学位論文要旨



No 126267
著者(漢字) 増田,好純
著者(英字)
著者(カナ) マスダ,ヨシズミ
標題(和) ナチ・ドイツにおける労働動員 : ドイツ人、外国人、強制収容所囚人:ユンカース航空機・発動機製作所を事例に
標題(洋)
報告番号 126267
報告番号 甲26267
学位授与日 2010.04.22
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第994号
研究科 総合文化研究科
専攻 地域文化研究
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石田,勇治
 東京大学 教授 柴,宜弘
 東京大学 教授 相澤,隆
 東京大学 准教授 外村,大
 東京大学 特任准教授 川喜田,敦子
 東京大学 客員教授 Foljanty,Gesine
内容要旨 要旨を表示する

本論文は、ナチ・ドイツにおける労働動員の問題を、ドイツ航空機産業、とくに当時のトップメーカーであったユンカース社に着目して分析する。

ナチ体制下のドイツ航空機産業は、他の産業分野に劣らず多数の外国人や強制収容所の被収容者(以下、便宜的に囚人)を強制的に労働動員した。にもかかわらず、ほとんどの航空機製造企業が戦後まもなく解体されてしまったため、ユンカース社を筆頭とするドイツ航空機産業は、近年の強制労働補償論議に触発された研究ブームにおいても関心を呼ぶことなく歴史の闇に埋もれてきた。本論文は、このような研究史上の欠落部分を解明するとともに、当時の「ハイテク産業」において大規模な強制労働が遂行されるに至った背景及びプロセスの分析も行うものである。

第一章では、ナチ強制収容所システムが囚人の労働動員を政策的に整備していく論理、過程を検討した。ナチ強制収容所システムは、ヒトラー政権成立当初より「敵対者」」と見なした様々な人々を隔離するとともに、彼らに労働義務を課していた。やがて、国家プロジェクト(都市建設計画、東方入植事業など)が囚人労働の目的を変化させ、収容所当局は労働動員体制の整備を推進する。囚人労働の目的の変容は、「敵対者」を隔離する論理をも変化させていった。収容所当局は、労働による「矯正機能」、「刑罰の効率化」や「社会全体の利益」を強調し、「共同体異分子」の隔離・抑圧と労働動員という二つの機能を結合させる。これは、強制収容所システム内部に「抑圧」と「労働」の共存関係を構築した。「抑圧」と「労働」は、収容所当局の見解では何ら矛盾することなく共存し、強制収容所システムが「敵対者」を「迫害・抑圧」しつつ、「労働力」としても活用することを可能とした。そして戦況の分岐点であった独ソ戦の停滞は、ドイツ戦争経済における囚人の大動員に道を開き、ドイツ全土に小収容所ネットワークを構築するに至るのである。

第二章では、ナチ・ドイツ最大の航空機企業へと成長したユンカース社のプロフィールを、第一次世界大戦前にさかのぼって跡付けた。創業者フーゴー・ユンカースは、1900年代初頭の航空技術の発展と第一次世界大戦の勃発を契機として航空機・軍用機製造に進出し、ヴァイマル期には技術的成功をつうじて世界的な航空機企業ユンカース社を築いた。航空軍事テクノロジーの発達とヴァイマル期秘密再軍備政策は後のユンカース社発展の礎石をつくったが、その一方で政府・国防軍による軍事的要請は私企業としての同社の独立性を幾度にもわたって脅かしてもいた。ヒトラー政権の誕生は、航空戦力にかかわるナチ党および政府方針を貫徹するための強硬措置に弾みをつけ、最終的にユンカース社の国有化をもたらした。国有化されたユンカース社は、ハインリヒ・コッペンベルクを新経営者に迎えて、ナチ期の航空軍備を積極的に推進していくことになる。このようなナチ期ドイツ航空機産業の顕著な特徴は、新生空軍建設の立役者ゲーリングの影響下に抜きがたく組み込まれたことにある。国防軍や航空省の「合理的な計画」にではなく、官僚の頭越しにナチ党指導層と結合したドイツ航空機産業は「ナチズムの申し子」に他ならなかった。

