学位論文要旨



No 125566
著者(漢字) 永井,佑紀
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,ユウキ
標題(和) 鉄系超伝導体の超伝導対称性に関する理論的研究
標題(洋) Theoretical study of pairing symmetries in iron-based superconductors
報告番号 125566
報告番号 甲25566
学位授与日 2010.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第5474号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 青木,秀夫
 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 教授 内田,慎一
 東京大学 教授 瀧川,仁
 東京大学 教授 小形,正男
内容要旨 要旨を表示する

2008 年2 月に東工大細野グループによって報告された鉄系超伝導体は、その超伝導転移温度Tc の高さと組成の組み合わせの豊富さから現在世界中で非常に精力的に研究されている。鉄系超伝導体は鉄を含む二次元的な伝導層を持ち、ドープを行うことで超伝導相が生じる。また、何もドープをしない場合には磁性相を持つ。これらの性質は、二次元的な伝導層を持ち母物質が絶縁体である銅酸化物超伝導体によく似ている。鉄系超伝導体がなぜTc が高いのか、どのような超伝導発現機構を持つのか、を調べることは、鉄系超伝導体に限らず高温の超伝導体を探索する上で重要である。また、鉄系超伝導体は鉄の複数の3d 軌道がフェルミ面を構成しておりマルチバンド的な系となっている。鉄系超伝導体の研究を通じて、より普遍的な、系のマルチバンド性が様々な物理量に与える影響を研究することも大きな目的の一つである。

鉄系超伝導体で実現している超伝導の候補の一つに、±s 波超伝導がある。±s 波超伝導とは、超伝導ギャップはフェルミ面上のすべての領域で開いているという意味でs 波超伝導的であり、複数のフェルミ面間で超伝導秩序変数の符号が異なる超伝導である。しかしながら、異なるフェルミ面上で超伝導秩序変数の符号が異なるという性質を実験的に確認することは難しい。なぜなら、バルクの系では、超伝導秩序変数の情報は多くの場合絶対値として現れ、符号の変化という超伝導秩序変数の位相は検出することが難しいからである。

本論文では、鉄系超伝導体の超伝導秩序変数の対称性の同定の為の実験を提案するため、現象論的理論手法を用いる。特に、超伝導秩序変数の符号が各フェルミ面上で異なるという情報を、どのような実験手法で取り出すことができるかについて考察する。ここで言う現象論的理論手法というのは、超伝導秩序変数をある形に仮定するという意味である。

本論文では、鉄系超伝導体の超伝導状態の性質に関する現状についてまとめ、その超伝導対称性の実験的同定を行うための方法を理論的に研究した。具体的には、

・ 核磁気緩和率及び超流動密度の温度依存性の測定:バルク系での物理量

・ポイントコンタクトスペクトロスコピー等界面に敏感な実験:界面での準粒子の散乱に起因する束縛状態

・STM/STS による準粒子干渉効果測定実験:渦糸コア中の準粒子の不純物散乱

・磁場回転比熱・熱伝導率実験による超伝導ギャップ異方性の測定:状態密度の磁場回転依存性

等の実験を解析および予言する。その際、鉄系超伝導体に特徴的なマルチバンド性と、±s波という新奇な超伝導秩序変数がこれらの実験結果にどのような影響を及ぼすかを調べる。以下に各章で行った研究について述べる。

