学位論文要旨



No 127608
著者(漢字) 佐藤,由紀
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ユキ
標題(和) 発話行為における身体 : 早期失明者と俳優を巡って
標題(洋)
報告番号 127608
報告番号 甲27608
学位授与日 2011.11.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学際情報学)
学位記番号 博学情第43号
研究科 学際情報学府
専攻 学際情報学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,正人
 東京大学 教授 植田,一博
 東京大学 教授 荒川,忠一
 東京大学 教授 水越,伸
 東京大学 教授 玄田,有史
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、Darwin(1859)以降発展してきた、ジェスチャーの起源や機能を問う研究の流れを受け継ぐ、プラグマティズム的心理学研究である。その目的は「自発的ジェスチャー(Kendon, 1986, 2004; McNeill, 1987, 2005)」を通して、早期失明者と俳優という対象を布置し、その実証的分析から、自発的ジェスチャーのもつ他者志向性を明らかにしようと試みたものである。ただし本論では、自発的ジェスチャーが他者志向性を内包していることを自明とはせず、早期失明者や俳優の自発的ジェスチャーの実証的分析からする逆照射によって、その他者志向性について検討をおこなった。以下、本論でのジェスチャーとは但し書きがない限り「自発的ジェスチャー」を指す。

その特色は、今までのジェスチャー研究でも取り上げられることの少なかった早期失明者の課題説明場面や、俳優の演技場面におけるジェスチャーを扱っている点であり、またそれらの多角的且つ実証的な分析結果から、ジェスチャーのもつ他者志向性を明らかにしようと試みた点である。しかし、対象となっているのは社会的な「対面相互行為場面(Goffman,1959)」ではあるが、その範囲は限られている。つまり、本論内で検討した「ジェスチャーにおける他者志向性」とは、実験的ないし演技的場面における他者志向性である。そこで本論では、実証的分析結果から普遍的法則を求めるべく検討および考察をおこなうが、普遍的法則を求めることだけを一義とせず、「ジェスチャーの他者志向性」という問題を考2えるために考察しなければならないさまざまな要因や、検討しなければならない事象の豊穣さを提示することもまた、意義ある課題と扱った。

論文は 4 部9 章から構成されている。

第 1 部「研究課題」は1 章から成る。まず、西洋を中心としたジェスチャー研究の歴史的変遷を概観し、心理学において「自発的ジェスチャー」が研究の俎上にあげられるまでの背景が探られた。その中で、ジェスチャー研究における大きな転換点の一つは、『種の起原』(Darwin, 1859)によって個体規模の発達ないし変化の可能性が示されたことであり、そのためヒトという種の普遍性が揺らぎ、ジェスチャーの起源が探索されるきっかけとなったことを明らかにした。その後20 世紀に入り、人類学者のKendon(1986, 2004)および心理言語学者のMcNeill(1987, 2005)によって、それまで「有意味でない(Mead, 1934)」とされ、焦点のあてられることが少なかった「自発的ジェスチャー」の理論的意義が指摘され、自発的ジェスチャーを対象とした研究が研究領域の一分野と確立するまでを述べた。つづいて、本論の先行研究である早期失明者や俳優を対象としたジェスチャー研究および生態心理学におけるジェスチャー研究の現在までの動向を展望し、本論との関連を述べた。さらに本論の主な分析手法となるKendon(1986, 2004)の構造的アプローチやMcNeill(1987, 2005)のカテゴリカルアプローチについてその思想的背景を要約した。そして最後に、本論の目的と構成を述べた。

第 2 部「早期失明者における発話構造の探索」は3 章から成る。第2 部では、佐々木(1993)とIverson & Goldin-Meadow(1997, 1998, 2001)の議論を受け、早期失明者における発話にともなうジェスチャーの現れについて、佐々木(1993)の早期失明者の発話場面を対象に再検討をおこなった。具体的には、視覚経験の有無が「発話にともなうジェスチャー」に及ぼす影響について、構造的およびカテゴリカルアプローチやビートのリズム分析を通し、検討をおこなった。第2 章では晴眼者や中途失明者、早期失明児とのカテゴリー比較から、そして第3 章では早期失明者の個別事例の時間的な構造の分析から、それぞれ検討をおこない、第4 章で総括的議論をおこなった。

