学位論文要旨



No 127437
著者(漢字) 後藤,絵美
著者(英字)
著者(カナ) ゴトウ,エミ
標題(和) 「神のために」まとうヴェール : 現代エジプトのムハッジャバ増加現象と宗教言説の浸透
標題(洋)
報告番号 127437
報告番号 甲27437
学位授与日 2011.09.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第1104号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉田,英明
 東京大学 教授 增田,一夫
 東京大学 教授 羽田,正
 東京大学 名誉教授 中村,廣治郎
 東京大学 教授 長澤,榮治
内容要旨 要旨を表示する

現在のエジプトではムスリム女性の多くが何らかのヴェールを日常的に着用している。ここで言う「ヴェール」には、衣服や頭髪を覆うスカーフ、面紗、手袋などが含まれる。

19世紀末、ムスリム女性がヴェールで顔や身体を覆う姿は、中東諸国の後進性の象徴として、内外の知識人層から激しく非難されるようになった。結果として、エジプトでは20世紀初頭以来、ヴェールを脱がせよう、脱ぎ去ろうという動きが始まった。その後、1950年代から60年代にかけてのアラブ社会主義の広がりとそれに伴う女性の労働市場への進出を経て、ほぼ廃れかけたかに見えたヴェールが、大学生らを中心に復活したのは、70年頃のことである。それは「イスラーム服」や「イスラームの道に適った衣服」、あるいは「ヒジャーブ」と呼ばれ、それをまとう女性はムハッジャバ(ヒジャーブをまとった女性)と呼ばれた。ムハッジャバの数は80年代、90年代を通して徐々に増加した。さらに2000年頃には、ヒジャーブ着用が一種の流行のように急激に広がり、2000年代半ばまでには、腕や脚を露出する女性や髪を覆わない女性は、エジプトにおいて少数派となっていた。

本研究は、現代エジプトにおけるこの「ムハッジャバ増加現象」の理解を目指すものである。同現象は、これまで多くの研究者によって論じられてきた。そこで提示されたのは主に次のような議論であった。ヴェール/ヒジャーブの着用は、20世紀後半におけるエジプトの社会・経済的な大きな変化と、相も変わらぬ伝統的でイスラーム的な思考様式とのはざまで板挟みになった女性たちが、よりよく生きるために選択した手段や方策、あるいは戦略であった、というものである。すなわち、50年代以来の女性の社会進出、そして70年代半ばの経済的な変化の中で、(とくに中産階級以下の)女性たちは就業し、所得を得ることを期待されるようになった。一方で、人々の意識には「公空間は男性のもの、女性の居場所は家であり、その役割は妻や母として家族に尽くすことである」という考えが根強く残っていた。そうした状況下、就業・就学する女性たちはヒジャーブの着用を選択した。それによって公空間にいながら自らの身体を「象徴的」に消去し、かつ、自らが「伝統的」な価値観や行動様式を尊重していることを誇示したのである。そうして、直面する(かもしれない)問題や不利益を解消し、「よき女性」のみが得られる利益を獲得しようとした、というのである。

本研究序章では、先行研究の中でこうした議論が導き出される過程に二つの問題点があったことを指摘する。一つは、女性たちにヴェール着用を促したという思考様式についての考察の不足である。先行研究の多くは、エジプトが経験した「社会・経済的な大きな変化」を詳細に論じる一方で、ヴェール/ヒジャーブ着用に関わる思考様式については、その内容や歴史的な背景、変化や変容の有無などを明らかにしないまま、それらがあたかも自明で不変なもののように扱ってきた。もう一つの問題点は、ヴェール着用を選択した女性たちの言葉とされるものの一部(宗教的な知識や意識、感情や感覚に関わる言葉)が考察から外されてきた、という点である。

ヴェール着用に関わる思考様式や「女性たちの言葉」のうちこれまで捨象されてきた部分に注目したとき、現代エジプトのムハッジャバ増加現象はどのようなものとして見えてくるのか。本研究は、先行研究とは異なる場所に光をあてることで同現象を新たな形で照射しようという試みである。