第2章では、有効二次元5 バンドモデルを用いて、核磁気緩和率1=T1 と超流動密度の温度依存性を計算した。そして、核磁気緩和率1=T1 がTc 直下でコヒーレンスピークを持たず、低温で1=T1 / T3 となることと、超流動密度が低温でフラットになることは、異方的±s 波超伝導シナリオによって説明できることを示した。このときの異方性の強さは、超伝導ギャップの最大値が最小値の四倍程度である。また、この章のもととなった論文が出版されたあとの研究の進展として、第一原理計算結果による複数のバンドからなる三次元的フェルミ面と等方的±s 波超伝導を用いての実験の説明についても述べた。このとき、BaFe2As2(122 系と呼ぶ)に関しては、角度分解光電子分光で得られた超伝導ギャップを使うことで、核磁気緩和率の1=T1 の振る舞いを説明することに成功した。LaOFeAs(1111系と呼ぶ) に関しては、各バンドごとに異なる大きさの超伝導ギャップを用意し、あるバンドのフェルミ面上の超伝導ギャップが他のバンドの超伝導ギャップよりもかなり小さいと仮定することで、核磁気緩和率の1=T1 の振る舞いを説明することができた。有効二次元5 バンドモデルの結果も、第一原理計算結果による三次元的フェルミ面を用いた結果も、フェルミ面上のある場所での超伝導ギャップが他の場所よりも小さくなっていなければ、核磁気緩和率1=T1 の低温での振る舞いを説明できないという意味では同じ結論となっている。

第3章では、±s 波超伝導を検出するための方法として界面にできるAndreev 束縛状態に着目した。界面にできるAndreev 束縛状態はポイントコンタクトスペクトロスコピーによって検出可能である。我々は、マルチバンド系の界面束縛状態を調べるために、松本と斯波によるシングルバンド系の界面束縛状態の理論をn バンド系へと拡張した。我々は、準古典近似を用いることによって、マルチバンド系の無摂動Green 関数を界面に垂直な運動量kx で積分する方法を開発した。そして、準古典条件_=Ef _ 1 が成り立つマルチバンド系における界面にゼロバイアスコンダクタンスピーク(ZBCP) が出現する条件を導出し、その条件式は超伝導秩序変数の大きさに依存せず相対的な位相差に依存することを見いだした。鉄系超伝導体もフェルミエネルギーEF が超伝導ギャップ_ よりはるかに大きいため、準古典条件は適用可能であるはずである。我々は、今回開発した手法を用いて、2 バンドモデルと5 バンドモデルの両方の場合の、±s 波超伝導を仮定した時の界面での状態密度のエネルギー依存性を計算した。その結果、どのエネルギーで状態密度のピークが出るか(Andreev 束縛状態がどのエネルギーに出現するか)は、超伝導ギャップの大きさの異方性にほとんど依らず、界面の角度と常伝導状態の性質に依っていることがわかった。我々のこの結論は、±s 波超伝導体でのポイントコンタクトスペクトロスコピーの結果が、物質の組成やドープ量という常伝導状態の性質に依存して非常に複雑になるであろうことを示唆している。

第4章では、様々な超伝導対称性における渦糸コアでの不純物効果を調べた。STM/STSを用いた準粒子干渉効果の測定を用いると、超伝導状態の不純物散乱のコヒーレンス因子を調べることができる。我々は、渦糸まわりにできる低エネルギーAndreev 束縛状態が非磁性不純物によってどのように散乱するかを、渦糸近傍低エネルギー領域で有効な解析的理論であるKramer-Pesch 近似(KPA) を用いて、不純物自己エネルギーの虚部をとって不純物散乱率を計算することで調べた。マルチバンド系の渦糸コア中では、シングルバンド系には存在しない符号反転前方散乱が生じうる。ここで、符号反転前方散乱とは、超伝導秩序変数が散乱の前後で符号が変化し、散乱前後の準粒子のフェルミ速度がほとんど変わらない散乱である。この散乱の不純物散乱強度は非常に強い。電子的フェルミ面とホール的フェルミ面の複数のフェルミ面を持つ鉄系超伝導体の場合、±s 波超伝導を仮定すると、~q 空間中の広い領域にわたって強いアーク状ピークが現れる。したがって、クリーンな±s 波超伝導体は、STM/STS 測定によるdI=dV の~q 依存性を調べることで特定できるはずである。

