように、序章、第1~5章、終章から構成されている。

序章では、俳句分析の従来のアプローチを整理し、さらにドイツやオランダを中心とした文学システム論研究の現状を概観したうえで、基礎情報学による俳句分析の特長と狙いをまとめる。

第1章は理論編であり、俳句の分析に基礎情報学を応用するための概念装置を検討する。俳句をめぐる階層的自律システムの誕生と進化として近現代俳文学史をとらえるために、システムの成果メディア、二値コード、プログラムといったネオ・サイバネティカルな諸概念がいかに用いられるかを示し、さらに、共進化、包摂関係、階層関係というシステム同士の関係性概念をも、あらたに検討整理した上で再提示する。

第2~5章では、これを受けて、近現代俳句の歴史的な流れを、具体的な俳人や作品に即して分析した。まず第2章では、前史として江戸時代の俳譜を瞥見しその近代俳句につながる意義をおさえた上で、明治初年~30年代中葉にかけて、正岡子規の論文「俳譜大要」に象徴されるような、自立した俳句システムがいかに社会的に成立したかを論じる。第3章では、明治30年代中葉から大正時代にかけ、俳句システムが揺藍期をへて確立していった過程を眺める。注目するのは河東碧梧桐らの「新傾向俳句」と高浜虚子らの「伝統派俳句」である。前者における無季自由律の句風は、俳人の観察行為に再考を迫るものだった。また、後者は俳句を大衆化させ、「ホトトギス」などの俳句結社とそれらを結ぶ俳句マスメディアの発達をもたらした。っつく第4章では、確立した俳句システムが進化し革新されていった、昭和初年から戦後にかけての各種の動向をのべる。注目されるのは、水原秋桜子らの「唯美主義俳句」や山口誓子らの「根源俳句」などの新興俳句であり、これを通じて、近代的個人による自己の二次観察、つまり俳人の主観表現としての俳句作品の発展がなされた。ついで中村草田男、石田波郷、加藤椴邨ら人間探究派は時代や社会に即した心理をえがき、その「実存主義俳句」により、近代的俳句システムは真に確立したといってよい。しかし、第5章にのべるように、1960年代以降になると、「近代的個人の主観表現」という俳句観そのものにたいする批判がなされるようになった。金子兜太らの「前衛俳句」や飯田龍太らの「構造主義俳句」以来、表現主体の脱中心化といった傾向が強まり,、さらに現在は、俳句インターネット・システムの誕生も影響して、近代的俳句システムが一種の「終焉」を迎えた後にポストモダン俳句として多様な試みが共存している、という状況になっている。

終章では、以上を踏まえて、コミュニケーション現象としての近現代俳句の共時的/通時的な分析結果を概括するとともに、本研究によって文学システム論の可能性が高まること、また基礎情報学が理論的に拡張されたことをのべている。

上記の大井奈美の提出論文は、ネオ・サイバネティクス的文学論のアプローチによって、近現代俳句にたいする新鮮な視座をあたえるものである。とりわけ、俳句分析に関して伝統的におこなわれてきた作家論や作品論が見落としがちだった、個人、共同体、メディアの相互関係を照射できたことは有荘である。なぜなら、句作や作品理解において、たとえば俳句結社の師弟関係や新聞の俳句欄の影響はきわめて甚大だからである。本研究では、基礎情報学の理論装置を駆使し、コミュニケーション分析の観点から、明治初期の正岡子規から現代のポストモダン俳人にいたる近現代俳句史を整理分析し、「個人の近代的芸術性」と「俳句結社などの共同体性」と「俳誌などのメディア性」という三者間の相互関係を体系的に論じた。

このような試みは、文学論として、また情報コミュニケーション論として、きわめて斬新なものであり、審査会では、論理性に裏づけられた議論の独自性が高く評価された。加えて、従来のドイツ中心の文学システム論に新たな展望を加え、また、基礎1青報学に通時的観点からの理論的深化をもたらしたことも特筆に値する。

他方、大胆で挑戦的な試みであることから、審査会では幾つかの限界も指摘された。論述が不足しているのは、たとえば、川柳など他の文学活動と俳句との関係性、俳言皆以来の大衆的俳句における前近代性の考察、創発や適応といった諸概念の応用、リズムや文体の分析視角などである。しかし、これらは、本論文の欠点というより、むしろ研究の過程で浮上してきた問題点であり、今後の関連研究を促すものともいえるだろう。

以上の諸点に鑑み、本審査委員会は、本論文が博士(学際情報学)の学位に相当するものと判断する。

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