学位論文要旨



No 125122
著者(漢字) 橋田,朋子
著者(英字)
著者(カナ) ハシダ,トモコ
標題(和) 即興的音楽表現システムのための音響マッピングの研究
標題(洋)
報告番号 125122
報告番号 甲25122
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学際情報学)
学位記番号 博学情第21号
研究科 学際情報学府
専攻 学際情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,隆夫
 東京大学 教授 原島,博
 東京大学 教授 荒川,忠一
 東京大学 准教授 苗村,健
 宮城大学 准教授 茅原,拓朗
内容要旨 要旨を表示する

本研究は,様々な音楽習熟度,能動性のレベルを持ったユーザが,それぞれのレベルに応じて即興的音楽表現を身近に楽しむため,(1)即興的音楽表現を行う意思を特に持たないユーザが即興的音楽表現であることを意識せずに楽しむとともに,創意を発揮することもできる仕組み,および(2)即興的音楽表現に興味を抱くユーザが表現することの楽しさと同時に技法習得の達成感も得られる仕組み,を実現することを究極の目的とする.本論文では,前者を"即興的音楽生成システム",後者を"創意発揮と技法習得の両立支援システム"と呼び,音響マッピングに工夫を施すことでこの目的を実現する.

これまで即興的音楽表現システムの研究では,専ら表現を行う意思を持ったユーザの"創意の発揮"を支援するシステムに重点が置かれてきた.しかしより多様な音楽習熟度,能動性のレベルを持ったユーザが即興的音楽表現を身近に感じられるようにするためには,これまで積極的には取り組まれてこなかった,創意発揮のみに縛られない楽しさを追求する即興的音楽生成システムや,創意発揮と技法習得の両立支援システムの検討が必要と考えられる.本論文では,入力や支援機構などの対象に何の音響要素をどのように対応付けるか,という音響マッピングの手法に音楽・聴覚心理学的な知見をうまく取り入れることで,各システムの新たな魅力を提案する.

従来,即興的音楽生成システムでは,複数ユーザの何気ない行為を,ある空間内で離散的にランダムに生じる入力とみなし,ユーザの区別なく行為が生じた・変化した瞬間に音響要素を生成するという手法を用いていた.しかしこの手法では全体としての響きのよさが保てる一方で(1)各ユーザの行為の演出という観点からは,行為と出力音楽の関係が直感的にわかりにくい(2)ユーザ間の行為の関係性のメディア変換・演出という観点からは,空間的パターンを時間変化パターンにうまく変換できていないといった課題があった.そこで,本研究では第3章と第4章にて,空間演出やメディア変換といった目的ごとに複数ユーザの何気ない行為をどのような入力として解釈すべきかを示し,各入力に沿った,静的・動的な音響マッピングの工夫を施すことで,これらの課題を解決する即興的音楽生成システムの実現を目指す.

第3章では"歩く"という日常空間の複数ユーザの何気ない行為から即時的に軌跡的な音楽と映像を生成し,空間を効果的に彩る即興的音楽生成システム"otoato"を提案する.otoatoは"歩く"という行為を連続移動型の入力と見なし,一続きの軌跡的に聴こえる旋律や,一人一人が独立しつつ全体として調和した音楽の生成を目的とする.ユーザの空間位置に応じた音高の生成を基本に,ユーザに応じた音色,速さに応じた音長,音高の空間的な配置,などの静的音響マッピングに音楽・聴覚心理学的な観点から工夫を施し,この目的を実現する.

第4章では"Webアクセス"というWeb環境における複数ユーザの何気ない行為に着目し,Webアクセスの空間的な広がりを音響化・映像化することで,情報のメディア変換・演出を行なうシステム"灯の音"を提案する.灯の音はWebアクセスを離散的でランダム発生型の入力と見なし,その空間的な広がりを時間的なパターンとして直感的に把握可能にすることや,その出力にさらに動的な変化を加え音楽らしさを出すことを目的とする.音響信号の生成タイミングを入力の瞬間ではなくタイムインジケータにより規定する,条件に応じて対応付ける音響属性のパタメータを変化させる,といった動的な音響マッピングに工夫を施すことで,この目的を実現する.