第5章では、超伝導ギャップノードの運動量空間中の位置を実験的に検出できる方法のひとつである磁場回転比熱・熱伝導率測定の低磁場領域での新しい理論解析手法として、Kramer-Pesch 近似を導入した。我々はKPA を用いて典型的なフェルミ面を持つ系をいくつか仮定し、面内で磁場を回転した場合のゼロエネルギー状態密度(ZEDOS) を計算した。この結果は、実験結果を解析する際に現実的なフェルミ面をきちんと考慮しなければ、誤った結論を出してしまう可能性があることを示唆している。複雑なフェルミ面を持つ系へのKPA の適用例として、YNi2B2C を考えた。第一原理計算によって得られたフェルミ面とSTM/STS 実験の結果を再現する超伝導ギャップ構造を用いれば、Izawa らやPark らの磁場回転比熱・熱伝導率実験の結果を再現できることを見いだした。最後に、もう一つのKPA として、Mel'nikov らが用いていたKPA をRiccati 方程式から導出し、その精度がいままで使っていたKPA よりもよいことを確かめた。

本論文においては、鉄系超伝導体の超伝導対称性が±s 波超伝導であるかどうかを実験的に調べる手段について理論的に研究した。その結果、第3章で研究した界面束縛状態の観測では±s 波超伝導に関する確定的な情報を得ることができず、第4章で研究したクリーンな系でのSTM のQPI パターンの解析であれば、±s 波超伝導と他の超伝導を十分に区別できることがわかった。また、それらの研究を通じて、鉄系超伝導体に限らない一般的なマルチバンド超伝導体の物性に関する研究を行った。その結果、準古典近似においても「非連結なフェルミ面を持つシングルバンド系」と「マルチバンド系」に違いが現れる場合(第3章)と現れない場合(第4章)があることがわかった。

審査要旨 要旨を表示する

本学位論文は6 章からなり、1章は鉄系超伝導体についての序論および本論文の概要、2章は鉄系超伝導体の核磁気共鳴および超流動密度の解析、3章は多バンド超伝導体の界面状態の解析、4章はs± 波をもつ超伝導体における渦糸での散乱の解析、5章は一般の超伝導体における回転磁場中での比熱および熱伝導率の理論、6章は本論文の結論および今後の展望を述べている。

超伝導は、物性物理学のなかでも重要なテーマの一つであるが、特に1980 年代に銅酸化物において高温超伝導が発見されたことに端を発し、遷移金属化合物における、従来とは異なる超伝導が物性物理学の新たな分野として注目されてきた。高温超伝導においては、単に超伝導転移する温度が高いだけではなく、電子間のクーロン斥力相互作用の効果として超伝導が起きる可能性が指摘され、超伝導の電子機構という点でも興味をもたれている。特に、2008 年に我が国の細野のグループによるブレークスルーが起き、鉄化合物(鉄と砒素等の化合物を基本とする)において、絶対温度50K を超える温度での超伝導が発見された。鉄は、磁石になることからも分かるように、普通は強磁性と関連した物質であり、超伝導とはあまり縁が無いというのが常識であったので、新たなテーマとして多くの研究が興った。一つの焦点は、銅化合物と鉄化合物に対して、似た点および相違点は何か、という点である。銅酸化物のときには電子のもつバンド構造(波数の関数としてのエネルギー)が比較的簡単であったのとは対照的に、鉄系超伝導体のバンドは鉄化合物であることを反映して複数のバンドが関与する。理論的には、鉄化合物に対して黒木等により電子機構が提案され、スピン揺らぎ媒介という点では銅化合物と似た機構であるとしても、鉄化合物では多バンド構造のために複数のバンドが超伝導に関与し得ることが示されている。特に、電子機構超伝導では、超伝導を記述するギャップ関数が、波数の関数として符号を変える「異方的超伝導」という特徴をもつと考えられており、銅系超伝導体ではそれが観測されてきたのに対し、鉄系超伝導体では、各バンドではギャップ関数は定符号であるが、異なるバンドの間では反対符号をとる、「s±」と現在呼ばれる新奇な可能性が理論的に指摘された。これを実験的に観測できるか、というのが次の重要な問題となる。

