学位論文要旨



No 124347
著者(漢字) 松林,武生
著者(英字)
著者(カナ) マツバヤシ,タケオ
標題(和) 身体運動における大腰筋の活動特性と機能
標題(洋) Functional significance of the psoas major muscle in human movement : its structure, contractile property and behavior
報告番号 124347
報告番号 甲24347
学位授与日 2009.03.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第870号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石井,直方
 東京大学 教授 金久,博昭
 東京大学 教授 深代,千之
 東京大学 准教授 渡會,公治
 東京大学 准教授 八田,秀雄
内容要旨 要旨を表示する

大腰筋は体幹深部筋のひとつである。腰椎側面から起始し、腸恥隆起を越え、大腿骨小転子に停止する。その主な機能は、股関節の屈曲と腰椎の安定化である。これらの機能は歩行、走行をはじめとする様々な身体運動において重要な役割を担う。2000年、久野は大腰筋の筋横断面積が疾走能力と相関関係にあることを報告した。この報告を皮切りに、大腰筋と運動能力との関係を報告する研究が幾つかなされ、身体運動における大腰筋の機能的重要性が示唆されている。しかし、これらはどれも大腰筋の発達(筋横断面積)と運動能力との関係を捉えたにすぎない。身体運動に対して大腰筋の機能がどのような意義を持つのか、この点を議論するには、身体運動における大腰筋の動態をより深く知る必要がある。

大腰筋のような深部に位置する筋の動態を捉えるは、一般的には侵襲的な手法(ワイヤー電極の挿入など)に頼らざるを得ない。これに代わる非侵襲的手法として、T2強調MR画像等を用いた筋活動痕跡を調べる手法が試みられているが、時間分解能が低い等の欠点がある。他の可能性のある代替手法として、Bモード超音波法が挙げられる。超音波法は非侵襲的に生体内断面を画像化することができ、筋内形状(筋束長・羽状角等)の測定に用いられてきた。時間分解能にも優れ、リアルタイムでの測定も可能である。筋内形状を表すパラメータの幾つかは筋の発揮張力や活動レベルと高い相関関係にあることから、これらの変化を指標として筋の動態を捉えることができると考えられる。

本論文は、身体運動における大腰筋の機能的意義を明らかにすることを目的とした。これに際し、超音波法を用いて大腰筋の動態を捉えることを試みたほか、大腰筋の解剖学・形態学的な特徴についても調べ、筋機能や収縮特性との関係についての検討も行った。

実験1:超音波法を用いて大腰筋の張力発揮を捉えることの妥当性

超音波法による測定は、筋形状、撮像断面の方向等に影響される。また、指標として用いる形状パラメータは、筋動態を適切に表すものでなければならない。実験1では、大腰筋撮像断面の方向が測定結果に与える影響、筋動態と形状パラメータの変化との対応性等を検討することで、本手法の妥当性を確認した。形状パラメータとしては、大腰筋の内部に延びる遠位腱組織(深部腱膜)の移動を用いた。異なる2つの方向から筋の矢状面縦断像を撮像し、深部腱膜の移動量を測定した。深部腱膜は、股関節の受動的な角度変化および等尺性屈曲にあわせて移動した。またその移動量は、関節角度、屈曲トルクと高い相関関係を示した。これは、深部腱膜が筋の長さ変化および張力変化に対応して移動することを意味している。このうち筋長変化に対応した移動量は股関節角度から推測することが可能であり、双方の変化が同時に起きた場合でも、張力に対応した移動量を算出することが可能であることが示された。この張力に対応した腱膜移動量は遠位腱組織の伸張量に等しいと考えられ、筋の発揮張力と強い対応関係にあることが確認された。この伸張量を張力発揮の指標とすることで、大腰筋の動態を捉えることが十分可能であることが示唆された。

実験2:大腰筋の収縮特性1(超音波法を用いた検討)

筋の代表的な収縮特性として、力-長さ、力-速度関係が挙げられる。実験2では超音波法を用いて、大腰筋のこれらの収縮特性について調べた。等速性筋力測定装置を用い、股関節の等尺性屈曲(角度は0、30、60、90°、直立姿勢が0°)、等速性屈曲(運動速度は90、180°/s)を行い、その際の大腰筋遠位腱組織の伸張量を測定した。等尺性屈曲では、遠位腱組織の伸張量が股関節30~60°屈曲位で最も大きくなった。しかしこの関節角度範囲外においても、伸張量はそれほど小さくはなく(80%程度)、広い関節角度範囲で大きな張力発揮を行えることが示唆された。等速性屈曲では、速度の上昇とともに伸張量が小さくなる傾向が見られたが、低速度域(0-60°/s)では、張力発揮はそれほど変化しなかった。大腰筋のこれらの特性は、筋束長/モーメントアーム長の比が大きいという特徴に由来するものと推察された。

実験3:大腰筋の収縮特性2(筋モデルを用いた検討)

