学位論文要旨



No 126577
著者(漢字) 日向,祥子
著者(英字)
著者(カナ) ヒウガ,ショウコ
標題(和) 近代産業導入期の三菱合資会社 : 環境変化と「不断の組織化」
標題(洋)
報告番号 126577
報告番号 甲26577
学位授与日 2011.03.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第292号
研究科 大学院経済学研究科
専攻 経済史専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,晴人
 東京大学 教授 粕谷,誠
 東京大学 教授 谷本,雅之
 東京大学 教授 中村,尚史
 東京大学 准教授 中林,真幸
内容要旨 要旨を表示する

本稿は,「明治30年代の三菱合資会社が,その著しい成長の過程で,各事業単位をいかに管理していたか」という問題を論じたものである。

三菱社時代の,人的信任に基づく・非公式的な「管理」の在り方は,三菱合資会社設立を契機として,公式的・客観的な機能に基づく管理体系の構築を志向するものへと転換したが,そこで定められた諸手続は,明治30年代を通じて,近代的諸産業の成長に伴う事業規模の拡大や同社自身の外延的拡大,拠点の移動を伴う市場の地理的広がりなどを背景として漸進的に修正され,或いは,いずれ修正が必要となることを予感させる負荷を高めていった。

組織化――すなわち手続や認識の在り方に対する問い直し――が最も顕著にみられたのは,石炭流通にかかる局面であった。そこでは,「必要な情報を,どういった根拠の下に,どこへ集約するか」ということが頻繁に見直されていた。

石炭流通に固有の問題は,業務フローの垂直性に関する処理が極めて複雑なことであった。阪神地域が一大市場であった金属部門とは異なり,石炭の市場は各地に点在していた。市場の分散は,第一に,第一次集散港に立地する支店のみならず,最終販売拠点までを含む階層的な情報追跡を必要とさせ,そうして追跡された情報のフィードバックにも,工夫の余地を与えていた。当初はごく素朴に,収支の発生地点に即して把握された情報を,実現収益の逐次的な確定にのみ供していたものが,業務フロー中の発生段階に即した収支情報の集約,さらには出荷ロットごとの情報追跡という方法の「発見」を通じ,結果として,集約される情報のもつ意味自体を,積極的な石炭フロー調整を通じた市況変化への柔軟な対応に寄与しうるものへと変化させていった。第二に,市場が各地に分散するということは,流通業務自体に,独自の・積極的な存立基盤が確立されうることを意味した。特定の集散地に送り届けさえすればほぼ確実に販売が実現する場合とは異なり,輸送に関する手段やノウハウが固有の価値をもち,従って社外炭取扱業務が,一定程度の参入障壁をもちうる有望なビジネスとなったのである。後者の売上は支店自身に帰属するものと定められたから,こうした業務が拡大すればするほど収支情報の集約は複雑化し,その負荷が高まっていったと考えられるが,このことは再び第一の含意,情報追跡方法修正の余地を高める方向へと,因果の連鎖を形成するものである。

手続きの変化は,結果的には,本社が把握する情報の稀釈化,元扱店が把握する情報の濃密化をもたらす一方,九州独自の資金プールがもつ重要性を恐らく高め,門司支店が阪神両支店のような本社への資金還流機能を十分にもたなくなる結果をももたらした。そもそも売炭取扱順序の制定は,従来本社が十分に関知しなかった遠隔の地での業務や,そこで形成された独自の経済圏を,全社的・包括的な枠組みに組み込むことを目指したものであり,この改革は前時代の実力者による抵抗を強引に排除してまで断行されたものだったから,上記のような門司支店との関係性の変化は,一見「旧時代」への回帰を思わせるものでもあったが,いまや公式的・客観的な情報追跡方法が確立されたことで,本社は「何も把握できなくなる」のではなく,別次元の把握――事後的な監視――を行う存在となりえた。ここに至って本社はむしろ,ルーティンのオペレーションにつき,その情報収集努力を節約しうるという,ポジティブな含意さえ発見しうるようになったのである。他方で元扱店は,獲得する濃密な情報を基盤として,ますますその活動の独自性を強めうる条件を与えられることにもなったと考えられる。