その結果、晴眼者ほど明確ではないが、早期失明者にも「発話にともなうジェスチャー」を見いだすことができた。また晴眼者同様、その発現頻度には個人差が存在すること、ジェスチャーは課題の性質と一定の関連性をもつこと、ビートのリズム性や発話構造の示唆という機能をもつことが明らかとなった。しかし一方、早期失明者の固有性も指摘された。それは、ジェスチャータイプの一種である「絵的表現」はほとんど観察されなかったこと、そしてジェスチャーの形や動きの質は晴眼者と同じであったが、その運動の強度が異なっていたことであった。

以上より、第2 部では視覚経験がなくとも「発話にともなうジェスチャー」は現れるが、その発達は視覚経験によって大きく異なっていく可能性が示唆された。これらの結果は、従来の研究で「視覚」という単一モダリティと対になるような他者という存在を与件としていたことが問題となる可能性を示唆するものであった。そこで、第3 部では、単一モダ3リティと対になるような他者ではない、どのような他者の存在論的地位があるのか、という大きな問いを立て、検討をおこなった。

第 3 部「俳優における発話構造の探索」は3 章から成る。

第 5 章では、まず分析対象となる俳優・イッセー尾形の一人芝居の作劇法とイッセー尾形を分析対象として取り上げる理由について述べ、次に分析の拠りどころとなる「特定性」の概念(Holt, 1915)や、俳優の演技の「重層性(佐々木, 1994)」についてふれ、最後にイッセーの一人芝居『ニチゲイ』の開始1 分間の発話構造を、視線やジェスチャーといった具体的な身体のレベルから分析し、考察をおこなった。その際、視線や発話の記法は、会話分析のエスノメソドロジー的記法(山崎, 1997; 水川, 2001)を利用した。その結果、視線とジェスチャーが舞台上の「不在の環境(佐藤, 2004, 2006)」を構造化するために重要な役割を担っていること、分析からみえてきた演技内の「視線>ジェスチャー」から「視線<ジェスチャー」へといった入れ子構造の転換点は、舞台上のコミュニケーションの重層性の転換点を示している可能性があること、そしてイッセーの演技がデビュー15 年後を境に、「発話-動き-発話-動き」といった交替技法から「発話=動き=発話」といった発話の中に動きが埋め込まれている合一体技法へと変化していること、またこの合一体技法は一人芝居においてイッセーが体得してきた巧みさの可能性があること、が示唆された。

次に第 6 章で、『ニチゲイ』内に現れるすべての発話構造について、特にジェスチャーを中心に詳細に記述、分析し、傾向性等について考察をおこない、つづく第7 章では、俳優の発話構造との比較対象として、成人男性の課題説明場面における発話構造の分析、検討をおこなった。そして第8 章では、俳優と成人男性の発話行為における身体の動きについて比較、考察をおこない、二者間のジェスチャー構造の共通性や固有性を探索した。その結果、イッセーはジェスチャーを出現させる際、その位置や、方向については成人男性と相違なくおこなっていたが、ジェスチャーの平均持続時間がより短く、1 つの「ジェスチャー単位(Kendon, 2004)」に含まれるジェスチャー句の数がより少なかったこと、「準備(Kendon, 2004)」位相において成人男性の手はランダムな場所にあったが、イッセーは「手を身体に引き寄せる」ことが多かったこと、「指さし」を多用していたこと、右手も左手も同程度に使い、各手に多様なジェスチャータイプが出現していたこと、そして「ビート」のみが特定の形態素(フィラーや感動詞)と結びついていたことが、成人男性と異なっていた。以上の結果のうち、成人男性との共通性は、イッセーが舞台上の「不在の(佐藤, 2004,2006)」他者とコミュニケーションをおこなっていることへの妥当性を引き受けるものであり、一方イッセーの固有性は、イッセーが一人芝居という「非自然且つ非対話」的環境にいることを示唆するものであった。