第三章では、国有化以後のユンカース社における経営戦略、ドイツ人労働者をめぐる労務政策を、新経営者コッペンベルクの経営方針に着目して分析した。ナチ期のユンカース社発展の原動力は、新経営者コッペンベルクによるアメリカニズム(フォーディズム、テイラーシステムなど)の受容にあった。彼のフォーディズム的経営方針は、ユンカース社の拡大を推進し、1934年から1938年にかけて、同社を屈指の総合航空機メーカーに押し上げることになった。他方、急激な企業の拡大は、住環境の悪化や離職率の増加による慢性的な労働力不足を招き、ユンカース社本体の経営に深刻な影響をも及ぼしていた。コッペンベルクは、ここでも同様にアメリカ的な処方箋、すなわち「工場共同体」理念を抜本的な解決策と考えたのである。彼は、従業員を「工場共同体」に理念的に統合し、「企業の健康と活力」を強化することを狙ったのである。とはいえ、彼の「工場共同体」運動は奏功しなかった。包摂による効能とは逆に、「工場共同体」理念は、副作用たる抑圧と排除の論理をより先鋭化していく。「共同体」への人々の統合を求める「工場共同体」理念は、ヴァイマル期から「我々」と「他者」との間に線引きする点で人種主義的思考と一定の親和性を持っていたが、これはナチ期の「指導者原理」により強まっていったからである。従って、ユンカース社の戦前期の労務政策は、統合策と同化拒否者への規律措置という二面性によって特徴付けられ、これは同社が戦況の悪化による一層の労働者不足から外国人や囚人を労働力として取り込んでいく過程で、様々な相貌を見せていくこととなる。

第四章では、ユンカース社が外国人、最終的には強制収容所囚人の動員に至る過程を、ドイツ人従業員の「工場共同体」理念における「包摂」と「抑圧・排除」の論理の変容と対照させつつ考察した。「若い産業」であるドイツ航空機産業、とりわけ急激に企業規模を拡大したユンカース社は、従業員が徴兵年齢世代へ集中するなど、戦時における労働力不足を運命付けられていた。やがて、第二次大戦の勃発はこの従業員構成の孕む問題を顕在化する。ユンカース社経営陣は、ドイツ人からのリクルートを長期的には期待できないと判断し、外国人の動員に踏み切った。フォーディズムに基づく「合理化」は、補助労働者としての外国人の大規模な動員を可能とし、従業員に占める彼らの割合は増加の一途をたどる。ユンカース社の外国人労働者政策の顕著な特徴は、イデオロギー的にドイツ人と親和性があるとされた西欧人のリクルートに積極的だった点にある。ユンカース社における西欧系外国人の割合は極めて高く、これは主に東欧系外国人に依存したナチ・ドイツの一般的な傾向とは正反対であった。また、西欧系外国人の大動員は、ユンカース社における「工場共同体」理念の存在感を弱めるとともに、外国人を包括するための新たな統合原理、いわゆる「ヨーロッパの労働者共同体」理念の発動をもたらした。だが、ユンカース社における労務政策の実態は、統合プロパガンダとは裏腹に、ドイツ人を頂点とする階層構造に外国人を組み込むものであった。共同体異分子である外国人への「規律措置」の先鋭化は排除・抑圧の論理を強化し、統合策は事実上後退したのである。とはいえ、そうした一般的な傾向がドイツ人住民の外国人に対する無関心さとして表出する一方、労働現場というミクロレベルでは、ドイツ人と外国人による直接の交流がナチズムの国籍・民族の階層化理念を融解させる作用を、限定的とはいえ及ぼし得たことは注目すべき現象であった。

やがて、ドイツ航空機産業全体でも労働力不足がさらに顕著になると、外国人に次ぐ労働力源として強制収容所囚人の動員が始まった。ドイツ航空機産業は、ナチ指導層との緊密な関係を利用し、他の産業分野に先駆けて強制収容所システムとの結びつきを強化していく。ユンカース社もまた、囚人の試験的就業を「成功」と評価し、より多数の労働動員に踏み切った。ユンカース社における囚人動員の特徴は、それが外国人労働者に対する労務政策の延長線上に位置付けられうる点にある。積極的な「合理化」は囚人の大規模動員を可能にしたし、労務担当者は、工場の製造工程に西欧系囚人を好んでリクルートしていった。西欧系囚人を優先的に調達する方針には、単にイデオロギー的な考慮だけでなく、すでに西欧系外国人を基盤とする就業構造が製造過程に構築されており、現場での言語を可能な限り統一するといった合理的な計算も働いていた。また、東欧系囚人が過酷な処遇によって衰弱していたという事実もこれに拍車をかけたといってよい。このように両者の労務政策に共通する要素が見られる一方、囚人の労働条件は外国人に比べて著しく劣悪であった。閉鎖的な収容所での起居や低劣な給養を強いられただけでなく、「労働に不適」あるいは「労働力喪失」と判断されれば基幹強制収容所への容赦ない「返送」措置―その後、多くが死亡-に付されることもあった。囚人にとっての「労働動員」は、まさに死と隣り合わせだったのである。

