学位論文要旨



No 126792
著者(漢字) 島本,憲夫
著者(英字)
著者(カナ) シマモト,ノリオ
標題(和) 非整数階微分によるフラクタル構造体の輸送特性のモデリング
標題(洋)
報告番号 126792
報告番号 甲26792
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第7433号
研究科 工学系研究科
専攻 機械工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,洋一郎
 東京大学 教授 加藤,孝久
 東京大学 教授 丸山,茂夫
 東京大学 教授 鈴木,雄二
 東京大学 教授 高木,周
 東京大学 教授 山本,昌宏
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の背景

生体細胞では,種々のタンパク物質が拡散輸送されることにより情報伝達が行われ,これらの物質が輸送される速さが細胞の振る舞いに大きく関係している.そのため,分子の拡散特性を知ることは重要な課題であるが,細胞近傍では,様々なタンパク物質が混在し,細胞外マトリクスを構成する高分子鎖が複雑にからみあった構造を持っているため,解析が非常に難しい拡散問題である.このような複雑構造体中での拡散輸送は,細胞の物質輸送の例に限らず,様々な物理の中で出現する現象であり,工学的な側面においても重要な問題の一つである.複雑構造体中の拡散輸送のダイナミクスを再現し解析する方法として,数値シミュレーションによる方法が考えられる.拡散特性を忠実に再現するためには,構造の細部まで模倣した系で数値計算を行う必要があるため相当量の計算機パワーが必要になり,数値シミュレーションでの再現にはかなりの困難が予想される.そのため,複雑構造体中での拡散輸送の特性をうまく表現できるようなモデル化を行うことは重要な取り組みであると考える.

2.非整数階微分を導入した拡散輸送のモデリング

複雑構造体の捉え方については様々な考え方があるが,本研究では自己相似的なべき乗の特性を持つフラクタル構造体を対象に考え,フラクタル構造体における拡散輸送のモデリング方法について考察を行う.

拡散による輸送は,温度や濃度等の物理量の出入りについて,時間的な変化量と空間的な変化量との釣り合いとして定式化され,これは,時間についての一階微分,空間についての二階微分による熱伝導方程式あるいは拡散方程式としてモデル化される.一般に,連続体での温度や濃度等の物理量の時間や空間の変化率は,その物理量の変化量ついての時間あるいは距離の変化量に対する比,つまり,時間あるいは空間に関する微分として求められる.しかし,フラクタル構造を持った系の上での時間や距離の変化量は,フラクタル次元に関係してべき乗的に変化するため,フラクタル構造体での物理量の変化率を計算する場合,これまでの微分形式をそのまま用いることはできない.

そこで,本研究では,フラクタル構造体上での物理量の変化率の評価方法について,構造体が有するフラクタル次元に基づいた階数で微分する非整数階微分(Fractional Calculus)の考え方を導入する.一般に数学や物理で用いられている通常の微分や積分の演算は,1階の微分,1回の積分といったように整数値で実行される演算であるが,非整数階数の微分積分は,階数を非整数値に拡張した演算である.通常の微積分は各点での値で算出されるのに対して,非整数階の微積分は,過去からの履歴の積算によって導かれる.そのため,過去の経過が振舞いに影響するような履歴性のある系や,長期記憶性を持つようなべき乗的な特性を持った物理現象の記述に有効な手法であると考えられており,多くの領域での工学的な応用についての研究成果が報告されている.

3.本研究の内容

本研究では,様々な物理で出現する拡散による輸送に焦点をおき,べき乗的な特性を持つフラクタル構造体を対象として, フラクタル性の特徴を微積分の中に取り組むことができる非整数階微分を導入して熱伝導・拡散方程式のモデリングを行い,空間的フラクタル性と時間的なフラクタル性の観点からフラクタル構造がもたらす拡散特性について考察を行った.

(1)空間的フラクタル性

フラクタル性を有する構造体での拡散輸送の特性を考察するため,フラクタル構造体での熱伝導現象について考えた.

まず非整数階微分によるモデリングの妥当性についての解析的な検証を行うため,無限平板における定常一次元熱伝導の温度分布を求める問題を取り上げた.熱伝導方程式をたてる際にFourierの法則に基づいて熱流束の計算を行うことになるが,フラクタル構造体での熱流束として,フラクタル構造特有の有効熱伝導率を用いる方法と,温度勾配をフラクタル次元に基づいた非整数階微分によって導く方法を考えた.この2つの方法によって得られる熱伝導方程式を解析的に解いて双方の解が一致することを示し,非整数階微分によるモデリングにより,フラクタル構造体での熱伝導問題を解くことができることを示した.