次に創意発揮と技法習得の両立支援システムでは,ユーザごとにその音楽習熟度が異なるために,一律な支援機構を用いると支援の過不足が生じるという課題や,ユーザの出力と支援機構としての聴覚情報を別個に提示するために,出力と支援機構の一体感が低い・表現として違和感があるといった課題があった.そこで本論文では,技法に関する間接的な教示が自然と表現自体に含まれているような表現の形態を取り上げ,技法遂行の精度や教示の知覚に音楽習熟度が与える影響を,知覚・認知心理実験によって検討した上で,その知見に基づき自由度のある入力と支援機構の音響マッピングを施す.これにより多様な音楽習熟度のユーザが創意の発揮と同時にそれぞれのレベルにあった負荷を伴う技法練習を自然と楽しめる創意発揮と技法習得の両立支援システムの実現を目指す.

第5章では,リミックスという楽曲断片をテンポよく切りのよいタイミングで入れ替えたり加えたりすることで音楽を即時的に作る音楽表現に,音楽習熟度が与える影響を心理実験により検証する.リミックスにおける技法とは"テンポの維持:基本となる拍の整数比になるタイミングで入力を維持する音楽能力"であり,創意とは,"リミックスタイミングの時系列的なパターン",間接的な教示とはユーザの入力に対する出力を兼ねた"楽曲断片"である.音楽習熟度はリミックスの精度に影響を及ぼすか否か,及ぼす場合には教示の知覚能力が重要な過程(楽曲断片を知覚的な手掛かりに次の入力時間を心の中で拍を数えながら予測する過程)と,技法遂行の能力が重要な過程(予測したタイミングで正確に動作を行う過程)のどちらに起因するのかを示す.

第6章では,リミックスタイミングの時系列的なパターンに創意を発揮しながら,"テンポ維持"という技法に自然と気がつき,自分の音楽習熟度にあった負荷での技法練習を楽しめる,創意発揮と技法習得の両立支援システム"TempoPrimo"を提案する.TempoPrimoはキーのon・offなどにより,自由なタイミングで入力を行うと,on時間の長さに応じてリズム音列(間接的な教示)が生成され,テンポを維持したタイミングでの入力を続けるとメロディ音列(事後の評価)が自動付与される支援機構を持つ.第5章の心理実験の知見をいかし,間接的な教示の呈示の長さや入力タイミングのパターンに自由度を持たせることで,音楽熟達者でも非熟達者でも容易にリズムの創作を楽しみながら,テンポを維持する技法に気がつくことができ,さらに,自分の音楽習熟度にあった難易度での技法練習が可能であることを示す.

これらの確立により,様々な音楽習熟度,能動性のレベルを持ったユーザにとって魅力的な即興的音楽表現の形を提案し,即興的音楽表現システムの可能性を拡張することを試みる.本論文でまとめた成果は,実際にエンタテインメントシステムとして日常生活で利用することや,そのようなシステムを設計する際の指標として用いることを念頭においており,今後さまざまな分野・用途に応用が可能である.また即興的音楽表現の今後の新たな在り方を示すものとなることが期待される.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、「即興的音楽表現システムのための音響マッピングの研究」と題し、創意発揮のみに縛られない楽しさを探求する即興的音楽表現システムの実現を目指して、音響マッピング手法を理論的・実験的に論じ、その知見を生かしたシステムの開発を行ったものであって、全7章から構成されている。

第1章は「序論」であり、近年、芸術表現にとどまらない音楽の新しい楽しみ方を提供する形として即興的音楽表現システムに対する需要が高まり、特に創意発揮の支援システムが普及しつつあるという背景を述べている。その上で、創意や参加の意図を持たないユーザが即興的音楽表現の楽しさに触れる機会や、創意の意欲があるユーザが表現をより続けたくなる仕組み、の少なさを指摘し、本論文の背景と目的を明らかにしている。

