No | 126229 | |
著者(漢字) | 野中,哲士 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | ノナカ,テツシ | |
標題(和) | 環境の配置の改変行為における行為の柔軟性の検討 | |
標題(洋) | On Flexibility of Action and its Ecological Foundations | |
報告番号 | 126229 | |
報告番号 | 甲26229 | |
学位授与日 | 2010.03.24 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(学際情報学) | |
学位記番号 | 博学情第33号 | |
研究科 | 学際情報学府 | |
専攻 | 学際情報学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | わたしたち動物の行為の事実として,同一の目的を達成する行為は,使用する身体部位において、身体各部が組み合わせられていく過程において、また行為が環境内に具現するその経路において見せる多様性を見せる.このような行為の特性は「柔軟性」と呼ばれる.20世紀末になって,発達心理学者のE.J. Gibsonは柔軟性の問題を現代の心理学が取り組むべき最重要課題のひとつとして挙げた.その背景には,現代の心理学において依然として根強いデカルトに起源をもつ機械論的なアプローチが,固定的な行動パターンには還元できない非機械的な特性である柔軟性と本質的に相容れないものであり,その意味において,柔軟性の検討が,現代の心理学研究に対して重大な問題を提起するという認識があった.本論文はこの柔軟性の問題,すなわち「一定の目的を,変異を伴いつつも達成する行為はどのようにかたちづくられているのか」という問題に対して,従来の理解を補う実証的知見をもたらすことを目的とするものである. 心理学においては,柔軟性の扱いは断片的で,個々の実験パラダイムの小さな枠組の中で語られることが常である.第一章では,心理学研究の流れの中で柔軟性の問題に言及した二つの領域,運動発達研究と問題解決研究における代表的な成果を辿っていった結果,「行為の発達および学習は動作の画一化へと向かうのではなく,目的達成の安定化のもとでの手段および動作の多様化へと向かう」という共通する柔軟性の事実と問題が提示されていること,しかしその一方で同種の事実に対する異なる解釈が存在することが示された. 柔軟性の問題に関連するこれらの研究の共通の参照点となっている発達心理学者Piagetの理論では,環境への適応を促進する調整の獲得として柔軟性の発達が包括的に扱われる.Piagetの理論においては,外的対象に向かう行為が注目され,シェマと呼ばれる感覚運動的概念に包摂される外的対象の価値が,目標物との関係において"障害物","仲介物"といった異なる価値を帯びる可変性をもつことが,目的に異なる手段を用いる行為の柔軟性の獲得の背景にあるとされた.換言すると,Piagetの理論においては,外部の物や対象を同化している感覚運動シェマという要素が,多様に組み合わされることが柔軟性をもたらすと説明された. 心理学における仲介物を用いる問題解決行動の発達研究は,Piagetの理論を前提として,乳児がどのように二つの物を扱う行為を組み合わせるかという問題を設定し,検証する実験を繰り返してきた.しかし,こうした実験からは,行為の柔軟性が複数の物を扱う行為要素の関係づけに還元できるのかという,実験の前提に関わる問題については言及できない.柔軟性の問題を根本から問うためには,まず一旦,環境と行為を簡略化する実験状況から離れて,前提をおかずに現実世界で生起する生きた日常行為の柔軟性をあらためて直に観察しなおす必要がある. 第一章の問題提起を受け,第二章の「乳児のブロック集めの観察」では,柔軟性の獲得としばしば結びつけて論じられてきた複数の物を扱う行為について,一歳代の乳児の日常生活場面で自発的に生起した場面を抜き出して検討した.二つの物を関係づけるという実験パラダイムを離れ,日常生活において,乳児が複数のブロックを容器へと様々な仕方で集める場面を詳細に観察,記述した結果,ひとつの物,対象といった離散的な単位よりもむしろ,さまざまなレベルにおける環境の配置が行為を制約しており,行為にとって利用価値をもっているという事実が浮かび上がってきた.この事実は,感覚運動概念に包摂されている対象を関係付けることで柔軟性が生じるというPiagetによる解釈の枠組みにはおさまりきらないものだった.観察した乳児のブロック収集場面においては,容器の平らなフタを構成する表面の配置から,複数の対象がなす配置にいたるまで,環境の配置はさまざまなレベルで乳児の行為に機会,および制約を与えていた.行為を制約する環境は明確な区切りをもつものではなく,複数の対象および表面が織りなす多層的な関係であった.一方で,配置を利用する行為もまた,離散的な動作からなるのではなく,複数の機能を遂行する行為が互いを可能にするような相補的な結びつきを見せていた.