次に,非定常二次元問題を取り上げ,フラクタル構造体と連続体での熱拡散過程の違い,およびフラクタル次元(非整数の微分階数)の違いによる熱拡散過程の挙動についての考察を行った.フラクタル構造体の熱拡散の特性は,構造体が有する複雑さの指標であるフラクタル次元に関係するものと考えられる.x-y方向でフラクタル次元が異なるような異方性を有する構造を想定し,フラクタル次元の違いによる熱拡散過程の振る舞いの比較を行った.非定常二次元の非整数階微分による熱伝導方程式を考え,Grunwald-Letnikovの定義に基づいた差分式により記述して数値的に解いた.通常熱伝導では指数関数に基づく熱拡散となるが,フラクタル熱伝導ではlong-tailの温度分布を示し,べき乗的に熱拡散することを示した.そのときのべき乗則は,フラクタル次元に相関したべき指数による漸近特性を持つことを示した.

(2)時間的フラクタル性

時間的なフラクタル性を有する系として,障壁の存在や粒子に作用する力によって運動を抑止されるような環境下での粒子の拡散特性について考察を行った.

(i) 障壁を伴う粒子の拡散

通常,Brown運動に基づいた拡散においては,拡散係数は観測時間に関係なく一定値になることが知られているが,生体細胞内外近傍での分子の拡散運動では,ある範囲で拡散係数が観測時間とともに減少するような異常拡散と呼ばれる現象が観測されている.これは,細胞近傍に混在する様々なタンパク物質や細胞外マトリクスを構成する高分子鎖などの多くの障壁によって分子の拡散運動が阻害されることによって生じる効果と考えられ,このよう分子の拡散では,分子が移動する距離の分布や,分子がある領域に停留する時間の分布がべき乗分布になることが知られており,Brown運動としての扱いができなくなる.

このような障壁によって停留を伴うような粒子の拡散は,時間発展に対して変位が間欠的に変化する確率過程として考えることができ,Continuous Time Random Walk(CTRW)法に基づいて,時間に関する非整数階微分の拡散方程式としてモデル化することができる.CTRW法に基づいて拡散係数の解析式を導出すると,非整数の時間微分階数の大きさをべき指数に持った関数として表現することができ,この時間微分階数は拡散係数の振る舞いを特徴づける指標となる.本研究では,拡散係数を推定するための時間微分階数の見積もり方法の提案を行った.提案方法は,ヒアルロン酸水溶液中の1分子観測の実験報告例との比較において良好な結果の一致を示しており,非整数階微分に基づいたモデルが異常拡散を再現できることを示した.

(ii) 履歴力の影響を受ける粒子の拡散

粒子の拡散運動を記述する方法として,Newton力学に基づいたLangevin方程式による方法がある.Stokes法則に基づいて速度に比例した粘性抵抗力と搖動力としてGaussian Noiseを導入したものが最も基本的なLangevin方程式であり,この場合はBrown運動になる.履歴性の効果を入れた粘性抵抗力や時間に関してべき乗的な相関を持った搖動力を導入した一般化されたLangevin方程式が考えられており,このような粒子の運動は,Brown運動とは異なる挙動を示すことが知られている.

履歴性の効果を入れた粘性抵抗力とべき乗的な時間相関を持つ搖動力について,非整数階微分を用いて記述して一般化Langevin方程式に代入すると,時間に関して非整数階微分に拡張したLangevin方程式に変換することができる.これをFractional Langevin方程式と呼び,履歴力とべき乗的な時間相関を持つ揺動力の影響を受ける粒子の拡散運動のモデル化を行った.このFractional Langevin方程式をLaplace変換法により解析的に解いて,変位,速度,平均二乗距離,拡散係数について,Mittag-Leffler関数にて記述した解析解を導出した.得られた解析解を基に,Brown運動と対比して,変位,速度,平均二乗距離,拡散係数の各物理量の挙動特性と微分階数との関係について示した.長時間経過での漸近的な関係から,履歴力とべき乗的な時間相関を持つ搖動力が,異常拡散となる特徴的な拡散過程をもたらすことを解析的に示した.

以上の考察から,通常微分による拡散輸送の方程式において,微分演算を非整数階の微分に拡張することは,時間的あるいは空間的なフラクタル特性をもった系の拡散輸送のモデル化に有効であることを示した.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,様々な物理の中で出現する重要な現象の一つである拡散による輸送に焦点をおき,べき乗的な特性を持つフラクタル構造体を対象として,非整数階微分を導入して拡散特性のモデリングを行うことを目的としている.