重要な点は,こうした一連の変化が漸進的に生じたということである。ここにみたひとつひとつの含意は,事前にその達成が予測されるものでは必ずしもなく,逐次的に発見されていくものであったと考えられる。こうした逐次的な発見の過程は,その過程自体に内在的に,オープンな次なる変化の種を内包したものであったと解釈することも可能であろう。実体としての「組織」というフィクションに縛られることは,こうした動態を見失いかねないことを意味する。管理は「組織」の枠に沿って上から下へ為されるものとして理解されるより,むしろ組織化の過程そのものが,そこに「管理が為されていること」を結果的に定義するものとして理解される。

組織化が不断に為されていたことの痕跡は,「支店」機能の非・均質性が通時的に高まっていったことのうちにも看取された。

三菱合資会社の設立時点では,少なくともその後の時期に比べれば明らかに,各支店は社内鉱物販売手数料収入をその経営基盤とする,比較的「均質な」存在であった。しかしその後,石炭市場の成長と輸送網の整備が門司支店に社外炭取扱業というビジネスチャンスを与え,神戸支店の設立と大阪製煉所の取得が大阪支店にとって金属取扱業務の有した意味を変え,また,諸場所の成長とともに社内金融中継機能のもつ意味がますます高まりゆくなかで,結果的には「支店」が相互に大きな非・均質性を示すようになっていった。こうした「支店」機能における非・均質性の高まりはさらに,各支店の全社的な位置付けをも分化させていくことにつながったが,裏を返せば,この非・均質性こそが,三菱合資会社の成長を差し当たり支えていく受け皿になっていたとも解釈できる。

当時の三菱合資会社が依拠していた,全社的な資金需給調整メカニズムについては,むしろある条件への適応が,そうした条件の克服を可能とし,やがてこのこと自体,進行中の,しかもその多くを実は自らが規定した条件変化に対する不適応をもたらしていった側面が重要であると考えられる。市場の偏在やインフラの未成熟という条件の下,精巧に,且つそうした条件に適合的に構築された全社的な一元的資金需給調整メカニズムは,とりわけ金属部門の計算可能な高利潤に依存しながら,造船部門の拡張や石炭部門の積極投資を可能にしたが,そのようにして可能となった拡張は,造船部門に関しては修船業務から新船建造業務へのシフトを準備し,一般的には経営規模の拡大に伴って,さらなる資金需要の,とりわけ件数増大を招いていった。造船部門の業務シフトは,出金・入金額の大規模化と,そのタイムラグの増幅とによって,資金需給メカニズムを金額面から圧迫する不安定化要因となり,本社による物品購入代行業務の激増は,同メカニズムのルーティン的な運用に対し,業務処理負担の増大という面から圧力を高めていった。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「明治30年代の三菱合資会社が、その著しい成長の過程で、各事業単位をいかに管理していたか」という問題を論じることを課題としている。

あらかじめ構成を示すと、以下の通り。

序 章 課題と問題意識

第1章 資金管理メカニズムの概要――面谷鉱山の事例から

第2章 垂直的多角化の処理(前)――「売炭取扱順序」の検討

第3章 垂直的多角化の処理(後)――「変化」による「変化」

第4章 機能を支えた順応性――「支店」という曖昧な存在

終 章 環境変化と「不断の組織化」

まず本論文の構成に従って主要な論点とこれについての著者の貢献を明らかにし、その上で審査委員会の評価を記すこととしたい。

序章「課題と問題意識」では、上記の課題設定の意味を、A.D.チャンドラーの大企業分析に依拠したこれまでの研究では組織規定などの文言の解釈に止まっていたのに対して、組織を構成する諸要素間の関係とその変容過程を捉えることの必要性から説明する。その上で、「公式的なルールの文言それ自体というよりは、その実際の運用過程に即して、従って、カネやモノ、情報の実際の「流れ方」およびその変化によって把握する」ことを目的として、「見える情報のあり方」に着目して、環境変化と、その主体的な認識としての「認識される変化」と、これに対応する「手続きの変化」の相互関係を検討し、変化の実態を見出していく手法をとる、としている。