2000年代前半のエジプトで筆者が女性たちにヒジャーブ着用の理由を尋ねたとき、返ってきた答えの中に次のようなものがあった。「ヒジャーブをまとわない自分はムスリムではないのか、と不安になった。」「(ある日、突然、)神のことがたまらなく美しく、たまらなく素晴らしく思えた。それで、神のために何かしたいと思った。だからヒジャーブをまとった。」こうした言葉は、いったい、どのような土台、そして論理の上に成り立つものだったのか。彼女たちはなぜ、そうした言葉で自らのヴェール着用を語ったのか。本研究では女性たちを取り巻いていた「知的状況」に注目し、これらの問いに答えていく。

当時のエジプトには、ヒジャーブに関する本や新聞・雑誌記事、冊子、説教の録音テープ、テレビ番組などが人々の生活空間に溢れていた。そうしたメディアを通して、男女の知識人らは、ヒジャーブ着用がムスリム女性の宗教義務であるか否かを論じたり、ヒジャーブ着用の実践を促すための助言や警告を発したりしてきた。また、雑誌記事やテレビ番組の中では、著名な女性たちがいかにしてヒジャーブ着用を決意するに至ったのかを語る特集が組まれていた。本研究では、こうして流布していた情報を整理する中で、上述のような女性たちの言葉の持つ文脈を明らかにしていく。

本文は二部五章から成る。第一部「聖典とヴェール」では、背景的な情報の整理を行なう。近年のエジプトで聞かれたヒジャーブに関する議論には、ほぼ例外なく、イスラームの啓典であるクルアーンへの言及が見られる。そこで、第一章「クルアーンとヴェール――啓示の背景とその解釈」では、ヴェール/ヒジャーブとの関わりが深いとされるクルアーンの三つの章句(24章31節、33章53節、59節)について、それらが啓示として下された背景や状況、そしてその意味が、初期イスラームから中世期の文献の中でどのように説明されてきたのかを概観する。同章の中で明らかになるのは、これらの章句がなぜ、どのような状況において啓示として下され、それぞれ何を意味するものだったかについて、その可能性を提示することはできても確実なところはわからない、ということである。初期の文献の中には、それぞれの啓示の目的や背景、意味について、複数の異なる伝承が残されていたり、伝承がまったくなかったりする。そうした状況の下、後世のクルアーン注釈者らは、それらについて比較的自由な解釈を提示してきた。同章の後半部分は、そのさまを描き出すものである。

中世期以前の啓示解釈をめぐるそのような状況は、現代の議論にも大きく影響している。第二章「現代エジプトと「ヒジャーブ」――ヴェール着用の義務をめぐる議論とその宗教的根拠」は、その点について、ある論争を題材に見ていくものである。1994年、エジプトの世俗的な週刊大衆誌『ルーズ・ユースフ』に、「ヒジャーブはイスラームにおいて義務か否か」をめぐる論争が掲載された。これは、法律家のアシュマーウィーと宗教学者のタンターウィーによる議論で、両者は同じクルアーンの章句やハディース、過去のクルアーン注釈者やイスラーム法学者らの見解を引きながら、正反対の主張を行なった。同章では、両者が掲げた論点と論拠を辿るとともに、「ヒジャーブ」という言葉の現代エジプトにおける含意とその起源に考察を広げていく。そこで明らかになるのは、現代のエジプトでは、ヒジャーブに関する議論が、実に幅広い宗教的根拠に基づき、恣意性をもって行なわれてきたということである。この状況においては、誰もが、ヒジャーブはイスラームにおいて義務であるとも義務ではないとも「正当に」主張し得るということになる。