新たな柔軟性の事実が見出される一方で,第二章では複数の物の配置換えに伴う環境の変化を反映するダイナミックな行為の柔軟な組織がいかにして可能なのかという問題も浮上した. 第三章の「配置を変形する行為-画家によるデッサンのダイナミクス」は,第二章で浮上した問題を背景としている.複数の物を扱う行為のように,周囲の物の配置を変化させる行為は,常に周囲の環境の変化に直面しており,変化する環境のもたらす制約の探索によって,後続の行為が常に変化する環境の中で柔軟に調整されなければならないことを意味する.わたしたちの行為が常にこうした周囲の変化に晒されていることを考慮すると,柔軟性のダイナミクスの側面の検討は,日常行為の柔軟性を理解するためには不可欠なものである.第三章では,習慣的にデッサンを行っている二人の画家の描画行為を検討対象とし,ビデオ観察では記述することが難しい身体運動の時間変化のパターンを3次元モーションキャプチャーシステムによって計測し,非線形時系列解析などの手法を用いた検討を行った.描画行為の間,モチーフと画面は画家の左右前方に配置され,描画の間一定の配置関係にあった.一方で,描画の進行とともに画面は変化し,画面が与える描画行為への制約の変化に応じて,画家が二つの表面(モチーフと画面)を見る方法は柔軟に変化していった.二人の画家に共通して,白紙の画面に向かう序盤の時間帯では,鉛筆を持つ右手が動きつつも,頭部と体幹の位置変動は小さく保たれており,頭部が早く周期的に転回することで左右に配置されたモチーフと画面が交互に固視されることで,鉛筆をもつ手の運動を画面に記録することとモチーフの視覚的な探索の共起が可能となっていた.対照的に,画面が完成に近づいた時点では,画面と頭部の距離が長く取られ,頭部の周期的な転回が見られなくなり,画家はしばしば鉛筆を止め,頭部,体幹,鉛筆をもつ右手を一斉に画面から離して左右のモチーフと画面が見られていた.また,特に冒頭の場面において,視覚的探索と描画操作を組織化する画家の行為の背景には,鉛筆をもった手の動きと頭部の動きを吸収するような非機械的な体幹運動のダイナミクスの存在が示唆され,運動協調のダイナミクスも,画面の変化を反映しつつ変化していたことが示された. 第四章の総括論議では,行為が埋め込まれた環境の記述に関する問題が考察されている.本稿の二つの実証研究では,柔軟性の観察事実を捉えるために,個々の物や各部位の動作といった離散的な行為要素とその組み合わせという記述単位に代えて,行為に制約をもたらすものとしての環境の複数の物や表面が織り成す関係としての配置という,行為が埋め込まれた場面の全体的な構造をとらえることのできる記述単位が必要となった.運動学におけるダイナミカルシステムズアプローチのように動作の組織そのものを問題とするのではなく,周囲に存在する何に対して行為が調整されているのかということに視点を繋留した結果,本研究では,行為の問題が,行為を制約し,行為に利用される環境の適切な記述単位とは何かという問題へと収束していった.環境の記述が行為研究の問題となることは,柔軟性の問題に関連する現代の研究が広く見過ごしてきたことである.この点について,動物の知覚の問題を環境の記述の問題へと帰着させた知覚心理学者Gibsonによる環境の記述と本研究との関連について言及しつつ考察している. 第四章ではまた,環境の配置という単位を通して記述された,既存の知見を補う柔軟性の事実について考察がなされている.本研究で観察された柔軟な行為では,乳児や画家が利用している環境,および達成している目的が,その時々において一つだけではなかった.たとえば,乳児はブロックを拾うと同時に,頭部を立てて周囲を見回し,容器のフタにブロックを載せ,フタをお盆にように用いてブロックを容器に運ぶとともに,次なるブロックとフタと身体の間に目的達成を可能にする関係を探索していた.それぞれの機能は,互いを阻害しない形で結びついており,一方は他方を可能にしていると同時に,またその逆も成り立つような関係であった.また,乳児においても画家においても,行為はさまざまな配置が与える制約と機会を反映していた.環境の配置の制約の中で,このように相補的に結びつく行為の組織は,手持ちのシェマを手段,目的といった形で一方向的に関係づけるシェマの協応という図式では捉えられない.本研究では,行為が埋め込まれた環境の配置の記述を通して,物や動作を切り取って「複数の物を扱う行為要素の関係づけ」を検討する実験設定からは捉えることのできない,「環境の配置の制約の中で生起する行為群の相補的な結びつき」という柔軟性の事実が浮上した.本稿で示された事実は,従来の行為研究の統制実験からは言及できなかった柔軟性の側面であり,柔軟性という特性が,環境のさまざまな配置がもたらす多様な機会や制約と,これらの制約を反映する入れ子になった行為が相補的に結びつくことに伴って生じる特性であることを示唆するものだった. | |