続く「第1章 資金管理メカニズムの概要」では、面谷鉱山を事例として取り上げながら、三菱合資会社が、日常的なオペレーションにかかる社内資金循環をいかに管理していたのかという問題を通して、本社・事業単位あるいは事業単位間の関係の変化を追う。そのために著者は、事業単位ごとに作成される会計記録の中から、「資金勘定」と「当座勘定」を取り出し、とりわけ日常的に刻々と変わる関係の変化を知るために、「当座勘定を介した資金管理の方法」に注目して分析している。その結果、「当座預金の一元的管理システム」として見出されたのは、各事業単位の収入が全て本社(ないしは集散地支社)にプールされ、支出の大部分が本社による取引の代行によって遂行されていたことである。このような仕組みは、出入金の機会が都市部に偏在するという状況下で、過剰な資金の流れを発生させずに事業を遂行し、これに伴う資金調整を容易にするものであった。しかし、それは明治30年代を通じて、取引処理件数の増加や造船部門の建造船舶の大型化が進展するなかで不安定さを増し、新たな対応が必要になったという。

「第2章 垂直的多角化の処理(前)」と「第3章 垂直的多角化の処理(後)」では、三菱合資会社の情報管理メカニズムが、九州所在の炭鉱及び支店を中心に検証される。炭鉱と、そこで生産される石炭の販売を担う支店との関係は、三菱合資会社の基幹的な事業基盤の一つであったが、この時期の石炭市場の量的・地理的拡大のなかで、それらを一貫性のあるものとしてコントロールするために三菱合資会社は、どのような方策を講じたのかが明らかにされる。このうち、第2章は「売炭取扱順序」の変遷を追うことによって、単に手続き規定の文言上の解釈ではなく、その頻繁な改正に、三菱合資会社がこの事業の管理に意欲的に取り組んでいたことが示されているという評価を与えたうえで、その改正の繰り返しの中で発見された問題が何であったか、何が解決され、新たに何が問題として生じたのかを論じている。その結果、「売炭取扱順序」の漸進的な修正プロセスは、「実現利益を逐次的に確定させ・確認する」ことから、「積極的な石炭フロー調整を通じた、市況変化への柔軟な対応を可能とする」ことへ向かうものであったこと、それ故に、情報処理区分のあり方は、「収支の発生地点に即したものから、業務のフロー中の収支発生段階に即したものへ、さらには出荷ロットごとの一貫した情報把握を可能とするものへと変化し、情報の集約・加工主体が本社から九州支店に移るなかで、本社機能は専ら監視局面にかかるものへと傾斜を強めた」と指摘されている。

これを踏まえて第3章では、このような手続規定の変更が、各事業単位にとって「見える情報のあり方」をどのように変えていったのかが検討される。そのため、鯰田炭鉱、門司支店、若松支店の取引勘定書の明治31-32年(暦年)、37-38年(37年4月から39年3月)を資料として、そこに記載されている具体的な情報の量的・質的な変化が分析されている。その結果、著者は、第1に「売炭取扱順序」の改正を重ねることによって、取引の規模の拡大にもかかわらず、本社による管理業務負担が加重されることは避けられていたこと、第2に本社が受け取る情報の「希釈化」が、たとえば取引に係わる情報については貸借差引残高だけになるというように、進行していたこと、それにもかかわらず第3に第1章で見たような代行取引に関する処理件数が激増するなど、本社があらゆる意味で具体的な情報から遠ざかったのではなく、それは選択的な情報量の節約の結果であったことなどが、明らかにされる。この分析を通して、手続規定の改正は、取引の効率化を求めるものであったという意図を超えて、合資会社本社が手にしうる情報の質を変化させるものでもあったことが強調されている。

「第4章 機能を支えた順応性――「支店」という曖昧な存在」では、分析対象を大阪・神戸の阪神地区2支店に定め、この両支店が社内の資金循環に果たしていた実態的根拠を探るとともに、これらの支店が果たしていた機能の「曖昧さ」について考察している。鉱山・炭鉱・造船所のような現業的な事業単位では、その期待される機能が明確であるのに比べると、三菱合資会社の各支店が持っていた機能は「明快な位置を定義づけることが困難」だという。鉱物の販売などの機能、社内資金循環の仲介、各事業単位の監督などの諸機能を併せ持っているとはいえ、それらが各支店に一様に備わっていなかったことが、ここでは「曖昧さ」として捉えられ、それらは、近代的なマネージメントが整備されていく過程で生じた過渡的な性格を象徴する存在であったと位置づけられている。それは、一面では、販売関係の業務に特化していくかに見える若松・門司などの支店との対照のなかで、阪神両支店が、阪神地域で収納される鉱物販売代金を実態的な基礎として、全国各事業単位で発生する資金需要に応じ、さらに本社に余剰資金を還流させることで、本社の当座預金一元管理システムの運用を側面から支えていたという実証によって導き出されたものであった。この結果、「支店」と称される組織間にそれぞれ機能的な分岐が発生することになるが、このような結果が生じたことについて、著者が強調するのは、それがあらかじめ設計された方向に沿って整備されたというよりは、日々生じる新しい事態への対応のなかで、漸進的に選び取られてきたものとして、企業成長の基盤となったということである。