第2章は「即興的音楽表現システムに関連する研究動向」と題し、即興的音楽表現システムの位置づけと分類を行うとともに、本研究では、創意や参加の意図を持たないユーザを対象とする即興的音楽生成システムと、創意の意欲があるユーザを対象とする創意発揮と技法習得の両立支援システムを対象とすることを明記している。さらに前者では、何気ない行為と出力の直感性を高めつつ音楽らしい出力を実現することが、後者ではユーザの音楽習熟度に応じた支援の柔軟性を向上させることが課題であると指摘し、音響マッピングに工夫を施すことでこれらを解決するという、本研究のスタンスを示している。

第3章は「人の歩みと連動する即興的音楽生成システム otoato」と題し、"歩く"という何気ない行為から、空間位置に応じた特定の音階音の音高・速さに応じた音長・ユーザに応じた音色を持った楽音の生成、という静的音響マッピングを用いて、旋律とその集合としての対位法的音楽を出力するシステム"otoato"を提案している。音楽・聴覚心理学の知見をふまえて、従来研究よりも、各ユーザの出力が独立・連続して聴こえるような静的音響マッピングにより、何気ない行為と出力音楽の直感性が高まり、偶発的に参加したユーザが即興的音楽表現の楽しさに気がつける場を実現している。さらにotoatoの展示、考察などを通じ、システムの有効性を示している。

第4章は「Webアクセスと連動する即興的音楽生成システム 灯の音」と題し、"Webアクセス"という何気ない行為の空間的な広がりを、音楽にメディア変換するシステムを提案している。Webアクセス地点(灯)を日本地図上にプロットし、日本地図を移動する走査線と灯が衝突したタイミングで、音響信号を生成するという静的音響マッピングにより、空間的なパターンを時間パターンに直感的な形で変換可能なことを示している。さらに、灯と走査線が衝突する瞬間や音色を、走査線の形や地図の見せ方と連動して動的に変化させる、という動的音響マッピングを用いて、同じWebアクセスの空間的な広がりから多様な音楽にメディア変換が可能なことを示している。

第5章は「音楽習熟度がリミックスに与える影響」と題し、リミックスには心的予測過程(ループを手掛かりに次の入力タイミングを心の中で拍を数えながら予測する過程)と,動作遂行過程(予測したタイミングで正確に動作を行う過程)が必要であることを言及した上で、音楽習熟度がどちらか、或は両過程の精度に影響する可能性を実験により検証している。その結果、音楽非熟達者は複雑な動作を要求されるとテンポを維持する精度が悪くなること、音楽習熟度によらず、ループの提示の長さが充分ではないと、時間精度が下がる傾向があることを報告している。

第6章は「リミックスにおける創意発揮と技法習得を両立支援するシステム TempoPrimo」と題し、キーをon・offすることでリミックスすると、on時間の長さに応じてリズムループが生成され、テンポを維持して入力を続けるとメロディループが自動付与される支援機構により、"テンポ維持"という技法に自然と気がつき練習することと、創意発揮を両立して促すシステムを提案している。第5章の心理実験の知見をいかし,技法の間接的教示であるリズムループの呈示の長さや入力タイミングのパターンをユーザに任せることにより,ユーザが自らの音楽習熟度にあった難易度での技法練習が可能であるシステムを実装し、評価実験によりその有効性を示している。

第7章は「結論」であり、本論文の主たる成果としてまとめるとともに、今後の課題と展望について述べている。

以上を要するに、本論文は、創意発揮のみに縛られない楽しさを追求する即興的音楽表現システムの実現を目的として、音響マッピング手法の提案、システムの開発と有効性の検証を行い、創意や参加の意図を持たないユーザが表現を意識せずに楽しめる仕組みと、創意の意欲があるユーザが創意と共に技法にチャレンジする達成感を味わえる仕組みを体系的に論じたものであり、学際情報学の進展に寄与するところが少なくない。以上の点から、本審査委員会は、本論文が博士(学際情報学)の学位に相当するものと判断する。

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