学位論文要旨



No 127367
著者(漢字) 壽楽,浩太
著者(英字)
著者(カナ) ジュラク,コウタ
標題(和) エネルギー施設立地の社会的意思決定プロセスを問う : 公共性をめぐる科学技術社会学からのアプローチ
標題(洋)
報告番号 127367
報告番号 甲27367
学位授与日 2011.06.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学際情報学)
学位記番号 博学情第41号
研究科 学際情報学府
専攻 学際情報学
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐倉,統
 東京大学 教授 松本,三和夫
 内閣府 原子力委員 鈴木,達治郎
 東京大学 教授 田中,淳
 東京大学 准教授 北田,暁大
内容要旨 要旨を表示する

科学技術が富と繁栄を生み出す原動力としてだけではなく、社会にとって、人間にとっての「リスク」としてとらえられるようになって久しい。科学技術の「負」の側面に対しては、これまで様々な応答が社会的に、あるいは学問的になされてきていることもまた、今や周知の事実であろう。

特に、こうした科学技術の生みだす「リスク」について、その原因、メカニズム、対処の見立てを、「政府の権力」のような、科学技術に外在的な要因で説明・議論するのではなく、その内実に立ち入って解明してきた(少なくともしようとしてきた)のが、こんにち「科学技術社会論(Science and Technology StudiesもしくはScience, Technology and Society: STS)」と総称される諸研究であろう(以下「STS研究」と総称)。そこでは、技術専門家支配に対する批判として、また、新たに政治的正統性を確保し、不確実性にも対処できる方法として、「市民参加型」の社会的意思決定の導入・普及が叫ばれてきた。

しかし、筆者が取り組んできた、原子力発電所(原発)等のエネルギー施設立地の問題、その中でも特に日本における立地問題においては、実際にこうした「STS」的見方に基づいた社会的意思決定プロセスの変革が行われ、それが社会的に高い評価を得た事例に乏しい。それどころか、原発立地においては2010年代の今日においても立地をめぐる社会的紛争が続いている事例がある。さらに、最近になって前景化している立地問題に、高レベル放射性廃棄物(High-Level radioactive Waste: HLW)処分場の立地問題があるが、HLW処分場の立地プロセスは原発立地での社会的紛争状況多発の経験も受けて、「改革を経た」にも関わらず、候補地選定は進んでいないどころか、候補地となる可能性が議論の俎上にのぼった地域において深刻な社会的紛争を引き起こした(高知県東洋町の事例等 )。

本稿は、「公共性」をキーワードにして、エネルギー施設立地をめぐる社会的意思決定のいくつかの事例を改めて読み解くことによって、この、「科学技術の民主化」という学問的な流れと「繰り返されるエネルギー施設立地紛争」という現実の再接続を試みる。エネルギー施設立地、とりわけ、原発立地はなぜ上記で例示したような社会的紛争を惹起するのか。そして、紛争ではなく、人々が納得できる議論、納得できる意思決定を行うにはどうすればよいか、これらはいずれもエネルギー施設立地をめぐって浮かび上がる様々な「公共性」に関わる問題だからだと考えるからだ。

具体的には、現実の事例に基づいて「公共性」をめぐる、込み入った問題がどう扱われているか――すなわち、何が「公共的」であるかが問われ、特定され、議論され、結論が出されていくプロセスの実相――をとらえるアプローチとして「公共性をめぐる科学技術社会学」を採用する。このアプローチは、従来の社会学、技術当事者の取り組み、STS研究、といった、これまでエネルギー施設立地について試みられてきた主要な知的努力の欠点を補い、上記のプロセスの実相により迫ろうとするものである。すなわち、社会学における「社会問題」としての定式化と権力論からの批判、技術当事者の取り組みにおける「広報主義」、STS研究の技術専門家支配の解体という文脈ばかりからの「市民参加型社会的意思決定論」というように、これまでの知的努力はいずれも、「科学技術」と「社会」のうちの一方に着目し、また、特定の「公共性」のみに着目しており、科学技術と社会の界面における「二重のアンダーディターミネーション」とも言うべき重層的な不確実性の存在や、様々な「公共性」の間の相克といった問題の全容をとらえ切れていない。これに対して、「公共性をめぐる科学技術社会学」は、科学技術と社会の両者それぞれに等距離を取り、両者の界面で起こる「公共性」をめぐる諸問題をより幅広に、かつ詳細に明らかにすることを目的とする。以上は本稿の「はじめに」と1章にて議論されている。