終章では、以上の考察を「環境変化」と「不断の組織化」という視点で整理し、市場の空間的な拡大という変化が進むなかで、三菱合資会社がその組織のあり方を漸進的に変容させ、必ずしも事前的には予測し得ない問題への対応のなかで、「支店」の機能の「非・均質性」を高めたことが企業成長を支える条件であったこと、それとともに構築された「全社的な資金需給調整メカニズム」は、こうしたなかでその変容が迫られる条件も生じていた、との展望を示して稿を閉じている。

本論文は、多角的な事業展開が全国的な広がりのなかで進展する三菱合資会社時代について、これまでは漠然と明治末の事業部制の形成、そして第一次大戦期の持株会社組織の設立へとつながる事業の多角化と捉えられてきたのに対して、三菱合資会社がその事業全体をどのようなかたちで組織的に管理しようと試みていたのか、という分析視角から論じた、初めての本格的な研究ということができる。

この目的を果たすために、著者は三菱史料館が所蔵する「取引勘定書」などの資料群を丹念に読み解き整理し、日常的なオペレーションのあり方の変化を追うことによって、それぞれの事業単位が委ねられていた機能がどのようなものであり、そこには事業所相互、本社事業所間の関係の変化がどのようなかたちで現れてくるかを明らかにしている。この点は、著者の粘り強い資料解読と考察の成果として極めて説得的であるということができる。また、その中で、資金的には本社の一元的な管理が実現され、資金面から各事業単位を監視することが可能な条件を備えていたことを明確にしたこと、さらに、そうした仕組み自体が、たとえば石炭販売の効率的な手続規定の整備のなかで、情報の希釈化という新しい問題を発生させていたことを指摘したこと、阪神地区支店が機能的には社内資金循環の重要な環としての役割を高めていくうえでは、鉱物取引に係わる代金の収納がこの地域に集中したことが実態的な根拠をもっていたことなど、実証的に明らかにされた事実は貴重なものである。

それに加えて、著者は、この論文を通して、これまでの財閥史研究がその組織を論じる際に専ら用いてきた「規則」等の文言の解釈から脱して、実態的な組織のあり方に迫るために、その組織が日常的に遂行している業務に注目し、その業務遂行上で発見された問題を解決していく過程で生じる変化の漸次的な積み重ねが、組織のあり方そのものを変えるという視点を強調している。この点は、分析の焦点の定め方、組織の分析の仕方に係わる重要な方法的問題提起と評価しうる。このような意欲的な取組みは、この論文を跳躍台として著者の研究活動が一層の飛躍を遂げることを期待させるものである。

もちろん、そのために考察を深めるべき問題点も残されている。何よりも指摘しておくべき点は、著者が、その分析視角を説明するために引用した、カール・E・ワイク『組織化の社会心理学』の論理が適切であったかどうかについて疑問があることである。企業活動が日々新たな問題に直面し、その解決を図るために業務を見直し、それによって組織のあり方それ自体が変化するという意味で、企業ないしは企業組織が動的な存在であるという捉え方であれば、ワイクを敢えて引用するまでもないだろう。その意味では、序章と終章において、分析の枠組みや実証的成果の持つ含意について、著者自らの考え方をていねいに説明する必要があったように思われる。実証分析の緻密さに比べて、こうした論文全体にかかわる説明に不十分さが残ったことが惜しまれる。

このような問題点があるとはいえ、本論文に示された先行研究に対する批判的な検討と、実証的な研究の卓越した成果は、著者が自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学界に貢献しうる能力を持っていることを明らかにしている。従って審査委員会は全員一致で、本論文の著者が博士(経済学)の学位を授与されるに値するとの結論を得た。

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