生体での筋の張力発揮は、筋の本質的な収縮特性(力-長さ-速度関係)の他に、活動水準などにも左右される。実験3では大腰筋の筋モデルを作成し、このような神経系要因を取り除いた本質的な収縮特性(力-長さ関係)を推定した。筋モデルは、大腰筋の解剖・形状学的測定と、骨格系(腰椎-骨盤)の形状測定を基に作成した。5体の献体の大腰筋から、筋束長、サルコメア長、遠位腱長、筋腱の配列関係を得た。またMRIを用いて男性1名の腰部矢状面連続スライス画像を取得し、腰椎形状を得た。作成したモデルは腰椎の伸展・屈曲、股関節の伸展・屈曲を記述することが可能であり、これに伴う大腰筋の形状変化を算出することも可能である。これを用いて、骨格系の姿勢変化と大腰筋の力発揮能力との関係を推定した。その結果、大腰筋は股関節伸展位にて最大の力発揮が可能であること、股関節80°付近までは、力発揮能力の低下はほとんどないこと(10%程度の低下)、腰椎の伸展・屈曲によっては張力発揮能力が大きく変化しないこと、などが明らかとなった。姿勢変化に伴う筋束長の変化が小さいこともモデルによって示され、これが幅広い姿勢範囲で大きな張力発揮を行えるという大腰筋の収縮特性を生み出していると示唆された。

実験4:シットアップ運動における大腰筋の動態

シットアップは股関節屈曲筋群の代表的なトレーニング動作である。この運動には様々なスタイル(脚曲げ-脚伸ばし等)が存在し、スタイルによって各筋の動態も変化する。実験4では、幾つかのシットアップ運動において大腰筋の動態を観察し、運動スタイルと動態との関係を検討した。測定を行う動作は、等速性シットアップ4種(脚曲げ-脚伸ばし、30°/s-90°/s)、非制御下のシットアップ8種(脚曲げ-脚伸ばし、Slow-Fast、背面を背もたれにつける-つけない)とした。等速性シットアップでは、脚の姿勢によっては大腰筋遠位腱の伸張量に差がなかった。また、運動速度が速いと、伸張量が小さくなる傾向があった。非制御下のシットアップでは、脚曲げ姿勢において伸張量が大きくなる傾向が見られたが、この傾向は運動速度が速いときには見られなかった。遅い運動速度では速いときよりも伸張量が小さくなる傾向が、脚伸ばし姿勢でのみ見られた。脚曲げ姿勢では、速度による伸張量の差は殆どなかった。背面を背もたれにつけないスタイルでは、運動サイクル中の伸張量の平均値を上昇させたが、ピーク値に大きな変化はなかった。以上より、大腰筋は脚曲げ姿勢において活動水準が高まりやすい状態にあることが示唆された。

実験5:ももあげ運動・歩行運動における大腰筋の動態

ヒトの日常動作は二足直立姿勢を基本としている。この姿勢での股関節屈曲動作として、ももあげ・歩行・走行などがある。実験5ではこの中から、ももあげ・歩行を取り上げ、これらの動作における大腰筋の動態を観察し、その機能について検討した。ももあげ動作では、ももの挙上に応じて大腰筋遠位腱組織の伸張量が大きくなり、脚を引き上げるのに必要なトルク需要に応じて張力が発揮されていることが示唆された。一方歩行運動では、支持期中盤から股関節屈曲開始前後にわたり腱の伸張を確認した。これは大腰筋が伸張性収縮を行っていることを意味している。また、歩行運動における伸張量は、ももあげ運動のそれよりも大きなものであった。この歩行中の大きな張力発揮によって、股関節伸展動作の制御や、様々な方向への腰椎動作(屈曲-伸展、側屈、回旋)の制御を行っていることが推察された。股関節屈曲が行われる遊脚期には、大腰筋の張力発揮は殆ど見られなかったが、脚の前方スウィングは重力と慣性の作用により行われたものと考えられた。また大腰筋は、伸張性収縮から短縮へと移行する収縮様式(stretch-shortening cycle)で活動しており、歩行動作のエネルギー効率を高めることに貢献していることがうかがえた。さらに、この伸張性収縮が腰椎の動作と関連していることから、大腰筋は体幹の動作と下肢の動作をリンクし、体幹から下肢へのエネルギー伝達に貢献している可能性も考えられた。

総合討議

5つの実験結果から、大腰筋の収縮特性と運動中のふるまいに関して多くの知見を得ることができた。これらと文献等の情報とをまとめると、身体運動における大腰筋の機能的意義は下記のようにまとめられる。

大腰筋の最も基本的な機能は、股関節の屈曲と腰椎の安定化である。二足歩行を行うヒトの身体運動において、これらの機能はしばしば同時に必要とされる。腰椎と股関節とをまたぐ多関節筋であるという特徴から、大腰筋はこれらの需要に対して、同時に効果的に応えることができる。また、股関節のモーメントアーム長に対して筋束が長いという形状を有している大腰筋は、幅広い股関節角度範囲において大きな力発揮を行うことが可能である。これは、大腰筋が最も活躍する股関節伸展位(直立姿勢時)のみではなく、股関節屈曲位(ももあげ運動時や、いす座位など)においても、その機能がしっかりと発揮されることを意味している。さらには、長い遠位腱を有する大腰筋は、伸張-収縮サイクルのなかで行われる運動において運動効率を高めることに有利である。この効果は歩行などにおいてしばしば発揮されるが、このときの伸張性収縮には腰椎の動作も関与していることから、大腰筋は伸張-収縮サイクルを通じて体幹から下肢へエネルギーを伝達し、体幹と下肢との運動の架け橋的役割を担っているといえる。このように大腰筋は、二足直立姿勢をとることで高度に複雑化されたヒトの身体運動に非常に適したデザイン・活動特性を有しており、この運動の効果的、効率的な制御に大きく貢献している。