以上の背景のもとに、本論文は、このような超伝導対称性の同定を行うためには、どのような実験的をどのように解析すればよいかを理論的に研究したものである。眼目としては、多バンドをもつ系に特徴的なs± という超伝導が実験結果にどのように表れるかという点である。具体的には、先ず、核磁気共鳴における緩和率及び超流動密度の温度依存性が、鉄系化合物に対して理論的に提案されている5 バンド・モデルを用いて計算された。結果として、s± 超伝導では、核磁気緩和率1/T1 が超伝導転移温度Tc 直下で、異方的超伝導を特徴付けるコヒーレンス・ピークを持たず、低温で温度の逆冪乗則で減少し、超流動密度が低温で平坦になり得ることが示された。鉄系超伝導体にたいしての実験結果は現在のところ、実験グループや試料によりばらつきがあるものの、おおむね、この理論と整合する。

次に、超伝導ギャップ関数の符号に敏感な現象として、超伝導体に、別の系を接合させた界面にできるAndreev 束縛状態と呼ばれる状態に着目した。実験的にはポイントコンタクト・スペクトロスコピーによって検出可能である。界面に対する従来の準古典近似を多バンド系へ拡張することにより、多バンド系における界面のスペクトル、特にゼロバイアス・コンダクタンスピークという特徴が出現する条件が導出された。その条件は、超伝導秩序変数の大きさには依存せず相対的な位相に依存することが見いだされた。s± 超伝導体に対しては、スペクトルに細かい構造はあるものの、直接これを判定するのは難しい、という結果が得られた。

さらに、超伝導ギャップ関数の符号に敏感な別の現象として、様々な超伝導状態にたいする、磁場中超伝導体に存在する渦糸における不純物効果が調べられた。これは、走査型トンネル顕微鏡・分光(STM/STS) により測定可能である。渦糸まわりにできる低エネルギーAndreev 束縛状態が非磁性不純物によってどのように散乱されるかが、低エネルギー領域で有効なKramer-Pesch 近似を用いて調べられた。それにより、多バンド系の渦糸中では、単一バンド系には存在しない符号反転前方散乱が生じうることが見出された。特に、電子的フェルミ面とホール的フェルミ面という複数のフェルミ面を持つ鉄系超伝導体の場合、s± 波超伝導を仮定すると、波数の関数としての散乱強度に対して、特徴的なアーク状ピークが現れることが見出された。

最後に、超伝導ギャップが符号を変える箇所(ノード) の運動量空間中の位置を実験的に検出できる方法の一つである回転磁場の中の比熱・熱伝導率が、低磁場領域でKramer-Pesch 近似を導入して解析された。一般的な定式化が行われたあと、複雑なフェルミ面を持つ系への適用例として、YNi2B2C という化合物が解析され、実験結果が再現できることがを見だされた。

以上のように、本学位論文では、鉄系超伝導体が提案されているs± 波超伝導をもつか否かを実験的に調べる手段についての理論的な知見が得られた。さらに本研究は、多バンド超伝導の解析ととらえることもでき、鉄系超伝導体以外のより一般的な超伝導体の物性に関する示唆も含まれている。これらが鉄系超伝導体について実験とどこまで合致するか、また他の超伝導体に対してどの程度普遍的であるか、という点は今後の研究をまつ必要があると思われるが、本学位論文で得られた成果は、多バンド超伝導体の理解に重要な貢献をするだけでなく、将来的にも、多彩な超伝導体の物理の発展にも資することが期待される。

なお、本論文の一部は加藤雄介准教授および、林伸彦、中村博樹、町田晶彦、奥村雅彦、中井宣之の各氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究したものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断される。

したがって、審査員全員により、博士(理学)を授与できると認める。

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