学位論文要旨



No 128299
著者(漢字) 吉田,美香子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,ミカコ
標題(和) 超音波検査装置を用いた産後の骨盤底回復支援プログラムの開発と評価
標題(洋)
報告番号 128299
報告番号 甲28299
学位授与日 2012.03.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第3958号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 教授 本間,之夫
 東京大学 准教授 李,延秀
 東京大学 准教授 藤井,知行
 東京大学 特任講師 長瀬,敬
内容要旨 要旨を表示する

緒言

骨盤底は、骨盤内にある臓器を下から支える筋、筋膜、靭帯から成る。骨盤底に存在する筋(骨盤底筋)の一部は、尿道周囲に存在し、腹圧時に収縮して尿が漏れることを防ぐ。しかし骨盤底は、妊娠・分娩により損傷するため、産後は急激な腹圧増加時に尿を漏らす腹圧性尿失禁を発症しやすい。腹圧性尿失禁は、心理・社会的な生活の質を低下させるため、損傷した骨盤底の機能を産後に回復させ、腹圧性尿失禁の発症を予防することが重要である。骨盤底の回復には、骨盤底筋の筋力を強化する訓練が有効である(Bo et al, 2007)。しかしながら、骨盤底筋の収縮方法を学習することの難しさから、訓練への意欲や自己効力感が低下し、効果を得るために必要な期間に渡って訓練を継続することが難しい。したがって、骨盤底の回復支援において、骨盤底筋の収縮方法の学習を促す支援が重要である。

目標とする運動に必要なスキルを経験や練習を通じて理解、学習し、正確に行えるようになる過程を運動学習という(Schmidt, 1994)。運動学習理論によると、骨盤底筋の収縮の学習には、収縮による身体の知覚や環境の変化を基に次に行う運動のやり方を修正すること(フィードバック)が重要である。特に、機器を用いて骨盤底筋の収縮を視覚化して行うバイオフィードバックは、運動学習の初期において学習を促進する効果がある。経腹エコーは、骨盤底筋の収縮の成否を非侵襲的にフィードバック可能なことから(Okamoto et al, 2010)、運動学習支援における経腹エコーの有用性が期待される。骨盤底筋の訓練効果の評価には骨盤底の形態・機能の両面を評価する必要があるが、経腹エコーによる運動学習支援を用いた骨盤底筋の訓練効果を骨盤底の形態・機能の両側面から検証した研究はない。また、産後の腹圧性尿失禁や高齢初産の経験がある女性は、症状や経験のない女性と比べて、産後に骨盤底の回復が遅い可能性があり、同じ骨盤底筋の訓練を行ったとしても効果に違いが生じることが予測されるが、訓練効果の違いは検証されていない。

一方、骨盤底筋は能動的に収縮することが難しいため、腹横筋を収縮させることで、受動的に骨盤底筋の収縮を促し、骨盤底を回復させる試みがなされている(Hung et al, 2010)。この訓練は、体幹の安定を保ちながら全身を動かすヨガやピラティスに似ており、比較的だれもが実践しやすい。また、この訓練では、体幹を安定させるために収縮した腹横筋に連動して骨盤底筋が自動的に収縮することから、骨盤底筋の収縮を学習できない女性に対しこの訓練が有効だと言われている。しかし、この訓練方法は、健康女性を対象にして、腹横筋と骨盤底筋の協調収縮を示した研究を根拠としているため、骨盤底の機能が低下している女性に直接適用できない可能性がある。この訓練方法を産後の骨盤底の回復支援に組み合わせるには、明らかに骨盤底の機能低下がある、腹圧性尿失禁と診断された女性において、腹横筋の機能をまず検証する必要がある。

そこで、本研究の目的は、腹圧性尿失禁の発症予防を見据えて、経腹エコーを用いた産後の骨盤底回復支援プログラムの効果を評価する為に、以下の点を明らかにすることとする。