ところが、少なくとも2000年代前半までには、「ヒジャーブ(=主として顔と両手を除く全身を覆うものの着用)は義務である」という声が主流となっていた。第二部「ヴェール着用を支えるもの」では後者に目を向ける。1970年代以来、エジプトでは従来の宗教書や新聞・雑誌に加えて、宗教冊子や説教テープ(説教師による宗教講話を録音したカセットテープ)がイスラームに関する知識を運ぶ主要なメディアとなっていた。そこで、第三章「「ヒジャーブ」をまとうまで――宗教冊子と説教が伝えるヴェール着用の理由」では、宗教冊子や説教テープのうちヒジャーブ着用を促す内容のものを取り上げ、それらに共通する点を整理するという作業を行なう。主な資料は2004年に出版された宗教冊子『ヒジャーブに関する対話』である。これは四人の女子大学生が登場する戯曲形式のもので、はじめは四人のうち一人だけがヒジャーブを着用していたが、イスラームの知識の豊富な彼女と話をするうちに、その説明に納得して一人、二人とヒジャーブを手に取っていく、という筋のものである。同章では、登場人物がどのような説明に納得したのか、そして、それらの説明の背後にどのような論理や思想があったのかを、その他の著述や説教を併せて参照しながら検討する。結果として見えてくるのは、ヒジャーブにまつわる次のような言説の存在である。「ヒジャーブ着用は神の命令であり、それを遵守する者は現世と来世において神からの恩恵を得る。遵守しない者は現世と来世において不幸になる。」

第四章「人気説教師とヒジャーブ――ヴェールの流行と言説の変容」は、この言説内部の変化や変容に注目するものである。2000年代前半、多くの女性にヴェール着用を決意させたとして知られた人物がいた。アムル・ハーリドという名のその男性説教師の説教『ヒジャーブ』(2000)を、同じ主題を扱ったその他の著述や説教と比較する中で明らかになるのは、後者においてヒジャーブが、男性が神との良好な関係を得るために女性にまとわせるものであったのに対し、前者(ハーリドの説教)では、女性自身が神への「信仰心」からまとうべきものとなっていた、ということである。これを上述の言説に当てはめて言い換えると、神の命令の実行者であり、神の恩恵の受益者や懲罰の対象者が男性から女性へと変化した、ということになる。同章では、女性を主体とし、その「信仰心」とヒジャーブの繋がりを強調するという言説の普及が、2000年代のムハッジャバ急増の一因となった可能性を提示する。

第五章「芸能人女性の「悔悛」とヒジャーブ――ヴェール着用を支えた出来事と思想」は、そうした言説が、2000年代以前から脈々と存在してきたことを指摘するものである。1980年代以来、エジプトでは多数の著名な女優や歌手、ベリーダンサーらが、ヒジャーブ着用を決意し、引退したり、活動の場を変えたりしてきた。「悔悛した芸能人女性たち」と呼ばれるこれらの人々は、ヒジャーブ着用の選択について何を語ってきたのか。それを見ていく中で明らかになるのは、女性を主体とし、その「信仰心」とヒジャーブの繋がりを強調するという上述の言説が、「出来事」という要素によって支えられていたことである。女性たちは、例えば、臨死体験や夢、宗教行為の中での不可思議な感覚の体験といった出来事を神の導きと捉え、その結果、ヒジャーブ着用を決意したと語ってきた。同章では、そうした出来事が神の導きと捉えられる背景に、さまざまな宗教思想――現世や来世をめぐる思想や「真なる夢」という思想、「崇拝」という思想など――の存在があったことを示した。

以上、五つの章を通して明らかになるのは、ヴェール着用に関わる思考様式が自明なものでも不変なものでもなかった、ということである。そして、先行研究の中で捨象されてきた「女性たちの言葉」に注目する中で見えてくるのは、現代エジプトのムハッジャバ増加現象の背景の一つに、一定の思考様式――あるいは「女性を主体とし、その「信仰心」とヒジャーブの繋がりを強調するという言説」――の、社会の中での、そして個々人の中での浸透があった、という可能性である。

審査要旨 要旨を表示する

後藤絵美氏の論文「「神のために」まとうヴェール ―― 現代エジプトのムハッジャバ増加現象と宗教言説の浸透」は,1980年代から2000年代初めにかけて,エジプトのムスリム女性のあいだに急速に拡がったヴェール着用現象に着目し,アラビア語の文献資料・音声資料を駆使しつつ女性たち自身の言葉に寄り添いながら,この現象を取り巻く知的状況や背後にある思考様式を明らかにしようとした研究である。標題中の「神のために」とは,筆者が2003年から05年にかけてのエジプト長期滞在中,ヴェールをかぶる女性たちから直接聞いた,「(ある日突然)神のことがたまらなく美しく思え,神のために何かしたいと思った。だからヴェールをかぶった」という言葉の一部から取られている。また,副題にある「ムハッジャバ」とは,ヴェール(アラビア語で「ヒジャーブ」)着用女性を意味する言葉である。

