学位論文要旨



No 126846
著者(漢字) 大黒,耕
著者(英字)
著者(カナ) オオクロ,コウ
標題(和) 生体高分子の非共有結合的化学修飾を可能にするモレキュラーグルーの開拓
標題(洋) Design of Molecular Glues for Non-covalent Chemical Modification of Biomacromolecules
報告番号 126846
報告番号 甲26846
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7487号
研究科 工学系研究科
専攻 化学生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 相田,卓三
 東京大学 教授 片岡,一則
 東京大学 教授 長棟,輝行
 東京大学 教授 鈴木,勉
 東京大学 教授 津本,浩平
内容要旨 要旨を表示する

【1】緒言

生命現象の分子レベルでの解明が進み、様々な生体高分子の役割が明らかにされてきた。これに伴い、化学・生命科学分野での中心的課題は「いかに生体高分子の機能を制御するか」へと推移しており、生体高分子、とりわけ多様な生体反応の担い手であるタンパク質をベースとした新しい機能性分子の開発に注目が集まっている。有機化学反応を基盤とした生体分子修飾は、この目的を達成するための極めて有力な手段であるが、共有結合形成の足場となる官能基の有無、立体的な制約、反応性などの問題をクリアしなければならず、同時に遺伝子工学的手法を必要とするケースも少なくない。一方、非共有結合的な生体高分子の化学修飾は、抗原-抗体やレセプター-リガンドなどを利用した手法が広く展開されているものの、標的とする生体高分子に対しては前述の共有結合法、あるいは遺伝子工学的手法に依拠しており、汎用性の面で十分ではない。

本研究では、生体高分子が普遍的に有しているオキシアニオン性官能基を標的とし、これらと塩橋形成を介して強く相互作用するグアニジン(グアニジニウムイオン)を利用することで、生体高分子の非共有結合的化学修飾を可能にする汎用的方法論を開拓することに焦点を置いた。生理的条件下においても十分に強固な結合を実現する戦略として多点相互作用の利用を考え、グアニジニウム基を末端に有する水溶性デンドリマーを設計した(Figure 1)。このデンドリマーは柔軟なトリエチレングリコール鎖を骨格にもつため、標的とする生体高分子表面に応じて自在に接着できる、分子の糊として働く。また、このデンドリマーのフォーカルコアには多様な機能団を導入することができるため、目的に応じた機能拡張を極めて容易に行うことが可能である。

【2】ホモトロピックな接着による微小管の安定化

モレキュラーグルーの接着作用がタンパク質会合体に及ぼす影響を調べるため、α,β-チューブリンヘテロ二量体の巨大会合体である微小管を標的とした。α,β-チューブリン二量体はGTP存在下で温度依存的な重合・脱重合挙動を示し、37℃ではチューブ状の微小管に重合し、15℃ではモノマーユニットであるα,β-チューブリン二量体へと脱重合する。このチューブリンの重合・脱重合は340nmの散乱光強度から評価することができる。GTP(1mM)存在下、チューブリン二量体(2.5mg/mL)を37℃でインキュベートして得た微小管を15℃に冷却すると速やかに脱重合する(Figure 2b, square)。一方、モレキュラーグルー(Glue-OMe; 100μM)を添加した微小管は、冷却後もほとんど散乱強度が現象しないことが明らかとなった(Figure 2b, triangle)。これは微小管安定化剤として広く知られるパクリタキセル(100μM; Figure 2b, circle)と同様の結果であり、また、接着能力の低いGlueG0-OMe (3つのグアニジニウム基をもつ第0世代デンドリマー; 300μM)では、このような散乱光強度の維持は確認されなかった(Figure 2b, diamond)。Glue-OMeを添加したサンプルを透過型電子顕微鏡(TEM)で観察した結果、チューブ状の構造体が確認でき、モレキュラーグルーが微小管構造を脱重合に対して安定化させる機能をもつことが示された(Figure 2c)。

【3】ヘテロトロピックな接着によるアクトミオシンの滑り運動制御

モレキュラーグルーは微小管(チューブリン重合体)のような同一タンパク質の会合体をホモトロピックに接着できるだけでなく、異種のタンパク質からなる会合体のヘテロトロピックな接着が可能である。このようなヘテロトロピックな接着のデモンストレーションとして、アクトミオシン(アクチン-ミオシン会合体)の滑り運動を停止させることに成功した(Figure 3a)。ミオシンを固定化したスライドガラス上に、ローダミン-ファロイジンで安定化・蛍光標識したアクチンフィラメント(0.8ng)をATP(2mM)とともに添加し、蛍光顕微鏡で観察した。アクチンフィラメントは既報の値とほぼ同様の速度(4.6 μm/sec)でミオシン上を移動したが、ここにGlue-OMe(10μM)を添加するとその運動は完全に停止した(Figure 3b, c)。この運動停止はATPを含むバッファーでの洗浄により解除することができるため、タンパク質の不可逆的な変性によるものではなく、モレキュラーグルーの接着によるものであると考えられる(Figure 3b, c)。一方、接着力の低いGlueG0-OMeでは過剰量(50μM)の添加でも滑り運動の停止は見られなかった(Figure 3b)。