審査要旨 要旨を表示する

大腰筋は、胸椎・腰椎に始まり、骨盤表面を通り、腸骨筋と融合して大腿骨小転子に至る筋で、典型的な深部筋である。いくつかの形態学的研究から、大腰筋の横断面積が、スプリント走能力や、高齢者の歩行能力に強く相関することが示されており、スポーツ競技能力のみならず、健康の維持増進という観点でもこの筋の重要性が示唆されている。しかし、この筋が股関節屈曲、腰椎の伸展、腰椎の側屈などの機能をもつことは解剖学的に推測されるものの、深部に位置するために、筋活動を直接測定することがきわめてむずかしく、身体運動における実際の役割についてはよく分かっていない。本論文は、超音波Bモード法を用いて大腰筋の深部腱膜を非侵襲的に観察し、その伸張量から大腰筋の収縮張力を推定するという方法を新たに開発し、その手法をいくつかの身体運動に適用して得られた結果から、大腰筋の機能と身体運動におけるその役割について考察したものである。

本論文は7章からなり、第1章は序論、第2章は超音波法を用いて大腰筋の張力発揮を捉える方法の妥当性、第3章は大腰筋の収縮特性についての超音波法を用いた検討、第4章は大腰筋の収縮特性についての筋モデルを用いた検討、第5章はシットアップ運動における大腰筋の動態、第6章はももあげ運動・歩行運動における大腰筋の動態について論じ、第7章は総括論議となっている。

第2章では、超音波法を用いて大腰筋の収縮張力を推定する方法の妥当性が注意深く検討されている。異なる2つの方向から筋の矢状面縦断方向の深部腱膜の移動量を測定し、その移動量が、股関節角度、股関節屈曲トルクと高い相関を示すこと、深部腱膜移動量を伸張量と受動的移動量に分離できることなどから、その伸張量を張力発揮の指標とすることで、大腰筋の動態を捉えることが十分可能であることが示されている。

第3章では、第2章でその妥当性が検証された超音波法を用いて、大腰筋の力-長さ、力-速度関係が調べられている。さまざまな股関節角度での等尺性屈曲および等速性屈曲中の大腰筋遠位腱組織の伸張量を測定することにより、大腰筋は広い股関節角度の範囲で大きな張力発揮を行えることが示され、こうした特性が、筋束長/モーメントアーム長の比が大きいという形態的特徴に起因する可能性について論じられている。

第4章では、大腰筋の解剖・形態学的測定と、骨格系(腰椎-骨盤)の形状測定から大腰筋の理論的な筋モデルを作成し、これに基づいて、第3章で得られた力学的特性の解釈が試みられている。屍体解剖から得た大腰筋標本から、筋束長、サルコメア長、遠位腱長、筋腱の配列関係を、MRI撮像から腰椎形状を得ることにより筋モデルを作成し、このモデルによって、幅広い姿勢範囲で大きな張力発揮を行えるという大腰筋の収縮特性がうまく説明されている。

第5章は、股関節屈曲筋群の代表的なトレーニング動作であるシットアップ運動を対象とし、動作のスタイル(脚曲げ-脚伸ばし等)と大腰筋の収縮動態との関係を検討している。その結果、大腰筋は脚曲げ姿勢において活動水準が高まりやすいことが示唆されている。

第6章では、「もも上げ動作」と歩行動作中の大腰筋の収縮動態について、本研究で開発した超音波法と、3次元動作分析を組み合わせるという手法を用いて解析している。この研究により、1)「もも上げ動作」時には、股関節の屈曲とともに大腰筋の発揮張力が増大すること、2)歩行動作では、立脚相の終期(後ろ側の脚で地面を蹴る前)に大腰筋が大きな筋力を発揮することなどの新たな知見が得られている。

第1章の序論および第7章の総括論議でも述べられている通り、本論文で開発された手法をさまざまな運動に対して応用することにより、大腰筋の機能に関する新規知見が多数得られるものと期待される。歩行動作における大腰筋の収縮動態についてはまだ例数が少なく、今後さらなる検証が必要であるが、本論文が示唆する点、すなわち、伸張-短縮サイクルにおいて弾性エネルギーを蓄積することにより運動の効率化に寄与すること、骨盤・腰椎の安定化にはたらくこと、などは新規性の高い知見であると評価される。

なお、本論文の第2章および第6章は、松尾彰文、久保潤二郎(以上国立スポーツ科学センター)、小林寛道(東京大学生涯スポーツ健康科学研究センター)との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、本審査会は博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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