審査要旨 | 本論文は、同一の目的を達成する行為が、その経路において多様性を見せること、いわゆる行為柔軟性(flexibility)を主題としている。本論では異なる二つの行為を対象とし、それぞれに応じた解析法を模索し、柔軟性の現象を心理学研究の俎上に載せることと、部分的にその性質を明らかにするという成果を得た。論文の全体は序論と総括的議論に、二つの実証的な研究を挟んだ4章構成である。 まず、第一章、序論では、これまでの心理学研究で柔軟性の問題がどのように議論されてきたのかが展望された。とくに序論が古典的理論モデルとして参照したのはピアジェ理論である。そこでは行為の向かう外的対象が、「障害物」や「仲介物」などと価値付けられることで、目標と可変的に結びつくことを「柔軟性の獲得」と定義し、柔軟性は「感覚運動シェマ」とよばれる内的認知構造が可能にしていると説明されていた。ピアジェ理論の流れを汲む現代の認知発達研究では「柔軟性」は、複数物の系列関係のみに還元される傾向が指摘された。序論はその結論で、行為柔軟性の問題をこの種の理論にもとづく一つの実験パラダイムに閉じた枠組みから放ち再定義するためには、行為をそれが埋め込まれている環境と共に観察する作業からはじめなければならないということを導いた。 第二章では、序論の議論を踏まえ、日常生活の場で、幼児が多数のブロックを扱う自発的遊び(配置つくりとかたづけ)行為を、1歳代の数ヶ月にわたってビデオで縦断的に記録し、詳細に解析した。反復されたブロックを両手や、容器の蓋を用いて容器へと収集、収納する場面の観察は、幼児を包囲するそのつど成立している多種・多層なレベルの環境の配置(layout)が行為を強く制約し、その進行と発達に関わっていることを明らかにした。また配置を探索し、その意味を発見し、改変して利用する幼児の行為は、多様な機能的姿勢(しゃがみこんだままで、あるいは座位でのバランスを調整しながらの移動など)が創発し、獲得されることで可能になっていた。行為は、包囲する配置に姿勢が組み合うかたちで具現していた。 第三章では、二人の熟達した美術系大学卒業生のいずれも2時間を越えるデッサン過程を解析した。描画している身体各部の動きの時間変化のパターンを、3次元モーションキャプチャーシステムで計測し、非線形時系列解析(RQA)などの手法を用いて検討を行った。描画の進行とともに変化する画面が与えただろう描画行為への制約に応じて、描き手による二つの表面(描画対象とキャン第三章では、二人の熟達した美術系大学卒業生のいずれも2時間を越えるデッサン過程を解析した。描画している身体各部の動きの時間変化のパターンを、3次元モーションキャプチャーシステムで計測し、非線形時系列解析(RQA)などの手法を用いて検討を行った。描画の進行とともに変化する画面が与えただろう描画行為への制約に応じて、描き手による二つの表面(描画対象とキャンバス)への視覚的探索は変化した。描画開始の時間帯では、2名共、頭部と体幹の変動は小規模で、頭部は急速かつ周期的に転回し、左右に置かれた対象と画面が交互に固視された。鉛筆を操作する手の動きはこの視覚的挙動と共起していた。描画後期では、画面と頭部の距離が離れ、頭部の周期的な転回は消失し、手の動きには長い休止が現れた。全身運動の時系列ダイナミクスの解析では、特に冒頭で、視覚的探索と描画のための操作の両方を吸収する体幹の動きの存在が発見され、描画行為組織が画面の変化を反映した全身のマクロな運動協調として成立している可能性を示した。 第四章の総括論議では、まず柔軟性の問題に関連する現代の諸研究において、環境の記述が行為研究の課題となりうることが看過されてきたことが指摘され、行為に制約をもたらす環境の配置という、行為が埋め込まれている場の全体的な構造を記述できる単位を分析する必要性がギブソンJ.J.の生態心理学などの理論を参照しつつ主張された。また柔軟性が、環境のさまざまな配置がもたらす多様な機会や制約というレベルと、これらの制約を反映することで、そこに入れ子化した行為のレベルが相補的に結びつくことによって創発する特性であることが述べられた。 従来の心理学は行為自体やその背景をなしていると考えられてきた内的構造に中心化し、それらを内包している環境にまで視野を広げることは希であった。この動向を批判する生態心理学でも、現在の研究の中心は行為システムのダイナミクスに置かれ、それらと相補的な環境の具体については十分に研究が進んでいない。本論文はこのような現状に、「複数物の配置」や、表現における「対象と表現表面と知覚システムの3者関係」という研究の場面を提供するものであり、オリジナルな貢献が期待できる内容をもつ。柔軟性についての理論的議論と二、三章の実証的研究はそれぞれ今後より深化・洗練させられることが必要であるが、新しい観点を浮上させ、その研究可能性を具体化したことは高く評価できる。本論文の成果の一部はすでに国際的な学会誌にも掲載され注目されている。柔軟性問題は、認知と行為に関連する多領域を貫く課題であり、今後ますます重要となる学際的問題でもある。この主題に新たな知見をもたらした本論文の意義は大きいと考えられる。よって本審査委員会は、本論文が博士(学際情報学)の学位に相当するものと判断する。 | |
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