Glue-OMe(10μM)存在下におけるミオシン(80μg)のATPase活性は61.3±1.1 mol/mg・minであり、Glue-OMeを投与していないミオシンATPase活性(57.3±0.7 mol/mg・min)とほぼ同等の値を示した。この結果も、アクトミオシンの滑り運動の停止がタンパク質の変性による機能損失によるものではなく、アクチン-ミオシン間の接着によることを支持するものである。

【4】モレキュラーグルーを用いた細胞内タンパク質デリバリー

モレキュラーグルーの接着モチーフとして利用しているグアニジニウム基はリン脂質二重膜中のリン酸基とも強く相互作用するため、細胞膜透過性を向上させる働きをもつことが広く知られている。本研究において、モレキュラーグルーがタンパク質への接着と細胞膜透過の二つの役割を果たすことで、極めて効率的な細胞内タンパク質デリバリーを実現することに成功した(Figure 4)。

はじめに、前項で扱ったアクチンをデリバリーの標的モデルとした。Alexa Fluor 633で蛍光標識したアクチン(50nM)と種々のモレキュラーグルー(1μM)または市販のカチオン性脂質をベースとしたタンパク質導入試薬(SAINT-PhD; 15μM)を血清無添加のDulbecco's Modified Eagle Medium(DMEM; 1 mL)中で混合し、これをヒト子宮頸癌由来のHeLa細胞(1.0 ・105 cells)に投与し、37℃で4時間インキュベートした。細胞内に取り込まれたタンパク質の総量はフローサイトメトリーで測定される各細胞の平均蛍光強度で評価した。その結果、フォーカルコアに疎水性官能基であるベンゾフェノンを導入したGlue-BPが、市販される最も高効率なタンパク質導入試薬の一つであるSAINT-PhDを上回る高いデリバリー活性を示すことを見出した(Figure 5)。一方、デンドリマーのフォーカルコアがメチルエステルであるGlue-OMeや親水性の蛍光分子FITCを導入したGlue-FITCではタンパク質デリバリー活性は確認できなかった。以上の結果より、タンパク質への強い相互作用と、疎水性のフォーカルコアによる細胞膜への高い親和性を両立する分子構造が細胞内へのデリバリーに重要であることがわかる。さらに、Glue-BPによる細胞内タンパク質デリバリーは10%の仔ウシ血清(FBS)存在下でも非常に効率良く進行することも明らかとなった(Figure 5)。

同様の方法でアクチンを導入したHeLa細胞を、共焦点レーザー顕微鏡を用いて観察した。SAINT-PhDを用いた場合では、エンドサイトーシス経路による取り込みに典型的な粒状の画像が観察された(Figure 6a)。これに対し、Glue-BPを用いた場合では細胞質全体に蛍光が観察され、また一部は細胞核内へと移行していることが明らかとなった(Figure 6b)。同様の実験をエネルギー依存的な取り込みが停止する低温条件(4℃)で行ったところ、蛍光強度は低下したものの細胞質内への取り込みが確認された(Figure 6c)。以上の結果を考慮し、モレキュラーグルー(Glue-BP)を介した細胞内タンパク質デリバリーのメカニズムを次のように推定した(Figure 4)。(1)末端のグアニジニウム基を介して標的タンパク質へと接着する。(2)この複合体が細胞膜表面に接近すると一部のグアニジニウム基が細胞膜中のリン酸基と相互作用し始める。(3)細胞膜表面に複合体が集積し、疎水性のベンゾフェノンユニットが膜の疎水性部分へと貫入し、膜透過が促進される。

Glue-BPを用いたタンパク質デリバリーは、標的タンパク質の機能を損なうことなく進行する。緑色蛍光タンパク質(EGFP)はタンパク質の立体構造に起因する蛍光を示すが、Glue-BPを用いてHeLa細胞に導入した後も、その蛍光は失われなかった(Figure 6d)。

【5】結言

グアニジニウム基を接着モチーフとして有する一連のデンドリマーを開発した。これらのデンドリマーは分子の糊(モレキュラーグルー)として働き、種々の生体高分子をはじめとするオキシアニオン性表面へと非共有結合的に接着する。この強い接着機能を利用してタンパク質の会合体をホモトロピックあるいはヘテロトロピックに接着安定化することに成功した。また、疎水性官能基を導入することで細胞膜への親和性を向上させ、接着したタンパク質を極めて高い効率で細胞内へと導入することに成功した。