1)閉経後の女性において、腹圧性尿失禁の有無による、腹横筋、骨盤底の形態・機能の違いを明らかにすること

2)産後の骨盤底の回復支援に合ったプログラムの内容を選定すること

3)経腹エコーを用いたバイオフィードバックの、骨盤底筋の収縮の運動学習、訓練への自己効力感、自宅での訓練の継続への効果を明らかにすること

4)開発したプログラムの、骨盤底の形態・機能、腹圧性尿失禁への効果を明らかにすること

5)産後の腹圧性尿失禁や高齢初産経験の有無による、プログラムの効果の違いを明らかにすること

第1章 産後の骨盤底回復支援プログラムの開発

【目的】腹圧性尿失禁の有無による、腹横筋、骨盤底の形態・機能の違いを明らかにし、産後の骨盤底回復支援プログラムを開発する。【方法】都内1大学病院泌尿器科を来院した閉経後の女性34名を対象に、診療録調査、尿失禁症状に関する質問紙調査、身体測定、エコーによる腹横筋の筋厚と骨盤底の恥骨‐肛門直腸角距離の測定を行った。【結果】腹圧性尿失禁を有する女性(n=17, 68.9±8.7歳)は、腹圧性尿失禁を有さない女性(n=17, 64.9±8.2歳)に比べて、安静時の恥骨‐肛門直腸角距離が長く(p=0.002)、骨盤底の形態が伸展していた。一方、安静時の腹横筋の筋厚や随意収縮に伴う変化率には、腹圧性尿失禁の有無による違いはなかった。【考察】本研究では、腹圧性尿失禁を有する女性では、骨盤底の形態が伸展していた。しかし、腹横筋の収縮による筋厚の増加は、腹圧性尿失禁の有無に関係なく、同様の測定手法で行った健康な成人の収縮時の筋厚増加とほぼ一致した(Hides et al, 2007)ことから、腹圧性尿失禁を有する女性に、腹横筋の機能低下があるとは考えられなかった。【小括】腹圧性尿失禁を有する女性には明らかな腹横筋の機能低下がなく、腹圧性尿失禁の予防に、腹横筋の訓練を取り入れる必要性は見出せなかった。骨盤底の機能低下がある女性に、骨盤底の機能を回復させずに腹横筋の訓練を行うことは、骨盤底の伸展を増悪させる可能性もある。そこで、骨盤底が損傷している産後に行う骨盤底回復支援プログラムは、骨盤底筋の筋力強化に焦点を当て、経腹エコーによるバイオフィードバックを用いた骨盤底筋の収縮の学習を進める教育、肯定的評価・励ましの支援を主に開発した。

第2章 超音波検査装置を用いた産後の骨盤底回復支援プログラムの評価

【目的】開発した産後の骨盤底回復支援プログラムを実施し、その効果を評価する。【方法】ポスターによる参加募集で応募のあった、単胎児を正期産で出産した女性に、クラス形式の集団指導(60分)と経腹エコーのバイオフィードバックによる個別指導 (5分)を、産後3‐6か月(1回/週、12回)に実施した。骨盤底の形態・機能は、介入前後にエコーと膣内表面筋電図の活動電位を用いて調査した。腹圧性尿失禁と自己効力感は、介入の開始前、中間時、終了時に自記式質問紙にて調査した。骨盤底筋の運動学習は個別指導時に経腹エコーを用いて調査した。クラス参加回数、自宅での訓練の実施は訓練日誌にて把握した。【結果】プログラムへの参加応募者92名中68名(73.9%)がプログラムを終了した。クラスの平均参加回数9.8±2.1回、自宅での平均訓練回数は3.5±1.1セット/日であった。プログラム開始前に比べてクラス3回目以降では、骨盤底筋の収縮の成功回数が有意に増加し(p<0.001)、骨盤底筋の運動学習が進んだ。また、プログラムが進むにつれ、骨盤底筋の訓練に対する自己効力感が高まった(p<0.001)。プログラム介入前後において、骨盤底の形態・機能には有意な改善があり(p<0.01)、腹圧性尿失禁の有病者の減少、国際尿失禁会議質問票得点の低下(p=0.005)があった。自宅での訓練の実施回数が多いほど骨盤底の収縮機能が改善した(p<0.05)。産後の腹圧性尿失禁を有する女性では、腹圧性尿失禁を有さない女性に比べて、自宅での1日当たりの訓練回数が多かったが(p=0.007)、訓練回数が直接骨盤底の収縮機能の回復に繋がらなかった。高齢初産の経験がある女性は、経験がない女性に比べて、介入前の挙筋裂孔の面積が広く(p=0.008)、終了時においてもその傾向が続いた(p=0.07)。また、高齢初産の経験がある女性は、介入前後の活動電位の増加もなかった。【小括】経腹エコーによるバイオフィードバックを用いた本プログラムが、骨盤底筋の収縮の運動学習、自己効力感の向上、自宅での訓練の継続、骨盤底の形態・機能や腹圧性尿失禁の改善に有効であることが新しく示された。しかし、産後の腹圧性尿失禁のある女性では骨盤底の形態・機能への効果を得るために多くの訓練を要したことや、高齢初産経験のある女性では産後の骨盤底の回復が遅い可能性があることから、産後の腹圧性尿失禁や高齢初産の経験がある女性では、訓練の工夫や訓練を継続できるよう支援する必要性が示された。そのため、産後の骨盤底の回復支援は、画一的な強度、期間を設定するのではなく、骨盤底の回復や訓練効果に影響する個人特性を考慮し、各自に適したものになるよう改変する必要がある。