またここで忘れてならないのが、イッセーのジェスチャーの固有性の一端として指摘した、指さしの多用である。Reed(1996)は、発達の初期に現れる指さしは、対話相手にむけたコメントと、状況にむけたコメントの区別をせずに成立し、その後、発達段階にしたがっ4て多様な機能となっていくことを示した。イッセーの指さしの初出場面も、対話相手にむけたコメントと、状況にむけたコメントがないまぜになって出現していた。しかし最後の出現場面では、「要求」という単一の機能を果たす指さしをおこなっていた。このことは、イッセーがその指さしを、初めて出会う観客との場を発達的に生成するための手段として使用している可能性を示唆している。

最後に第 4 部「結論」は1 章から成り、これまでの結果をうけ総括的議論をおこなった。その結果をまとめる。

(1) 発話にともなうジェスチャーの起源は視覚的他者に依存しないこと

(2) それは個体規模での「変化(Darwin, 1859)」の可能性があること

(3) ジェスチャーには「動的な時間過程に備わる固有性(佐々木, 2011)」があること

(4) その「固有性」にはさまざまな系があることジェスチャーの「固有性」を示す、その一例として「指さし」の発達的生成をあげた。

以上から、ジェスチャーのもつ他者志向性を考察したところ、少なくとも「他者」は視覚というモダリティのみに依存するものではなく、その「発達的」プロセスをみていくことで、初めて浮かび上がってくる固有の他者志向性があることが示唆された。そもそもジェスチャーとは、すでに伝えるべき「意味」がその形と運動に内包して現れている身体の動きである(McNeill, 1987)。そしてまた、演技だけではなくあらゆる「場面(福島, 2010)」においても変わらず、ジェスチャーはこうした多重な「意味」を内包している(Kendon, 2004)。Holt(1915)は「身体という機構が環境との関連を保ちながら実行することができるひとまとまりの行為」を「意図」とよんだ。本論文は「環境-行為系(佐々木, 2011)」としてジェスチャーを捉えることこそが、発話する身体の「意図」の一端をとらえられる可能性があることを示唆した。

審査要旨 要旨を表示する

ジェスチャー(手振り)は、心理学、社会学、文化人類学など多くの領域で研究が行われている学際的な主題である。本論文では、言語学と認知科学、心理学を横断して、とくに「発話に伴うジェスチャー」(話者が無自覚に行う、発話と関連するあらゆる手の動き。発話内容を視覚的に表現する成分、比喩的表現の成分、指示、発話のリズムに同期するビートなどに分類される)についての研究を開拓してきたシカゴ大学のD.マクニールの枠組みを用いて研究が進められている。

発話に伴うジェスチャーが、発達の早期(3歳以前)に失明した者にも見られるかどうか、すなわちこの種のジェスチャーの出現に、他者を視覚的に観察する経験、視覚的なコミュニケーションが必須であるか否かについては、研究結果が分かれており、議論がある。本論文の前半ではまずこの問題が扱われている。論文の後半では、単独(一人芝居)でありながら、複数の者によるインタラクションや、舞台上には実在しない環境への志向性を演ずる俳優イッセー尾形氏の演技過程を対象として、この極めて特殊な状況下の話者に現れる発話に伴うジェスチャーの性質を、ここではA.ケンドンの手振りの空間構造分析の手法を援用して検討している。論文は4 部9 章から構成されている。

第 1 部1 章では、まずダーウィン以来のジェスチャーの研究史を広く概観し、発話に伴うジェスチャー研究が開始された背景、経緯が示され、本論文が概念枠組みと方法をそこに依拠した、ケンドンとマクニールの研究が紹介されている。さらに、本論文に先行して早期失明者と俳優を対象としたジェスチャー研究が展望されている。