論文は「序」と「結語」を挟み,第一部「聖典とヴェール」,第二部「ヴェール着用を支えたもの」の二部,全五章から構成される。最初の「序」においては,ヴェール着用現象に関する欧米語・日本語による先行研究の論調とその問題点が明らかにされる。従来の議論によれば,ヴェール着用は20世紀後半の中東(とくにエジプト)が経験した社会・経済的な変化と,公的空間は男性に属するとする伝統的な考え方とのあいだで板挟みになった女性たちが,公的空間で自らの身体を象徴的に消去するために選択した方策ないしは戦略であったとされる。しかし筆者は,そこでヴェール着用に関わる思考様式の内実や背景,変容に関する考察が等閑に付され,女性自身の言葉の一部が捨象されてきたことを指摘する。従って本研究は,そうした空白部分を埋める試みとなることが予告される。

第一章「クルアーンとヴェール ―― 啓示の背景とその解釈」は,女性のヴェール着用の根拠とされる『コーラン(クルアーン)』の三つの章句を取り上げ,歴史書やハディース集(預言者の言行録の集成),コーラン注釈書といったアラビア語一次史料を駆使しながら,これらの章句が啓示された背景や状況に関する伝承と,その意味の解釈とを検討する。その結果,啓示の背景については複数の伝承が併存したり,伝承自体が存在しなかったりして,確実な結論は導き出せないこと,初期イスラムから中世期まで,ヴェール(ヒジャーブ)の定義や,それが覆うべき範囲に関する解釈も,社会状況や個々人の判断でさまざまに揺れ動いていたことが示される。

第二章「現代エジプトとヒジャーブ -- ヴェール着用の義務をめぐる議論とその宗教的根拠」では,啓示をめぐるそうした多様な解釈間の対立が現代の局面で顕在化した象徴的な出来事として,1994年のエジプトの大衆的週刊誌『ルーズ・ユースフ』における「ヴェールはイスラムにおいて義務か否か」をめぐる論争が取り上げられる。ここでは,ヴェールは義務ではないとする法曹界の重鎮・アシュマーウィー(1932年生)と,義務だとする聖法学者タンターウィー(1928-2010)が,同一の典拠に依拠しながら正反対の結論を導き出した。筆者は両者の主張の論拠の分析から,それぞれが恣意性を以て議論を展開していることを明らかにし,この状況では誰もが「権威ある典拠」を用いつつ,ヴェールはイスラムにおいて義務であるともないとも「正当に」主張しうると結論づける。

以上の第一部が,聖典とヴェールの関係をめぐる理論編であるのに対し,第二部は,1994年の誌上論争以降,2000年代前半までのエジプトで,「ヴェール着用は義務である」とする声が主流になっていった現実に鑑み,その背景を明らかにしようとする現状分析編と言える。

第三章「ヒジャーブをまとうまで ―― 宗教冊子と説教テープが伝えるヴェール着用の理由」は,1970年代以降のエジプトで,民衆にイスラムの知識を伝える重要な媒体となった露店販売の宗教冊子や,説教師の宗教講話を録音したカセットテープなどから,女性のヴェール着用を促す内容の作品を取り上げ,その説明の背後にある論理や思想を分析する。ここで主として用いられるのは,2004年出版の宗教冊子『ヒジャーブをめぐる対話』である。その結果,2000年前後の宗教冊子や説教テープに通底する言説として,「女性のヴェール着用は神の命令であり,その義務を遵守する者は現世と来世で神の恩恵を受け,遵守しない者は不幸になる」という考え方が抽出される。

第四章「人気説教師とヒジャーブ ―― ヴェールの流行と言説の変容」では,そうした言説の内部に生じた変容が分析される。筆者は,2000年代前半に多くの女性にヴェール着用を決意させたとされる人気説教師アムル・ハーリド(1967年生)の説教テープを取り上げ,従来の宗教冊子や説教では,ヴェールは男性が女性の誘惑(アラビア語の「フィトナ」)から社会を守るために女性にまとわせるものだったのに対し,ハーリドの説教では,ヴェールは女性自身が神への恥じらいの感情(アラビア語の「ハヤー」)から主体的にまとうべきものになっていることを指摘する。このように,女性に主体性を与え,信仰心とヴェールの繋がりを強調する言説が普及した結果,2000年代にヴェール着用が急増したという可能性が提示される。