審査要旨 要旨を表示する

生体高分子の化学修飾は、生理現象を理解し、医療や生体材料科学へと応用するために必要不可欠な技術である。これまで数多くの化学修飾法が開発されており、有機化学反応あるいは生体反応を基盤とした共有結合形成や、抗原-抗体などの特異的相互作用を利用した手法が広く用いられている。しかしながら、これらの手法は対象とする生体高分子の立体構造などの因子に強く依拠しており、汎用性の点で不十分であった。本論文では、生体高分子が普遍的にもつオキシアニオン性官能基を修飾の足場とする非共有結合的な相互作用を用いることで、汎用的な生体高分子の化学修飾法を開拓することを目的とした研究について述べている。

序論では、はじめに過去に報告された生体高分子の化学修飾法について述べている。共有結合形成を利用した手法と非共有結合的相互作用に基づく手法を比較し、標的とする生体高分子への影響や立体構造情報の必要性などの観点から、非共有結合的手法の汎用性の高さを提示している。さらに、生理的条件において高い親和性を実現する戦略として、多価相互作用の重要性について述べている。

第1章では、グアニジンとオキシアニオンの多重塩橋形成を利用して生体高分子に接着する「モレキュラーグルー」として、末端に多数のグアニジンを有するデンドリマーを合成し、その性質を詳細に調べている。等温滴定型熱量測定によってタンパク質表面への親和性を調べており、オキシエチレン鎖による柔軟性と、多点相互作用を可能にする分岐骨格の必要性を示している。また、モレキュラーグルーの接着によりチューブリンタンパク質の会合体である微小管を安定化させ、脱重合過程を阻害できることを見出している。細胞分裂の駆動力となる微小管の動的な重合・脱重合を停止させる作用は、癌細胞の増殖抑制へと応用することが可能であり、モレキュラーグルーの高分子医薬としての可能性を示している。

第2章では、第1章で示したタンパク質会合体の動的挙動の停止作用を異なる2種のタンパク質からなる会合体へと拡張できることを述べている。例として、筋収縮や細胞動態などの源であるアクチン・ミオシンの滑り運動に着目し、モレキュラーグルーの接着がこれらのモータータンパク質の運動を停止させることを報告している。また、滑り運動の駆動力を産出するミオシンのATP加水分解活性を測定し、滑り運動の停止がタンパク質の変性によるものではなく、アクチン・ミオシンが形成する会合体を接着し、安定化するためであると結論づけている。

第3章では、グアニジンの高い細胞膜透過性に着目し、モレキュラーグルーを用いた細胞内タンパク質デリバリーについて報告している。共焦点顕微鏡、フローサイトメトリーを用いて導入されたタンパク質の定量・可視化を行い、疎水性の機能団をコアにもつモレキュラーグルーが既報のタンパク質導入試薬を大きく上回るデリバリー性能を示すことを見出している。また、モレキュラーグルーがタンパク質を細胞内に輸送する経路にも言及しており、エンドサイトーシスによる取り込み経路に加え、細胞膜を直接透過する経路の存在を明らかにしている。さらに、細胞内に導入したタンパク質の酵素活性を評価し、モレキュラーグルーを媒介としたタンパク質デリバリーが標的タンパク質の機能を損なわないものであることを示している。これは、共有結合的に膜透過性分子を修飾する手法がもつ標的タンパク質の変性や失活という問題点を解決している点で大変意義深い。また、モレキュラーグルーの細胞毒性を評価し、タンパク質デリバリーに必要な量では毒性をもたないことを明らかにしている。タンパク質の細胞内デリバリーは、核酸デリバリーと比較して標的分子の性質の違いが大きく影響するため、汎用的な手法の開拓が困難であった。本研究で確立したモレキュラーグルーの接着は、この問題を解決する有効な手段であると考えられ、タンパク質医薬の実用性を拡げたという点で意義深い。

以上、本論文では、生体高分子が普遍的にもつオキシアニオン性官能基を足場とした非共有結合的相互作用を利用し、汎用的な化学修飾を実現できるツールとして「モレキュラーグルー」の有効性が示されている。このようなコンセプトに基づく化学修飾の方法論は本研究が初めてであり、従来の選択的・特異的な手法に対して相補的なものである。また、本論文で報告しているタンパク質会合体の動的挙動制御やタンパク質デリバリーをはじめとする応用は、医学・バイオテクノロジー分野の今後の発展に大きく寄与することが見込まれる。

よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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