結論

本研究では、第1章と第2章の結果から、腹圧性尿失禁の発症の予防を見据えた、産後の骨盤底回復支援について、以下の点が明らかとなった。

1)腹圧性尿失禁を有する閉経後の女性には、骨盤底の伸展が有意に認められたが、明らかな腹横筋の機能低下はなかった。産後の骨盤底回復支援は、骨盤底筋の筋力強化に焦点を当て、経腹エコーを用いた骨盤底筋の収縮スキルの学習を進める教育、肯定的評価・励ましの支援が適切と考えられた。

2)産後3-6か月に、骨盤底回復支援プログラムを実施した結果、経腹エコーの運動学習支援により骨盤底筋の収縮に関する運動学習が進み、訓練に対する自己効力感が向上した。

3)本プログラムにより、骨盤底の形態・機能の改善、腹圧性尿失禁の改善が認められた。特に、自宅での訓練の実施回数が多いほど骨盤底の収縮機能が改善した。

4)産後の腹圧性尿失禁や高齢初産経験の有無により、本プログラムの骨盤底回復に対する効果には違いがあり、十分な回復効果を得るためには、個人特性に応じた訓練の工夫や訓練の継続を促す支援の必要性が示された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、腹圧性尿失禁の発症に関与する産後の骨盤底の機能低下に対して、経腹超音波検査装置を用いた骨盤底筋の運動学習支援を中心とした骨盤底回復支援プログラムを開発し、その有効性を評価することを目的としている。

閉経後の女性を対象に、腹圧性尿失禁の診断の有無により、骨盤底機能および、骨盤底筋と協調して収縮する腹横筋機能の比較を行い、腹圧性尿失禁の予防を見据えたプログラム内容を開発するとともに、プログラムの効果について、産後の女性を対象に、骨盤底の形態・機能の生理学的指標を用いた評価を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.閉経後の女性を対象に、腹圧性尿失禁の診断の有無による腹横筋、骨盤底機能の比較を行った結果、腹圧性尿失禁を有する女性には、骨盤底の伸展が認められたが、明らかな腹横筋の機能低下はなかった。そのため、産後の骨盤底回復支援は、骨盤底筋の筋力強化に焦点を当て、経腹超音波検査装置を用いた骨盤底筋の収縮スキルの学習を進める教育、肯定的評価・励ましの支援が適切であることが示された。

2.産後3-6か月に、週1回、計12回の経腹超音波検査装置によるバイオフィードバックを含んだ骨盤底回復支援プログラムを実施した。その結果、本プログラムの経過と共に、女性の骨盤底筋の収縮に関する運動学習が進み、訓練に対する自己効力感が向上することが示された。また、本プログラムにより、骨盤底筋の形態・機能や腹圧性尿失禁が改善し、特に、自宅での訓練の実施回数が多いほど骨盤底の収縮機能が改善することが示された。

3.産後の腹圧性尿失禁や高齢初産経験の有無により、本プログラムによる骨盤底の形態・機能の回復効果に違いがあり、十分な回復効果を得るためには、個人特性に応じた訓練の工夫や訓練の継続を促す支援の必要性が示された。

以上、本論文は産後の骨盤底機能の回復において、経腹超音波検査装置を用いた骨盤底筋の運動学習支援が有効である可能性を初めて明らかにした。本研究は、骨盤底機能の回復訓練において訓練継続の支障となっていた骨盤底筋の運動学習の困難性を解決するひとつの方法を示した点で、今後の骨盤底訓練の発展に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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