こうしたアプローチに基づき、本稿はまず、

・ 数ある原発立地の中でも、「住民投票」を通した立地断念の初の事例として知られ、町内での「公共性の復権」とも見なされがちな新潟県巻町の事例(2章)。

・ 原発とは対照的に、「社会受容性が高い」と称される風力発電施設(風車)が順調に増加し、首都圏随一の風車立地地域となっている千葉県銚子市地域の事例(3章)。

の2つの事例を取り上げ、地域における施設立地の社会的意思決定の機微を通して、エネルギー施設と地域社会の関わりを「公共性」を軸にして分析した。

その結果、巻町事例においては、確かに住民投票が町内における原発立地についての社会的意思決定プロセスの軌道を変え、一人ひとりの住民による意思表明を通して立地の可否が判断されたものの、主な論点は安全性等、限られたものにとどまったことが観察された。そして、その背後には、原発が高いリスクを持つ施設であることを前提に、安全規制に偏重して設計された許認可プロセスが存在し、これが、地域における「幅広な」公共的討議を困難にしている可能性が示唆された。これは公共的討議の「視野狭窄」とも言うべき現象である。

しかし、この「視野狭窄」原子力の「高いリスク」ゆえに引き起こされる問題なのか。この点を銚子市地域の事例における風車立地の経緯を通して確認した。その結果、同市地域においては、良好な風況を背景に風車立地が漸増してきているものの、それは、過去の地域における大型施設立地問題(大型火力発電所立地問題、リゾートマンション立地問題)等を通して市内の関係者に共有されている、「東部地域への立地回避による景観保護」という、ある種の「住み分け」に支えられており、その限りにおいて紛争化しないことが明らかとなった。同市内西部の立地点でも騒音、電波障害、日照フリッカー等の局地的な悪影響は出ているにも関わらず、こうした問題は風力発電事業者と近隣住民の間での調整にその解決がゆだねられ、全市的には風車立地についての明確な方針や基準が策定されていないままとなっている。こうしたある種の「社会的均衡状況」の存在は、施設立地をめぐる「幅広な」公共的討議が行われていないことを意味する。したがって、原発と風車は、その特徴については対照的に語られがちであるにもかかわらず、公共的討議の「視野狭窄」という点では共通した問題を抱えており、この問題はエネルギー施設立地においては発電技術の種類によらず存在することが示唆された。

こうして、エネルギー施設立地においては公共的討議の「視野狭窄」が問われるべき問題として浮上することが明らかとなったが、それらは、特に従来のSTS研究における「参加型社会的意思決定論」、すなわち、技術専門家支配の解体という文脈に基づいた市民参加拡大論からは乗り越えられない可能性がある。この点を4章で議論している。つまり、「視野狭窄」問題を問う観点からすれば、地域における様々な公共性をめぐる論議の中に、エネルギー施設立地のような、「科学技術をめぐる諸課題」をどう位置づけるか、どう扱うか、という問いの立て方こそが、地域における科学技術に関する社会的意思決定を論じる際の出発点となるべきであり、科学技術をめぐる論争を想定して、その内部で、どういう方法で社会的意思決定を行うべきかを考えるのは、矮小であると考えられる。しかも、参加の拡大と論点の幅の問題も独立であることは、巻町事例からも明らかである。

しかし、それでも、原発や風車はこれまで立地してきており、基数の増加という意味で考えれば、「成功」している。したがって、立地を進める側に立てば、上記のような批判は思考実験に基づいて当為的な批判を行っているに過ぎないとの反論が予想される。