上記のように、ドイツ人、外国人、囚人の労務政策には共通項とともにドイツ社会での階層構造に応じた排除・抑圧措置が先鋭化した実態を見出すことができるが、ユンカース社の「工場収容所」労働現場というミクロレベルにおいては、ドイツ人を頂点とするヒエラルキー構造を乗り越えようとする動きも活発となった。製造工程では三者の業務上のコンタクトをきっかけとする個々人間の接触は避けようがなかったからである、つまり、ミクロレベルでは、ナチズムの階層構造は「工場収容所」における様々な人間集団の共同作業をつうじて、一定の緊張緩和作用にさらされたと言ってよい。もっとも、そうした人間関係の多様性は、「工場収容所」のヒエラルキー構造を根底から覆すものではなく、収容所の撤退局面では一時的な現象だったのではあるが。

本論文の結論は以下のようなものである。ユンカース社を筆頭とするドイツ航空機産業は、ナチ指導部とのきわめて密接な結びつきを利用し、軍需政策上の高いプライオリティを獲得しつつ、ナチ体制下の労働動員政策で先駆的な役割を果たしてきた。従って、ユンカース社もまた、ドイツ経済全体からみれば早い段階で外国人や囚人の生産工程への投入に移行するに至った。

また、フォーディズムを追求したユンカース社は、合理化を強力に推進し、外国人と囚人の製造工程への投入を容易にするなど、そのアメリカ的な合理化思想はナチ・ドイツにおいて「強制労働」という極端な形態に到達した。

一方、ユンカース社は、様々な社会問題に対しても「工場共同体」というフォーディズム的社会工学の実験にも乗り出していった。「工場共同体」理念は、労使対立の調停を目指すという点においてはヴァイマル期・戦後も継続する問題意識であったが、ナチ期の特徴は労使関係が垂直型の「指導者原理」へと転換されたことにあった。「指導者原理」に基づくユンカース社の「工場共同体」理念は、やがて「我々」と「他者」に対する統合と抑圧・排除の二面性を先鋭化させていくことになる。特に囚人は、「共同体異分子」の最たる者としての位置づけから、統合を全く意図しない選別と排除の論理に従って処遇されることになった。

しかし、労働現場というミクロレベルでの様々な人間関係の変化に目を向けるとき、ドイツ人、外国人、そして強制収容所囚人の間でナチズムのイデオロギー的な壁を乗り越えようとする多様な動きが見られたことは注目すべき点であった。

審査要旨 要旨を表示する

増田好純氏の学位請求論文「ナチ・ドイツにおける労働動員-ドイツ人、外国人、強制収容所囚人:ユンカース航空機・発動機製作所を事例に-」は、ナチ体制下のドイツで繰り広げられた強制労働、とりわけ航空機産業におけるその特質を、当時ドイツ最大の航空機・軍用機製造会社であったユンカース社の労務政策と経営理念、そして労働現場の実態に着目して、明らかにしようとするものである。

ナチ時代の強制収容所システムは、国家的テロ支配の要をなすとともに、被収容者(囚人)の労働力を様々な国家事業に振り向けることで独自の労働動員体制を確立した。第二次世界大戦、とくに独ソ戦が混迷を深める頃から、収容所の囚人は、占領地から連行された外国人労働者とともにドイツ戦争経済の現場、すなわち国家、軍、自治体、企業などが設けた多様な労働現場に動員された。当時、ドイツの有力企業で強制労働者を働かせていないところなどなく、親衛隊(SS)が管理する強制収容所の外部収容所を建てて囚人動員を行った会社はダイムラー・ベンツ社、フォルクスワーゲン社を始め、何百もの大企業に及ぶ。本論文が扱うユンカース社もそのひとつであるが、他社に先駆けて外国人、囚人の労働動員に踏み切っていたのである。

本論文は、問題設定と研究史に紙数を割く序章と、結論部の「おわりに」を除いて、四章で構成されている。

第一章「強制収容所システムの成立と展開(~1941/42年)―政敵の撲滅からSSの労働力へ」では、ドイツ企業が囚人労働力の獲得に乗り出す前提として、当初、政敵の拘禁を目的として設置された強制収容所が、次第に強大な労働動員体制の中核をなすにいたる過程が、戦前の都市改造事業への囚人動員から戦時下の「東部入植事業」への囚人動員を経て、独ソ戦のなかで大規模な囚人労働の必要性が軍需当局に認識されるまで、詳しく分析される。

第二章「ヴァイマル期からナチ期初頭におけるユンカース社の前史的展開」では、ユンカース社の発展を創設期の第一次世界大戦に遡って、創業者で技術者のフーゴー・ユンカースの人物像にも迫りながら、ヴェルサイユ条約で軍用機の保有・開発を禁じられた敗戦後のドイツで、ユンカース社が世界的な航空機メーカーに躍進する経緯を分析している。ただしユンカース自身は、航空機関連企業を秘密再軍備戦略の一環に組み入れようとする政府・国防軍と微妙な緊張関係にあり、ナチ政権が成立すると同時に影響力を奪われ、ユンカース社はナチ・ドイツの再軍備を担う国策会社として再出発することになる。