第 2 部の3つの章では、発話に伴うジェスチャーについて、早期失明者にはそれが見られないとした佐々木(1993)の研究を下敷きとして用い、構造カテゴリカルアプローチやビートのリズム分析を付加して再分析している。まず、ジェスチャーの出現頻度、その個人差や、説明課題ごとのジェスチャーカテゴリー種数などでは、早期失明者と晴眼者に共通性が示され、発達早期に失明した者にも発話に伴うジェスチャーが見られることを示している。ただし、アイコニック(絵的表現)がまれである、動きはきわめて小さい、手のかたちがほぼ閉じているなどの点で、早期失明者のこの種のジェスチャーのあらわれが晴眼者のそれとは大きく異なることも示されている。ただし時間構造分析は、ビートのリズム特性や、ジェスチャーと発話との時系列的関係が二つの群で同質であることを強く示唆した。これらの結果から、視覚経験がなくとも発話に伴うジェスチャーはあらわれる。ただし、そのあらわれかたや発達には、視覚経験が大きく影響すると結論されている。第2部で得られた知見は、早期失明者における発話に伴うジェスチャーの有無についての議論に新たな事実を提供するとともに、2つの立場を発達的に統合する観点を提供したものであり、独自性が認められる。

第 3 部の4つの章では、対象とした俳優の一人芝居の作劇法、ここでの分析の理論的枠組みとした、「特定性」の概念が、生態心理学から導入されている。分析では一人芝居の発話構造を会話分析のエスノメソドロジー的記法も援用して分析し、視線とジェスチャーが舞台上に実際には無い環境を秩序だって指示するために重要な役割を担っていたことを示している。さらにこの俳優と普通説明場面での成人男性の発話構造を比較して、同一性と異なりを示している。俳優のジェスチャーは、平均持続時間、出現位置や方向、ビートのリズム性、空間構造、発話との時系列関係などでは成人男性と共通であったとされている。ただし一つのジェスチャーに含まれるジェスチャー句数が少ないなど、特殊性も見られたとしている。とくに俳優の特徴として、指さしを多用することに注目し、架空の対話相手と、状況に向けられた意図の複合した表現が、ここにみられた指示の意味であった可能性が議論されている。最後にこうした指示の複雑性が、この俳優の演技の熟達化を示す特徴である可能性が述べられている。これまで発話に伴うジェスチャーは、発達初期の幼児の日常場面や、映像の内容の想起課題を与えられるといった限定された場面で、身体の挙動については無自覚であると考えられる対象者を用いて検討されてきた。第3部では、この種のジェスチャーが、他の演技者との相互作用を欠いた状況で、自身の身体を自覚的に制御しているはずの演技者に於いても現れることを確認している。さらに空間的構造や、発話と絡む時間的推移の分析に示された普通成人との同一性という結果は、この種のジエスチャーが多くの状況や対象者を横断して、普遍性をもつ可能性を示唆している。第3部の結果はこの点で独自な事実と観点を含んでいる。

第 4 部では総括的議論を行い、早期失明者や一人芝居の俳優というような、特別な対象者においても、発話に伴うジェスチャーが類似のあらわれをすることから、この種のジェスチャーが発話場面や対象を横断して、頑強に出現する本性をもつ可能性が示唆されたとしている。ただし発達(経験)や対話場面が、そのあらわれに多様性を導くことから、発話に伴うジェスチャーには、出現過程の個別機会に制約される性質も合わせもつことが示されたとしている。

発話に伴うジェスチャーは、マクニールによって「意味を形態と運動に内包した身体の動き」と定義されてきたが、本論文の結果は、それが他者(発話相手)や周囲の環境との関連を保ちながら、その都度具現する身体に深く根ざしたコミュケーション行為である可能性を示唆している。本論文には、例えば、早期失明者と、単独で演技する俳優から得られた二つの事実を、発話に伴うジェスチャーの出現過程における「他者性」の概念の下に統合するなど、将来の課題も指摘されたが、審査委員会は、現在、多くの領域で注目されている発話に伴うジェスチャーについて、これまでとは異なる対象を設定して、複数の新しい知見を示したことを、本論文の独自性と認める点で意見の一致をみた。よって本審査委員会は、本論文が博士(学際情報学)の位に相当するものと判断する。

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