そこで、5章では、HLW処分場候補地選定プロセスの事例を通して、この「視野狭窄」の問題はそうした空論ではなく、現実に社会的意思決定の困難を招く要因であることを議論した。日本におけるHLW処分場候補地選定プロセスは、原発等の従来の原子力施設の立地プロセスに対して出されてきた批判を踏まえ、立地候補地の「公募」や、応募後の「段階的アプローチ」を採用しているにもかかわらず、高知県東洋町での応募をめぐる社会的紛争の発生、他の複数の地域での応募検討の顕在化直後の断念など、制度設計者の期待に反して候補地選定が進まない現状に直面しているからだ。本稿は、HLW処分がその「二重かつ極大化したアンダーディターミネーション」という特性ゆえに、「無限責任」という問題に直面している点をめぐって、その「無限責任の有限化」が求められており、それは、社会全体での「幅広な」公共的討議を要求し、決して「立地問題」として完結するものではないことを指摘し、HLW処分問題における公共的討議の「視野狭窄」は、HLW処分についての社会的意思決定の前進にとって致命的に重要な問題であることを明らかにした。

最後に、6章において、本稿で見てきたような、エネルギー施設立地の社会的意思決定プロセスにおける諸問題の解決のためには、やはり公共的討議の「視野狭窄」を乗り越えることが不可欠の課題であることを確認し、「公共性をめぐる科学技術社会学」、ひいては広くSTS研究が、そのためにどのような知的貢献ができうるかを議論した。そこでは、日本におけるSTS研究がHLW処分のような社会にとって重大で、かつ科学技術に関する問題に対して、残念ながら十分な関与をしてこなかった一方で、諸外国においては、STS研究者自らがその知見を生かして政府等が用意する様々な公共的討議の試みに参加するなどし、「無限責任の有限化」等の社会的意思決定上の課題に実践的な関与を行っていることが見いだされた。そこで、社会学の立場からSTS研究に携わってきた有力な研究者であるH. コリンズらが提唱する「第3の波」論を援用し、科学技術社会学は、社会的意思決定プロセスにおける「知の専門家」として、異なる専門知の間の架橋と、それを通した社会的意思決定の前進に実践的に関わりうる可能性を示して「公共性をめぐる科学技術社会学」の今後のあり方の一つの方向性と位置づけて、議論を結んでいる。

審査要旨 要旨を表示する

申請者の論文は、別紙1の論文要旨にあるように、公共性をキーワードにして、エネルギー関連巨大技術の立地決定プロセスを分析したものである。これらの意思決定プロセスは、しばしば迷走し、偏向し、修正不能な対立を生む。その原因と対応策を検討するために、申請者は原子力発電所(2地域)、風力発電の風車、核廃棄物処理場といった3種類4地域にわたって、性質の異なる施設を対象に、立地決定プロセスを綿密に調査し、比較検討を加えた。その結果、公共性が「視野狭窄」に陥ることが、決定プロセスの機能不全を招来していることを明らかにし、このような問題を解決するために、既存の科学技術社会論、社会学、科学技術中心主義の限界を乗り越えるための専門家間の連携促進を提言している。

審査委員からは、論文全体の構成が明確であり、論旨も一貫している点が高く評価された。とくに、実態調査の部分と理論的枠組みの部分との対応関係や整合性が予備審査の段階に比べると格段に整理されて見通しが良くなっており、結論の説得力を高めることに成功している。今後の原子力問題やエネルギー政策をめぐる議論において、是非適用していってほしい議論であるとの意見も出された。

一方で、以下のような疑問点も指摘された。

第一は、公共性に関するものである。申請者は公共性を一般的な意味で使用しているが、社会学でも公共性概念にはさまざまな考え方や定義付けがある。申請者が使用しているような、議論が興ることがとにかく公共性を高めるという立場に立つならば、なぜその立場を採用するのか、また申請者がイメージしている公共性概念はどのようなものなのかをさらに明確にする必要がある。

公共性概念の定義付けが曖昧であるために、もうひとつ別の問題も生じている。申請者が主張するように、公共性が多数あることはこの論文の実地調査の部分からも良く分かるが、各地域あるいは社会全体にとっての「守るべき公共性」は、誰が、どう扱っていくのかは、不明瞭なまま残されている。具体的な対応策を考える上では、これらの点をさらに明確に把握することも必要であろう。