細胞近傍で見られる複雑な組織内での分子の拡散や,あるいは燃料電池における反応気体の多孔質体中の拡散などにみられるような,複雑な構造体中の拡散は,様々な物理現象の中で出現する重要な問題である.その特徴として,構造体を構成する物質の粒度や空孔の大きさが不均一な分布のフラクタル的な構造を持っている場合が多い.このようなフラクタル構造体での拡散特性を知るためには,数値計算による解析方法が考えられるが,そのためには構造体の細部まで模倣したモデリングを行う必要があり,相当量の計算機パワーが必要になり困難が予想される.そのため数学的なモデル化を行うことは重要な取り組みである.

通常の拡散問題では,濃度等の物理量についての時間微分や空間微分を用いてモデル化されるが,フラクタル構造体の場合には,時間や距離の変化量はフラクタル次元に関係してべき乗的に変化することから,これまでの微分形式をそのまま用いることはできない.本論文では,フラクタル構造体上での物理量の変化率の評価方法について,構造体が有するフラクタル次元に基づいた階数で微分を行う,非整数階微分の考え方を導入することでその問題の解決を試みている.

本論文は,「非整数階微分によるフラクタル構造体の輸送特性のモデリング」と題し,全5章から構成されている.

第1章は「序論」であり,研究の背景,研究の進め方として,フラクタル構造体で拡散特性をモデリングする上での課題と非整数階微分を導入することの意義を挙げ,また研究の概要として具体的な取り組み内容が述べられており,本論文の位置づけが示されている.

第2章は「フラクタル構造がもたらす拡散輸送の特性」として,空間的なフラクタル性を持った拡散についての考察である.まず燃料電池燃料極における反応気体の拡散を例示し,フラクタル次元解析を行って,この問題がフラクタル構造体での拡散になっていることを示している.フラクタル解析で得られた幾何学的なデータをもとに,フラクタル構造体での実効拡散係数を定式化し,例示した問題の拡散特性の再現性を検証している.次に,先に示した実効拡散係数によるモデルと非整数階微分を用いたモデルとを対比し,2つのモデルが解析的に等価であることを示して,非整数階微分モデルの妥当性を検証している.さらに,非整数階微分による非定常二次元の拡散方程式を数値的に解いて,フラクタル構造体での拡散がべき乗的に拡散する結果を示している.

第3章は「障壁を伴う粒子の拡散」として,粒子が間欠的に移動するような特性を持つ拡散についての考察である.生体細胞近傍での分子運動では異常拡散と呼ばれる特有の現象が観測されており,これは複雑な細胞組織が障壁となって分子の運動を阻害して生じる現象として考えられる.これを間欠的に粒子が移動する確率過程として考えると,時間に関する非整数階微分の拡散方程式としてモデル化できる.このモデルから導かれる拡散係数の解析式と提案した微分階数の推定方法を用いて,異常拡散の実験報告値との比較により,非整数階微分によるモデルの妥当性を示している.

第4章は「履歴力の影響を受ける粒子の拡散」として,長期記憶性のある拡散問題についての考察を行っている.履歴性のある粘性抵抗力と,時間に関してべき乗相関を持った搖動力を受ける粒子の拡散では,非整数階微分を用いて形式変換を行うと,時間微分を非整数階に拡張したLangevin方程式としてモデル化できることが示されている.得られた方程式を解析的に解いて,解析解から変位や速度などの物理量が示す振る舞いを調べ,特に拡散係数は,べき乗関数に漸近し,異常拡散となることを解析的に示している.

第5章は「結論」であり,第2章から第4章にて示された,空間的・時間的なフラクタル性を有する拡散問題について,系が示すフラクタルの性質に基づいて変換を行うと,結果として,既知の現象方程式において通常微分から非整数階微分への置き換えでモデル化が行えること,および非整数階微分モデルの解析によって得られた拡散特性に関する知見がまとめられている.

非整数階微分に関する従来の応用研究では,フラクタル次元などの系の特徴量と非整数階微分との関係性についての物理的な解釈が議論されることは多くない.本論文では,第2章の実効拡散係数モデルと非整数階微分モデルとの対比で示されたように,フラクタルでのスケール関係から導かれる特性と非整数階微分の計算の考え方とを関係づけてモデルの解釈を示しているところは評価できる.

第2章で示された,フラクタル構造モデルでの実効拡散係数は,構造体断面の幾何学的な情報から実効拡散係数を予測する方法であり,燃料電池構造の推定方法としての応用が期待でき,また第3章での間欠的な運動をする粒子の確率モデルは,吸着・離脱を伴う粒子運動のモデルとして転用することも可能であり,本論文で得られた知見は他問題への応用が期待でき,工学的に意義があるものと考えられる.

よって本論文は博士(工学)学位請求論文として合格と認められる.

UTokyo Repositoryリンク