第五章「芸能人女性の「悔悛」とヒジャーブ ―― ヴェール着用を支えた出来事と思想」は,2000年代に顕著になった女性主体の言説が,実はそれ以前から受け継がれてきたことを明らかにしている。ここでは,1980年代からヴェール着用を決意し,引退したり活動の場を変えたりした女優や歌手,ベリーダンサーら,「悔悛した芸能人女性」の語りが分析の対象となる。臨死体験や夢などの「出来事」を神の導きと捉え,ヴェール着用を決意したという彼女らの言葉の背後に,筆者は「真なる夢」や「崇拝」といった宗教思想の存在を見て取っている。

最後の「結語」では,以上の五章を回顧しつつ,ヴェール着用に関わる思考様式は不変でも自明でもなく,時代や社会とともに変化すること,現代エジプトにおけるヴェール着用の増加には,女性を主体とし,ヴェール着用を信仰心の指標とする言説の浸透があったことが再確認される。

こうした内容を持つ本論文の貢献としては,まず一次史料としてのアラビア語イスラム文献を幅広く実証的に精査した上で,ヴェールの定義や着用義務についてそれらから唯一の絶対的結論は導かれえず,むしろ多様な解釈が許されることを明確にした点が挙げられる。これは,ヴェールをめぐる従来の議論ではなされてこなかった重要な基礎的作業であり,その検証の手続きや結論についてはイスラム学の専門家からも高い評価が与えられた。

次に,従来の欧米を中心とするヴェール研究が政治的・社会的・経済的背景を重視したり,アンケート調査の結果を統計的に処理したりすることで,外側から「客観的」に分析しようとする傾向が強かったのに対し,本論文はそれらから抜け落ちてしまう女性たち自身の言葉を拾い上げ,その背後にある論理や思考回路を内側から辿り直した点も大きな貢献である。筆者がムスリム女性という「インサイダー」の立場に身を置き,「神のために」何かをしたいという彼女たちの自発的な感情がヴェール着用に結びつく知的状況や論理を,アラビア語の文字資料や音声資料に依拠しつつ明らかにしてゆく過程はきわめて斬新である。

最後に,同時代の社会を分析するさいに,大衆向けの冊子や口語の説教テープといった,従来の学術研究では軽視されがちだった媒体に着目し,それらを基礎資料として活用した点も大きな貢献として挙げておきたい。これは,地域研究ないしは宗教学研究における新しい地平を開く試みとして評価できる。さらに,論文全体が明晰な達意の日本語で表現され,術語や固有名詞への説明注も叮嚀に付されて,研究成果を一般読者へ還元するための細やかな配慮がなされている点も特筆に値する。

勿論,きわめて優れた本論文にもいくつかの問題点がないわけではない。審査委員からは,例えば,インサイダーの視点を重視するあまり,政治的・経済的ないし歴史的背景への目配りがやや疎かになっている印象を与えかねないとの指摘がなされた。女性を主体とし,ヴェール着用を信仰の指標とする言説が近年になって急速に浸透したこと,あるいは,「崇拝」(アラビア語「イバーダ」)や神への愛といった超歴史的概念が,女性の自発的ヴェール着用の媒介項として突如機能し始めたことの歴史的背景は何だったのか。一旦インサイダーの視点に立ったのち,筆者が再度外側に出て,インサイダーの視点をアウトサイダーとして相対化する過程が十分明確に表現されていれば,論文の説得力はさらに増したであろう。また,分析対象が主に中産階級以上に限られることや,他のイスラム諸国と比べた場合のエジプトの独自性への言及がないこと,特定の説教師を取り上げたり,芸能人女性の語りによって一般女性の言葉を代表させたりするさいの選択の根拠が必ずしも十分には示されていないことなど,事例の代表性と特殊性に関する問題も指摘された。

しかし,これらの多くは本論文の設定する枠組みを超えた,今後の課題と言うべき指摘であり,研究自体の価値を減ずるものではない。よって審査委員会は,本論文が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

UTokyo Repositoryリンク