第二は、第一点とも関係するが、公共性の「視野狭窄」に関する点である。この概念についても、感覚的には納得できるものであるが、実際に視野が狭まっているという事態が何を意味しているのかがもうひとつ良く分からない。原発立地と風車立地の場合は、同じ視野狭窄と言ってよいのか、そもそも両者を比較可能なのか、申請者の批判するアンダーディターミネーションと視野狭窄がどう関係するのか、といった諸点が不明瞭である。原発と風車それぞれの立地決定をめぐって生じている議論のねじれは、表層的に視野狭窄的に見えるだけという可能性もあり、そうではないのだと主張するためには、風車立地決定において何が視野狭窄になっているのかを、より説得的に示す必要があろう。また、そもそもこの論文では「公共性の視野狭窄」が立地決定過程の機能不全を招くとしているのだから、第一の問題点として指摘した公共性概念がより明確に定義付けされなければ、視野狭窄も定義することはできない。したがってこの第二点は第一点と合わせて検討すべき問題であろう。申請者はこれらの概念装置を用いることで、既成の意思決定プロセスの機能不全を繰り返さないという実利が得られれば良いとしているが、実践的側面としてはそれで良いものの、理論的作業としてはそれでは何が原因で何が結果かわからず、議論がトートロジーに陥る可能性も指摘された。

第三の問題点は、今後の対応策に関する問題である。これについてはさらに2つに細分化される。まず、上記第二点の視野狭窄に関連して、意思決定プロセスに「幅広の公共性」を担保することが必要だと申請者は主張しているが、逆にそれによって事態が混乱する可能性が考えられる。視野が狭いからリスクとベネフィットの比較考量が可能なのであり、この対象範囲を広げると、リスクとベネフィットの尺度や単位が異なる状態を招来し、相互に比較考量ができない状態、あるいは共約不可能な状態になってしまう可能性がある。このような事態を招かないようにするための、何らかの防御策が事前に必要ではないか。

申請者が最終第6章で、専門家間の知識を総合していくインタープリターの必要性を主張しているのは、ある意味、このような懸念をあらかじめ意識してのことであると思われる。しかし、このインタープリターについてもさらなる検討が必要であろう。本来、異なる展望を導入し、意思決定が視野狭窄に陥らないように差配し、議論の限定性を低減するための存在であると考えられる。しかし、たとえばインタープリターたりうる人材の供給フィールドが科学技術社会論(STS)領域に限られるとすれば、それは「もうひとつの新たな限定性」を導入する結果になってしまい、逆効果になる可能性が考えられる。

第四点は、既成の諸学問領域との関係についてである。申請者は、社会学は権力批判論に寄りかかりすぎており、STSは市民参加を所与の目的としすぎており、社会工学のような技術主導も社会の同意形成には不十分であると既存諸領域を批判し、新たな枠組みの必要性を主張している。いずれの指摘も一定の妥当性をもっているが、一方で、社会学における権力論に対する批判は権力(あるいは権力論そのもの)に対するイメージがやや古いものであるし、STSも市民参加を目的とするものばかりではない。既存諸領域をやや図式的にとらえすぎているといえる。そのため、代替案として申請者が提案する方策も、決して十分なものとはなっていない。場合によっては、市民参加が進むことでかえって視野狭窄も進み、しかも参加は進んでいるので気がつかない、という可能性もある。また、専門的知識を総合するためのインタープリターについても、必要性は認められるものの、実現可能性は高くないとも指摘された。

これらの諸点は、しかし、論文の構成と論旨が明快になったために浮上してきた問題ともいえる。また、必ずしも現段階ですべてを解決しなければならないという性質の問題でもなく、申請者がこれから時間をかけて対応し、また実現可能性を高めていく方向で努力していくべき課題というべきものであろう。

以上の諸議論および申請者からの応答を踏まえ、審査員のみで厳正な審議をおこなった結果、本審査委員会は、本論文が博士(学際情報学)の学位に相当するものと判断する。

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