第三章「ユンカース社における労働動員―ドイツ人従業員の『工場共同体』」では、ナチ体制下で国策会社となったユンカース社が第二次世界大戦の勃発まで進めた合理化政策とドイツ人に対する労務政策が、経営を任されたコッペンベルクの標榜する「工場共同体」理念と関連づけて分析される。これは、ヴァイマル期の労使協調主義に起源をもつが、フォーディズムの影響をも強く受けていた。企業をひとつの共同体に見立ててドイツ人従業員を統合することを目的とするこの理念は、ナチ体制下の労働現場で「共同体異分子」を排除する論理として作用していたことが明らかにされる。

第四章「ユンカース社における労働動員政策の先鋭化―ドイツ人から外国人、囚人へ」では、大戦勃発で深刻な労働力不足に見舞われたユンカース社が外国人、とりわけフランス、ベルギーなど西ヨーロッパ出身の労働者の大量動員を始める経緯と、それを可能にした生産工程の合理化・簡素化過程が分析される。またこの時期、「工場共同体」と並んで提唱された「ヨーロッパ労働者共同体」の含意と実態が明らかにされる。やがて独ソ戦が停滞すると、強制収容所の囚人の労働動員が始まるが、本章ではユンカース社がこの時期に設けた外部収容所におけるドイツ人、外国人、囚人がどのような人間関係を結んで労働に従事していたかが分析される。

結論として増田氏は、ユンカース社に代表されるドイツ航空機産業はナチ指導部との密接な結びつきと戦争遂行上の要請から、比較的早い段階で外国人、囚人の生産工程への投入に移行したことを強調する。そして、コッペンベルクのもとでフォーディズムを追求したユンカース社が企業規模の急速な拡大と合理化を推し進め、外国人、囚人の製造工程への投入を技術的に容易にしたこと、さらには「工場共同体」の理念がナチズムの「指導者原理」結びつき、やがて労働力の重点がドイツ人から外国人、囚人へと移行するに連れて、労働者の統合と排除・抑圧を正当化する、労務政策の基盤となったことを指摘している。

本論文の意義は、次の四点にまとめられる。

第一に、ナチ時代の重要な軍需産業でありながら、戦後に後継企業がないままに解体され、史料の大部分が失われるか散逸したため、長らく歴史研究の俎上に上ることのなかったユンカース社の強制労働の実態を、ドイツ内外13カ所の文書館で行った悉皆調査、徹底した史料渉猟と綿密な分析によって解明した点にある。その意味で本論文は、すでに汗牛充棟の観のあるナチズム・強制労働研究の間隙を埋める優れた実証研究となっている。

第二に、ユンカース社の労務政策の特質を、「工場共同体」と「ヨーロッパ労働者共同体」の二つの理念にそって、その歴史的展開過程を踏まえて、精密に論究したことである。

第三に、同時代のフォーディズムに代表されるアメリカ流の経営原理がユンカース社に代表されるドイツ航空機産業に及ぼした多大な影響を明らかにしたことである。とくに生産工程の機械化と簡略化によって、外国人と囚人を大量動員する基盤が築かれたという指摘は、アメリカ発の経営理念が、人種で労働者を階層化したナチズムのイデオロギーと結合して、強制労働の極端な一形態を生み出したという指摘とともに、第二次世界大戦下の労務政策の国際的連関を示唆する注目すべきテーゼとなっている。

第四に、強制収容所の外部収容所という企業が設けた労働現場に分析のメスを入れ、ドイツ人、外国人、囚人が顔をつきあわせる現場の実態、つまりナチズムの人種ヒエラルキーが構築される一方で、その秩序を乗り越えようとする多様な人間関係が展開されていたことを明らかにしたことである。これは、戦争末期のドイツ社会の水面下で生じたドイツ人のナチズムからの離反傾向を示唆しており、戦後史研究とも接合する重要な論点となっている。

むろん本論文にも欠点がないわけではない。全体的に見て第一章の比重が大きく、後続の三つの章とのバランスとつながりが悪いこと。ユンカース社の労務政策がドイツ航空機産業全体の中でどのような位置をしめるかが不明瞭であること。労働現場のミクロ分析とはいえ、取り上げた事例が限られており、看取される現象から一般的なテーゼを導き出すことができるのかという未解決の問題が残る。しかし、これらの諸点は、本論文の大きな成果に照らして瑕瑾という他なく、本論文全体の価値を損なうものではない。

したがって、本審査委員会は、全員一致で、本論文が博士(学術)の学位に相応しいものと認定する。

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